【旅行記】初夏の立山黒部アルペンルートを満喫する旅~黒部ダムを見に行く編~
前話
2日目は電鉄富山駅を早朝にスタートし、富山地方鉄道の普通列車、立山ケーブルカー、立山高原バスを乗り継いで、立山黒部アルペンルートの最高地点室堂へ到達。室堂では雪の大谷を観光した。室堂から先もアルペンルートを進み、今回の旅の最大の目的地だった黒部ダムへ向かった。
今年がラストイヤーのトロリーバスに乗車する

室堂からは立山を貫くトンネルを走るトロリーバスに乗車した。
前編で先述のとおり、国内におけるトロリーバスは、鉄道事業法における無軌条鉄道に分類され、鉄道路線として運行されている。大正時代には、都市部で市営のトロリーバスが運転されていたが、モータリゼーションの進行や地下鉄の整備などにより、1970年代~80年代にかけて都市部のトロリーバスは姿を消した。2000年代以降はアルペンルートを構成する室堂-大観峰、黒部ダム-扇沢間の2つの路線のみが運行されていたが、このうち関西電力が運行する黒部ダム-扇沢間のトロリーバスは、2018年の運行をもって廃止され、電気バスに置き換わった。そのため、現在は立山黒部貫光が運行する室堂-大観峰間のトロリーバスが、国内唯一のトロリーバス路線となっている。
実はこのトロリーバスも2024年度の運行を最後に電気バスに置き換えられるとなっている。この区間からトロリーバスが姿を消すと、国内からトロリーバス方式の鉄道路線が姿を消すことになる。この室堂-大観峰間のトロリーバスは、一般的には立山トンネルトロリーバスの愛称で親しまれているが、正式な路線名を無軌条電車線という。運行開始は1996年4月と比較的新しく、それまで走っていたディーゼルバスを置き換える形でトロリーバスの運行が始まった。それから28年半が経過し、電気バスの技術が発達。トロリーバスもいよいよその役目を終えようとしている。

改札口はトロリーバスに乗車する乗客で賑わっていたが、乗車した時刻の便は3台での運行だったため、座席数には十分余裕があり、逆に座席が余るくらいの乗車率だった。改札から階段を数段登って、初めてのトロリーバス車両と対面。一見するとバスにしか見えないが、頭上には架線が張られていて、車両は普通の電車のパンタグラフに相当するトロリーポールと呼ばれるから集電して走行する。路面電車と路線バスを足して2で割ったみたいな乗り物がトロリーバスである。
普通の鉄道と同じく、鉄道用の信号機に従って室堂駅を発車。鉄道路線のため、当然運転士も鉄道車両を運転する際に必要な動力車操縦車免許(無軌条電車運転免許)を保有している。発車すると床下からVVVFインバーター制御の走行音が響く。乗り心地は完全にバスだが、音と設備は電車だった。
乗車記録 No.5
立山黒部貫光 立山トンネルトロリーバス
室堂→大観峰 8000形

トロリーバスは立山を貫く立山トンネルを通る。この立山トンネルは1965年に工事が開始され、1971年に完成した全長は3562mのトンネルである。トンネルの途中には青くライティングされた場所がある。立山トンネルは途中に地下水を含む軟弱な地層である破砕帯を通過している。この後に通過する黒部ダム-扇沢間の関電トンネルでも、掘削工事の途中で破砕帯に当たり、工事の中断とトンネルの工期の延長を余儀なくされた。立山トンネルは関電トンネル開通後に掘削されたトンネルだが、ここでもまた破砕帯に当たり、難工事となった。トンネルは破砕帯を迂回するために、微妙にカーブしている。立山アルペンルートを構成する乗り物は、いろんな人の尽力の上に成り立っていることを訪れると実感することができる。
大観峰から後立山連峰を眺める

室堂からトロリーバスに乗車し、立山トンネルで立山を貫いた先にある大観峰に到着。ここはトロリーバスとロープウェイを乗り継ぐターミナルで、山の斜面に建物が建っている。建物の屋上は展望台になっていて、展望台からは後立山連峰と黒部湖の景色を眺めることができた。後立山連峰は富山側から見て、立山連峰の後ろ側に聳える山々、長野側からすれば手前に聳える山々である。立山連峰と後立山連峰という標高2500m~3000m級の山々に囲まれた場所を流れるのが黒部川。黒部ダム自体はほとんど見えないが、エメラルドグリーンの黒部湖が見えた。

立山連峰側の山の斜面にはまだ雪が多く残っていた。展望台はトロリーバスののりばから階段を少し登らないといけない。標高2500mほどのこの場所で階段を上ると、少し上っただけなのに息が上がる。標高が高いと酸素濃度が低くなるとは何度も聞いていたが、それを体感するのは初めての経験だった。
立山ロープウェイで黒部平へ

大観峰からはロープウェイに乗車して、黒部平へと向かった。立山ロープウェイは全国でも珍しく途中に一本も支柱がないワンスパン式と呼ばれる方式を採用している。国内でこのワンスパン式を採用するのはこことガーラ湯沢のロープウェイの2ヵ所のみ。立山ロープウェイの方が距離が長く、国内最長のワンスパン式ロープウェイとなっている。途中に支柱がないのは、自然への配慮と雪崩や落石などの被害をなくすため。立山の斜面は急峻で、雪崩や落石が頻発する。大観峰は事前の調査で落石や雪崩の被害の恐れがない安全な場所に建設されている。
乗車記録 No.6
立山黒部貫光 立山ロープウェイ
大観峰→黒部平

立山の急峻な断崖絶壁を眺めて7分で黒部平へ。さっきまでいた大観峰駅がどんどん小さくなっていくが、それと同時にすごい場所に駅が作られていることに気づく。大観峰駅の資材はどうやって運んだのかがとても気になった。黒部平は黒部ダムと大観峰の間に位置する台地に駅が設けられている。ここではロープウェイとケーブルカーを乗り継いだ。黒部平の標高は1828m。まもなくトロリーバスが廃止されれば、室堂・大観峰の2駅は鉄道駅ではなくなる。トロリーバス廃止後の鉄道駅で標高が最も高い駅は、黒部ケーブルカーが発着するここ黒部平駅になる予定である。

黒部平でも乗り継ぎに多少の時間があったので、屋上の展望台へ行ってみた。展望台は黒部平パノラマテラスと名付けられていて、黒部湖や黒部峡谷の美しい景色を眺めることができた。写真は黒部ダムの下流方向を眺めている。画面中央右下に見えるコンクリートの構造物が黒部ダム。その上には後立山連峰が聳える。黒部ダムの背後に聳えるのは赤沢岳。その左奥に雪を積もらせているのが標高2889mの鹿島槍ヶ岳である。黒部川がいかに深い谷を流れているかがよく分かる。

反対側にも美しい山々が見える。下に見えるエメラルドグリーンの湖が黒部ダムのダム湖。標高の高いところは雪がまだ多く残っている一方、ダム湖周辺では新緑が芽生えている。立山ロープウェイは紅葉の季節が一番美しいと聞く。今回は初夏の訪問だったが、季節を変えて訪れると、まだ違った景色を楽しめるのだと思う。
黒部ケーブルカーで黒部ダムへ

黒部平からはケーブルカーで黒部湖へと下りた。立山駅からケーブルカー、高原バス、トロリーバス、ロープウェイと乗り継いできたが、これから乗車するケーブルカーが、アルペンルートを構成する乗り物の中で、最後の立山黒部貫光が運行する乗り物ということになる。黒部平と黒部湖を結ぶこのケーブルカーは黒部ケーブルカーと呼ばれている。正式な路線名は鋼索線で、立山-美女平間を運行する立山ケーブルと同名である。
乗車記録 No.7
立山黒部貫光 黒部ケーブルカー
黒部平→黒部湖

この黒部ケーブルカーの最大の特徴は、全区間がトンネルであるということ。ある意味、地下鉄のケーブルカーと言えるかもしれない。トンネル内に行き違いの設備があり、ここで反対のケーブルカーとすれ違う。所要時間はわずか5分ほど。このケーブルカーは結構混雑していたが、運転席の後ろに立つことができたので、前面展望(と言ってもトンネルだが)を楽しむことができた。
今回の旅の最大の目的地、黒部ダムを満喫する

ケーブルカーを下車して、しばらくトンネルの中を歩く。黒部ダムが近づくと自然と脳内で中島みゆきの地上の星が再生された。トンネルの外へ出ると、いよいよこの旅の最大の目的地だった黒部ダムが姿を現した。
黒部ダムは黒部渓谷に設けられた水力発電用のダムである。戦後から高度経済成長期に突入した日本では、電力不足の解消が経済成長のための喫緊の課題となっていた。特に関西エリアの電力不足は社会問題となっており、その状況を打破するために建設が計画されたのがこの黒部ダムと黒部第四発電所だった。黒部ダムと発電所の工事は1956年に着工。少しでも早く電力不足を解消するため、与えられた工期はわずか7年だった。工事はまず大町側からダムの建設現場への大町トンネル(現在の関電トンネル)の採掘工事からスタートした。このトンネルの採掘は途中で破砕帯にぶつかったため難工事となり、工事の中断を余儀なくされた。その後建設作業員の尽力により、破砕帯を突破したトンネルは1958年2月に完成。この間に一部の物資は立山側から運搬され、その後のダム工事も24時間体制の急ピッチで進められた。コンクリート打設のための運搬回数は約18万回。延べ1000万人の建設作業員の尽力があり、着工から7年後の1963年6月に完成。その後、現在に至るまで、関西電力最大の水力発電所として、関電エリアの電力需要を支えている。
トンネルを出て堰堤を歩く。堰堤の高さは186mで国内のダムとしては一番の高さを誇る。東京タワーのメインデッキの高さが150mなので、それよりも高い。下を見下ろすと高所恐怖症でなくてもぞっとする。ダムはアーチ式ダムと重力式ダムを組み合わせたコンバインダムと呼ばれる構造になっている。きれいに弧を描くダムの形が美しい。

黒部ダムの下流方面を眺めてみる。ダムで取水した水は山の中をトンネルで貫く送水管を通って、10kmほど下流にある黒部川第四発電所へ送られ、ここで発電される。下流方面を見ると、大自然が広がるが、ここから発電所を介して、宇奈月方面へはトンネルなどで繋がっている。当初は今年度からキャニオンルートと呼ばれるこのルートをツアー開放する予定だったが、年始に発生した能登地震の影響で、今年度の開放は見送りとなった。キャニオンルートを通ると、黒部峡谷鉄道の欅平駅へ出ることができる。黒部峡谷鉄道もまた関西電力の子会社で、宇奈月~欅平間でトロッコ列車を運行する。線路はさらに上流部へつながっており、発電所への資材運搬に使われている。

振り返って反対側には、エメラルドグリーンのダム湖が広がっている。まだ初夏のため、満水ではないが、それでも美しいダム湖を眺めることができた。ダム湖は遊覧船で巡ることもできる。遊覧船は今年がラストイヤーで乗ってみたかったが、残念ながら旅行日は今年の運行開始前だった。反対側で眺めたダムの高さ分の水を蓄えていると考えると、ダムのすごさを改めて実感できる。

ダムの横には慰霊碑が設置されていた。黒部ダムの建設工事では、171名の作業員が亡くなった。黒部ダムは7年というとても短い工期を守るため、肉体的にも精神的にも厳しい環境の中で建設工事が進められた。建設工事は世紀の大工事として取り上げられるが、そこでは多くの建設作業員が亡くなっており、とても過酷な現場だったということも知っておかなければならないと思う。
さて、朝からいろんな乗り物に乗車してきた一方、ほとんど何も食べていなかったので、黒部ダムで昼食。レストハウスで黒部ダムを見ながら「黒部ダムカレー」を食べた。ご飯がアーチ型のダムの形になっているかわいいカレーで、ダム湖に見立てたルーはグリーンカレーでとてもおいしかった。確かにグリーンカレーの方が、ダム湖のエメラルドグリーンを表現できる。

レストハウスで昼食を食べた後は、黒部ダムをいろんな方向から見てみた。まずは階段を下りて黒部ダムを横から眺めてみる。階段を下りるとダム湖の水の水面よりも低い位置に到達。そこから黒部ダムの大きさを味わう。観光放水は毎年6月下旬から10月にかけて行われている。この日はまだ観光放水の季節ではなかったため、放水は見れなかったが、それでも大迫力のダムを間近に見ることができた。

間近でダムを眺めた後は、定番の構図で黒部ダムを眺めてみる。一度階段を下りた分、ものすごい段数の階段を上ることになる。さすがに疲れるので途中で何度も立ち止まってダムを眺めて上った。黒部ダムの標高は1470m。先ほどの大観峰の展望台ほどではないが、やはり標高が高い分疲れる。黒部ダムと言えばやはりこの構図で眺めておきたい。アーチを描くダムとエメラルドグリーンに輝くダム湖、そしてその背後で雪を積もらせて輝く山々は、まさに黒部、そしてアルペンルートを象徴するような絶景だった。ちなみに展望台へは、外階段を上っても来れるが、関電バスの黒部ダム駅からトンネルの階段を上ってきた方が楽だった。
黒部ダムには2時間30分ほど滞在。今回の旅の最大の目的地だった黒部ダムを満喫して、宿泊地へ向けて移動を再開した。
関西電力の電気バスで扇沢へ

黒部ダムから乗車するのは、扇沢へ向かう電気バス。立山黒部アルペンルートは黒部ダムを境に乗り物を運行する会社が異なっている。立山〜黒部湖までの乗り物は立山黒部貫光が運行しているが、黒部ダムの対岸の黒部ダム〜扇沢間の電気バスは、黒部ダムを所有する関西電力が運行している。
電気バスが走る扇沢〜黒部ダム間の関電トンネルは、かつては大町トンネルと呼ばれており、黒部ダムの建設資材や建設作業員を運ぶためのトンネルとして作られた。黒部ダム本体も世紀の難工事だったが、この関電トンネルもまた難工事だったことで知られる。黒部ダムは7年という非常に短い工期で建設されたが、その中には大町トンネルの掘削も含まれており、トンネルは扇沢側から急ピッチで掘削されていた。順調に掘削されていたトンネルだったが、途中で地下水を含む非常に脆い地層である破砕帯に遭遇。地下水がトンネル内に吹き出し、工事の一時中断を余儀なくされた。作業員の懸命な調査、掘削工事によって、中断から7ヶ月後に80mの破砕帯を突破。その後もフル回転で工事が進められ、掘削開始から1年7ヶ月後についにトンネルが貫通している。
難工事となった大町トンネルの掘削は、後に石原裕次郎主演の黒部の太陽で映画化されたほか、NHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」でも取り上げられた。黒部ダムの建設、さらには関西地方、日本の産業の発展に貢献した大町トンネル。今は電気バスの通り道として、多くの観光客を運ぶと同時に、黒部ダムの保守車両の通り道としても使われている。破砕帯を通過する場所は青くライトアップされており、今も地下水が流れ出している。黒部ダムにはこの破砕帯の水を飲める場所が数か所設置されている。試しに飲んでみたが、とても美味しかった。
アルペンルートも帰宅ラッシュへと突入。電気バスも扇沢へ向かう団体客を中心に大賑わいとなった。一度で全員運べるのかと思ったが、バスは5台以上用意されていたので、そんな心配は必要なかった。バスの乗車時間は15分ほど。ほぼずっとトンネルの中だが、破砕帯と富山・長野の県境という2つの見どころがある。関電電気バスは富山と長野を他県を経由せずダイレクトに結ぶ唯一の公共交通ということになる。
乗車記録 No.8
関電電気バス
黒部ダム→扇沢

現在は電気バスとなっている黒部ダム-扇沢間の乗り物だが、2019年まではトロリーバスでの運行となっていた。現在も扇沢にトロリーバス車両が保存されている。現在の運行されている電気バスは、一般的な電気バスとは異なり、屋根に取り付けられた充電装置を使って、停車中に急速充電ができる独自の充電システムを備えている。乗車用ののりばの頭上には、充電設備があり、電車のパンタグラフのような充電設備をバス車体から接続することで、充電ができるようになっている。確かにこれならわざわざ架線を引いて、鉄道路線としてトロリーバスを用意する必要もない。
路線バスを大町温泉郷で下車し、星野リゾート界アルプスに宿泊

扇沢で立山黒部アルペンルートは終了となるが、広義のアルペンルートはこの先も続く。扇沢からは路線バスが信濃大町駅と長野駅へ運行されている。大糸線だとややアクセスに難があるため、ツアー客ではない外国人観光客には、長野行のバスが人気らしい。一方、大糸線で糸魚川や松本へ抜ける場合は、信濃大町駅行の路線バスを使う。立山黒部アルペンきっぷ利用者は、この路線バスもきっぷの提示で自由に乗り降りができる。ただし、乗り降りできるバス停は扇沢、日向山高原、大町温泉郷、信濃大町駅のみとなる。この日は大町温泉郷にある宿に宿泊。扇沢から乗ったバスを大町温泉郷バス停で下車した。扇沢-信濃大町駅間の路線バスは、アルピコ交通と北アルプス交通の2社の共同運行となっている。乗車したのは北アルプス交通の担当便。この北アルプス交通、実は正式な会社名は北アルプス交通ではない。関電アメニックスという会社のバス部門が、グループ再編前の過去の社名で今もそのまま呼ばれている。アルペンルートと玄関口を結ぶバスもまた関西電力のグループ会社が運行に携わっている。
乗車記録 No.9
北アルプス交通 信濃大町駅行
扇沢→大町温泉郷

この日は大町温泉郷にある星野リゾート界アルプスに宿泊した。友人と旅行の計画をする中で、ちょっといいホテルや旅館に泊まろうという話になり、アルペンルートの先にあった界を選んでみた。自分も友人も普段はビジネスホテルにしか宿泊せず、温泉旅館に自分でお金を出して宿泊するのは初めてだったが、温泉も食事もおもてなしも客室も何から何まで素晴らしく、これまた旅のいい思い出になった。16時にチェックインして、翌11時まで滞在したが、温泉には3回も入ってしまった。安曇野に吹く少し冷えた風と共に浸かる露天風呂は最高だった。
大町温泉郷から路線バスで信濃大町駅へ

最終日となる3日目はゆっくり始動。朝食を食べて朝風呂に浸かって、11時前にホテルをチェックアウトした。大町温泉郷バス停へ向かい、扇沢発の路線バスで信濃大町駅へと向かった。前日に扇沢-大町温泉郷間で乗車したバスは北アルプス交通担当便だったが、この日乗車したのは共同運航会社のアルピコ交通の担当便だった。アルピコ交通のバスを見ると、長野に来たんだなと実感する。信濃大町駅までの所要時間は20分ほど。昨日に引き続き、立山黒部アルペンきっぷを提示してバスを下車した。
乗車記録 No.10
アルピコ交通 信濃大町駅行
大町温泉郷→信濃大町駅

信濃大町駅に到着。この駅は人口2.7万人で松本盆地、安曇野エリアの北側の中心都市となっている大町市の玄関口であり、立山黒部アルペンルートの長野側の玄関口の一つとなっている。ここからは大糸線で松本へ向かう。乗り継ぎ時間を30分以上設けていたが、すぐに発車する普通列車に乗れるようだったので、予定を変更してのりばへ急いだ。
大糸線の普通列車で松本へ

信濃大町からは大糸線で松本へ向かった。乗車したのはE127系100番台2両編成の当駅始発の普通列車松本行き。E127系100番台に乗車するのは、7年ぶりだった。篠ノ井線と大糸線、それに中央本線の辰野支線を中心に運用されているE127系100番台。大糸線では211系と共に運用されている。大糸線のうち信濃大町~南小谷間は、211系の定期運用はなくE127系のみの運用。大糸線のJR東日本区間は、この駅で運行系統が分かれており、信濃大町以南は1時間に1本、朝に関しては1時間あたり3本の運転があるのに対し、信濃大町以北は数時間に1本の運転となっている。
乗車記録 No.11
大糸線 普通 松本行
信濃大町→松本 E127系100番台

大糸線に乗車したのもこれまた7年前。7年前に乗車した際は、南小谷駅から特急あずさ(当時はE257系による運転だった)に乗車した。その日はあまり天気が良くなく、車窓に後ろ立山連峰の山々を眺めることはできなかった。やはり大糸線の車窓といえば、北アルプスの山々が見どころだと思う。今回は車窓にしっかりとその峰々を眺めることができた。昨日貫いてきた北アルプスの山々を今日は列車の車窓に眺める。雪が残る北アルプスは遠くから見てもとても美しかった。

列車は安曇野を駆け抜けて松本へ走っていく。沿線の水田は田植えを終えたばかり。初夏を感じさせる景色の中を各駅に止まりながら進んでいく。大糸線は大町と糸魚川を結ぶ路線ということで大糸線という名前になった。松本から信濃大町間はというと、先に信濃鉄道という私鉄が開業させている。そのため駅間距離がやや短いという特徴がある。雰囲気的には同じ長野県の飯田線にも似ていて、駅の手狭な感じや架線柱の間隔がちょっと他のJR路線とは異なっている。個人のニックネームの由来である穂高(駅名としては”ほたか”と読む)から先は、立ち客も出て混雑し、梓川を渡って松本市街地へ。明科穂高という自分のニックネームは、篠ノ井線の明科駅と、大糸線の穂高駅を組み合わせて7年前に作ったもの。ただし、ほたかは読みにくいので、”ほだか”と読むことにしている。

信濃大町から1時間ほどで終点の松本に到着。やはりここでの楽しみは、まつもと~まつもと~という通称上野おばさんの到着放送を聞くこと。いつまでも残してほしい音の風景だと思う。個人的には2か月ぶりとなる松本駅。2か月前は静岡から特急ふじかわと普通列車を乗り継いでここまで来た。本当はここから信州まつもと空港へ移動し、飛行機で九州へ帰るつもりだったのだが、まさかの降雪による視界不良で欠航。松本市街地も一面の雪景色。九州へ当日中に戻りたかったため、15分の滞在で松本を去った。今回は帰りの特急しなのまで3時間半ほど時間を設けていたので、しばし松本観光へ出かけた。
松本を観光して特急しなので名古屋へ

信州に来たらやっぱりそばを食べないとということで、そばを食べた後、中町通りとなわて通商店街を歩いて散策。松本にもこうした観光通りがあることは知らなかった。雰囲気は京都宇治の平等院の参道に似ていて、日曜だったため歩行者天国となっており、多くの観光客で賑わっていた。
その後は国宝でもあり、現存12天守の1つでもある松本城を観光した。お城をぐるっと一周まわって、天守の中も見学。観光用に復元された城ではなく、昔のまま残る城なのて、階段はとても急。そのため、天守の中は見学者で渋滞していた。お城と言えば中は資料館となっている場合が多いが、現存12天守に関しては、城の構造を見るのが天守に入る一つの目的になると思う。

松本城を見学した後は、街中を歩き、パルコに立ち寄りながら松本駅へ。お土産を購入して、松本からは特急しなのに乗車し、旅の出発点の名古屋駅に戻った。2泊3日のアルペンルートの旅は名古屋駅で終了。友人と名古屋駅で分かれて、新幹線で九州へ戻り、今回の旅の全編を終えた。
乗車記録 No.12
篠ノ井線・中央本線 特急しなの20号 名古屋行
松本→名古屋 383系
終わりに
今回の旅では、憧れの観光ルートだった立山黒部アルペンルートを旅した。晴天に恵まれ、立山連峰や雪の大谷、それに最大の目的地だった黒部ダムの絶景を楽しむことができた。景色だけでなく乗り物好きのとしてもアルペンルートは魅力が満載だった。電鉄富山駅から普通列車でのんびりと立山駅へ向かい、そこからケーブルカーやバス、トロリーバス、ロープウェイなど、いくつもの乗り物を乗り継いで旅していく。それぞれの乗り物に見どころや特徴があり、アルペンルートの道中も楽しむことができた。中でもトロリーバスは今年がラストイヤー。このタイミングで乗車することができ、いい思い出となった。
今回の旅は友人とともに計画した旅行だった。自分が旅行のアウトラインの計画を、友人がきっぷの手配や富山での観光地、グルメの情報収集などを行った。友人のおかげで一人旅よりも何倍も楽しい旅行になった。改めて感謝したい。
次旅
北陸地方のその他旅行記
今回はじめて乗車した路線
【鉄道路線】
富山地方鉄道 本線 稲荷町-寺田
富山地方鉄道 立山線 寺田-立山
立山黒部貫光 鋼索線 立山-美女平
立山黒部貫光 無軌条電車線 室堂-大観峰
立山黒部貫光 鋼索線 大観峰-黒部平
【バス路線】
立山黒部貫光 立山高原バス 美女平-室堂間
関西電力 関電トンネル電気バス 黒部ダム-扇沢間
アルピコ交通・北アルプス交通 扇沢線 扇沢駅前-信濃大町駅前
※扇沢駅前-大町温泉郷間:アルピコ交通
大町温泉郷-信濃大町駅前:北アルプス交通