【旅行記】特急宗谷と日本海オロロンライン路線バスで行く道北・稚内旅~憧れの特急宗谷で稚内へ~

前話
 
 札幌で迎えた2日目。この日はいよいよ特急宗谷に乗車して稚内へ。稚内に到着した後は、路線バスに乗車して宗谷岬を観光しに行った。

在来線特急で有数のロングランを誇る特急宗谷に乗車

 ホテルをチェックアウトして、朝7時前の札幌駅へ。この日は平日だったので、既に朝ラッシュが始まっていた。この時間の札幌駅は、各方面への特急列車が相次いで発車していく。6時48分に釧路行きの特急おおぞら1号が発車し、続いて6時52分に函館行きの特急北斗4号と網走行の特急オホーツク1号が同時に札幌を発つ。特急オホーツクは2023年のダイヤ改正で使用車両がキハ183系からキハ283系に置き換えられた。この車両には特急おおぞらで活躍していた2021年に乗車したが、その姿を見るのは、その時以来久しぶりだった。
 特急宗谷の発車時刻が近づいてきたので、駅の売店で飲み物やお菓子を購入して乗車の準備を整える。終点まで車内販売はなく、車内に自販機もない。途中、長時間停車する駅も当然ないので、札幌駅で買っておかなければ、5時間以上飲まず食わずになってしまう。駅弁は自販機で売られていた。便利といえば便利だが、どこか味気ない気もする。でもそれも時代の流れである。ホームへ上がり、しばらく待っていると、乗車する車両が入線してきた。5時間越えの特急列車の旅がいよいよスタートする。
 
 札幌から乗車したのは7時30分発の特急宗谷稚内行き。特急宗谷は札幌~稚内間で1日1往が運転されている。上下便とも各1本ずつなので、列車に号数は設定されていない。時々、別車両での代走もあるが、基本的にキハ261系0番台が使用されている。特急宗谷に使用される車両は、特急北斗やおおぞらで活躍する車両と形式自体は同じだが、0番台というキハ261系の中でも最初に登場したグループが使用されている。この0番台は、1998年にデビューし、14両が製造された。2006年から2022年まで製造された1000番台とは様々な点で違いがある。見た目で言うと、1000番台ではライトが縦目となっているが、0番台は横目になっている。また車体側面のスレートも0番台のみで見られる。1000番台ももともとは0番台と同じようなデザインだったが、後に白、黄、紫の3色を纏うようになった。民営化直後の北海道の気動車特急の特徴だった前面青顔で現役なのは、キハ283系とキハ261系0番台のみとなっている。
 
 特急宗谷は4両編成。稚内方先頭の1号車の前寄りの半室がグリーン車、1号車の後方と2号車、3号車が指定席、4号車が自由席となっている。多客期には増結されることもあるらしい。今回はグリーン車か指定席で迷ったが、グリーン車は9席しかなく逆に混みそうだったので、1号室の指定席に座った。1号車の指定席は前にグリーン車がある関係で座席数が少ない。そのため、えきねっとや指定席券売機では、座席が埋まってなくても早いうちから空席状況が△になる。そのため、2号車や3号車よりも空いていた。
 
 特急宗谷は札幌~稚内間の396.2kmを5時間12分で走る。国内の在来線特急で最も運行距離、時間が長いのは、JR九州が博多~宮崎空港間で運行する特急にちりんシーガイアの413.1km、5時間49分(14号)。特急宗谷はそれに次ぐ2番目の運行距離、時間を誇っている。気動車の特急列車としては国内1位である。
 ちなみに運行距離の第3位はJR西日本が新山口~鳥取間で運行する特急スーパーおき、4位は札幌~網走間の特急オホーツク、5位はJR東日本が品川~仙台間で運行する特急ひたちである。この長距離在来線特急のトップ5のうち特急宗谷を除く列車には、これまでの旅で乗車済みだった。今回はトップ5の中で最後まで未乗だった特急宗谷を乗り通し、トップ5を制する。
 運行時間5時間ということは、東海道・山陽新幹線の「のぞみ」で東京~博多間を移動するのとほとんど変わらないということになる。いやむしろ特急宗谷の方が運行時間が長い。札幌~稚内間の距離を他で例えると、東海道本線で東京~岐阜間に相当する。筆者の住む九州で考えれば、肥薩おれんじ鉄道を含む鹿児島本線をほぼ走破できる。一見過酷に思えるかもしれないが、鉄道ファンからすれば、この列車を乗り通すことは一つの憧れである。自分もいつかは乗り通してみたいと思っていて、稚内へ初めて行くときは特急宗谷と決めていたが、今、それを実行する時がやってきた。
 
乗車記録 No.11
函館本線 宗谷本線 特急宗谷 稚内行
札幌→稚内 キハ261系0番台
 

札幌市街地を抜け、大地を眺めて函館本線を旭川へ

 前日も信号故障や鹿衝突などの影響で、乗った列車の大半が遅延していたが、この日も千歳線の列車からの接続を待って発車したので、3分遅れでの発車となった。もし札幌を定刻に発車すると、札幌~平和間で東室蘭行きの特急すずらんとの並走シーンを見れる。しかし、この日は特急すずらんが先に発車していき、並走シーンはみることができなかった。発車すると車内放送が始まり、稚内までの停車駅が案内される。旭川までは行ったことがあるが、そこから北は未踏の地となる。和寒、士別、名寄、美深、音威子府・・・という駅名の響きがとても新鮮だった。どこも一度は聞いたことある駅名だが、どんな景色が広がっているのかは知らない。初めて行く場所への期待感、高揚感と共に札幌の街をあとにする。すぐに車窓には苗穂の車両基地が広がる。キハ40形に挟まれたマヤ35形を見ることができた。
 
 平和駅の先までは千歳線系統との複々線を進み、その先で千歳線と函館本線はそれぞれの方向に分かれる。函館本線はこの先も江別駅付近まではずっと住宅街が広がっている。しばらくは都市の車窓が続く。
 実はこの時間の函館本線を旭川方面に進むのは初めてではない。2年半前の旅ではこの特急宗谷の後続として札幌を発車する普通岩見沢行きに乗車している。札幌から反対方向へ進むが、沿線には高校や大学がいくつも立地していて、岩見沢方面の普通列車も混雑する。特急宗谷は各駅を颯爽と通過するが、既にホームには普通列車を待つ人たちが列を作っていた。
 
 普通列車の半数程度が折り返す江別を通過すると、車窓ものどかな風景へと移り変わっていく。石狩川とわずかに並走して、その後は広い大地の中を走っていく。しかし、進行方向左側は鉄道防風林があって、岩見沢までの区間はあまり景色はよくない。やがて右側から室蘭本線の線路が近づいて来ると、列車は最初の停車駅である岩見沢に到着した。
 
 下りの特急宗谷はこの後、美唄、砂川、滝川、深川、旭川と停車していく。前回札幌~旭川間に乗車したときには、美唄と砂川の2駅を通過する列車に乗車した。したがって、この2駅に停車する列車に乗車するのはこれが初めてだった。ちなみに上りの特急宗谷はこの2駅を通過する。停車するのは下り列車だけである。
 美唄駅の一つ手前の光珠内駅付近から北側の区間は、並行する国道12号線が滝川までひたすら直線となる。直線区間の距離は29.2kmで国内で最も長い直線道路として知られる。函館本線も長い直線ではあるものの、ここが日本一ではない。鉄道の線路で日本一の直線となっているのは、1日目に乗車した室蘭本線の沼ノ端~白老の区間で、直線の距離は28.7kmである。
 
 列車は美唄、砂川と停車して、次の滝川を目指す。岩見沢で下車する人はいなかったが、このあたりで自由席に座っていた乗客の下車があった。長距離特急とはいえ、全員が宗谷本線沿線を目指すわけではなく、自由席を中心に比較的短区間の利用も多い。滝川では根室本線が分岐する。この根室本線はかつて滝川と根室間を結んでいた路線だったが、今年4月1日(最終運行は3月31日)に新得~富良野間が廃止され、滝川~富良野間は根室へ線路が繋がらない根室本線になった。
 
 滝川の次は深川に停車。深川からは留萌本線が分岐する。この留萌本線も昨年の4月1日をもって石狩沼田~留萌間が廃止となり、現在列車は留萌までは行かず、石狩沼田で折り返す。駅ではちょうど留萌本線のキハ54形が入換作業中で、一瞬だけ入換中の車両と並走した。滝川周辺の根室本線と留萌本線には2年半前の旅で乗車し、その時にはここ深川に宿泊した。もうあの時の旅程と同じルートで旅することはできない。北海道2度目の旅にしてはマニアックな旅だったが、あの時企画しておいてよかったなと思う。
 
 車窓には相変わらず、のどかな風景が広がる。札幌を出て、1時間が経過したが、まだ稚内は果てしなく遠い。何をするでもなく、ただぼーっと窓を通りすぎていく景色を眺めていた。これが長距離特急の醍醐味だと思う。まだ稚内でどう行動するかを考えるのに早すぎるし、駅弁を食べるのにも早すぎる。ただ何もせずぼーっと景色を眺めるという贅沢を味わう。
 
 札幌市街を出てから車窓の左手は山が遠かったか、深川を過ぎてしばらくすると、山が近づいてくる。ここから列車は神居古潭という石狩川の峡谷地帯へと入っていく。とはいえ線路は長いトンネルへと入るので、その峡谷は見えない。近づいてきた山の木々は見事に紅葉している。特急宗谷は季節を駆ける特急列車である。札幌はまだ初秋だったが、旭川周辺は紅葉が美しく晩秋の景色だった。稚内が近づくにつれて、木々も裸になって、冬の入口に立っている。そうした季節の移り変わりを楽しめるのも特急宗谷の魅力の一つではないかと思う。
 
 神居トンネルなどのトンネル群を抜けると、列車は旭川の街に到達する。近文駅を出ると、車窓には前日に初冠雪を観測したという大雪山系の山々を見ることができた。石狩川を渡って、札幌から1時間28分で旭川に到着。旭川駅は函館から続く函館本線の終点であり、ここから稚内へと続く宗谷本線の起点である。ここまで1時間半。稚内は近づいたようでまだまだ遠い。稚内まではまだ250km以上もある。神居古潭を境に道北エリアへ入ったが、この道北エリアがとても細長くまとめすぎな気がしてしまう。

旭川から宗谷本線をひた走る

 さて、旭川では2分ほど停車した後に発車。市街地を見ながら宗谷本線へ歩みを進める。旭川から網走を目指す石北本線は、旭川ではなく新旭川から分岐する。旭川~新旭川間はこの石北本線に乗車した際に乗車済みだったので、新旭川から先が宗谷本線の未乗区間へ入っていく。
 ところで、宗谷本線は地味な電化路線である。車両基地である旭川運転所がJR貨物の北旭川駅付近にあるため、宗谷本線も旭川~旭川運転所の区間は電化されている。ここを通る電車は全て回送列車で、乗客を乗せる列車に電車はないが、一応電車も日常的に走る区間となっている。似たような電化区間は境線や大分の豊肥本線など全国にいくつかある。
 
 列車は永山駅に運転停車し、ここで上りの快速なよろ2号旭川行とすれ違った。宗谷本線はこの永山駅付近まで旭川の市街地の中を走っていく。そのため、この駅とこの先の比布駅は折り返し列車が設定されている。宗谷本線といえば普通列車がわずかなイメージが強いが、旭川の近郊となる区間は、割と本数がある。
 すれ違った快速なよろ2号は音威子府始発で、名寄まで普通列車として運行したあと快速に変わる。音威子府を発車するのは6時41分。同駅上りの始発列車だが、そんな列車ですら、まだ旭川に着いていない。いかに宗谷本線が果てしないかが分かる。
 旭川の市街地を出ると、再び車窓はのどかな風景に変わった。石狩川を渡って、列車は北へと進んでいく。新旭川で分かれた石北本線もこのあたりでは意外と近くを走っている。
 
 広がっていた上川盆地の広い大地は、蘭留駅付近で終わり、ここからは塩狩峠と呼ばれる峠越えの区間に入る。列車はしばらく森の中を走っていった。同じく稚内を目指す国道40号線、士別剣淵ICまで開通している道央道も近くを走っている。峠を越えると、再び広い大地が姿を現した。列車は名寄盆地に入り、宗谷本線に入ってからの最初の停車駅和寒に到着した。
 
 和寒の次は士別に停車する。車窓には相変わらず広い大地と大空が広がっていた。塩狩峠を境に川の流れが逆になる。旭川盆地まで石狩川水系なの川の流れは列車の進行方向と逆に流れている。しかし、塩狩峠を越えると、今度は天塩川水系となり、川の流れは列車の進行方向と同じとなる。天塩岳付近を源流に流れる天塩川とは士別付近で合流する。それまでは剣淵川の流域を進んでいく。宗谷本線に入っても軽快な走りを見せる特急宗谷。リズミカルなジョイント音が心地よく眠気を誘った。
 
 旭川を出て、54分で列車は名寄に到着。名寄は旭川・稚内を除く宗谷本線の中間で一番大きな街である。この駅と旭川間には快速なよろが多数設定されていて、ここと旭川の間の移動には一定の需要がある。その一方、この駅から北側は列車本数が大きく減り、ここから先は普通列車も4往復しか運転がない。
 かつて名寄には宗谷本線以外にも名寄本線と深名線の2路線が乗り入れていた。名寄本線は遠軽と名寄を紋別経由で結んでいた。石北本線が遠軽で進行方向が変わるのは、行き止まりの先で名寄本線に繋がっていたからである。一方の深名線はその名の通り、深川と名寄を結ぶ路線だった。廃線区間には現在もジェイ・アール北海道バスが路線バスを運行している。このルートにも興味があって、今後の旅で計画して乗ってみたいと思っている。名寄にはその時降り立つことにしたい。
 
 さて、名寄を発車したあたりで、札幌を発車して2時間30分となり、乗車時間のおよそ半分となった。まだ10時だが、早朝からの乗車でお腹が空いてきたので、札幌駅で買った駅弁を食べることにした。札幌駅弁にはいろんな種類があるが、その定番と言えば「海鮮えぞ賞味」と「石狩鮭めし」ではないかと思う。石狩鮭めしの方は以前食べたので、今回は海鮮えぞ賞味の方を選んでみた。
 やっぱり北海道にきたら海鮮系の駅弁を食べたくなる。海鮮えび賞味はかに、いくら、うに、サケなどの北海道の海の幸を楽しめる駅弁で、具と酢飯の愛称がよく、あっという間に食べてしまった。量としては少な目なので、プラス一品あってもいいと思う。
 
 駅弁を食べている間に列車は美深に停車。さらに天塩川沿いを進むと音威子府に到着した。音威子府は旭川から129.3kmの位置にある。宗谷本線の全長は259.4kmなので、この駅が宗谷本線のほぼ中間点ということになる。旭川からの所要時間は1時間40分で、ここまで来ると稚内にかなり近づいた気になるのだが、所要時間的にはまだ半分にも到達していない。ここから稚内まではまだあと2時間かかる。
 宗谷本線において音威子府は名寄以来の運行の拠点である。普通列車はこの駅を境にさらに本数が少なくなり、ここから幌延駅の間の普通列車の運転本数は3往復となる。音威子府と幌延の間が、宗谷本線内で最も列車本数が少ない区間である。
 音威子府駅はかつて中頓別、浜頓別を経由して南稚内へ続いていた天北線も発着していた。2023年9月までは宗谷バスが稚内から音威子府までの路線バスを運行していたが、このうち浜頓別~音威子府間は路線バスが廃止され、現在はデマンド交通に置き換えられている。かつて音威子府発着だった宗谷バスのこの路線には、後ほど、稚内から宗谷岬間で乗車する。
 
 音威子府の次は天塩中川。車窓には時折雄大な天塩川の流れを楽しむことができた。宗谷本線は士別~幌延間で天塩川と共に進んでいく。特に音威子府~天塩中川間は、川と線路と道路以外に何もないような場所をしばらく進む。線路も川に沿って敷かれていて、軽快な走りを見せていた列車も、ここでは川に沿って比較的ゆっくりとした速度で走る。冬になると、天塩川も雪に覆われて、車窓の景色もより幻想的になるらしい。
 天塩中川は中川町の中心地。ここを出ると次は幌延である。このあたりの宗谷本線は、廃止された駅がいくつも存在する。残されている小さな無人駅も利用客がごくわずかにいるか、もはやいない駅が多く、利用者が学校を卒業するとともに廃止になる駅もある。天塩中川から2駅目の糠南駅は仮の乗降場として設置され、後に正式な駅となった無人駅。超簡易的なホームで知られるこの駅は、秘境駅として知られ、現在も現役の駅として営業している。この日も駅付近には列車を撮影している人の姿があった。
 
 次第に高い山が無くなり、広い大地が姿を現す。士別から寄り添ってきた天塩川と宗谷本線は幌延の手前で分かれ、川は東へ流れて日本海へ注ぐ。宗谷本線はなおも北を目指していく。幌延に到着すると、ここで稚内を10時28分に発車した普通名寄行きとすれ違った。士別で特急サロベツ2号とすれ違って以来、2時間も他の列車とすれ違わずにここまできた。列車本数の少なさを改めて実感させられる。ちなみにここ幌延駅はかつて留萌から延びていた羽幌線が接続していた。明日は豊富からこの羽幌線の代替バスに乗る。対向の普通列車にも稚内~豊富で乗車していく。
 
 幌延の次は豊富に停車する。美深あたりから続いた山間の景色は終わり、車窓には再び広大な草地が広がった。このあたりは牧場が多く、牛が牧草を食べている横を列車は颯爽と通りすぎていく。車窓の奥の方には、かろうじて利尻富士が見えた。列車の運行時間も残り1時間を切る。いよいよ稚内が近づいてくる。
 
 列車は稚内市街地までの最後の停車駅、豊富に停車した。豊富を出ると次は稚内市内へ入った南稚内である。豊富町には旭川~稚内を結ぶ特急サロベツの由来となったサロベツ湿原がある。豊富駅からサロベツへは以前は路線バスで行けたのだが、2021年に廃止された。豊富と南稚内の間には、現在、兜沼、勇知、抜海の3駅がある。兜沼駅はその名の通り兜沼が近くにあり、車窓からもその景色を楽しむことができた。兜沼駅付近から線路は再びカーブが多くなり、列車はクネクネとカーブを曲がりながら稚内を目指していった。
 
 抜海駅を通過した後、稚内市街へ突入する手前では、宗谷本線の最後の見どころが待っている。ここまで走ってきた函館本線も宗谷本線もずっと内陸を走る路線で、海は見えなかったが、最後にちょっとだけ日本海が見える区間がある。特急宗谷唯一の海の車窓が広がった。列車もここでは少し速度を落とし、車内は撮影タイムとなった。写真には写っていないが、後ろの方には利尻島と礼文島が見えていた。明日、ここを普通列車で通ったときには、進行方向に見えるはずである。
 山も高い木々が無くなり、いよいよ果ての景色が近づいていることを示す。ここから峠を一つ越えれば、いよいよ稚内の市街地に辿り着く。5時間以上の特急宗谷の佳境に相応しい景色の中を列車は走っていった。
 
 峠を越え、車内放送が南稚内到着を告げると、いよいよ稚内の市街地が姿を現した。久しぶりに見る大きな街である。かつては音威子府で分かれた天北線が再び合流していた南稚内に到着。ここは現在も運行・保線の拠点となっていて、列車の行き違いができる最北の駅となっている。駅を出たところには車庫もある。夜間を稚内で過ごす車両は、この車庫で一晩を過ごす。
 南稚内を出ると、まもなく車内に終着駅を告げるアルプスの牧場が流れる。南稚内と稚内の間は大きな道路を跨ぐため、一部が高架橋になっている。もちろんこれが最北の鉄道高架橋ということになる。これより北を走る線路はわずかなので、日本最北端の○○がたくさんある。札幌から5時間12分。札幌で生じた3分の遅延そのままに、列車は終点の稚内に到着した。
 
 札幌を出たのは7時30分、それから5時間以上同じ列車に乗り続けて、気が付けばお昼はとっくの昔に過ぎている。旭川から続く259.4kmの宗谷本線をこれにて無事に完乗となった。大小いくつもの街を抜け、広い大地を颯爽と走り、天塩川の雄大な流れと共に進んだ5時間の旅路。北海道の広さと車窓の美しさに改めて魅了された乗車だった。
 到着した列車は折り返しの時間もわずかに旭川行の特急サロベツ3号として、来た道を戻っていく。車内では折り返しの準備が進められていた。列車を撮影後、改札へ。札幌から使用していたきっぷは記念にもらいたいと申し出て、乗車記念印を押してもらった。今後も大切に保存しておこうと思っている。
 

日本最北端の駅、稚内駅のいろいろ

 ついに日本の鉄路のてっぺんに辿り着いた。ここ稚内駅は言わずと知れた日本最北の駅である。駅のホームには、その最北端にちなんだ掲示がたくさんあった。ホームの柱には枕崎、西大山、東京、函館、旭川などからの距離の書かれた看板が設置されていた。東京駅のあの線路も、大阪駅のあの線路も、山陰や四国のJRの線路も、九州の自宅付近にある身近な路線の線路もここと繋がっている。当たり前だが、本当にすごいことだと思う。アメリカの童謡の「線路は続くよどこまでも」の日本語歌詞は、「線路は続くよどこまでも 野を越え 山越え 谷越えて 遥かな街まで 僕たちの 楽しい旅の夢 繋いでる」と歌う。この小さな島国の中にも一般人が乗れる鉄道だけで2万7千キロ以上の鉄道路線が延びている。その北の端の遥かな街に今、野を越え、山越え、谷越えてやってきた。その感動を噛みしめる。これが鉄道旅の楽しさだと思う。
 JRの最南端の駅は西大山駅だが、最南端の始発駅と終着駅という関係では、枕崎駅が対をなす。枕崎駅からの距離は3099.5kmもあるらしい。稚内から遠く離れた枕崎駅を思う。枕崎は何度も行っているが、稚内に訪れた後に行くと、さらに日本の鉄路の壮大さを感じられそうな気がする。
 
 駅ホームの入口には、JR日本最北端の駅のモニュメントがある。JRの最南端の駅である西大山駅には、これと同じ形の最南端の駅のモニュメントが設置されている。ちなみにJRの最西端の駅は佐世保駅、最東端の駅は東根室駅である。一方、私鉄等を含めた全鉄道での最南端は沖縄県の赤嶺駅、最西端は那覇空港駅、最東端はJRのと同じ東根室駅になっている。
 稚内に降り立ったことで、JR・全鉄道ともに最北端、最南端、最西端を制覇した。あとは全鉄道とJR両方の最東端の東根室駅へ行けば、端の駅のコンプリートとなる。しかし、この東根室駅、来年3月のダイヤ改正で廃止になることがすでに発表されている。自分が根室本線へ乗車しに行くのは、来年の春以降になる予定。その時には東根室駅は廃止されていると思われる。東根室駅廃止後は根室駅が最東端の駅になる予定。東根室駅は行く前になくなりそうだが、新しい最東端の駅で、東西南北の端の駅を制覇しようと思う。
 
 稚内駅の外へ出て来た。線路はホームの先の車止めからも少し続いていて、駅舎の中を通って駅前の広場に続いている。そのレールの終端は日本最北端の線路のモニュメントとなっていて、黄色い車止めが鉄路の終端を示している。稚内駅は現在棒線化されているが、以前は1面2線の駅だった。この車止めは、旧駅舎時代の終端部にあったものをモニュメント化したものである。現在の駅舎になる際に宗谷本線の終端はちょっとだけ南へ移動し、駅も1面1線となった。
 
 さて、特急宗谷で稚内到着後は、路線バスに乗車して宗谷岬へ向かった。
 
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