【旅行記】信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅~特急しらゆきで新井・直江津へ~

前話
 
 信濃・会津・越後のローカル線を巡る旅3日目。この日は終日新潟県内に滞在し、ローカル線ではないが新潟県で未乗路線だった信越本線と上越線越後湯沢~宮内間、それに今回の旅唯一の私鉄路線で、幹線路線からローカル線へ変貌した北越急行ほくほく線に乗車した。
 

新井行きの特急しらゆきで新潟地区の信越本線を走破する

 ホテルをチェックアウトして、朝ラッシュ真っ只中の新潟駅へ。この日の最初は、新潟と上越妙高・新井を信越本線、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン経由で結ぶ特急しらゆきに乗車した。
 特急しらゆきは2015年の北陸新幹線長野~金沢開業に合わせて運行を開始した比較的新しい特急列車。新幹線開業以前に、金沢~新潟間を走っていた特急北越をルーツし、上越妙高で北陸新幹線と接続して、新潟と長野、北陸各地への移動に便利な特急列車である。新幹線とリレーし、広域的な移動を支える一方、新潟と信越本線、えちごトキめき鉄道沿線の主要都市を結ぶ都市間特急の役割も担う。列車の多くは新潟-上越妙高間で運行されているが、一日2往復は上越妙高から少しだけ先に進んだところにある新井発着となっている。新潟駅を7時37分に発車する特急しらゆき2号は、その貴重な新井発着の一本。今回はこの列車に終点の新井まで乗車した。
 
 特急しらゆきに使用されるのはE653系1100番台。1100番台は4両編成で、特急しらゆきの全列車と新潟-酒田間の特急いなほの一部列車に使用される。7両編成の1000番台はグリーン車があるが、この車両は普通車のみ。1・2号車が指定席、3・4号車が自由席になっている。
 現在、信越本線からえちごトキめき鉄道に直通する列車は、臨時列車を除き、特急しらゆきと、朝時間帯に運転される柏崎発妙高高原行き普通列車1本のみとなっている。特急しらゆきはJRの車両がえちごトキめき鉄道へ直通するが、普通列車は逆にえちごトキめき鉄道の車両が使われる。普通列車は前日に長岡まで顔を出す運用となっていて、おそらく車両使用料の相殺の関係で運転されているものだ推測される。
 この列車の終点である新井は、かつて新潟と新井を結んでいた通称新井快速でおなじみの場所。新井快速は115系で運転されていたが、新潟地区からE129系の増備が進んだ2022年のダイヤ改正で姿を消した。現在、信越本線内では快速列車の運行が継続しているが、そのうちの一部の列車は、この新井快速が区間短縮されたものである。
 
乗車記録 No.9
信越本線・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン
特急しらゆき2号 新井行
新潟→新井 E653系1100番台
 
 全国には、行くと方向音痴になる駅というのがいくつか存在する。代表的なのは、池袋と西武新宿というほぼ同じ方向を目指す池袋線と新宿線が逆方向に出ていく所沢駅がある。一方、新潟駅もネットで調べると方向音痴になるいう声が多い。新潟駅は白新線と信越本線が東側に出発、同じ方向へ行くはずの信越本線と越後線が向き合っている。そのため秋田方面に向かう特急いなほと、上越妙高方面に向かう特急しらゆきが同じ方向を向いて発車していく。指定席で間違うことはあまりないと思うが、日本海の景色を見たい場合は新潟駅では山側を向いた席を選ぶ必要がある。
 新潟駅を発車すると早速”ひたちチャイム”が流れて車内放送が始まった。列車はその間に新潟市街地を通り、白新線との分岐点である上沼垂信号場を通過する。その先も沿線には住宅が立ち並んでいて、通過する途中駅でも多くの乗客が列車を待っていた。E129系、GV-E400系とも頻繁にすれ違いながら列車は新津へ向かった。
 
 2日目に磐越西線から羽越本線に乗り換えた新津に到着。列車はこの先、新津、加茂、東三条、見附、長岡、柏崎、柿崎、直江津と停車していく。駅構内ではばんえつ物語号の客車が入れ替え作業を行っていた。数日後に今期のばんえつ物語号の運行開始が控えていたので、それの準備だろうか。新津を出ると、総合製作所新津事業所の回送線が見える。この日は新車の姿は見えなかった。
 
 新津を出ると、右へカーブし、ここでようやく長岡・直江津がある南西方面を向く。その後は広い田園地帯を車窓に信越本線を快走していく。日本一の米どころとして知られる越後平野はどこまでも田園地帯が続いている。信越本線は越後平野の東側の端を走っていく。遠くにはうっすら弥彦山が見えた。弥彦山の山麓まではここから25kmほど。その間はずっと平地が続いている。
 
 列車は加茂、東三条と停車。三条市街には三条駅もあるが、信越本線では弥彦線と接続する東三条の方が駅規模が大きく、特急しらゆきも東三条に停車する。東三条から分岐する弥彦線は、越後線と交わる吉田を経由し、弥彦山の麓の弥彦駅まで行く路線。東三条から吉田まで弥彦線では20分ほどだが、信越本線には、新潟を経由する吉田行も運行されている。所要時間は弥彦線経由の5倍以上かかる面白い列車である。このあたりは新潟の大都市近郊区間に含まれるので、どちらでも行っても運賃は同じ。よほど暇な時は遠回りするのも楽しいもしれない。
 
 三条の市街地を抜け、再び田園地帯へ。次第に遠くに見えていた山々も近くなってきた。見附に停車するとやがて長岡市の市街地が見えてくる。上越新幹線の高架橋が近づき、一緒に並んで長岡に到着。新幹線だと20分の新潟-長岡間も特急で50分、普通列車だと1時間15分もかかる。在来線でもギリギリ通勤通学できる距離というところだろうか。
 長岡は新潟県で第二の規模を誇る大きな街。新潟へ通う人も多いだろうが、このあたりの中心都市として、この街に周辺から通って来る人の方が断然多い。乗車している特急しらゆきにもこの駅から多くの乗車があり、指定席は窓側座席がほぼ埋まった。
 
 長岡駅を出ると、長岡貨物ターミナルの横を通過。このあたりで上りの特急しらゆき1号とすれ違った。すれ違った列車は数日前に運行を開始した上沼垂色と呼ばれる復刻塗装を纏った車両だった。直後に通過する宮内駅は上越線が分岐する駅。新前橋から上越国境のトンネルを抜けて走ってくる上越線は、長岡ではなく宮内が終点となる。後から乗車する上越線の線路が離れていくと、列車はその先で信濃川を渡った。1日目に飯山線で並走した信濃川。飯山線、上越線に沿って流れた川はこの辺りで越後平野へ流れ出る。
 
 広い平野を走る区間も信濃川を渡ったあたりで終了。その後は山間の景色へと代わり、峠を超えて柏崎を目指す。長岡から先の信越本線はまだ新潟の大都市近郊区間内ではあるものの、ローカルな雰囲気が漂いはじめる。信越本線の普通列車は、基本的に長岡で系統が区切られている。ここから先は2両で運転される列車も多くなる。
 
 山の中を走って列車は柏崎に到着。東京電力柏崎刈羽原子力発電所があるので、ビジネスマンの利用が多いのかなと思っていたが、乗り降りは少なかった。柏崎は越後線の起点駅。両路線とも同じ方向を向いて分かれるが、信越本線がぐるっとまわって新潟駅では越後線と向き合う。越後線は基本的に吉田で系統が分かれているが、新潟からの直通列車も走っている。実際には運行されていないが、柏崎発信越本線越後線経由の柏崎行も、やろうと思えば運行することはできるはず。ただし、一周まわると編成が逆になるので、柏崎で越後線と信越本線を跨ぐ列車は存在しない。
 
 柏崎-直江津間が特急しらゆきの最大の見どころとなる。青海川駅周辺は信越本線が唯一日本海を目前に走る区間。この日は生憎の曇り空。今だ新潟では晴れた日本海の景色を見れていない。ここを走る観光列車「越乃Shu*Kura」は青海川駅でしばらく停車し、日本海の大海原を楽しむことができる。しかし、特急しらゆきは一瞬で駆け抜けるので、スマホに夢中になっていると、いつの間にか通りすぎてしまっている。
 
 次の停車駅である柿崎からは上越市に入り、その後は上越妙高まで上越市内の大きな駅に停車する。終点の新井だけは隣接する妙高市に所在するので、新井発着の列車に関しては、最後に上越市を飛び出る形になる。ほくほく線が合流する犀潟を通過し、列車は直江津の市街地へ。新潟から1時間50分で直江津駅に到着した。
 直江津駅では降りる人も数人いたが、そのまま乗車する人が多かった。ここから先はえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに直通する。JRからえちごトキめき鉄道の乗務員への乗務員交代が行われるため数分停車。その後直江津駅を発車した。
 
 えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインに入った列車は高田、上越妙高、新井と停車していく。えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインは、新潟県の鉄道路線で最初に乗りつぶした思い出の路線。7年前の旅行で、長野駅からしなの鉄道北しなの線に乗車後、妙高高原で直江津行きに乗り換えたのを思い出す。妙高高原で乗り換えた列車は6両編成でとても驚いたが、沿線からはとても多くの通勤通学客が乗車。6両では足りないのではないかくらいに混雑していたのを思い出す。とても混雑していたので、その時は車窓をあまり楽しめなかった。特急しらゆきを終点まで利用したのは、沿線の景色を再履修しようという意味もあった。
 直江津、高田、新井と街が点在するこのあたり。街と街の間には田畑が広がる。車窓の奥には、妙高山が雲に見え隠れしていた。
 
 列車は北陸新幹線と接続する上越妙高に到着。同じ号車に乗車していた自分以外の乗客は全員がここで下車していった。特急しらゆきが新幹線のリレー特急として使われていることを象徴する光景だった。北陸新幹線が敦賀まで伸びた今、鉄路で関西を目指すなら、敦賀経由で行くというのも選択肢としては全然アリなのではないかと思う。
 混雑していた車両は一気に閑散とした。上越妙高からは7分で終点の新井となる。折り返しの列車の乗車率がどれくらいかはわからないが、この列車が新井駅まで行くのは、上越妙高に長時間停車すると、普通列車の邪魔になるという理由の方が大きいのだと思う。新井駅到着時に数えてみると、終点まで乗車したのは自分を含めてたったの3人だった。
 
 終点の新井駅に到着。2面3線の駅は、駅舎と反対側の3番線が直江津方面に折り返せるようになっていて、特急しらゆきのほか、直江津-新井間で運転される区間列車がここで折り返す。乗車列車はここで清掃作業が行われ、折り返し特急しらゆき3号として新潟へ戻る。新潟駅での新井行は朝と夜の1本ずつだが、新井駅からの新潟行は午前中に2本設定されている。
 

新井で折り返し普通列車で直江津へ

 今回はすぐに普通列車で直江津へと折り返すが、一旦駅の外へ出た。新井は上越市の南に位置する妙高市の中心地。新井市に妙高高原町、妙高村が合併し、新井市から現在の妙高市に改称された。新井駅前には市街地が広がり、市役所も駅の近くにある。駅の北側にはダイセルの新井工場がある。かつては駅から専用線が延びていて、貨物列車の運行も行われていた。この駅は妙高市の中心駅のため、有人駅で窓口の営業も行われている。妙高はねうまラインの駅のうち、直江津、高田、新井、妙高高原の各駅ではJRのきっぷも発売されている。妙高はねうまラインもこの先は、妙高高原へ向けて標高を上げていく。隣の二本木駅はスイッチバックの駅として知られている。
 
乗車記録 No.10
えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン
普通 直江津行
新井→直江津 ET127系
 
 さて、特急しらゆきで信越本線の旅を楽しんだ後は、普通列車で直江津へと戻り、北越急行ほくほく線に乗車する。新井では20分ほどで折り返し、妙高高原始発の普通列車直江津行で直江津へ向かった。
 えちごトキめき鉄道は、JRのほか北越急行とも連絡運輸が設定されている。かつて、えちごトキめき鉄道とほくほく線は直通列車の運行があった。現在は直通列車は廃止されてしまったが、乗車券はえちごトキめき鉄道から北越急行への乗車券は現在でも通しで買うことができる。北越急行は六日町で上越線に直通している。そのため、えちごトキめき鉄道の各駅から、北越急行を経由して、上越線へ向かう場合も、塩沢~越後湯沢の各駅であれば発券可能。しかも、えきねっとでも取り扱いがあった。新井から使用した越後湯沢へ向かうきっぷは、同じ新潟県内なのに、えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン、信越本線、北越急行ほくほく線、上越線と経由するため、そのため経由表記がとても長い。このあたりはJRとえちごトキめき鉄道、北越急行、さらにはしなの鉄道が入り乱れている。利用する区間によって乗車券の発売区間には制限があるので注意が必要である。
 

新潟県で初めて下車した思い出の駅、直江津を再訪する

 7年ぶりの訪問となった直江津駅。駅舎や駅前は7年前とは大きく変わっていないようだった。ここ直江津は個人的に新潟県で初めて訪れた駅である。最初に降り立ったのは妙高高原駅だが、数分で乗り換えただけ。新潟県で初めて改札外へ出たのはこの駅だった。
 この駅には現在、JR信越本線、えちごトキめき鉄道の妙高はねうまライン、日本海ひすいラインの3路線が乗り入れる。この後乗車する北越急行からの列車もあるので、事実上、4路線が乗り入れる駅となっている。駅はえちごトキめき鉄道が管理するが、JRの指定席券売機の設置もある。
 北陸新幹線開業以前のこの駅は、妙高はねうまラインは信越本線、日本海ひすいラインは北陸本線だったため、大きな幹線が交わるターミナルだった。また、北陸本線はJR西日本の路線だったため、民営化から3セク移管までの間は、JR西日本とJR東日本の会社境となる駅でもあった。かつては、米原からここ直江津までを結んでいた北陸本線。線路自体は何も変わっていないが、新幹線開業による3セク移管で現在は敦賀までに。北陸を横断し、越後まで走っていた北陸本線は、ほぼ北陸を走らない路線となった。現在は新潟からの特急しらゆきがこの駅に唯一停車する特急列車となっているが、新幹線開業以前のこの駅は、特急はくたかをはじめとする特急列車、寝台特急列車街道の主要駅の一つだった。現在は上越市の玄関口としての役割も、上越妙高駅に譲っており、地域輸送と新潟県内の都市間輸送をメインに利用されている。
 
 ホームへ戻ると、日本海ひすいラインの泊行の姿があった。前回この駅に来た時は、長野駅から妙高高原経由で直江津へ出た後、泊まで行き、泊で折り返して糸魚川、そこから大糸線で南小谷を経由して松本へ向かう行程だった。ET122形にはその時に乗車して以来の対面となる。この列車の終点泊は富山県。新潟県もここまで来ると北陸の風が吹き始める。えちごトキめき鉄道の車両のうち、ET127系はJR東日本から移籍した車両だが、気動車のET122形はJR西日本のキハ122系をベースとした新車である。日本海ひすいラインは、えちご押上ひすい海岸~梶屋敷間に交流から直流に置き換わるデッドセクションが設けられている。北陸本線時代は交直流電車で運転されていたが、転換後は気動車での運転となった。なお、糸魚川以西についてはあいの風とやま鉄道からの普通”電車”の運行がある。
 
 1番線には、泊からの普通列車が到着。この列車は直江津で妙高はねうまラインに直通し、新井まで運転される1日1本だけの珍しい運用の列車。ET122形が妙高はねうまラインを走るのは、この列車と新井からの折り返しの1往復のみになっている。妙高はねうまラインと日本海ひすいラインは、先述の通りJR時代は会社が異なっていた。そのため、JR時代には両線を跨ぐ普通列車の運行は行われていなかった。JR西日本顔の気動車が旧信越本線を走る光景はかつては見ることができないものだった。
 
 さて、3日間の信濃、会津、越後のローカル線を巡る旅もいよいよ終盤。直江津からは特急街道からローカル鉄道へ変貌した北越急行で越後湯沢へ向かい。上越線、新幹線経由で旅のゴール新潟駅へと戻った。
 
次話