【旅行記】大阪の中小路線を巡る旅~道明寺線と信貴山への道~

前話
 
 朝から今里筋線と阪堺電車に乗車し、恵美須町電停から歩いて天王寺へ戻ってきた。ここからは近鉄南大阪線を経由して、道明寺線に乗車。その後、河内山本駅から信貴線、西信貴ケーブル、近鉄バスと乗り継いで、大阪府側から信貴山へ向かった。

のんびりと近鉄の未乗路線巡りへ

 徒歩で天王寺へ戻り、近鉄南大阪線のターミナルである大阪阿部野橋駅へやってきた。近鉄の路線はここ数年の間にも少しづつ乗りつぶしを進めており、一昨年には天理線、田原本線に、昨年は生駒線、生駒鋼索線、けいはんな線、今年に入って湯の山線、鈴鹿線に乗車した。これにより残すは信貴線、西信貴鋼索線、長野線、道明寺線の計4路線となった。今回はそのうち長野線を除く3路線を巡っていく。3路線はいずれも路線の全長が3kmに満たない短い路線ばかり。その分、今回は、両端の各駅でも途中下車をしながら、のんびりと未乗路線巡りをやっていこうと思う。
 
 大阪阿部野橋駅を起点とする南大阪線は、橿原神宮前で吉野線へと繋がり、2つで1つの幹線路線を形成している。南大阪線は、大阪府内では、奈良線、大阪線に並ぶ幹線路線となっており、列車本数も利用客も多い路線である。一方、この南大阪線からは道明寺線、長野線、御所線という3つの路線が枝分かれしている。このうち、古市と河内長野を結ぶ長野線は、南大阪線との直通運転を終日に渡って行っており、南大阪線のもう一つの幹線路線として、古市から先は列車の行先を二分している。また、尺土と近鉄御所を結ぶ御所線は、多くが線内完結だが、南大阪線との直通列車の運転があり、現在も大阪阿部野橋発着の列車の設定がある。これに対して、南大阪線から分かれる路線の中で一番マイナーといえるのが、道明寺と柏原を結ぶ道明寺線。全長わずか2.2kmと短い路線で、南大阪線との直通列車はなく、全列車が線内完結となっている。
 大阪阿倍野橋から乗車したのは、準急古市行(乗車列車の写真は撮れなかったので、写真は隣に停車していた普通列車)。南大阪線の準急は大阪阿部野橋~藤井寺間で急行運転を行い、藤井寺から先は各駅に停車する。橿原神宮前、吉野、近鉄御所発着の列車もあるが、長野線へ抜ける列車が多い。一方で、古市止まりとなる列車も日中時間帯を中心に何本か設定されている。今回はこの古市止まりのうちの1本に乗車。今回は時間が十分にあるので、道明寺で降りるのではなく、一度終点の古市駅まで行ってから折り返すことにした。
 
乗車記録 No.7 近鉄南大阪線 準急 古市行 大阪阿部野橋→古市 6400系

南大阪線から長野線が分かれる古市駅

 準急は大阪阿部野橋を出ると、河内松原、藤井寺と停車し、藤井寺から古市間は各駅に停車していく。古市止まりの列車の場合、古市駅を含めた停車駅は5駅と少ない。はじめは高架橋を進み、大阪の街を眺めながら快走する。大阪阿部野橋から河内松原間には途中駅が8駅あるがこれを全て通過。準急列車だが、大阪市街側ではかなり足が速い。さらに上位の区間急行や急行は大阪阿部野橋~古市間の全駅を通過してしまう。大和川を渡るあたりまでずっと高架区間を走り、その後は地上へ下りて、松原市、羽曳野市、藤井寺市内を進んでいく。最初の停車駅の河内松原では、藤井寺行の普通列車と接続。次の藤井寺からは各駅に停車し、後ほど降りる道明寺を一旦通りすぎて、古市に到着した。
 
 古市駅は南大阪線における主要駅の一つで、駅は羽曳野市に位置している。この駅に来るまで、ここが羽曳野市ということを知らなかったので、ここがよく聞く羽曳野かとちょっと感動してしまった。実は南大阪線は羽曳野市を2回経由する。河内松原と藤井寺の間の2駅は羽曳野市内にある。その後、一旦藤井寺市を経由した後、道明寺~古市間で再度羽曳野市へ入る。羽曳野市の人口は10万5千人ほど。河内エリアの主要な都市の一つである。
 先述の通り、この駅からは長野線が枝分かれする。大阪阿倍野橋方面からの列車は、ここで橿原神宮前方面へ向かう列車と、長野線の河内長野方面へ向かう列車に二分される。そのため、南大阪線はこの駅を境に列車の本数が少なくなる。駅の南側には南大阪線の車両基地である古市検車区がある。2面4線の橋上駅舎で、駅自体は手狭な造り。路線バスが発着するロータリーは駅舎から道を挟んだ先にある近鉄プラザの前にあった。
 
 古市で折り返し河内長野始発の準急列車に乗車して道明寺へ。もはや座るまでもなく3分で道明寺に到着した。今回は長野線方面へは行かなかったが、長野線には次回の関西旅の際に乗車する予定にしている。南海高野線や高野山ケーブルカーが未乗となっているので、高野山からの帰りに河内長野から近鉄長野線に乗車するつもりである。旅程はまだ確定していないが、一応、河内長野からの列車で古市に到着した瞬間、関西地方の全路線完乗となる予定。万博開始前には、もう一度この駅を訪れることができればと思っている。
 
乗車記録 No.8 近鉄南大阪線 準急 大阪阿部野橋行 古市→道明寺 6400系

駅前に昔懐かしい商店街がある道明寺

 古市駅から一駅戻って、道明寺駅へやってきた。ここは羽曳野市の隣の藤井寺市の駅。南大阪線では藤井寺、土師ノ荘、道明寺の3駅が藤井寺市内にある。駅は2面3線で1線をこの駅が起点の道明寺線が使っている。駅舎自体は小さく、背後に川が流れているので、駅も少し窮屈な造りになっていた。
 駅前には大坂の夏の陣道明寺合戦記念碑という石碑が建てられていた。ここ道明寺は1615年の大坂夏の陣における道明寺の戦いがあった場所として知られる。夏の陣の合戦の中でも大きな合戦がこのあたりで繰り広げられた。
 駅周辺には住宅街が広がっているが、駅に対して直角に交わる形で、小さな路地があり、奥には商店街が広がっているのが見えた。こういう光景を見ると、ついつい足を踏み入れたくなってしまう。乗り換え時間は30分程あるので、少し駅の周辺を散策してみることにした。
 
 駅前の小さな通りは道明寺天神通り商店街という通りで、細い道の両側に商店や飲食店が軒を連ねている。日曜の昼下がりで、遠くで雷の音が聞こえていたのもあってか人の姿はまばらだったが、たくさんの野菜が並べられていた青果店の前では、地元の人たちが品定めをしていた。観光地を巡る旅行も好きだが、訪れる駅というものを通じて、そこに住む人たちの暮らしの様子が伺える旅というのもまた楽しい。商店街を進んでいくと、道明寺天満宮という大きな社の前に出た。
 
 階段を登ってこの天満宮にも立ち寄ってみた。どんな神社かわからなかったので、スマホで調べてみると、藤井寺市のホームページには「道明寺天満宮は、土師氏の氏神として成立し、のちに土師氏の子孫でつながりの深い菅原道真を祭神に加え天満宮となりました。(引用:道明寺天満宮 - 藤井寺市)」と記載があった。天満宮なので、拝殿横の絵馬には、「○○大学に合格できますように」という願いとか、「志望校に合格できました」という感謝の報告がたくさんぶら下げられていた。天満宮の境内にはたくさんの梅が植えられていて、春は梅の名所としても知られているそう。梅は菅原道真公が愛した花と言われている。
 30分の乗り換え時間を何をして過ごそうかと思っていたが、街や天満宮を見て回っていたら、30分なんてあっという間に過ぎていった。天満宮から再び商店街を抜け、速足で駅へと戻った。

近鉄道明寺線で道明寺から柏原へ

 駅へ戻ると、ちょうど柏原からの列車が到着したところだった。
 道明寺線は、道明寺と柏原間の全長2.2kmの小さな路線。全区間乗っても乗車時間わずか4分ほどしかかからない路線である。ケーブルカーを除く近鉄の路線としては、大阪上本町~大阪難波間の難波線の2.0kmに次いで路線長が短くなっている。道明寺駅での道明寺線は、南大阪線の古市方面のホームに面した3番線からの発車である。先述の通り、この路線は南大阪線との直通運転は行われておらず、2両編成の列車が終日、道明寺と柏原の間を往復している。中間駅の柏原南口と終点の柏原を含めて、行き違い設備は存在しない。
 隣の南大阪線の線路は、たくさんの列車が行き来しているが、道明寺線にはのんびりとした時間が流れている。南大阪線の両方面の列車が到着すると、乗り換え客が乗車してきた。その後、発車時間となり、列車は柏原へ向け発車した。
 この駅の阿倍野橋側でカーブして西へ向かう南大阪線の線路を横目に道明寺線は北へ進む。このあたりは河内長野や富田林方面から流れて来る石川と大和川の合流地点となっていて、線路は石川の堤防の下を走った後、大和川の鉄橋を渡る。渡った先で唯一の中間駅である柏原南口に停車。発車するとまもなくJR関西本線の線路が見えてきて、まもなく列車は柏原へ。所要時間はわずか4分ほどで終点の柏原に到着した。
 
乗車記録 No.9 近鉄道明寺線 普通 柏原行 道明寺→柏原 6400系
 
 道明寺線は終点の柏原駅が一つの見どころ。柏原駅は大手私鉄の終点駅でありながら、JRとの共用駅となっていて、JRの改札内にある関西本線のホームに面した1番線に到着する。到着後すぐに隣のホームには、JRの普通JR難波行が入線。近鉄とJRが同じホームに停車する珍しい光景を見ることができた。JRと近鉄が改札を共用するのはここだけではない。JR和歌山線と近鉄吉野線の吉野口駅も改札は共用となっている。ただあちらはホームが別々になっていて、ホームで対面することはないので、現在近鉄とJRがホームで対面するのはこの駅が唯一である。現在と書いたのには理由があって、かつては伊賀上野駅も、かつては近鉄とJRがホームで対面する駅だった。近鉄伊賀線は、2007年に伊賀鉄道に移管されていて、近鉄の路線ではなくなった。なお、伊賀鉄道になった現在も改札はJRと共用であり、伊賀鉄道とJRの車両が少しズレるものの対面する。近鉄とJRの車両がホームで今も対面する駅と、かつて対面していた駅はどちらも関西本線の駅である。
 
 ホームの案内板はちゃんと近鉄カラーになっていて、藤井寺、古市、富田林方面と書かれていた。一方で、足元には多数の注意書きがある。近鉄の駅で入場し、道明寺線を介してここで下車するか、JRに乗り換える場合、もしくは逆にこの駅から乗車するか、他のJRの駅から入場し、近鉄方面へ向かう場合は、いずれも乗り換え用の簡易改札機にICカードをタッチする必要がある。乗り換える場合だけでなく、柏原で入出場する場合も同様にタッチが必要になる点に注意しないといけない。おそらくそのまま乗り換えてしまう人が多いのだろう。しつこいくらいに注意書きがなされていた。
 道明寺からICカードで入場したので、自分も簡易改札機にタッチし、その後、駅の改札機で再度タッチして出場。簡易改札機にタッチした時点で運賃180円が差し引かれ、出場する際は当然ながら何も差し引かれなかった。

柏原駅から近鉄大阪線堅下駅へ徒歩で連絡し河内山本へ

 柏原駅からは歩いて近鉄大阪線の堅下駅へ向かった。柏原駅東口から駅前の通りをまっすぐ歩き、小学校に突き当たる交差点を左折。その先の交差点を右折して少し歩くと堅下駅がある。所要時間は10分ほどだった。
 堅下駅は普通と区間準急のみが停車する小さな駅。ちょうど先発の列車が発車していったので、次の列車が来るまで自販機で飲み物を買って一休み。近鉄の背骨路線となっている大阪線には、いろんな車両が走っているので、見ていて飽きない。ホームで休憩している15分ほどの間にも、大阪難波~近鉄名古屋間を走るひのとりとアーバンライナーが通過していった。堅下駅からは区間準急大阪上本町行に乗車し、河内山本駅で列車を下車した。
 
乗車記録 No.10 近鉄大阪線 区間準急 大阪上本町行 堅下→河内山本
 
 区間準急を河内山本駅で下車した。河内山本は柏原市の隣に位置する八尾市に所在する駅で、隣には近鉄八尾駅がある。一方、反対側に隣接する高安駅は、大阪線の車両基地である高安検車区があり、列車の行先としてもよく目にする。この駅では大阪線から信貴線が枝分かれしており、信貴線は終点の信貴山口で西信貴ケーブルと接続する。ここからはこれらの路線を乗り継いで、信貴山朝護孫子寺を目指した山登りがスタートした。
 

信貴山への道その1 近鉄信貴線で信貴山口へ

 ぶっちゃけ、今回の旅は小さな路線巡りをメインとするとても地味な旅である。ただ、その中でもこの旅の肝となるのが、ここから先の信貴山への道ということになる。河内山本からは信貴線、西信貴ケーブル、近鉄バスに乗車して、信貴山の中核である朝護孫子寺訪れ、その後奈良交通のバスで王寺駅へ出る。大阪と奈良を信貴山を経由する形で跨いでいく。
 そもそも信貴山とは、生駒山地の南側のエリアのことを指す。ここにある朝護孫子寺は、聖徳太子が創建したと伝わる寺院で、本尊は毘沙門天。開運・学業成就、商売繁盛にご利益があるパワースポットとして知られ、特に関西地方では高い知名度を誇る。最近ではややマイナーな観光地となっている信貴山だが、かつてはさらに多くの参拝客で賑わっていた。
 国内の鉄道路線は、寺社仏閣へのアクセス路線として建設された路線が多数存在する。多くの参拝客が訪れる神社や寺院へのアクセスとして作られた路線が、時代の流れとともに通勤路線生まれ変わっていたりもする。信貴山もかつては鉄道で直接訪れることができる場所だった。しかも、奈良側に加えて、大阪側からも鉄道路線が建設され、一時期は参拝客輸送のシェア争いを行っていた時代もあった。残念ながら現在までに、山上を走る路線と、奈良側から信貴山へ登るケーブルカーは廃止されてしまい、直接鉄道だけで信貴山へは行くことができない。しかし、その代替として運行されているバスは、これら廃止された鉄道路線が走っていた場所を踏襲する形で走っており、鉄道が走っていた頃の面影を、今も見ることができる。今回は、乗り鉄、乗りバスをしながら信貴山を訪れ、信貴山アクセスで現役の2路線と、廃止された鉄道の面影を探る。
 
 河内山本から信貴山への道として最初に乗車するのは、近鉄信貴線。河内山本と西信貴ケーブルが発着する信貴山口を結ぶ短い路線で、近鉄大阪線から枝分かれする支線路線である。大阪線の大阪上本町~桜井間を建設した大阪電気軌道が建設した路線で、子会社だった信貴山急行電鉄のケーブルカー(現在の西信貴鋼索線)、山上鉄道線(廃止済)の開通に合わせて開業した。開業当時、すでに奈良側では、近鉄生駒線を建設した信貴生駒電鉄が信貴山下~信貴山へのケーブルカー(後の東信貴鋼索線、廃止済)を開業させており、これに対抗して、大阪側から直接信貴山へ向かうルートの一つとして建設されたのが、この信貴線だった。
 かつては大阪上本町からの直通列車が日常的に運行されていた時期もあったが、現在は臨時列車を除いて終日線内運転となっている。直通運転は現在も行えるようになっていて、直近では寅年だった2022年に大阪上本町と信貴山口駅を結ぶ臨時列車も運行されている。日中の運転本数は1時間あたり3本で、基本的には大阪線の区間準急に接続する形で運転されている。
 
 河内山本駅には信貴線用に5番ホームが設けられているが、日中時間帯は4番ホームからの発車となり、大阪線の上本町方面からの列車から対面で乗り換えられるようになっていた。信貴線は駅のホームが2両分しかないため、2両編成の車両しか入線できない。信貴線は終点の信貴山下も1面2線、唯一の途中駅である服部川駅も棒線駅のため、途中で列車の行き違いは不可。そもそも片道の所要時間はわずか5分なので、列車が行き違う必要もなく、先ほど乗車した道明寺線と同じく、車両交換が行われる時以外は一つの編成が行ったり来たりを繰り返す。
 乗車した1430系2両編成は「高安まなびやま」ラッピングトレインだった。信貴山の大阪側にある高安山周辺は現在もハイキングを楽しむことができ、大阪市街地から気軽にハイキングを楽しめる場所の一つとなっている。
 
乗車記録 No.11 近鉄信貴線 普通 信貴山口行 河内山本→信貴山口 1430系
 
 大阪線の区間準急と接続し、車内には何人か乗り換え客が乗車してきた。その後発車すると、次の服部川駅へ向けて単線の線路を走っていく。駅を出たところから上り勾配となっていて、高安山へ向けて標高を上げていく。信貴線の線路はL字型になっており、ちょうど線路が東から南へ向くあたりに中間駅の服部川駅がある。服部川駅付近で振り返ると大阪の街並みを見下ろせた。服部川駅付近でカーブすると、その後は南に少しだけ走り、終点の信貴山口駅へ。信貴線の旅はあっという間に終了となった。
 
 信貴線の終点、信貴山口駅に到着。名前の通り、信貴山の大阪側の玄関口となる駅で、信貴山へはここでケーブルカーに乗り換えとなる。ややこしいことに、信貴山を挟んで山の反対側を走る生駒線には信貴山下駅がある。一文字違いなので、乗り換え案内で候補入力する時は注意しないといけない。ちなみに、信貴山口からケーブルカーに乗ると信貴山ではなく、高安山に到着するのも、面白いポイント。信貴山駅でもいいような気がするが、実は信貴山駅は別に存在していて、信貴山下駅から延びていたケーブルカーの終点だった。
 信貴線がおおよそ20分に1本なのに対し、ケーブルカーは40分に1本の運転。ここでは30分程の待ち合わせとなったので、一回改札外へ出て、駅の近くにあるケーブルーカーの踏切を見に行った。
 

珍しいケーブルカーの踏切を見に行く

 信貴山口駅から駅の横の方にある階段を上り、山の斜面に広がる住宅街を数分歩くと、小さな道路とケーブルカーの線路が交わる場所がある。ここには警報機付きで遮断機は設置されていない第三種踏切が設置されている。ケーブルカーの踏切は近鉄が運行する西信貴ケーブル、生駒ケーブルだけに設置されていて、全国的にはとても珍しいもの。西信貴ケーブルにはここともう少し標高を上げた地点の2ヵ所に設置されている。生駒ケーブルに乗車した際は、見に行くことができなかったので、ケーブルカーの踏切を近くで見るのはこれが初めてだった。
 
 一部の特殊なものを除く一般的なケーブルカーは、車両に接続されたケーブルを巻上機によって巻き上げる仕組みで動いている。ロープの両端に車両が連結されており、片方の車両が山上から山麓へ下りると、もう片方の車両が山麓から山上へ登り、両方の車両がバランスを取って山麓と山上を行き来する。普通の電車の場合、ロープに繋がれてはいないので、線路を渡る道路は、車輪が通る部分だけ隙間を空けておけばいい。しかし、ケーブルカーの場合はロープが取り付けられているので、車輪に加えてロープが通る隙間も必要となる。しかも、単線部分では2本分のロープが通る隙間を空けておく必要があるので、踏切は写真のように隙間だらけになっている。このためケーブルカーの踏切のほとんどは車両通行止めである、生駒ケーブルに設置された踏切のうち、行き違い部に設置された踏切だけは、ロープを通す隙間が1本分でいいので、車両も通ることができる。
 
 車両が動いている時は、踏切が鳴っていない時もロープは動いているので、足元に気を付けないといけない。ただし、この場所は山麓側の駅のすぐ近くにあるので、踏切が鳴っていない時に、ロープが動いているのを見れるのは、ごくわずかな時間しかない。
 踏切から信貴山口駅方面を見る。踏切のすぐそばに駅があり、駅にはケーブルカーが待機しているのが見えた。その背後には大阪の街が広がっている。背後に見える山並みは六甲山だろうか。

信貴山への道 その2 西信貴ケーブル

 さて、駅へ戻って、信貴山への山登りを再開する。信貴山口駅からは西信貴ケーブルに乗車して、山上の高安山駅へ向かった。西信貴ケーブルは正式な路線名を西信貴鋼索線という。大阪電気軌道の子会社だった信貴山急行電鉄という会社が開業させた路線で、この信貴山急行電鉄は高安山から先も信貴山門駅まで鉄道線(平坦線、山上鉄道線と呼ばれることが多い)を運行していた。かつては、ケーブルカーと山上鉄道を乗り継ぐことがで、大阪側からも鉄道だけで信貴山へ行くことができた。現在、山上鉄道線は廃止されているが、近鉄バスが路線バスを運行しており、廃止された山上鉄道線とほぼ同じルートで信貴山へ向かうことができる。
 
 同じ近鉄が運行する生駒ケーブルの場合は近鉄奈良線、けいはんな線が発着する生駒駅とケーブルカーの鳥居前駅は少しだけ離れていて、別々の駅となっていたが、こちらは同じ駅となっていて、信貴線から西信貴ケーブルへ改札内でそのまま乗り換えられるようになっている。生駒ケーブルの場合は、他の近鉄路線から独立しており、運賃はケーブルカーだけ個別で支払う必要があるほか、ICカードも利用できない。一方で西信貴ケーブルは乗車券を他路線から通しで購入することができ、ICカードも利用可能である。近鉄の駅に掲示された路線図型の運賃表を見ると、生駒ケーブルは駅名のみ記載で運賃の表示がない。一方の西信貴ケーブルは他の路線同様に駅名と運賃が記載されていて、遠く離れた近鉄名古屋駅の路線図にも、高安山駅までの運賃が記載されている。ただし、運賃計算はケーブルカー単独となっていて、信貴山口と高安山は隣同士の駅なのに運賃が跳ね上がっている。思い返せば今年1月、近鉄湯の山線に乗車した際、終点の湯の山温泉駅で路線図を眺めて、ここから高安山までのきっぷも帰るんだなぁと思ったことを思い出した。
 この日も最高気温は35℃を越え、太平洋上にあった台風の影響もあってかなり蒸し暑かった。しかし、ケーブルカーは非冷房で扇風機しか設置されていない。乗車すると既にカップルらしき2人が乗車していたが、暑すぎるなんて会話をしていて、結局乗車を諦めて帰っていった。さらに周辺が森になっているので、虫がとにかく多く、待ち時間は暑さと虫の襲来で過酷だった。
 
乗車記録 No.12 近鉄西信貴鋼索線 高安山行 信貴山口→高安山 ずいうん
 
 ケーブルカーの発車時刻の直前に信貴線の列車が到着したが、誰も乗り換えて来ず、結局貸切状態のまま発車した。もう時刻は16時になろうとしている。信貴山へ行ったとしても帰りの便が無くなってしまうため、こんな時間に山を登る人なんてあまりいない。信貴山周辺に住む人たちの利用も一定数はあるのではないかと思うが、ケーブルカーは日中しか動いておらず、マイカーがあると思うので、王寺駅に車を停めて行った方が当然利便性が高い。
 最初は森の中を走っていくケーブルカー。先ほど見に行った踏切と、その先にあるもう一つの踏切を通過する。ちなみにもう一つの踏切は、本照寺というお寺の北側にあるが、Google Mapには道ごと記載されておらず、航空写真でも木々に隠れて見つけにくい。その先でややカーブすると、そこがケーブルカーの中間地点となっていて、上下のケーブルカー同士ですれ違った。このあたりになると、大阪の街を一望することができた。写真左側にはあべのハルカスが見えており、中央やや右側には梅田あたりのビル群が見える。天王寺と梅田(=大阪環状線の直径に相当)は意外と離れている。そして、大阪平野って思った以上に東西に広いなと思った。
 
 
 ケーブルカーはさらに標高を上げていく。乗車している車両は後部側がシースルーになっていて、自然を満喫しながら乗車できるようになっていた。非冷房で窓が開いている分、鳥や虫の声が聞こえてくる。暑いけれど、冷房の効いた車両で行き来するより、高安山の自然を味わうことができた。
 
 信貴山口駅から8分で、西信貴ケーブルの山上の駅、高安山駅に到着した。駅周辺には人家がなく、信貴山へ向かうには、ここからバスに乗車してもう少し先へ進む必要がある。貸切状態で登ってきたので、当然駅も人気がなく、ひっそりとしていた。ここ高安山駅は大阪府内で最も乗降客数が少ない駅として知られる。西信貴ケーブルに乗車したことで、近鉄が運行する鉄道路線で乗車していないのは、長野線の1路線のみとなった。いよいよ近鉄路線の完乗も目前である。

信貴山への道 その3 近鉄バス信貴山上線

 高安山駅からは近鉄バスの信貴山上線に乗車した。先述の通り、かつて高安山と信貴山門の間には、信貴山急行電鉄の鉄道線(山上鉄道線)が走っており、高安山駅は同社が運行していたケーブルカーと山上鉄道線への乗り換え地点だった。山上鉄道線は1957年に廃止され、その後はバスが代わりに運転されている。高安山駅のバスのりばの手前には、かつての山上鉄道線が使っていたホームが残されている。現在バスのロータリーになっているこの場所は、山上鉄道線ののりばだった。バスはケーブルカーと接続する形で運行されていおり、乗り換え時間は8分だった。
 
乗車記録 No.13 近鉄バス 信貴山上線 信貴山門行 高安山→信貴山門
 
 高安山駅を出たバスは、信貴生駒スカイラインを走っていく。この信貴生駒スカイラインは生駒山地の尾根を進んでいく有料道路で、信貴山から生駒山上遊園近くを経由して、阪奈道路と接続する登山口ICまで続いている。近鉄が所有する有料道路で、グループ会社で生駒山上遊園地を運営する近鉄生駒レジャーが管理している。
 乗車したバスが走る区間は、かつての山上鉄道線の廃線跡が有料道路に転用されており、鉄道が走っていた場所をほぼ踏襲する形で有料道路が建設されている。山上鉄道線は平坦線とも呼ばれていたが、高安山からは下り坂になっていて、決して平坦ではない。中間地点には四天王寺高安山霊園があり、バスはここに設置された高安山霊園バス停にも停車した。スカイラインの信貴山料金所を通ると、その先が信貴山門バス停。高安山からは10分ほどで終点の信貴山門に到着した。
 信貴山地区の西側に位置する信貴山門バス停は、現在大阪側、奈良側双方へのバスの発着点となっていて、両方向へのバスが起終点としている。廃止された山上鉄道線はバス停の名前と同じ信貴山門駅が終点となっており、駅はバス停の背後にある広い駐車場にあった。
 
 河内山本駅から信貴線、西信貴ケーブル、近鉄バスの信貴山上線を乗り継いで、信貴山門バス停に到着。ついに信貴山へ辿り着いた。信貴山門バス停から少し歩くと、朝護孫子寺の入口手前に開運橋という赤い橋が見えて来る。この橋の上からは大門ダムのダム湖と、もう一つの赤い橋である信貴大橋を眺めることができた。奥の奈良盆地側は積乱雲が発達していて、雷の音が聞こえて来る。周囲はセミの大合唱で、夏らしい景色を楽しむことができた。
 さて、この後は、朝護孫子寺を観光し、奈良交通のバスで奈良側へ山を下りて王寺駅へ。その後、この日乗車予定にしていたもう一つの未乗路線、Osaka Metro谷町線に乗車するため、一旦大阪府内へ戻り、八尾南駅を目指した。
 
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