【旅行記】特急宗谷と日本海オロロンライン路線バスで行く道北・稚内旅~日高本線と室蘭支線に乗車~

前話
 
 初めての利用した広島空港からANA便に搭乗して新千歳空港に到着。その後、列車で苫小牧へ移動してきた。1日目はここから日高本線と室蘭本線室蘭支線に乗車。その後、室蘭から特急すずらんで札幌へ向かった。

大部分の廃線で短くなった日高本線に乗車する

 今回の旅で最初に乗車する未乗路線は日高本線。現在は苫小牧~鵡川間の30.5kmを結ぶ路線である。しかし、以前は鵡川からさらに先へと進んだ様似町の様似駅まで続いており、全長146.5km、全線乗り通すのに3時間ほどかかる路線だった。道内屈指の絶景路線として知られていた日高本線だが、2015年に沿線を襲った高潮で甚大な被害が発生し、以後鵡川~様似間が不通に。さらに翌年にも台風の被害を受けて、長期不通状態となった。その後、JRと沿線自治体は、今後の在り方を検討してきたが、2020年にバス転換することが決まり、2021年に鵡川~様似間が正式に廃止された。区間の8割が廃止された日高本線は、胆振エリアで終点となり、路線名の由来である日高エリアへ行かない鉄道路線となっている。
 当路線は現在、本線を名乗る路線で全国2番目の短さとなっている。最も短いのは、石狩沼田~留萌間が昨年3月に廃止された留萌本線の深川~石狩沼田間の14.4km。日高本線はそれに次ぐ短さである。
 北海道に初めて行ったのは2021年の秋。その時点で日高本線は既に区間廃止されており、全線の乗車は叶わなかったが、今回は残された30km強の区間に乗車してみる。
 
 発車時刻の10分ほど前に乗車する列車が入線してきた。日高本線の列車は、今や北海道でも希少になりつつあるキハ40形気動車で運行されている。かつてこの路線ではキハ40形の中でも350番台という日高本線用の車両が使用されていた。青紫とピンクに塗装された車両は日高本線のシンボル的な存在だったが、2021年に引退してしまった。現在は道内の別の場所で活躍していたキハ40形に置き換えられている。写真のキハ40 1723は釧路や旭川に所属した後、最近、苫小牧へやってきた車両だった。
 
乗車記録 No.7
日高本線 普通 鵡川行
苫小牧→鵡川 キハ40形
 
 車内には高校生が数人、実習生とみられる外国人が数人、そして鉄道ファンが数人の計15人ほどが乗車。千歳始発の室蘭行との接続を取って、苫小牧駅を発車した。
 日高本線は苫小牧駅を出て、しばらくの間室蘭本線と並走する。営業上は苫小牧駅で分岐していることになっている2路線だが、設備上は苫小牧駅の東側にある苫小牧貨物駅で分岐している。苫小牧貨物駅は2つの本線の南側にあるため、室蘭本線を走る貨物列車は、日高本線の線路を跨いで、貨物駅に出入りする。苫小牧貨物駅を過ぎると、その先右へカーブして室蘭本線と別れる。列車は進路を南向きに変えて、一駅目の勇払駅へ向け走っていった。
 
 勇払駅で早速数人が下車。新千歳空港へ南側から着陸する飛行機はこの勇払駅の真上を飛んで行く。ここから先は、午前中に広島から搭乗した飛行機の機窓で眺めた区間を走っていく。勇払駅を出ると、線路は湿原地帯を通る。勇払川の河口付近には湿原が車窓に広がっていて、線路はこの湿原を横切るように敷かれている。列車が警笛を鳴らすと、エゾシカの群れが走って逃げていった。車窓の反対側には太平洋が広がっている。陸の地平線と海の水平線が広がる場所を1両の気動車は軽快に走り抜けていった。
 
 湿原地帯を通りすぎると、列車は厚真川の鉄橋を渡って、まもなく2駅目の浜厚真駅に到着した。周囲に人家もないようなところに駅があるが、ここでも何人かの下車があった。駅名の通り、厚真町の海岸部に位置する駅で、この町の中心部は、ここからかなりに内陸に行ったところにある。湿原地帯を抜けて来たが、浜厚真駅周辺には、北海道電力の苫東厚真発電所と、苫小牧港の東港がある。苫小牧東港は秋田、新潟、敦賀とここを結ぶ新日本海フェリーが発着している。もちろん苫小牧駅からフェリーのりばまでは、バスが運行されているが、ここから歩いてフェリーのりばへ行く人もいるらしい。臨海部には発電所や港湾設備があり、大自然の中に人工物が立ち並ぶ不思議な光景が広がっていた。
 
 浜厚真駅を出ると、次はもう終点の鵡川駅である。浜厚真~鵡川間は畑や草地が広がるのどかな風景の中を走っていく。近くに高い山がないので、広い大地を見渡すことができた。やがて住宅が広がり始めると、列車は終点の鵡川に到着。途中、シカを避けた影響もあってか、約3分遅れでの到着となった。終点だが無人駅なので一番前のドアから乗車券を運転士に渡して、列車を下車した。

現在の終点鵡川駅とこの先の交通

 鵡川駅に到着。今回は旅程の都合上、折り返しの列車で苫小牧へ戻る。滞在できる時間は10分ほどなのでので、下車後は急いで駅舎の写真を撮りに行った。
 様似まで線路が繋がっていた頃の鵡川駅は、2面2線の行き違いができる駅だった。苫小牧に近い区間では、列車にも一定の需要があるため、この先が不通となる前にも、ここで苫小牧駅へ折り返す列車の設定があった。折り返し列車は、信号設備の都合から、駅舎から構内踏切を渡った反対側のホームを使っていた。現在はその名残で、駅舎に面するホームが使用停止され、線路を渡った反対側のホームが現役で使われている。駅舎には待合室があるが、「むかわ交通ターミナル」と書かれている通り、駅前を発着するバスの待合室を兼ねている。
 鵡川駅前には、苫小牧~静内・平取間の道南バスの路線バスと、厚真行のあつま交通の路線バスが乗り入れている。あつま交通の路線バスは平日のみ運行されていて、本数はかなり限られているが、厚真で千歳駅行に乗り換えれば、新千歳空港や千歳駅へ行くこともできるらしい。
 ここから先の日高本線は、2021年に廃止され、この時に正式にバス交通に転換された。ここから先へ行く路線バスは、静内までを道南バスが運行し、そこから先をジェイ・アール北海道バスが運行する。ジェイ・アール北海道バスは以前から様似に営業所を置き、日勝線と呼ばれる路線を運行していた。日高本線は様似が終点だったが、計画では帯広から続く広尾線と接続され、えりも経由で苫小牧~帯広間を結ぶ計画があった。日勝線は国鉄バスがその先行として運行を開始したバス路線で、この区間の鉄道が未成線となった後も、様似~広尾間で路線バスの運行が続けられており、高本線廃止後は、静内~様似間の廃止代替バスも担当することになった。ちなみに、帯広~広尾間を結んでいた広尾線も、1987年に廃止されてしまったが、この間は現在も十勝バスが路線バスを運行しており、これらバスを乗り継ぐことで、苫小牧から帯広まで路線バスで行くことも可能である。
 一方、苫小牧・札幌から日高・広尾エリアへは、都市間バスも運行されている。日高本線の廃止の代替として、運行を開始した路線を含めていろんな路線があり、これらも気になるところ。今回はここで折り返すが、数年以内にはここから先のバス旅も企画して訪れてみたいと思っている。
 
 鵡川は1886年まで2路線が乗り入れる路線だつた。鵡川駅からは富内線という路線が分岐しており、内陸へ進んだ日高町駅まで続いていた。この富内線という路線は、戦前には室蘭本線と直接繋がっていて、沼ノ端から分岐し、上厚真を経由していた。しかし、日高本線が近くを走っていたため、戦時中に鵡川で日高本線から分岐する形に改めてられた。当初は日高町から先も占冠を経由して、廃止された根室本線の金山駅まで線路をつなげる計画だった。後に狩勝線として日高町〜新得間の建設が予定されたが、道東へのアクセス改善を目的に石勝線が建設されることとなり、結果的に占冠〜新得間だけが開業。日高町〜占冠間は未成のままとなった。乗ってきた列車が折り返すホームの反対側には雑草が生い茂っているが、ここにかつては富内線のホームがあった。
 現在は、鵡川からもう少し東へ進んだ富川という場所から道南バスと日高町営バスで日高町へ行くことができる。さらに日高町で日高町営バスの占冠駅行に乗り継げば、石勝線の占冠駅まで行くことが可能である。さらに、占冠駅で占冠村営バスに乗れば、当初の鉄道敷設計画を踏襲する方で富良野まで行くこともできる。こういう乗り継ぎを発見するとやってみたくなる。いつかはやってみたいが、その時までバスは走っているかは分からない。
 
 日高本線の廃止区間は110km以上もあり、かつて終点だった様似駅は果てしなく遠い。東海道本線で例えれば、東京駅から函南駅くらいの距離がある。そんな距離を気動車で走るので、ここから様似までは2時間30分くらいかかっていた。しかし、とても風光明媚な場所を走り、晴れた日には美しい太平洋の景色を眺めることができる路線として知られていた。崖、線路、海という険しい地形に線路が敷かれており、列車の運行がストップしてから10年経たないうちに、海岸の侵食とともに線路の道床も侵食されている場所も発生している。

折り返しの普通列車で苫小牧へ戻る

 日高本線の現在の運転本数は1日8往復。この時間も次の列車まで2時間以上間隔が空く。本当はもう少し駅前を見てまわりたかったが、今回は乗ってきた車両で苫小牧へと戻った。苫小牧行の列車も鵡川からの乗車が意外と多く、往路と変わらないくらいの乗客がいた。帰りは行きと反対側の席に座り、発電所や海を眺めながら苫小牧へ戻った。
 
乗車記録 No.8
日高本線 普通 苫小牧行
鵡川→苫小牧 キハ40形
 
 鵡川から30分ほどで苫小牧へ戻ってきた。部分廃線で30kmほどの路線となった日高本線の旅はこれで終了。鵡川から先のバス旅は、北海道の鉄道路線を巡り終えた後に行ってみたいと思っている。バスの本数が少ないので、旅程を組むのは難しそうだが、その時には襟裳岬にも行ってみたい。

室蘭本線の普通列車で室蘭へ

 さて、苫小牧からは、30分ほどの待ち合わせで、室蘭本線の普通列車に乗り換えて、室蘭本線の支線に乗車しに行く。室蘭本線は室蘭を冠する路線ながら、本線は室蘭駅を経由しない。室蘭駅は太平洋に突き出た室蘭半島に駅がある。東室蘭からは室蘭支線と呼ばれる枝分かれの支線が走っていて、この支線が室蘭駅まで続いている。岩見沢~長万部間の本体部分は既に全区間で完乗済みだったが、支線には乗車していなかったので、この機会に乗車しに行くことにした。  室蘭本線は岩見沢〜室蘭間が最初に開業した。室蘭はかつて北海道内の炭鉱で採掘された石炭を本州方面へ運び出す重要な役割を担いた場所だった。同区間は、北海道炭礦鉄道という会社が開業させ、その後国有化されている。一方、東室蘭〜長万部間は長輪線として建設され、1928年に開通した。その後、1931年に路線区間が見直され、岩見沢から長万部駅間が室蘭本線、東室蘭(当時は東輪西)〜室蘭間が支線とする現在の形となった。
 
 苫小牧から乗車したのは、千歳始発の普通室蘭行。この列車に終点の室蘭まで乗車し、支線を乗りつぶす。苫小牧から室蘭までの所要時間は、途中東室蘭での12分間の停車を含めて、1時間20分。昨年デビューした737系に初めて乗車した。 
 ところで、苫小牧周辺の室蘭本線・千歳線の普通列車は、ここ数年でいろんな変化があった。室蘭本線は沼ノ端から支線の室蘭までが電化区間で、2012年までは711系が普通列車として運行されていたが、この年の10月のダイヤ改正で、711系が引退し、普通列車は気動車で運行されることになった。これ以降は客車を気動車に改造したことで知られるキハ141系が主力として活躍し、最近ではH100形に置き換えられるも引き続き気動車による運行が続けられてきた。しかし、JR北海道はこの間の普通列車に新型電車を投入することを発表し、2023年5月に737系がデビュー。これに伴いこの区間の普通列車は一部を除いて、737系に置き換えられ、2012年以来久しぶりに電車の普通列車が運行されるようになった。
 737系はワンマン運転対応の2両編成で、室蘭本線の他に函館本線の岩見沢~旭川間にも導入された。気動車から電車に置き換えられたことで、室蘭本線の普通列車は所要時間の短縮が図られている。  また、今年3月のダイヤ改正では、千歳線で快速エアポートが増発されたが、それに伴い日中時間帯に苫小牧発着で運転されていた札幌方面からの普通列車は、北広島発着に変更となった。北広島〜千歳間の各駅には、北広島以南で各駅に停車する区間快速エアポートが停車するようなり、残りの千歳-苫小牧間は、室蘭方面からの普通列車の区間が延長される形で千歳へ乗り入れることになった。現行ダイヤでは日中に札幌から苫小牧へ直通する普通列車の運行がなくなっており、日中の千歳以南の普通列車は基本的に737系での運転でワンマン運転が実施されている。
 
乗車記録 No.9
室蘭本線 普通 室蘭行
苫小牧→室蘭 737系
 
 苫小牧を出た列車は、錦岡駅付近までは苫小牧市の市街地の中を走る。このうち糸井駅は、相対式ホームの普通の駅ながら当駅発着の普通列車が1日2.5往復(休日2往復)設定されている。この駅では直接苫小牧へは折り返せないので、到着した列車は一旦錦岡駅まで回送されるらしい。同じような光景は函館本線のほしみ・銭函駅でも見ることができる。
 錦岡駅以降は、車窓に太平洋の大海原を見ながら進んでいく。このあたりはまだ各駅の周辺に住宅街が広がっているので、小さな駅でも乗り降りがある。振り返ると樽前山が西日に照らされていてとても美しかった。登別では観光客を含めて半分くらいの乗客が降りて行った。駅を発車してトンネルを抜けると、再び車窓には海が広がった。奥には室蘭半島、その先には函館に近い駒ヶ岳や渡島半島の山の稜線が見える。室蘭から森までは噴火湾を大迂回しなければならないので、陸路だと140kmほど距離がある。しかしまっすぐ進めば40kmほどしかない。湾の反対側の森駅からも室蘭は天気が良ければふつうに見える。
 列車はその先、幌別、鷲別に停車。ここからは東室蘭へ向けた乗車があり、車内の乗客は増加した。鷲別駅の手前には鷲別機関区の跡地が広がっている。ここは2014年に廃止された機関区で、かつて蒸気機関車が所属し、民営化とともにJR貨物の機関区となった。一時はJR貨物の北海道エリアで活躍する全ディーゼル機関車が、ここに所属していた。しかし、効率化のため五稜郭機関区と統合さ廃止された。鷲別を出ると、次は東室蘭。貨物駅を横目にゆっくりと東室蘭駅に到着した。
 
 東室蘭駅に到着。ここでは12分ほど停車し、長万部行の普通列車と函館行の特急北斗に接続する。乗車していた乗客はほぼ全員この駅で列車ほ降りていき、半数程度が下車、残りの半分は対面接続の長万部行の普通列車に乗り換えて行った。室蘭本線はここから長万部方面が非電化となる。以前はH100形同士の乗り換えだったはずだが、今はここで電車から気動車へ乗り換えとなる。東室蘭駅は室蘭市内で一番大きな駅。特急北斗を含めた全列車が停車する。駅には室蘭運転所も併設されていて、運行上の拠点にもなっている。
 
 室蘭支線にはどれくらいの人が乗車するのだろうかと見ていたが、乗車した列車は夕方の列車にも関わらず、2両で5人くらいしか乗っていなかった。平日だったらもう少し多いのだろうか。ここから先は、普通も特急も各駅に停車していく。この区間を走る特急すずらんには東室蘭~室蘭間に限り、乗車券のみで乗車できるという特例がある。かつては東室蘭で特急から普通に種別変更が行われていたが、今年春の改正で全区間が特急となった。
 東室蘭から室蘭の間には輪西、御崎、母恋の3駅がある。支線とはいえ、全線が複線電化で都市の路線の風格が漂う。車窓も右には製鉄所、左には住宅街が広がっている。北海道を代表する工業都市の中を列車は縫うように走っていく。母恋駅を出ると、列車はトンネルへ入る。それを抜けると終点の室蘭駅に到着。苫小牧から乗車した普通列車で、室蘭本線の支線を完乗することができた。
 
 千歳発でやってきた列車は折り返し、苫小牧行きの普通列車としてきた道を戻っていく。夕方以降の千歳-苫小牧間は、日中中断していた札幌方面からの普通列車の運行が再開されている。そのため、737系のワンマン列車も苫小牧発着となる。2ドアの近郊形電車でとても長いロングシートが特徴的な737系。空いている時間に中間部のロングシートに座れば、対面の人を気にすることなく景色を眺められるので、これは乗り鉄としては嬉しい造りだった。
 
 夕暮れの室蘭駅に到着。この駅は円形のコンパクトな駅舎が特徴的である。つい最近まで有人駅だったが、旅行日の数週間前に無人化されてしまった。ワンマン列車は他の無人駅同様、前乗り前降りとなり、きっぷの回収や運賃収受は運転席横の運賃箱で行われる。みどりの窓口も無人化とともに無くなったが、駅にはオペレーター通話型の指定席券売機があり、各種割引適用のきっぷや指定列車がたくさんあるようなきっぷは、券売機でオペレーターに繋いで購入できる。かつては売店もあったそうだが、今は無くなっていて、駅舎の中はひっそりとしている。  折り返しは特急すずらんに乗車するが、次の特急すずらんの発車までは1時間30分も時間がある。せっかくなので駅から歩いて10分くらいの場所にある旧室蘭駅舎を見に行くことにした。

現在は観光案内所となっている旧室蘭駅舎へ

 現室蘭駅から駅前の道を10分ほど歩いた場所にある旧室蘭駅舎。立派な駅舎が今も観光案内所として残されている。この駅舎、移設したものではなく、駅自体がここから今の位置に移転している。室蘭駅はかつて北海道内で採掘した石炭を船に載せ替える重要な役割を果たしていた。10分ほど歩いてきた現駅~旧駅舎一帯もかつては、駅、機関区、客貨車区などの鉄道運行の機能が集約された場所だった。「室蘭駅 昔」などとネットで調べると、この写真の旧駅舎が現役だったころの写真が出てくる。駅周辺を撮影した写真もあって、現在振興局や運動公園となっているあたりも、全部線路が敷かれていたことが分かる。旧駅舎は1912年に建設されたもので、駅が現在地へ移転した1997年まで現役だった。登録有形文化財に指定されており、現在も観光案内所として、また地域のバスの待合室としても使用されている。建物内には室蘭の街やこの地の鉄道の歴史を紹介する展示もあった。
 
 駅舎の隣にはD51が展示されている。ここに展示されているD51 560号機は、1940年に苗穂工場で製造されたもので、函館、長万部、鷲別、五稜郭、名寄の各機関区に配置され、道内の鉄道運行を支えた。1974年に引退した後は、室蘭市で保存されることになり、長らく室蘭市青少年科学館で展示されていた。その後2019年に科学館から旧室蘭駅舎横に移設されている。D51の大きな車体を間近で見ることができた。
 
 旧駅舎の前にある階段を登って一枚。背後には測量山という山があり、テレビ塔が林立している。夜景スポットとしても知られており、展望台もあるらしい。写真は東室蘭駅方面を眺めている。旧駅舎の後ろは室蘭港が広がっており、青函連絡フェリーが停泊しているのが見えた。青函連絡フェリーは青森-函館、大間-函館の青森-北海道間の航路を運航しているが、昨年10月から青森と室蘭を結ぶ航路を新たに開設した。1日1往復の運航で、両区間を7時間で結んでいる。室蘭もかつては各地へのフェリーが多数運航されていた。しかし、より札幌に近い苫小牧港の方が利便性が高いこともあり、現在運航されているのは、この新航路のみになっている。

789系の特急すずらんを乗り通し札幌へ

 さて、旧駅舎を観光して、室蘭駅に帰ってきた。歩いて帰る間にすっかり真っ暗になった。室蘭からは特急すずらん11号で宿泊地の札幌へ。特急すずらんは札幌~東室蘭・室蘭間を走る特急列車で、現在は1日6往復運転されている。全区間が電化されていることから、札幌から千歳線方面へ向かう唯一の電車特急列車となっており、785系または789系1000番台が使用される。札幌~東室蘭間の所要時間はおよそ1時間30分。同区間には函館発着の特急北斗も走っているが、特急すずらんの方が停車駅が多く設定されており、千歳、沼ノ端、幌別、鷲別には特急すずらんのみが停車する。日によって車両が変わるようだったが、この日は789系で、お昼に普通列車の運休に伴って急遽乗車した編成と同じ車両だった。
 
 今回は札幌方から2両目の4号車を指定した。789系1000番台も785系も4号車はUシートとなっていて、他の車両とは少し車内の様子が異なっている。座席は他の車両よりも座り心地がよく、窓は座席ごとの独立窓となっている。また座席にコンセントがあるのもうれしいポイントで、バッテリー残量が危機的状況に陥る夜間の移動には最適な車両だった。
 Uシートは小樽・札幌~新千歳空港間を走る快速エアポートの指定席車で知られているが、789系や785系などの一部特急列車にも組み込まれている。2016年3月のダイヤ改正までは旭川発着の特急列車が、札幌から快速エアポートとなり、そのまま新千歳空港まで運転されていた。特急列車のUシートはその名残とも言える。以前は特急列車でもこのUシート車両だけが指定席車となっていたのだが、近年では指定席車両の拡大が行われていて、Uシート以外の車両の指定席化が進められている。
 特急すずらんでは、2020年のダイヤ改正でそれまで自由席だった3号車が指定席化され、今年のダイヤ改正では全車指定席となった。また札幌~旭川間を走る特急カムイも今年のダイヤ改正で3~5号車が指定席となり、もはや指定席車=Uシートではなくなっており、他の指定席車両より設備がいい乗り得車両のような存在になっている。
 
乗車記録 No.10
室蘭本線・千歳線 特急すずらん11号 札幌行
室蘭→札幌 789系1000番台
 
 札幌からの折り返し列車が千歳線内で鹿に衝突した影響で、15分遅れで室蘭に到着。特急すずらん11号も5分ほど遅れて室蘭駅を発車した。室蘭駅での乗車は東室蘭までの区間利用を含めて15人ほどだった。先述のとおり、特急すずらんは室蘭~東室蘭間で乗車券のみで乗車できる特例がある。列車は東室蘭までは各駅に停車して乗客を拾った。東室蘭駅では信号停車でしばらく駅手前で停車。遅れは10分に拡大した。
 
 東室蘭、鷲別、登別と停車して乗客を拾うと、4号車は窓側座席が埋まる程度に。南千歳で乗り換えて、新千歳空港へ向かう人の姿もちらほら確認できた。この列車に乗れば20時前には新千歳空港へ着く。新千歳空港からの最終便は21時45分発で、まだ各社とも羽田便を中心に多くの便が残っている。
 室蘭本線を快走して、白老、苫小牧、沼ノ端に停車し千歳線へ。10分遅れのまま千歳線へ入ると、本来後ろを走る快速エアポートを先行させるため南千歳手前でしばらく停車。その後は快速エアポートの後ろを走る形で札幌へ向かった。最終的に終着札幌には約15分ほど遅れての到着した。
 室蘭から特急すずらんで札幌に到着。夜間の走行で景色が眺められなかったのは残念だったが、JR北海道の電車特急をはじめて乗り通すことができた。JR北海道内ではこの特急すずらんの他に、札幌と旭川を結ぶカムイ、ライラックも電車で運行されている。こちらにもいずれは乗車してみたいと思っている。
 
 朝6時に西条駅を出発して、14時間以上も動き続けた1日目。なかなかにハードな一日だったが、とても充実した1日だった。この日は駅前のJR東日本ホテルメッツプレミア札幌に宿泊。2日目はいよいよ特急宗谷に乗車して、日本最北端の駅、稚内を目指した。
 
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