【旅行記】大阪で未乗路線を巡ったあと青森で青函トンネル記念館ケーブルカーに乗車する旅~海面下140mの体験坑道を目指す編~

前話
 
 夏の東北の夜明けは早い。夏至に近いこの日、3時台には明るくなり始め、4時過ぎには夜が明けた。5時になればもはや日中の明るさになった。この日は6時スタートだったが、もはや目覚ましも必要なく、太陽光により叩き起こされた。自然光で起こされる方が寝起きも快適だと思う。
 

希少な「はやて」で奥津軽いまべつへ

 2日目はいよいよ昨年乗車することができなかった青函トンネル記念館のケーブルカーに乗車する。青森県はこの路線以外の全ての路線を既に乗り終えている。この日巡る未乗路線は、全長約800mのケーブルカー1路線のみ。午前中のうちに龍飛崎を出て、午後の便で羽田を経由して九州へ帰る。この路線のためだけに再び龍飛崎へ赴く形である。無事に乗車できることを祈って、新青森駅前のホテルを出発した。
 昨年秋の旅では、青森駅前に宿泊して、津軽線の始発の普通列車、代行バス、外ヶ浜町の町営バスを乗り継いで龍飛崎へ向かった。帰りは龍飛崎からはデマンドタクシーの「わんタク」を使い、奥津軽いまべつ駅へ行き、そこから新幹線で次の目的地へと進む旅程だった。
 今回も使う手段は前回と同じだが、使う順序を変えてみた。2日目のスタートは新青森駅とし、そこから新幹線で奥津軽いまべつへ。そこから津軽線の代行バス、町営バスを乗り継いで、青函トンネル記念館へ向かう。帰りは前回同様「わんタク」を使うが、定時便と呼ばれる所定ダイヤ運行便で蟹田へ。そこから普通列車に乗車して青森駅に出る流れとした。15時過ぎの飛行機で青森空港を発つためには、13時頃までには青森駅へ着く必要がある。交通機関を使う場合、もはやこのルート以外に選択肢は存在しなかった。
 
 新青森駅からは北海道新幹線に乗車し、隣の奥津軽いまべつ駅へ向かった。新幹線は新青森駅がJR東日本とJR北海道の境界駅となっている。北海道に行くわけではないが、北海道新幹線という文字や放送を聞くと、かなり北の方まで来たんだなということを実感する。改札を通ってホームへ向かう。2面4線の新青森駅だが、朝は上り列車も下り列車も上り側の11番線と12番線を使用する。ホームへ上がるとちょうど東京行きのはやぶさ4号が入線してきた。この列車に乗れば約3時間で東京へ行ける。始発の新幹線だが、乗客は比較的多かった。
 はやぶさ4号の発車間際に隣のホームに乗車する車両が入線してきた。乗車するのははやて91号新函館北斗行。北海道方面の1番列車で、新函館北斗までおよそ1時間で結ぶ列車である。
 
 今回は1区間だけだが、珍しくなった「はやて」に乗車する。かつては東北新幹線でたくさん走っていた「はやて」だが、「はやぶさ」の運行開始後、もはや空前の灯火状態となっている。「はやぶさ」と「はやて」はともに東北新幹線・北海道新幹線で運行される列車名だが、その違いは盛岡以南で320km/h運転を行うか否からしい。現在、定期列車としての「はやて」は、北海道新幹線と東北新幹線盛岡以北の朝夕の区間列車としてのみ存在し、盛岡-新函館北斗間で1往復、新青森-新函館北斗間で1往復の計2往復が運転されている。現在、定期列車として盛岡以南へ行くはやては存在しない。新幹線が八戸まで延伸された際の花形新幹線だった「はやて」だが、E2系が東北新幹線の仙台以北から姿を消した今、もはや盛岡-新函館北斗間の区間列車の名称として認識されつつある。
 朝の下りの新幹線に10両はあまりに贅沢すぎる。乗車した号車には自分を含めて2人しか乗車していなかった。そんな状況で列車は新青森駅を発車。朝日を浴びながら、龍飛崎を目指す旅がスタートした。
 
乗車記録 No.13 北海道新幹線 はやて91号 新函館北斗行 新青森→奥津軽いまべつ E5系
 
 列車は新青森駅から15分で奥津軽いまべつ駅に到着。まだ朝6時48分の奥津軽いまべつ駅に降り立った。下車したのは自分一人だったが、この駅からはパッと見20人くらいの乗車があった。おそらく青函トンネルや本州側の新幹線設備の保線作業を行うJR北海道や関係会社の社員が北海道へ戻るのに使っているのだと思う。列車が発車していくと、新幹線駅とは思えないような静寂が広がる。聞こえてくるのは虫の音だけだった。青森県だがこの駅はJR北海道の駅である。改札できっぷの持ち帰りを願い出て、北海道の形をした記念乗車印を押してもらった。駅の造りは北海道、でもここは青森。2回目の訪問だが、まだこの矛盾に慣れない。
 奥津軽いまべつ駅からは津軽線の代行バスに乗車して津軽線の終点である三厩へ向かう。朝早く出たが、この駅では50分の待ち合わせとなった。その間に久しぶりに訪れた奥津軽いまべつ駅を満喫していくことにした。
 

早朝無人の奥津軽いまべつ駅と津軽二股駅を満喫する

 駅の外に出てみた。朝早すぎて人の姿もなく、車の出入りもない。聞こえてくるのは虫の音と、道路を走る車の音、そして駅の駐車場にエンドレスリピートで流れる案内放送だけ。もちろん、JRという営利企業の有人駅として、これでいいわけがないが、個人的にはこの雰囲気はとても好きである。1日に何十万人という人が行き交う大都会の駅と、1日の利用者が100人にも満たないこの駅が、1本の新幹線で結ばれている。日本は広いのか、狭いのかよく分からなくなる。飛行機や新幹線のおかげで、時間的にはグッと近くなった。しかし、それでも各地で営まれる暮らしは多様性に富んでいる。それだから旅は面白いのだと思う。
 
 先ほど、奥津軽いまべつ駅から津軽線の代行バスで三厩へ向かうと書いた。確かに代行バスは奥津軽いまべつ駅のロータリーから発着していて、事実上間違いではないが、正確にはこれは間違いである。津軽線には奥津軽いまべつ駅は存在せず、津軽二股という全く別の駅が奥津軽いまべつ駅のすぐ隣にある。近くて遠い違うJRの駅、昨年秋もその様子を見学したが、今回はここから代行バスに乗車するので、津軽二股駅にも再訪しておく。
 奥津軽いまべつの通路から津軽二股駅のホームを眺める。列車が来なくなってまもなく2年が経過しようとしている。奥の方はもう森と一体化してしまっていて、どこが線路なのかよく分からない。
 
 津軽二股駅のホームへやってきた。昨年来た時も、線路には雑草が生い茂っていたが、初夏のこの季節、雑草は猛烈な勢いで線路を侵略していた。一方で、駅のホームは突如として消えた列車を今も待っているかのように平然と佇んでいる。
 東北の鉄道路線を本格的に乗りつぶし始めたのは津軽線が被災した2022年の秋からだった。当時は五能線も被災し、旅程の変更を余儀なくされた。津軽線も翌年以降に乗車する計画だったが、被災したためその計画も頓挫してしまった。蟹田-三厩間は復旧見込みのない長期運休路線として、代行バスの乗車を暫定的に乗りつぶしの記録に含めるという特例措置を取っているが、やはり列車に揺られて乗りつぶしたいというのが乗り鉄としての本心である。
 
 津軽線については被災後、JRと沿線自治体で今後の運行の在り方に関する協議が行われてきた。外ヶ浜町は自動車交通への転換を容認する姿勢だった一方で、今別町は鉄道存続を主張。一時は津軽二股まで存続する案も出された。しかし、最終的には今別町も自動車交通への転換を容認。これにより津軽線の蟹田(正確には新中小国信号場)-三厩間の廃線が事実上決定した。このエリアは輸送密度が低くく、奥津軽いまべつ駅がこのエリアの玄関口として機能している。また、被災後はデマンドタクシーも新しい交通機関として用意され、地域住民や観光客からも鉄道より使いやすいという声が上がっている。デマンドタクシーは、鉄道に比べ移動の自由度が上がる。30分刻みで予約できるのも大きい。移動の需要が小さいこのエリアには鉄道よりデマンド交通の方が適している。
 
 蟹田-三厩間で列車に揺られることは事実上不可能となった。乗り鉄としてはもちろん乗ってみたかったと思う。しかし、被災時点ではまだ東北地方はほぼ未踏の地であり、こればっかりはタイミングの問題なので、あまり悔やむ気持ちはない。大事なことは鉄道という形に拘ることではなく、地域の事情にあった交通が用意され、この地域の人たちの移動の利便性が高まることだと思う。
 
 さて、奥津軽いまべつ駅へ戻って、窓口へ。ここでこれから使う津軽二股から三厩間のきっぷを購入した。津軽線代行バスは車内での精算できない。蟹田や青森から乗車する際はみどりの窓口であらかじめきっぷを買って乗車できる。津軽二股の場合はというと、駅としては無人駅だが、奥津軽いまべつ駅の窓口へ行けば、津軽二股からの乗車券を購入できる。この駅のロータリーから代行バスに乗車するのに、別の駅、しかもJR他社のきっぷを買うことになる。なお、きっぷを持たずに代行バスに飛び乗った場合は、運転手から証明書をもらい、それに必要事項を記入。乗車後に蟹田や青森などの有人駅で精算する仕組みになっている。この場合、奥津軽いまべつ駅は有人駅だが、会社が違うので精算できない。有人駅が遠いので、精算は後日でもいいことになっている。
 

津軽線代行バスで三厩へ

 代行バスの時刻が近づいてきたので、ロータリーでバスを待つ。代行バスは現在地を調べることができるようになっていて、時刻表のQRコードを読み込むと、バスのリアルタイムの現在地が表示された。やがてバスが駅に姿を現した。
 乗車して運転手に降車地を告げる。この時間のバスには昨年も乗車しているが、その際乗客は2人だけだった。一方、今回は蟹田からの乗客はなく、乗客は自分一人だった。昨年はハイデッカータイプの車両だったが、今回は中型車両での運転だった。なお、朝の蟹田方面には一定の通学利用がある。需要自体は小さくても大切な地域の足になっている。
 
乗車記録 No.14 津軽線代行バス 三厩体育館行 津軽二股→三厩 中里交通運行
 
 バスは今別町内を走っていく。バスの車窓には雑草が伸び放題な津軽線の線路が見えた。前回の訪問から8ヶ月しか経っていないが、すでに代行バスにも変化が生じていた。今別駅は道路上の仮のバス停だったが、駅前に乗り入れるようになっていた。また、今年春のダイヤ改正では、停留所も追加されて、駅以外の場所でも乗り降りができるようになった。追加されたのは、浜名五十嵐理容院と三厩体育館の2箇所。ともに駅からやや離れた場所にあり、利便性向上のために追加で停車するようになった。なお、それぞれ津軽浜名と三厩の乗車券で乗り降りが可能である。これに伴い、乗車中のバスも、終点が三厩駅から三厩体育館に変更になった。
 
 浜名の小さな街を通り過ぎると、車窓には津軽海峡の大海原が広がった。奥にはうっすらと北海道が見える。津軽半島の先端の龍飛崎まではあと少し。本州の北の果ては正確には大間だが、ここも本州の一端であることにら違いない。バスは三厩の街に到着。三厩駅でバスを下車した。
 

三厩駅で外ヶ浜町営バスに乗り換える

 三厩では慌ただしく、外ヶ浜町営バスの龍飛埼灯台行きに乗り換える。前回訪問時は三厩駅のホームを見にいけるくらいの乗り換え時間があったが、時間が変わっており、乗り換え時間は僅かだった。いよいよ青函トンネル記念館が近づいてきた。運賃100円を支払い、運転手に青函トンネル記念館までお願いしますと告げてバスに乗り込んだ。この日、他に乗客はおらず、下車した青函トンネル記念館まで一人だった。
 
乗車記録 No.15 外ヶ浜町営バス 龍飛崎歌謡碑前行 三厩駅前→青函トンネル記念館
 
 バスは三厩の街を抜け、その後は海岸沿いの道を龍飛へ向けて走っていく。8ヶ月ぶりの再訪。またここに来ることができた。去年の旅で青函トンネル記念館のケーブルカーに乗っていれば、おそらく再訪はずっと先になっていたと思う。九州から決して近くない青森。交通費も2往復すると結構かかる。それでもこの津軽海峡を眺めると、そんなことはもはやどうでも良くなる。奥津軽は自分の中でも大切な場所になりつつある。
 

青函トンネル記念館を再訪

 龍飛漁港でUターンして、龍飛崎への坂を登り、バスは定刻通り青函トンネル記念館に到着。運転手にお礼を言ってバスを下車した。ついに青函トンネル記念館へやってきた。果てに辿り着いたという達成感に浸りたいところだが、さすがは風の岬と言われる龍飛崎、この日もかなりな強風で、もはや立つのがやっとレベル。そんな達成感に浸ってられる状況ではなかった。前回来た時も風がとても強かったが、この日はそれ以上の強い風が吹き付けている。青函トンネル記念館は8時半にオープンする。ケーブルカーの第一便は9時発なので、早速記念館へ入り、体験坑道へのチケットを購入した。
 
 青函トンネル記念館は体験坑道と展示室がある。展示室は前回の訪問時にじっくり見たので、今回ここでは体験坑道のみを楽しむことにした。天気がいいので、ケーブルカー乗車後は龍飛崎まで歩いていくことにした。帰りのは乗合タクシー「わんタク」を使って、蟹田へ向かう。天気が悪い場合は青函トンネル記念館からわんタクに乗る予定にしていたが、快晴とのことだったので、前日にタクシーの乗車地は変更しておいた。
 

水面下140mへ向かうケーブルカーに乗車

 ケーブルカーの乗り場へ続く通路で、案内があるまで待つ。風の音が怖いくらいに響いていた。発車の数分前に改札が開始され、青函トンネル記念館駅の中に案内された。前回は対面することができなかったオレンジ色のケーブルカーと初対面。厳しい経営状況が続いており、昨年の運行再開に当たっては、クラウドファンディングが行われた。営業を開始した4月以降は平常通り運転していたが、車両に亀裂が見つかったため、9月から最終営業日の11月まで運休となり、再びクラウドファンディングにより支援が呼びかけられた。このクラウドファンディングも成功し、車両を修復した上で今年4月の営業開始日から通常通りの運行を行なっている。時々車両に不具合が出る時があるようで、実は旅行日の数日前にも、電気システムの異常などで運休している日があった。そのため、ここ数週間は無事に乗れるかどうかずっと気にかけていた。今日も平常運転らしい。無事にこの旅の最大の目的を果たすことができそうである。オレンジ色のケーブルカーの愛称はもぐら号。可愛いヘッドマークが掲げられていた。
 
 さて、今から乗車する青函トンネルのケーブルカーは、一般財団法人青函トンネル記念館が運行する青函トンネル竜飛斜坑線という路線である。青函トンネル記念館駅と体験坑道駅間の全長0.8kmの短い路線で、体験坑道駅は海面下140mに位置し世界で最も海抜が低い駅と言われている。前回の旅では国内の鉄道路線の駅として最も標高が高い立山黒部貫光無軌条電車線(立山トンネルトロリーバス)の室堂駅(標高2450m)を訪れたばかり。全く意図したわけではないが、連続して日本で最も高い駅と低い駅を訪れることになった。
 
 路線名に書かれている通り、路線は青函トンネルの竜飛斜坑を活用して運行されている。斜坑は、青函トンネルの掘削工事の際に、工事の拠点となった青森側の竜飛と北海道側の吉岡にそれぞれ採掘された。掘削作業員や資材の運搬などを目的として、工事の最初に掘削され、この斜坑を起点に、先進導坑、作業坑、そしてトンネル本体である本坑が掘削されている。現在、竜飛と吉岡は青函トンネルで異常事態が発生した際の避難の拠点である定点の役割を担っている。トンネルで異常事態が発生した際、乗客の避難には斜坑が活用される形である。吉岡、竜飛の2カ所の斜坑には地上へ避難するためのケーブルカーが用意されている。これから乗車するケーブルカーは、そのうちのひとつである。普段は観光用に使われるこのケーブルカーは青函トンネルでトラブルがあった際には避難用のケーブルカーとして利用される。新幹線開業後はトラブルは発生していないが、特急白鳥が走っていた2015年には竜飛側のトンネル内で、車両から白煙が上がるトラブルがあり、避難のためにこのケーブルカーが活用された。なお、吉岡、竜飛の2つの定点は、2013年まで吉岡海底駅、竜飛海底駅として営業していた。竜飛海底駅は見学整理券を購入することで下車でき、見学コースはトンネル内の通路とケーブルカーを使って青函トンネル記念館を見学し、再び竜飛海底駅から列車に乗り込んで戻る形になっていた。
 
 朝の第一便なので、乗客は自分と初老の男性の2人だけ。コミュニケーション能力がないので、体験坑道でマンツーマンだったらどうしようかと思っていたが、もう一人乗客がいて、正直安心した。
 発車時刻になると、まずは駅の入り口のドアが閉められ、ケーブルカーの進路上にある風門が開く。これはトンネル内と外との気圧の調整のために、設置されているものらしい。風門が開くと、地下深くへ潜っていく斜坑とケーブルカーの線路が姿を現した。線路は直線で果てしなく奥まで続いている。門が開くと、ケーブルカーが動き出した。ケーブルカーは風門を潜って地下へと進んでいく。その光景はまさにSF映画のよう。地下深くの秘密基地へ行くシーンを体験しているかのようだった(写真は帰りに撮影したもの)。
 
乗車記録 No.16 青函トンネル記念館青函トンネル竜飛斜坑線 青函トンネル記念館→体験坑道
 
 斜坑の中をゆっくりと進んで行くケーブルカー。決して乗り心地は良くない。いやそれどころか、時々車両全体が振動するようなガッシャンという強い揺れが襲う。線路に並行して、階段が設置されている。青函トンネルからの避難の際には、ケーブルカーと同時に徒歩でも避難するらしい。さらに斜坑には無数の配管が設置されている。トンネル内の空気の換気や排水などは、この斜坑や垂直に掘られた立坑を使って行われている。当然ながら電気や通信線も地上から送る必要がある。また本州と北海道を結ぶ送電線も青函トンネルの中を通っているらしい。ケーブル用には別のケーブル斜坑も用意されている。どれが何の配管かはわからないが、海底トンネルであるこのトンネルの安全保持には欠かせない設備である。
 
 斜坑の中を進んで8分ほどでケーブルカーは体験坑道駅に到着。体験坑道駅手前にはケーブルカーでは珍しい分岐があり、分岐した線路は作業坑へ向かっている。鉄道路線としての青函トンネルトンネル竜飛斜坑線はここまで。体験坑道に到着したケーブルカーの進行方向は暗闇に包まれていてどうなっているかは分からない。実は線路はこの先もまだ地下深くへ延びている。線路が向かう先は、先進導坑が走る地点らしい。
 体験坑道到着後は、施設の係員の案内に従い20分ほどかけて、体験坑道内を見学していく。トンネル内は暑くもなく、寒くもない適温。トンネル内は年間通じてこれくらいの気温に保たれている。路線の全長は約800mとのことなので、地図に照らしてみると、龍飛埼灯台あたりの海底にいるらしい。海面下140mなんてほんとにすごい場所に立っている。
 

青函トンネル記念館体験坑道を歩く

 記念館の体験坑道は青函トンネルの作業坑の一角に設けられている。140海底ランドという水槽があり、ここには津軽海峡の魚たちが泳いでいた。まさかこの魚たちも海より深い場所で泳ぐことになるなんて想像してなかっただろう。トンネルは常に海水が滲み出ている。トンネル全体でその量は毎分10tとのこと。染み出した排水は、定点にある排水基地に集められ、排水管を介して地上に送られて排水されている。
 
 水槽の背後には線路がある。ケーブルカーで体験坑道駅に到着する直前に分岐した線路がここに繋がっている。体験坑道駅からここに来るまでの間の頭上にこの線路が通っていた形である。青函トンネル内の資材運搬などの際には、この線路が使われるらしい。
 
 その後は作業坑に設けられている青函トンネルの掘削工事や掘削技術に関する展示を見ながら進んでいく。解説の音声と共に展示されているものを見れるので、わかりやすかった。写真はトンネル内で作業員や資材を運んだトロッコ。青函トンネルは1961年に着工し、1988年に完成。延べ1400万人がトンネル工事に関わっている。前回の訪れた黒部ダムに続く世紀の大工事が行われた青函トンネル。今はあって当たり前な存在だが、もちろん今、保守に携わる人たちもいて、いろんな人たちの尽力があって北海道と本州の鉄路が結ばれていることを改めて学ぶことができた。
 
 展示ゾーンを出ると、その先にはフェンスで立ち入り禁止になっている区画がある。この柵の400m先に新幹線や貨物列車が走行する青函トンネルの本坑があるとのこと。竜飛海底駅が営業していた頃は、この先にも進むことができた。トラブルの際に乗客が一時避難する避難所もこの先に設けられている。
 
 体験坑道での時間はあっという間にすぎ、帰る時間がやってきた。体験坑道駅へと戻り、再びケーブルカーで地上へ戻る。今度はゆっくりと地上に向かって登っていく。どんどん遠くなっていく体験坑道駅。タイムマシンのような、別の惑星から地球にワープようなそんな感覚だった。ケーブルカーの往復と体験坑道での時間はトータルで40分ほど。昨年来た時は展示だけだったが、今回は実際に青函トンネルの作業坑の一部を歩くことができ、より青函トンネルについて深く知ることができた。
 
乗車記録 No.17 青函トンネル記念館青函トンネル竜飛斜坑線 体験坑道→青函トンネル記念館
 
 このケーブルカーに乗るために青森へやってきたが、無事に乗車することができ、今回の旅の目的を果たすことができた。この路線に乗車したことで、青森県内の鉄道路線は全路線完乗となり、東北地方では青森県が初の完乗県となった。
 目的を果たして、ここからは九州へ向け帰路に着く。しかし、予約しているわんタクまではまだ45分ほど時間があった。青函トンネル記念館からは歩いて、竜飛崎の津軽海峡・冬景色歌謡碑前に向かい、龍飛崎の景色を眺めて、龍飛崎を後にすることにした。
 
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