【旅行記】大阪の中小路線を巡る旅~今里筋線と阪堺電車に乗車~

 

大阪府内の未乗路線を巡る夏の旅

 今年も暑い夏がやってきた。学生時代、夏になると関西によく旅行に行っていたこともあって、夏休みシーズンになると関西に行きたくなってくる。昨年の夏は和歌山県をメインに、一昨年は滋賀県をメインにした旅を企画したが、今年もまた夏の関西の鉄道路線を巡る旅を企画した。
 関西地方は、乗りつぶしをはじめてもう10年ほどが経過しようとしている。当時好きだった阪急電鉄の全路線を巡ったのが、関西の乗りつぶしのスタートだった。この時、関西の路線の全てに乗車するというのは夢のまた夢の話で、正直全路線に乗車しようとは考えていなかった。その後、いろんな路線に乗車する機会を得て、全線の乗りつぶしを意識するようになった。特に昨年は関西乗り鉄強化年間と命名して、神戸、京都、和歌山エリアの未乗路線を巡り、いよいよ関西地方の鉄道路線も完乗が見えてきた。今回は関西の鉄道路線の完乗へ向けて、大阪府の未乗路線を巡っていく。
 最近は兵庫県や京都府など関西地方の他の府県の乗りつぶしを優先的に進めてきたため、逆に大阪府の方が未乗路線を多く残している状態となった。前回の旅では、1日目に少しだけ大阪府内の鉄道路線を巡ったため、大阪府の乗り鉄旅は今年2回目となる。前回は大阪から青森への移動が控えていたため、大阪府の中でも伊丹空港に近い千里エリアの未乗路線を多く巡った。今回は大阪の中でも南部の近鉄大阪線・南大阪線、それに南海本線に接続、もしくはその近傍を走る路線をメインに巡っていく。また残り2路線となったOsaka Metroの未乗路線にも乗車し、Osaka Metroの全路線完乗を目指す。
 旅程は1泊2日。1日半かけて大阪府内の未乗路線を巡っていくが、宿泊先は奈良県とした。1日目の夜は近鉄の特急「ひのとり」、2日目の朝はJRの特急「らくラクやまと」に乗車し、大阪・奈良間の移動も楽しむ。また2日目の大阪府内の未乗路線巡りは午前中には終了するため、帰りは使ったことのなかったPeach Aviation便で、これまた使ったことのなかった長崎空港を使ってみる。その後、長崎市街を経由して、西九州新幹線で博多へ戻る流れとした。前日のうちに新大阪駅に到着し、駅前のホテルに一泊。翌朝、大阪府内の鉄道路線巡りがスタートした。

前旅

 

大阪シティバス37系統で大阪駅前から井高野へ

 新大阪駅前のホテルを6時15分にチェックアウトして、歩いて新大阪駅へ。この日の天気は晴れの予報だったが、目覚めてカーテンを開けると土砂降りの雨が降っていた。太平洋上に台風があり、その影響で各地で朝から大雨が降っていたようで、運悪く雨のスタートとなった。ただ、数時間すれば天気は回復してくる予報だったので一安心。新大阪駅からは御堂筋線で梅田駅へと向かい、地上のバスのりばへ向かった。
 1日目の最初に乗車するのは、Osaka Metro今里筋線である。Osaka Metroの路線は、三線軌条で建設された路線が多いことから、相互直通運転を行っている路線が少ない。そのため、起点・終点駅がなんとも中途半端な場所にあり、他路線と全く接続していない駅も複数ある。旅行前の時点で今里筋線と谷町線を乗り残していたが、これら2路線の起終点も片方は他路線と接続するものの、もう片方はどの路線とも接続していないという特徴があり、これが乗りつぶし上のネックになっていた。今里筋線の場合も終点の今里駅は千日前線と接続しているが、起点の井高野駅では接続する路線がない。
 そんな時に救世主となるのが路線バスである。起点・終点駅が他の鉄道路線と接続していない場合でも、路線バスは駅前に乗り入れている。路線バスを利用すれば、単純な往復を避けることができる。今里筋線の起点である井高野駅の近くのバス停には、大阪駅からのバスが発着していて、駅から歩いて10分くらいのところにあるバスの営業所発着で運転されている。今回は乗り鉄の旅だが、初手は路線バスを使って地下鉄の起点駅まで移動していく。
 
 大阪駅前から乗車したのは、大阪シティバスの37系統井高野車庫前行き。大阪シティバスは大阪市交通局のバス部門が民営化されて誕生したバス会社である。大阪市交通局は民営化された際、大阪市高速電気軌道株式会社(通称Osaka Metro)が地下鉄事業を、大阪シティバスバスが路線バス事業を引き継いだ。大阪シティバスは大阪市高速電気軌道の子会社という関係になっている。
 大阪駅前と井高野車庫前を結ぶ路線は、37系統と93系統の2系統あり、37系統は、天神橋六丁目、豊新二丁目、上新庄駅北口、大阪経大前などを経由し、93系統は十三駅東口、豊新二丁目、東淀中学校前を経由する。運行本数は時間にもよるが、93系統が1時間あたり1~2本の一方で、37系統は4~6本程度の運行となっている。今回は本数が多い37系統を利用した。大阪シティバスへの乗車はこれが初めてとなった。
 
乗車記録 No.1 大阪シティバス[37]井高野車庫前行 大阪駅前→井高野車庫前
 
 大阪シティバスの路線は、地下鉄、バスが乗り放題となる「エンジョイエコカード」が使用できる。土休日は平日よりも200円安い620円という料金設定となっている。この日は後ほど谷町線にも乗車予定だったので、とてもおトクに活用できた。
 大阪駅前を発車したバスは、曽根崎警察署前を経由し、扇町通を東へ。その後、扇町公園が車窓に見えると、堺筋線が地下を走る天神橋筋へ左折して、北へ進んだ。早朝の天神橋筋を進むと、各バス停から数人ずつの乗車があった。淀川にかかる長柄橋を渡り、その途中で分岐する道路を通って、右へカーブ。そのまま淀川通の下を通る道を進む。その後は、阪急の柴島駅や淡路駅のやや南側を走っていった。
 
 水道局の施設を横目に走り、大きな集合住宅が見えると、バイパスと合流してしばらく北東方向へ走る。途中でおおさか東線、阪急京都線、東海道新幹線の線路とクロスした。その後、上新庄交差点へ達すると、右折して国道479号線へ入り、阪急京都線の上新庄駅の下を潜る。その先にある上新庄駅北口バス停からは多くの乗客の乗車があった。再度東海道新幹線の線路とクロスして、大隅一丁目交差点で左折。その先の大阪経大前バス停で、上新庄駅北口から乗車した乗客の多くが下車していった。阪急沿線からこの大学へ向かう人たちの利用が多いらしい。大阪経大前を発車すると、後ほど乗車する今里筋線の東側を走り、瑞光、江口を経由。この路線は井高野駅のバス停には停まらないが、北江口住宅前というバス停が、井高野駅から徒歩数分の場所にあり、乗り換えることができる。今回はそのまま集合住宅が立ち並ぶ中を通って、終点の井高野車庫前まで乗車。大阪駅前から約45分で終点に到着した。
 
 乗ってきたバスはそのまま営業所の中に消えていった。営業所の入口がバス停になっていて、ここからは大阪駅前の他に相川駅前、上新庄駅前行きのバスも発着している。新大阪を起点にした場合、(西中島)南方で阪急京都線に乗り換えて、相川か上新庄でバスに乗り換えた方が早い。また、井高野営業所の路線には新大阪駅と東淀川区役所を結ぶ路線があり、これに乗車して、豊新二丁目あたりで乗り換える策もある。しかし、早朝時間帯には、これらの路線はいずれも運行されていないので、大阪駅から来るしかない。新大阪駅と井高野は直線距離で5kmしか離れていないが、直接行ける交通手段が存在せず、近くて遠い。
 営業所の入口に掲げられた看板には、大阪シティバス株式会社井高野営業所とともに、南海バス株式会社井高野営業所と書かれていた。南海バスといえば、堺市などの南海沿線でバス路線を運行しているが、なぜここに南海バスの営業所があるのだろうか。実は、大阪シティバスの井高野営業所の路線は南海バスに管理委託されていて、南海バスが運行を担っている。先ほど乗車したバスの運転手さんは南海バスの運転手さんだったらしい。井高野営業所は大阪市交通局時代から南海バスが受託して運行されていて、民営化後もそのままの形態となっている。
 
 井高野車庫前からは徒歩で井高野駅へ。このエリアはたくさんの団地、集合住宅が立ち並んでいて、その中をしばらく歩いていくと、駅が見えてくる。駅の周りも集合住宅が立ち並んでいるが、高い建物が少なく、正直こんなところに地下鉄の駅なんかあるのかという雰囲気だった。路線のカラーであるオレンジに塗装された駅の入り口から地下にある井高野駅の改札へと向かった。
 

Osaka Metroのマイナー路線、今里筋線に乗車する

 ホームで今里筋線の車両と初対面。これから乗車する今里筋線は、井高野から太子橋今市、鴫野、緑橋などを経由して、今里までを結ぶ全長11.9kmの路線である。Osaka Metroが運行する路線の中で最も新しく、少し前に開業していた長堀鶴見緑地線と同じリニア地下鉄方式を採用している。この路線は他の路線と異なり、大阪環状線内に一歩も足を踏み入れない路線である。そのため、来訪者はほとんど使うことがなく、マイナーな路線となっている。一方、南北に走る路線のため、大阪市中心部へ向かう路線と多数クロスする。太子橋今市では谷町線、鴫野ではJR学研都市線・おおさか東線、蒲生四丁目では長堀鶴見緑地線、緑橋では中央線、今里では千日前線と乗り換えられる。一回乗り換えないと大阪市の中心部へ行くことができないので、正直利便性はあまり高くないが、各線と接続し、元々鉄道がなかったエリアと大阪市中心部を結んでいる。
 
 平日朝は周辺に住む人たちが大阪市の中心部を目指すはずなので、たくさんの通勤通学客で賑わうはず。しかし、この日は休日だったので、人の姿はまばらだった。日中は10分間隔での運転だが、朝夕は運転間隔が詰まる。休日朝は6分間隔。平日朝にはさらに運転本数が増えて4分間隔となる時間帯がある。列車は井高野-今里の全区間を走る列車がほとんどだが、車両基地に近い清水発着の列車も設定されている。
 駅のホームには一般的な発車標はなく、ホームの頭上に発車票が設置されている珍しい形態だった。似た存在である長堀鶴見緑地線は接近・発車メロディーが独特だが、今里筋線は他の路線と同じメロディーが使われていて、不気味さはない。井高野から今里までの所要時間は25分ほど。先発の列車に乗車し、全区間乗り通して今里駅へ向かった。
 
乗車記録 No.2 Osaka Metro 今里筋線 今里行 井高野→今里 80系
 
 井高野駅を出た列車は瑞光四丁目、だいどう豊里と停車し、谷町線と接続する太子橋今市に停車。どれくらいの人が乗り降りするか見ていたが、降りる人より乗る人の方が多かった。今里筋線はこの先、関目成育駅でも谷町線に接近するが、こちらは駅がやや離れていて、谷町線とは別の駅となっている。関目成育駅は谷町線より京阪本線の関目駅に近い。関目成育からはひたすら南下して今里へ向かう。地上は国道1号通称京阪国道が通っていて、蒲生四丁目で京阪国道が折れ曲がるのと同時に今里筋へ入る。鴫野、蒲生四丁目、緑橋と乗り換え駅に停車すると、各駅で乗り降りがあった。この時間帯は乗り降りは同数といった感じで、終点まで、座席の7割程度が埋まった状態だった。
 
 終点の今里駅に到着。千日前線との接続駅でホームの一つ上の階へ上がると、連絡通路は両路線を乗り継ぐ乗客たちが速足で歩いていた。今里駅の千日前線と今里筋線のホームは少しだけ離れていて、乗り換えにはちょっと歩かないといけない。
 今里筋線は現在、今里駅が終点となっているが、計画ではここから先も線路が延び、そのまま今里筋を南下して、長居公園通とあたる湯里六丁目まで路線が延びる計画だった。しかし、今里筋線の多額の建設費を疑問視する声が上がり、この先の建設は凍結されてしまった。ちなみに起点側の井高野から先も岸辺方面へ延伸する構想もある。しかし、こちらも実現には至っていない。
 Osaka Metroの路線の中でもマイナーな路線である今里筋線。確かに大阪市の中心部へ直接向かう路線ではないため、存在感は薄くなる。しかし、それでもこれまでバスに頼らざるを得なかった鉄道空白地帯に鉄道ができ、乗り換えが必要であっても、市内中心部と地下鉄を使って行き来できるようになったというのは、沿線からするとかなり利便性になったのではないかと思う。今里筋線は放射状に伸びる路線同士を短絡する路線として、大阪市の東部を支えている地下鉄路線だった。
 

今里筋線の延長線BRT、「いまざとライナー」に乗車

 さて、今里駅では改札を出場し、ここでバスに乗り換える。先述の通り、今里筋線はこの先も今里筋を南に下る形で路線を延ばす予定だった。現在その計画は凍結されているが、その変わりに「いまざとライナー」と呼ばれるBRT方式のバスが運行されており、地下鉄とバスを乗り継いで、ここから先も移動することができる。今回はそのいまざとライナーの路線の一つに乗車してみる。
 この「いまざとライナー」は、今里筋線の未成区間の鉄道の必要性を検証するための実証実験として、2019年から運行されているもので、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)が運行主体となり、大阪シティバスに委託する形で運行されている。バスは路線バス車両が使用されるが、「いまざとライナー」のロゴとラインカラーのオレンジを纏う専用車で運転されており、今里筋線の延長路線であることを示している。
 
 「いまざとライナー」は現在、長居ルートとあべの橋ルートの2系統が運転されている。長居ルートは今里筋線の終点となる予定だった湯里六丁目まで今里筋を南下して、その後JR阪和線の長居駅へ向かう。もう一つのあべの橋ルートは、同じく今里筋を途中まで南下して、JR関西本線の線路とクロスした先にある杭全(くまた)交差点からあべの橋へ至るルートとなっている。「いまざとライナー」は公式にもBRTという位置付けである。このBRTという言葉は、国内においてはとても曖昧な言葉になっていて、その形態にはいろんなものがある。いまざとライナーは、大船渡線や日田彦山線BRTのように一部で専用道を走る形式のBRTではないが、鉄道の代替としての意味合いが強く、快速性が高いという意味でのBRTと呼ばれている。同じ場所を路線バスも走行しているが、このバスは限られたバス停にしか停車しない。
 
乗車記録 No.3 Osaka Metro いまざとライナー あべの橋ルート あべの橋行 地下鉄今里→あべの橋 大阪シティバス運行
 
 地下鉄今里を出たバスは、千日前線ののりばに近い北側のバス停にも停車し、その後は中川西公園前、大池橋、田島五丁目、杭全と停車して、あべの橋へ向かう。生野区内を南北に走っていくが、地下鉄今里駅を出た直後に近鉄奈良線とクロスする(接続バス停はない)と、その先杭全でJR関西本線とクロスするまで、鉄道路線と一切交わらない。このあたりは西に大阪環状線、東に千日前線、おおさか東線が走っているが、いずれも南北に走っており、東西に走る路線がない。いまざとライナーは、鉄道としては空白地帯になっている場所を走っていく。各バス停で乗り降りがあり、休日も一定の利用者がいるらしい。杭全交差点で右折した後に停車する杭全バス停は、JRの東部市場前駅に近く、車内のディスプレイには東部市場前駅の列車の発車時刻が表示されていた。その後はしばらく関西本線の線路と並走し、近鉄大阪阿部野橋駅前のあべの橋バス停に到着。今里駅から20分ほどで天王寺にたどり着いた。
 今回は実証実験中のいまざとライナーのうち、今里と天王寺を結ぶあべの橋ルートに乗車した。今里筋線は杭全からもさらに南へ下っていく計画だったので、より計画ルートに近いのは、長居ルートということになる。長居ルートは地下鉄長居で御堂筋線と、JR長居で阪和線と接続する。このルートもどんな使われ方をしているのか気になっているので、機会があれば乗車してみたい。
 
 早朝に大阪駅前を出発して、井高野、今里を経由し天王寺へやってきた。いまざとライナーのあべの橋ルートに乗車したのは、天王寺から発車する次の未乗路線に乗車するため。ここからは大阪市と堺市を走る路面電車、阪堺電気軌道に乗車していく。天王寺の阪堺電気軌道ののりばは、あべのハルカス直下にある。歩道橋から首が痛くなりそうなほど高いあべのハルカスを眺めて、天王寺へ来たことを実感。阪堺電車の乗り場へ向かった。

大阪・堺を走る路面電車、阪堺電車に乗車する

 阪堺電気軌道は、恵美須町と浜寺駅前を結ぶ阪堺線と、天王寺駅前と住吉を結ぶ上町線の2路線を運行している。マークで分かる通り、南海電鉄の子会社であり、路線は南海本線とほぼ並走している。また、高野線も堺市街まで近くを走っている。なお、阪堺電車の路線は南海電鉄が運行していた時代もあった。社名の通り、大阪市の南部と堺市を横断して走り、このエリアの沿線住民の移動を支えている。路線は恵美須町-浜寺駅前、天王寺駅前-住吉で2路線となっているが、運行系統は天王寺駅前-我孫子道-浜寺駅前、恵美須町-住吉-我孫子道で分かれていて、阪堺線を走破する列車は存在しない。今回は天王寺駅前から浜寺駅前まで乗車した後、我孫子道で恵美須町行に乗り換え、一部を往復する形で2路線に乗車していく。
 
 駅の定期券窓口で1日乗車券を購入。1日乗車券は700円で発売されていた。阪堺電車は1乗車一律230円となっている。今回は3列車に乗車するので、総額は単純計算で690円となる。しかし、浜寺駅前から恵比須町へ向かう際、我孫子道で運賃を支払うと、乗換券をもらうことができ、その券で我孫子道~恵比須町間の列車に乗車できる。したがって、運賃は2乗車分の460円しかかからない。240円も余分に支払うことになるが、旅の記念になるので1日乗車券を買うことにした。
 天王寺駅前電停のホームは道路の中央に設置されているので、とても狭い。ホームへ行くと、先発の列車が停車していた。この列車に乗車しようかと思ったが、次の列車が低床車両での運行ということだったので、一本待って次の便に乗ることにした。この時間帯の天王寺駅前発着の列車は我孫子道止を含めて7分間隔になっていて、先発の列車が出ていくと、すぐに次の列車が入って来る。
 
 天王寺駅前から乗車したのは1001形の浜寺駅前行き(写真は終点の浜寺駅前で撮影したもの)。この1001形は2013年に阪堺電車がはじめて導入した3連接の低床車。現在は2020年に導入された1101形と共に計4両の低床車が活躍しており、低床車の時刻は駅の時刻表で確認できるようになっていた。この低床車は天王寺駅前-浜寺駅前間で運用されていて、阪堺線の住吉-恵美須町間には入らない。この車両に終点の浜寺駅前まで乗車した。
 
乗車記録 No.4 阪堺電気軌道上町線・阪堺線 浜寺駅前行 天王寺駅前→浜寺駅前 1001形
 
 車内は和風なデザインで、それぞれ両端の車両がクロスシート配置、中間部分がロングシート配置となっている。乗車した列車は混雑していなかったので、眺めのいい向かい合わせの席に座った。南海本線の列車であれば、新今宮~浜寺公園の所要時間は20分ほどである。一方で阪堺電車は天王寺駅前-浜寺駅前間を倍以上かかる約50分かけて走っていく。
 
 天王寺駅前を発車すると、あべのキューズモールなどを車窓に次の阿部野へ向かう。阪堺電車が走る南北の通りは、近鉄前交差点で谷町筋からあべの筋へ名を変えているが、阿部野までの区間の地下にはOsaka Metro谷町線が走っており、1駅間だけ路面電車と地下鉄が地上と地下を走る区間となっている。天王寺駅前~阿部野間は、軌道敷緑化が行われており、天王寺駅周辺の再開発と同時に、下町の雰囲気がただ寄っていたかつての景観から大きく様変わりした。阿倍野電停の先で阪神高速14号松原線とクロスすると、そこから先はマンションや商店などが立ち並ぶ下町の景色の中を走っていく。
 
 天王寺駅前から2停目の松虫の手前で併用軌道区間は一旦終了となり、ここから北畠までの区間は専用軌道を進んでいく。次第に高い建物が無くなり、アパートや戸建ての建物が増える。北畠から先は再び併用軌道となるが、道路の幅が非常に狭く、電停もとても細長い。電停の安全地帯の後方の道路は車が走れる幅ではないところもあり、車も軌道上を走り、路面電車の後方をついてくる。写真は姫松電停だが、待合室が沿道上にあった。自動車学校で路面電車が走っている場所の走り方は教わるが、最近だとこうした場所も少なくなっている。初見でこの道を運転するのはかなり勇気がいるし、しっかりと道路のルールを復習してから運転しないと危ない。他地域でもとさでん交通伊野線などで狭い道路を路面電車が走っている区間があるが、阪堺電車は上町線にも阪堺線にもこのような場所が存在している。大阪市という大都会の中で、こうした区間があるのは驚きだった。
 
 しばらく狭い併用軌道区間を走った後、帝塚山三丁目電停から再び専用軌道となる。南海高野線とクロスした後、住吉に到着。ここが天王寺駅前から続く上町線の終点で、道路上をまっすぐ走る阪堺線とここで合流する。以前の上町線は住吉が終点ではなく、南海本線の住吉大社駅の隣にあった住吉公園電停が終点だった。現在は上町線と阪堺線の線路が単純に合流するだけだが、以前は上町線の線路が阪堺線の線路とクロスして、そのまま交差点の反対側へ進み、少しだけ路線の続きが存在していた。住吉公園電停は阪堺線の住吉鳥居前電停から徒歩1分もかからない場所にあり、廃止直前には運行される列車もわずかとなっていた。住吉鳥居前で十分代替可能というか、こちらを使う方がメインとなっていたので、このわずかな区間は2016年に廃止された。現在跡地は駐車場に転用されていて、車窓からも廃止された線路跡を見ることができる。
 
 列車は住吉大社前のわずかな区間、併用軌道を進んだ後、再び専用軌道区間へ。ここから先はしばらくの間、専用軌道を進んでいく。南海本線の住之江駅が西側にある安立町を出ると、阪堺電気軌道の本社と車両基地がある我孫子道に到着。ここでは恵美須町発でこの駅止まりの列車と接続するため数分停車し、縦列停車で接続を取った。我孫子道を出て、車両基地を横目に走ると、その先で大和川を渡った。ここが大阪市と堺市の境界であり、ここから先は堺市の市街地を縦断していく。
 
 綾ノ町で再び併用軌道となり、ここからは堺市の市街地を北東から南西に走っている大道筋という大きな通りを走っていく。大阪市内の併用軌道区間と異なり、この道はとても広々としていた。軌道敷は花壇や植樹帯で仕切られていて、交差点以外は実質的な専用軌道となっている。碁盤目状の堺市街、東西に走る道も大きい。写真は堺警察署前にある大小路との交差点。堺市の市役所は南海高野線の堺東駅周辺にあり、この通りは湾岸エリアに位置する南海本線の堺市駅との間を東西に結ぶ大きな通りの一つとなっている。大きな通りとの交差点には、電停が設けられていて、信号待ちも長い。そのため、この大道筋を抜けるのにはかなりの時間がかかった。
 
 御陵前電停で大道筋を抜け、再び専用軌道へ。ここから先は終点まで専用軌道区間となる。最後に南海本線の上を通り、浜寺公園の松林が見えてくると、列車は終点の浜寺駅前に到着した。
 終点の浜寺駅前に到着。天王寺駅前と同じく、この駅も単線となっていて、下車する際は複線の終端部にある降車場で下車する形だった。ここ浜寺駅前は駅名が不思議なことになっている。というのも、駅名は浜寺駅前だが、隣接する南海の駅の名前は浜寺公園駅で、浜寺駅ではない。浜寺駅前といいながら、実は浜寺駅は存在しない。ちなみに浜寺公園駅は浜寺駅前が開業する以前に浜寺駅だった時期があるが、開業時点ではすでに浜寺公園駅だった。

旧南海浜寺公園駅舎と浜寺公園

 浜寺駅前電停から浜寺公園と逆の方へ行くと、30秒くらいのところに南海浜寺公園駅がある。現在このあたりの南海本線は高架工事中で、駅も仮設駅舎で営業している。一方、その隣には趣きのある立派な建物が建っている。この建物は1907年に建築された旧駅舎。2016年まで現役だった建物である。現在はカフェや資料館が設けられていて、駅舎としての役目を終えた後も憩いの場として活用されている。この建物はもともと、もう少し後ろにあったが、駅舎としての役割を終えた後に現在の位置に移動されている。
 
 浜寺駅前電停の道向かいには、浜寺公園が広がっている。この公園は大阪府が運営する大きな公園で、南北2kmに渡る細長い公園である。プールのほか、テニスコートや野球場、庭園、ドッグランなどがあり、阪南エリアの憩いの場となっている。歴史は古く開業は1873年とのこと。明治時代に作られた日本最古の公立の公園が、ここ浜寺公園である。夏真っ盛りのこの日、流石に暑いので、人の姿はまばらだったが、南海、阪堺電車の両駅から歩いて公園へ訪れる人の姿があった。個人的に気になったのは、南側にある交通遊園。かなり本格的なゴーカートと、ミニ鉄道があるらしい。また以前はみさき公園にあった南海80000系「ラピート」の顔も展示されているらしい。
 
 公園で小休憩としたいところだったが、低床電車に乗るために天王寺駅前の出発を遅らせたので、浜寺駅前は15分ほどの滞在ですぐに折り返した。往路と同じ車両の天王寺駅前行に乗車し、今度は途中の我孫子道駅で下車した。
 
乗車記録 No.5 阪堺電気軌道阪堺線 天王寺駅前行 浜寺駅前→我孫子道 1001形

阪堺電車の拠点我孫子道で乗り換えて恵美須町へ

 浜寺駅前から約30分、我孫子道電停に降り立った。ここ我孫子道は、阪堺電気軌道の本社と車両基地がある拠点で、運行上もここが起終点となる列車が多く設定されている。阪堺線の我孫子道方面の列車は全ての列車がここ発着で運転されている。また上町線天王寺駅前方面の列車も半数程度が我孫子道を起終点とし、ここから先は本数が半数程度に減少する。駅名の我孫子とは電停から東に2kmほどの場所にある我孫子観音に由来する。南海高野線の我孫子前、JR阪和線の我孫子町、御堂筋線のあびこと我孫子が入る駅名がそれぞれ間隔を少し開けて4つあるが、この我孫子道はその中で最も西側にある。電停はギリギリ我孫子観音がある住吉区内にあるが、地名は清水丘となっていて、我孫子ではない。電停の浜寺駅前側をアンダーパスでクロスする府道42号線住吉八尾線を西へ進めば、我孫子観音へ辿り着く。我孫子道の道はこの道のことを指している。
 
 電停の背後には車両基地が広がっていた(敷地外の道路上から撮影)。この車両基地の正式な名前は大和川検車区というが、我孫子道車庫という名前で呼ばれることが多い。路面電車の車両基地にしてはかなり広々として、留置されている路面電車車両を見ることができた。手前の2両は折り返しに備えて休憩中の車両たち。我孫子道が終点となり、折り返す車両は、一旦浜寺駅前方面に発車し、本線上で方向転換し、折り返し車両の列に並ぶ形になっている。
 余談だが、我孫子という地名は一般的には難読地名だが、鉄道ファンにとってはもはや難読地名であることを忘れるくらい浸透している地名だと思う。関東にも千葉県に我孫子駅があり、関西にも我孫子の付く駅がたくさんある。そのため、難読地名クイズみたいなもので我孫子が出てくると、そういえばこれも難読地名だよなと思う。自慢のようになってしまうが、中学生の頃、友人にこの地名読めるかとクイズを出され、我の字を書いたところで、あびこと答えてドン引きされたのを今でも覚えている。
 
 我孫子道では約15分の乗り継ぎで恵比須町行に乗車する。電停を通りすぎていく列車を眺めて少し休憩。先発の天王寺駅前行の車両が入線してきた。雲が描かれたオレンジ色の可愛らしい車両はモ500形。南海時代から70年近くに渡り、阪堺電車の運行を支えてきた車両である。この塗装はオレンジ雲塗装と呼ばれているらしい。この車両、最近まで別の塗装だったらしく、オレンジ雲塗装に塗りなおされたのは、旅行日の1ヵ月前とのこと。塗りなおされて間もない分、ピカピカで新車のようだった。
 
乗車記録 No.6 阪堺電気軌道阪堺線 恵比須町行 我孫子道→恵比須町 701形
 
 我孫子道からはモ700形の恵美須町行に乗車し、阪堺線を北上した。上町線天王寺駅前方面と異なり、阪堺線の住吉~恵比須町間は本数が少なく、30分に1本程度の運転となっている。上町線が周辺の鉄道路線からやや離れた場所を走る一方で、阪堺線の恵美須町方面300mほど西側の地点を南海本線が並走している。そのため、南海本線を使う乗客も多く、上町線に比べれば需要が小さい。上町線でも併用軌道で車道の道幅が狭い区間があったが、阪堺線はそれを上回り、西成区内の一部では大阪市街方面の車線と路面電車の上下線の軌道が一緒になっている区間があった。電停も安全地帯など存在せず、道路上に標示があるだけの電停も存在していた。阪堺電車にもまだこのような場所が多く残っている。車で迷い込んだ場合、どうやって車を運転していいかわからないし、どうやって路面電車を待てばいいかすら正直分からない。
 南海高野線とクロスすると、その先は終点まで専用軌道を進む。新今宮で大阪環状線とクロスして、同線の内側へと入り、終点の恵美須町電停に到着した。
 
 列車の終点であり、阪堺線の起点である恵美須町電停に到着。これで阪堺電気軌道2路線を乗り終えた。ここ恵比須町電停は最近、駅の位置が移動している。もともとはもう少しだけ線路が延びていて、堺筋線の恵美須町駅が地下にある恵美須交差点に面する形で、駅舎とホームがあった。以前の電停のホームは3面2線の頭端式のホームで風格があるものだったが取り壊され、電停は現在の位置に移動。1面1線でホームのみの電停となった。電停があった場所には、既にマンションやテニススクールなどが建っていて、昔の電停の面影はなくなっている。現在の電停は堺筋から1歩中に入った場所にあり、何の気なしに歩道を歩いていると、見落としてしまう。
 これまでなかなか乗車する機会のなかった阪堺電車に今回が初めての乗車することができた。大阪市と堺市の市街地を南北に縦断する阪堺電車。大阪ミナミや堺の下町情緒溢れる街並みを、時に車と一緒に、時に専用軌道で駆け抜ける路面電車はまさにこのエリアのシンボル的な存在でもある。都電荒川線に乗ったときも思ったが、大都会の中を路面電車が走る風景は今後も残ってほしいなと思う。
 

新世界を通り抜け、歩いて天王寺へ戻る

 恵美須町電停からは徒歩で天王寺へ戻った。せっかくなので、新世界を通り抜けてちょっとだけ観光気分を味わった。恵比須交差点から斜めに進めば、新世界のシンボル通天閣が通りの先に見える通天閣本通となる。この通りを進んで、通天閣の下を通り、そこから天王寺動物園の新世界門の方へ歩いた。実は新世界に来るのはこれが初めてで、通天閣を間近に見るのはこれが初めてだった。さすがは大阪を代表する観光地。すでにお昼前になっていたので、たくさんの観光客の姿があった。新世界を抜けて、動物園の中には入らず、天王寺公園を美術館前を経由して天王寺駅方面へ。真夏の日差しが降り注ぐ中の徒歩20分はなかなかに過酷だった。
 
 駅前の歩道橋からだとあべのハルカスは大きすぎて入らないので、天王寺公園を出たところにある交差点から1枚。あべのハルカスは開業した2014年に1度訪れていて、展望台にも行ったことがある。この前展望台に行った気がしていたが、もう10年経つなんてちょっと驚き。かつては日本一高い高層ビルだったが、現在は東京の麻布台ヒルズ森JPタワーに抜かれ、国内第二位の高層ビルとなっている。しかし、周辺に高いビルがない場所に建てられているため、数字以上に高く見えるのがこのビルである。生駒山とか、六甲山に登ったら、真っ先にこのビルが見えないか探してしまう。
 さて、早朝から大阪シティバス37系統、今里筋線、いまざとライナーあべの橋ルート、阪堺電気軌道上町線、阪堺線と乗り継いで、午前中の旅程は終了。午後は近鉄阿部野橋駅から近鉄南大阪線に乗車し、近鉄の支線を巡り、信貴山へ向かった。