【旅行記】信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅~磐越西線と羽越本線新津-新発田間に乗車~
磐越西線の西側区間に乗車する
磐越西線は郡山から新津を会津若松、喜多方などを経由して結ぶ。区間のうち郡山~喜多方間が電化されており、かつてはこの駅を経由して喜多方まで電車が運行されていた。しかし、JR東日本は会津若松~喜多方間の電化設備について、撤去する方針を示しており、今後、同区間は非電化化される予定である。旅行日時点では撤去工事は開始されておらず、まだ架線は取り付けられたままだった。会津若松~喜多方間を電車が最後に走行したのは、昨年12月とのこと。定期列車の電車列車は既に姿を消していたが、郡山と喜多方の間で走っていた観光列車「フルーティアふくしま」の719系電車が年末まで走っていた。同列車は昨年12月をもって廃止となり、それ以降、喜多方に電車が来ることはなくなっている。
磐越西線は会津若松~喜多方間で電車が運転されていた頃も、概ね会津若松で系統が分かれていた。喜多方駅と次の山都駅の間が磐越西線における東北本部と新潟支社の支社境だが、現在は会津若松で完全に系統が分離されているため、ここから先の普通列車は基本的に新潟支社新津運輸区所属の車両が使用されている。

乗車したのは会津若松を14時33分に発車する普通新津行き。この駅に14時8分に到着する新津発の普通列車の折り返しだったので、早くから乗車することができた。車両は新津運輸区の主力で磐越西線のほか、羽越本線でも活躍するGV-E400系2両編成。この車両には去年、坂町駅から酒田間でお世話になったので、乗車するのは2度目だった。現在、磐越西線は、この車両とキハ110系が運行されているが、GV-E400系の方が主力になっている。
磐越西線の会津若松~新津間は会津若松側、新津側で区間列車が多く設定されている。会津若松側では喜多方または野沢行の区間列車が、新津側では五泉、馬下、津川から新津方面への区間列車が走っている。新津側では信越本線に直通し新潟まで運転される列車も多い。会津若松-新津間を走破する普通列車は1日6往復。このうち、1往復は会津若松-新潟間で運転されている。かつては日中に、会津若松-新潟間を結ぶ快速「あがの」も運転されていた現在は廃止されてしまった。
乗車記録 No.6
磐越西線 普通 新津行
会津若松→新津 GV-E400系

発車の数分前には、郡山からの普通列車が対面で接続し、乗り換える乗客がちらほらと現れた。しかし、それでも余裕で座れる程度の乗車率で会津若松を発車。発車後しばらくは、郡山方面の線路と並走。その後郡山方面の線路が右へカーブして別れると、広い盆地の中を軽快に走っていく。車窓右手には磐梯山を楽しむことができた。
この列車は普通列車だが、会津若松-塩川間にある堂島、笈川、塩川-喜多方間にある姥堂、会津豊川の4駅は通過となる。これら4駅は一部普通列車が通過する駅となっていて、朝、昼、夜の計5往復のみが停車する。

塩川、そして日本三大ラーメンの一つ喜多方ラーメンが有名な喜多方に停車すると、2駅目にして半分近くの乗客が下車していった。喜多方を出ると磐越西線は会津盆地を抜け、阿賀川との並走しながら山の中を走っていく。この先も野沢駅までは日常利用の乗客も比較的多い区間である。
会津若松と並んで会津盆地の観光地として知られる喜多方。フルーティアふくしまは廃止されたが、今年から郡山-喜多方間でHB-E300系を使用した新しい観光列車「SATONO」が運行を開始している。また、多客期を中心に鬼怒川温泉発着で野岩鉄道、会津鉄道経由の快速列車「AIZUマウントエクスプレス」も喜多方まで運転される日がある。鬼怒川温泉から喜多方へ、1本で行ける列車は非常に興味深い。今回は通過しただけの喜多方だが、この列車を使ってラーメンを食べに行く旅というのもいつかやってみたいと思っている。

喜多方駅を出ると列車は濁川を渡る。阿賀川の支流の濁川に架かるこの鉄橋は、2022年夏の大雨で流出する被害が発生した。磐越西線も喜多方~野沢駅間で半年に渡ってバスによる代行輸送が実施された。この年は只見線が11年ぶりに復旧する記念イヤーだったが、その直前に磐越西線、米坂線、津軽線、五能線、花輪線と東北各地のローカル線が大雨の被害を受けた。磐越西線は翌年の春に復旧。五能線、花輪線がこれに続いたが、津軽線、米坂線は現在も運転見合わせが続いている。2022年夏の時点で、東北の鉄道路線はごく一部の路線を除いて未乗だったので、仕方のないことだが、あともう少し早く東北の乗り鉄をはじめていればよかったなといつも思う。
只見線に負けず劣らずの車窓を楽しめる磐越西線
濁川の鉄橋を渡ると、列車は森の中へ進み、会津盆地を出る。車窓左手には、会津盆地を一望できた。このあたりから磐越西線は阿賀川と並走し始める。次の山都駅を出たところで、阿賀川は只見川と合流する。尾瀬を源流とする只見川と、荒海山を源流に会津盆地を流れてきた阿賀川がここで一つの川となる。只見線の列車から眺めたように只見川はここに至るまでの間にも数多くのダムがあった。阿賀川もこの先ダムが多く設置さている。山都駅を出ると、車窓左手には新郷ダムのダム湖が広がり始める。このダム湖は福島県営荻野漕艇場として活用されていた。写真は山都駅の直前に渡る一ノ戸川橋梁。磐越西線の撮影地として有名で、SL列車として有名な「ばんえつ物語号」の撮影スポットとして知られる。

荻野、尾登と停車した列車は野沢に到着。野沢は西会津町の中心地。この駅で会津若松方面に折り返す区間列車が4往復、朝には新津方面新潟行が1本設定されている。駅も2面3線と大きい。ここでは当駅始発の会津若松行とすれ違った。すれ違った列車は、磐越西線では珍しいキハ110系での運転だった。野沢では残っていた乗客の多くが下車。この駅からも何人かの乗車があったが、2両で乗車していたのは5人ほどとなった。
野沢駅から先は磐越西線で運転本数が最も少ない区間に突入。ここから県境を跨いだ先の津川までは1日7往復ゾーンとなる。県境周辺は阿賀川の峡谷が広がる。途中で川を渡るので、車窓の両方で阿賀川の雄大な車窓を楽しむことができた。

徳沢駅を出ると磐越西線は新潟県へと入る。川も阿賀川から阿賀野川へと名を変えた。その後も阿賀野川のダム湖と並走し、時に鉄橋で対岸に渡りながら走っていく。日出谷駅を出たところで渡る阿賀野川当麻橋梁からはエメラルドグリーンのダム湖を見渡せた。只見線と同じく、磐越西線も川と並走する区間が長い。車窓は只見線に負けず劣らずでとても美しかった。

列車は津川駅に到着。先ほどの野沢駅は福島県側の折り返し列車が多く設定させている駅だったが、ここ津川駅は新津方面の区間列車が3往復、当駅始発の会津若松行が1本設定されている。会津若松へは野沢、喜多方で列車の本数が増える磐越西線。新津側も津川、馬下、五泉と新津に近づくにつれて列車の本数が多くなっていく。ここから先は通学で利用する乗客も再び多くなるらしい。ここでは時間調整のために10分ほど停車。かれこれ1時間30分ほど車内にいたので、外の空気を吸いにホームに降りてみた。

津川駅のホームにはかわいい建物が建っている。これはオコジロウの家という名の待合室。オコジロウはこの路線を走るSL列車、ばんえつ物語号のキャラクターである。新津-会津若松間で運転さているばんえつ物語号は今年で25周年を迎えたとのこと。旅行日の数日後が今期最初の運転日だったらしく、当日沿線は多くの人でにぎわったらしい。ところ変わってJR西日本の山口線を走るSLやまぐち号も今年久しぶりに運転を再開した。九州ではSL人吉が引退。SL列車も年々数を減らしている。ばんえつ物語号、SLやまぐち号も老舗のSL列車とはいえ、乗れるときに乗っておいた方がよさそうだ。

津川を発車した後も磐越西線は阿賀野川に沿って走っていく。津川を出た直後には川と道路と線路が3本並んで走る区間があったが、道路はもう使われていないようだった。並行する道路は本尊岩隧道というトンネルを通る。磐越西線の車窓にも現在は通行禁止となったそのトンネルが見える。このトンネルは兼ねてより崩落の危険性が指摘されていて、現在は川の対岸に新しいバイパス道が整備された。このあたりの旧道はバイパスの開通の代わりに廃道になっている。

しばらく阿賀野川と並走して山の中を走ってきたが、東下条駅を出ると、奥に高い山が無くなり、越後平野が近づく。馬下駅が磐越西線における越後平野の玄関口。先述のとおり、ここも新津方面への区間列車が設定されており、平日朝には当駅始発新潟行の快速列車も設定されている。阿賀野川もこのあたりで越後平野へ流れ出て、その後は日本海へと注ぐ。この景色、米坂線の代行バスの坂町駅手前の景色とよく似ていると思う。

越後平野に到達した列車は田園地帯の中を走り、五泉市の市街地へ。磐越西線もここから先は通勤通学で混雑する区間へ入る。五泉駅は新潟の大都市近郊区間の一端となる駅。駅には自動改札機も設置されていてびっくり。九州だと非電化の路線に自動改札機が置いてあることはまずないので、ある意味カルチャーショックを受けた。ちなみに磐越西線は郡山~喜多方間も仙台の大都市近郊区間に属している。幹線路線以外で路線の両端が違うエリアの大都市近郊区間に含まれるのはちょっと珍しい。

五泉での乗車は少なかったが、次の北五泉では多くの高校生が乗車してきた。地図を見ると駅の東側に五泉高校があった。県境区間では2両で5人ほどと閑散としていたが、座席の7割くらいが埋まる程度になった。その後も田畑が広がる中を走り、列車は終点新津に到着。会津若松からの所要時間は2時間40分。ここから信越本線に乗り換えた場合、会津盆地から新潟までの所要時間は3時間になる。会津若松~新潟間には高速バスも走っている。本数は少ないが、所要時間は2時間で高速バスが圧倒的に早い。磐越西線は喜多方を経由し、川に沿って走る。一方、磐越道は会津若松から会津坂下、そして野沢へ鉄路に比べてショートカットしたルートとなり、山間地帯もトンネルで山を越える。会津若松、新津それぞれへ一定の日常利用はあるものの、やはり県境を越える区間の利用状況は厳しいことが分かった。

列車に乗っている間にすっかり日が傾き始め、駅も列車も帰宅する通勤・通学客でにぎわい始めていた。数分の接続で信越本線の新潟行きの普通列車が到着。乗り換えてそのまま新潟へ向かう人も多かった。乗車した車両は回送列車となり、車庫へ引き上げていった。
鉄道の街として知られる新津

次の列車までは少し時間があるので、一旦改札の外へ。新津駅は新潟市秋葉区ある。ここは2005年まで新津市という単独自治体だったが、同年に新潟市と合併し、現在は秋葉区の中心地となった。
新津は駅の南側に総合製作所新津事業所があるため、鉄道の街として知られている。総合製作所新津事業所は、鉄道車両を製造する国内でも有数の工場。もともとはJR東日本直営の工場だったが、現在は東急車両の事業譲受による事業再編で、JR東日本の子会社の総合製作所の工場となった。もともとJR東日本の工場だったため、JR東日本で活躍する車両はこの工場で製造された車両が多い。山手線、横須賀・総武線などで活躍するE235系や、東海道本線をはじめ首都圏一円で活躍するE231系、東北で活躍するE721系など、JR東日本の通勤電車はほとんどがここで製造されている。製造された新車は、新津周辺で試運転が行われ、その後機関車に牽引されて上越線経由で首都圏へ輸送される。そのため新津駅ではE129系やGV-E400系などの新潟で活躍する車両と、首都圏で活躍する車両が顔を合わせる。

駅前を散策して戻って来ると、ちょうど乗ってきた列車が車庫への入れ替え作業を行っていた。新津は新潟地区で運行される気動車の車両基地、新津運輸区がある。GV-E400系のほか、キハ110系と観光列車越乃Shu*Kuraに使用されるキハ40系、ばんえつ物語号をけん引するC57形蒸気機関車が所属している。現在、一部区間が不通となっている米坂線の使用車両もここの所属。米沢-今泉間で列車の運行が行われているが、検査の際には今泉駅でトレーラーに積み込み、新津まで運ばれてくる。新津は新潟や近隣の山形・福島の鉄道運行を支える一つの拠点でもある。
幹線路線のローカル区間、羽越本線新津-新発田間
鉄道車両が製造される地、そして新潟の鉄道運行を支える地である新津。ここは信越本線では途中駅だが、磐越西線の終点駅であると同時に、羽越本線の起点となる駅である。羽越本線は新津を起点に、村上、酒田、羽後本荘などを経由して、秋田へ続く。いわゆる日本海縦貫線の一角を担う幹線路線である。
そんな羽越本線だが、新津-新発田間については、現在、特急列車の運行がなく、普通列車のみが走行している区間となる。新潟の鉄道の面白いポイントの一つは信越本線が新潟駅に入る向き。直江津方面から走ってくる信越本線は、新潟駅に到着の際には走ってきた直江津の方を向く。柏崎を方向を向いて分かれたはずの越後線と新潟駅で向き合う形で出会う。信越本線はもともと北越鉄道という鉄道会社が建設して路線だった。直江津から柏崎、長岡などを経由し、新潟へ向かうルートで建設され、最初から日本海側を結ぶ路線網として建設されたわけではなく、あくまで鉄道が目指した場所は新潟だった。
新津から枝分かれする磐越西線や羽越本線は、先にできていた信越本線から枝分かれするように建設された。全線開通前の一時期は信越本線の支線だった時期がある。羽越本線は最初に新発田、村上と路線を延ばし、全線開通時に羽越本線となった。おそらく当初は村上方面からの乗客も新津を経由していたはずである。しかし、1956年に白新線が全線開業した以降は、新潟駅へ新津を経由せずにダイレクトに走る白新線が実質の本線となった。
かつては寝台特急が走行していたため、優等列車も走っていた新津-新発田間。東京や大阪から東北・北海道を目指す寝台特急は、新潟まで行くと車両の方向転換が必要となるので、新潟駅までは行かず、新津で信越本線から羽越本線へと入っていた。新潟駅に行かない代わりに新津が寝台特急の停車駅になっていて、かつての新津駅はいろんな寝台特急が停車していた。寝台特急はなくなったが、この区間は現在も主に北海道方面へ向かう貨物列車が走行している。しかし、貨物列車もまた、すべての列車がこの区間を走るわけではない。新潟の貨物ターミナルは、白新線の東新潟駅に隣接している。そのため、新潟貨物ターミナルで荷積み・荷下ろしを行う貨物列車は、新津-新発田間を経由せず、信越本線・白新線経由で走る。信越本線には新潟駅の一つ手前の越後石山駅から白新線の東新潟駅間を結ぶ短絡線がある。新潟駅を経由しなくていい貨物列車は、ここを通って方向転換なしに走ることができる。したがって、このあたりでは貨物列車も羽越本線経由と信越本線・白新線経由でルートが分かれている。羽越本線を経由する貨物列車は新潟に停車しない列車に限られている。
貴重な電車の普通列車で新発田へ

さて、新潟駅を経由しないため、幹線路線の中のローカル区間と化している羽越本線の新津-新発田間。実はこの区間は走行するほとんどの普通列車が気動車車両での運転となっており、電車で運行されるのは1日2往復だけである。今回はその内の貴重な1本に乗車することができた。
羽越本線は途中にデッドセクションがあり、直流から交流へ電化方式が変わる。村上駅以北区間は交流電化となっており、高価な交直流電車が必要になる。輸送密度の低い区間に交直流電車を用意するのは高コストとなるため、村上駅から酒田方面へ向かう普通列車は、全て気動車で運転されている。当該区間を走るGV-E400形は新津の車両基地に所属する。そのため、羽越本線の新津-新発田間を使って車両の送り込みが行われている。その流れで新津-新発田間で完結する普通列車も、その多くがGV-E400系での運転である。この区間において、E129系で運転される列車は1日2往復のみ。朝1往復、夕1往復の運転となっている。白新線も信越本線もE129系ばかりで、電車の方が効率的に運行できそうな気もするが、新潟-新発田-新津と車両を移動させると、新潟から直接新津に行った時と編成の向きが逆になる。そのため、新津で信越本線に直通することはできず、折り返すしかない。そう考えると逆に電車の方が手間になる。
なお、乗車した夕方の1往復は、この区間の普通列車で最長の6両編成での運転。珍しい列車に乗車することができた。信越本線の列車も4両編成が多い中、堂々の6両編成で新潟ではなく新発田を目指す。
ちなみに新津駅からは羽越本線を経由する村上行のほか、新潟駅を経由する村上行も運転されている。新潟地区の普通列車はほぼE129系で、車両のバリエーションは少ないが、複数路線に跨って運転される列車も多く、行先も多彩なので、見ていて面白い。

これから走る新津-新発田間には阿賀野市の中心地である水原(すいばら)という街がある。この水原から新潟間は鉄道だと新津を経由して列車を乗り換える必要がある。一方、この区間にはダイレクトに結ぶ路線バスも運行されていて、朝夕には急行・快速バスの運行もある。所要時間は普通のバスが1時間、対する鉄道は40分ほどで、遠回りだが鉄道の方が若干早い。この区間で鉄道とバスの利用比率がどれくらいなのかが気になるところ。夕方の帰宅時間とはいえ、新潟駅を経由しない列車が6両編成というのはちょっと長すぎ。階段から遠い先頭車両は、新津発車時点で3人しか乗っていなかった。
乗車記録 No.7
羽越本線 普通 新発田行
新津→新発田 E129系

新津を発車した列車は、信越本線と別れると右へカーブして新津の市街地を抜ける。その先で磐越西線でずっと並走していた阿賀野川の長い鉄橋を渡った。羽越本線の阿賀野川橋梁は1,229mと長く、川本体と堤防下にある田畑の上を一気に越えた。最初の停車駅である京ヶ瀬に停車後は、田畑が広がる中を進み、次第に景色が市街地の景色に移り変わると、列車は水原に到着した。

車窓の景色は水原の市街地を除けばずっと田畑が広がり、越後平野を象徴するような景色が続く。月岡駅では反対列車とすれ違った。反対列車はGV-E400系の3両編成。新発田方面から帰宅する人が大勢乗車していて、乗車している6両編成の普通列車より圧倒的に混雑していた。列車は新津から32分で終点の新津に到着。次第に暗くなってきたが、なんとか日没前に新発田へ辿り着くことができた。

終点新発田で下車。新発田~秋田間の羽越本線は既に乗車済みなので、これで羽越本線は全線完乗となった。羽越本線もここから村上方面は白新線から続く新潟へのメインルートとなり、新潟と酒田・秋田を結ぶ特急いなほも走る区間となる。新発田はこのあたりの中心地。高校が多く、乗車列車の数分後に発車する村上行きの普通列車には多くの帰宅客が乗り込んでいた。

3番線に到着した乗車列車は、新発田でそのまま白新線経由の新潟行に変わった。実質の新津発羽越線・白新線経由新潟行ということになる。信越本線から白新線に直通する普通列車は、新潟で折り返してそのまま運行され、行先表示も最初から信越・白新線豊栄行みたいな表示になっている。乗車列車のケースもやろうと思えば、羽越・白新線新潟行と案内できる。しかし、そんなことをやってしまったら、ただでさえ複雑な新潟の在来線の運行系統がさらに複雑化してしまうので、このケースは一旦新発田が終点になっている。羽越線の新津-新発田間は、実は白新線と隠れ直通していることを知った。
新発田から白新線で新潟へ

新発田駅前の様子も見てみたかったので、変身した新潟行には乗らず、一本あとの新潟行きで新潟を目指すことにした。この時間の白新線は20分に1本と本数が多い。新発田駅は駅舎の前の1番線の奥に白新線用の0番線がある。次の新潟行きは0番線からの発車だった。行き止まりのホームである0番線は、白新線の列車のうち新発田で折り返す列車のみが使うホームになっている。
乗車記録 No.8
白新線 普通 新潟行
新発田→新潟 E129系

新発田からは白新線の普通列車新潟行でこの日の宿泊地の新潟駅へ。新発田や佐々木、豊栄にある高校に通う通学生の利用が多かった。白新線は一昨年特急いなほで通った時以来約1年半ぶりの乗車となった。普通列車への乗車は今回が初めてだったが、改めて新潟へ向かう立派な幹線路線であることを実感した。
小出を5時半に出発した2日目の旅。只見線、会津若松観光、磐越西線、羽越本線に乗車でき、とても密度の濃い1日だった。この日は駅に隣接したJR東日本ホテルメッツ新潟に宿泊した。
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