【旅行記】特急宗谷と日本海オロロンライン路線バスで行く道北・稚内旅~宗谷本線普通列車と沿岸バスで留萌へ~

前話
 
 稚内駅周辺とノシャップ岬を観光して、路線バスで稚内駅へ戻ってきた。今回の旅での稚内滞在時間はこれで終了。ここからは翌日にかけて、日本海側を進み札幌へ戻る。稚内からは宗谷本線の普通列車に乗車し豊富へ。豊富で路線バスに乗り換え、留萌へ向かった。
 

宗谷本線の普通列車で豊富へ

 約1日滞在した稚内。宗谷岬やノシャップ岬を観光することができ、充実した滞在だった。名残惜しいのは山々だが、ここからまた旅を進めていく。稚内からは10時28分発の普通名寄行に乗車し、豊富へ向かった。
 この日、これから乗車する普通列車は、稚内駅を日中に発車する唯一の列車となっていた。通常はこの後13時1分発の特急サロベツ3号旭川行があるが、利用者が少ない火・水・木を中心に運休となる。この日は火曜日だったので、その運休日に該当していた。サロベツ3号が運休した場合、これから乗車する普通列車以降、なんと7時間以上も稚内を発車する列車がなくなる。次の列車は17時44分の特急宗谷札幌行となる。この時期の稚内はその頃にはもう暗くなっている。
 特急列車が運休となっていても、札幌へは航空機か都市間バスで行くことができる。札幌行の都市間バスは11時35分発、13時5分発、16時45分発があり、航空機も11時45分発と17時5分に新千歳便がある。
 
 朝の音威子府発稚内行の普通列車に使われていた車両が一旦南稚内まで回送された後、発車時刻の15分程前に再度稚内へと回送されてきた。この車両が名寄行となる。乗車した列車は、運送会社が客貨混載便として使っているようで、先に荷物が車内に積み込まれた後、改札が開始された。次の列車は7時間後だが、利用客は少なく、この駅から乗車したのは10人ほどだった。
 この列車は10時28分に稚内を発車し、終点の名寄には14時17分に着く。そこで快速なよろ8号に乗り換えると、旭川には15時55分に到着する。さらに旭川で特急カムイ32号に乗り換えると、終点札幌に17時25分に到着となる。稚内から札幌まで7時間を要する。札幌へ出るのも、旭川へ出るのも、一苦労。でもこれがこの時間の鉄道移動としては最速なのである。今回は豊富で下車するが、豊富までの所要時間は約50分となっている。
 
乗車記録 No.16
宗谷本線 普通 名寄行
稚内→豊富 キハ54形
 
 稚内を出た列車はまもなく次の南稚内に停車。その後、稚内市街地を抜けると、日本海を望む区間へ。昨日は進行方向の後ろ側だった利尻富士も、今日は進行方向側に見えていた。2時間ほど前にノシャップ岬から見たときより山にかかる雲が減っており、日本海に浮かぶ利尻富士の車窓を楽しむことができた。
 
 列車は南稚内の次の駅、抜海駅に到着した。稚内、南稚内の両駅は有人駅だが、ここは無人駅となっていて、日本最北端の無人駅として知られる。とても趣がある駅舎でこちら側に座っていた乗客の多くが写真を撮影していた。この駅は利用客が少なく、稚内市が廃止する方針を固めている。しかし、昔ながらの駅舎が健在の駅として、この駅をこよなく愛するファンも多く、存続を求める活動が続けられている。利用客はわずかだと聞いていたが、この日は地元住民とみられる人の乗車があった。
 
 抜海を出た列車は、広い大地の中を走っていく。時折、列車はけたたましく警笛を鳴らす。エゾシカが近くにいるのだろう。普通列車とはいえ、線形もよく途中駅が少ないので、軽快な走りが続く。抜海以外の途中駅である勇知、兜沼での乗り降りはなかった。抜海を含めて、これら無人駅は次宗谷本線に乗りに来た時には、もしかすると廃止されているかもしれない。駅への停車も一期一会。それが宗谷本線の旅である。
 
 稚内から約50分で豊富に到着。ここで普通列車を下車した。豊富では自分を含めて5人ほどが下車し、同数くらいの人が列車に乗り込んでいった。隣には下りの稚内行が停車していた。両方向の列車がここで行き違う。対向の普通列車は旭川を6時3分に発車する稚内行の普通列車。宗谷本線を6時間以上かけて走破するロングラン列車として知られている。本数が少ない宗谷本線の音威子府以北で普通列車が行き違う光景も貴重な光景である。
 
 両方向の列車がディーゼル音を響かせて発車していくと、駅は静寂に包まれた。遠くへ走り去っていく列車のジョイント音だけがいつまでも響いていた。途中まで晴れていたのに、豊富はさっきまで雨が降っていたらしくどんよりしていた。
 反対側のホームには「気分爽快!!サロベツ」と書かれた看板が駅名標と並んでいる。サロベツ湿原は豊富町の中心部の西側にあり、利尻礼文・サロベツ国立公園の一部となっている。かつてはサロベツ湿原へも路線バスで行くことができたが、少し前に廃止されてしまい、デマンド交通に置き換えられている。日本海沿岸を走る道道106号は、日本海オロロンラインの一部であると同時に宗谷サンセットロードという独自の愛称を持っていて、風光明媚な道として知られている。
 
 豊富駅の外へ出てきた。豊富町は人口3500人ほどの小さな町。豊富駅はその玄関口となる駅である。特急列車を含め全列車が停車する宗谷本線の主要駅の一つとなっている。かつては有人駅だったが、現在は無人駅である。駅舎の中には喫茶店があり、この日も営業していた。駅の入口では鉄道用信号が光っている。これはどうやら喫茶店の営業状況を表しているらしい。駅舎の隣には観光案内所もある。豊富町はサロベツ湿原のほか、温泉地としても知られる。豊富温泉は街から少しだけ離れた場所にあるが、これから乗車する路線バスに乗車すれば交通機関でも行くことができる。
 
 駅前通りの入口には「ようこそTOYOTOMI」と掲げられたゲートが設置されていた。時間があったので、少し駅前を歩いてみた。基本人気はないのだが、少し進んだところにAコープとJAの建物があり、ここは結構賑わっていた。ここからは長距離の路線バスの旅となる。トイレを済ませ、バスの発車を待った。

沿岸バスの長距離路線を乗り通して留萌へ

 豊富からは途中宿泊しながら、2本のバスを乗り継ぎ、日本海オロロンラインをひた走って札幌へと戻る。1本目は豊富と留萌を結ぶ国内屈指のロングラン一般路線バスに乗車した。
 これからバスで走っていく日本海オロロンラインとは、稚内市から石狩市までの日本海沿岸を行く道路に名付けられた愛称である。稚内市~天塩町間の道道106号線、天塩町~留萌市間の国道232号線、留萌市~石狩市間の国道231号線がこれに該当し、総延長は約290kmとなっている。これから乗車するバスは、天塩までは内陸を走る。そこから先は日本海オロロンラインを走り、留萌まで走っていく。
 
 豊富から乗車したのは、沿岸バスが運行する豊富幌延線と幌延留萌線という2つの路線である。路線上は2路線に分かれているが、運行上は両路線を1台のバスが直通していて、実質1つの路線にのように扱われている。幌延-留萌間はかつて同区間を走っていた国鉄羽幌線の廃止代替バスとなっていて、運行ルートは一部を除いて、この鉄路跡に沿っている。
 沿岸バスは羽幌町に本社を置き、その名の通り道北の日本海沿岸エリアで路線バスを運行する。2年半前の北海道旅では、当時廃止が迫っていた留萌本線に乗車し、留萌を訪れた。この際、沿岸バスには初めて乗車し、留萌別苅線と快速留萌旭川線の2路線を利用した。今回はその時ぶりに沿岸バスへの乗車だった。
 ここ豊富も、バスの終点である留萌も、北海道の地域区分的には同じ道北に位置する。豊富は道北でもかなり北に位置する一方、留萌は道央エリアに隣接する。2つの街は約150kmも離れている。東京駅からで例えるなら、静岡まで行ける。そこを1本の路線バスで走っていく。もちろん豊富~留萌を乗り通すのは、マニアくらいなもの。豊富と留萌の間には幌延、天塩、遠別、初山別、羽幌、苫前、小平などの街が点在している。バスはこれらの街と街を繋ぎ、地域の移動を支えている。
 国内で最も運行距離が長い一般路線バスは、奈良県の大和八木と和歌山県の新宮を結ぶ奈良交通の八木新宮線、第2位は釧路と羅臼を結ぶ阿寒バスの釧路羅臼線である。第3位に君臨するのが、これから乗車する豊富-留萌間のバスである。上位2つのバスにはいずれも乗車したことがない。したがって、一般路線バスの乗車距離の自己ベストの更新が更新される。これまで乗車した路線バスで最も長距離だったのは、函館バスの長万部-函館線だった。長万部-函館でも100km以上離れていて、路線バスとしては相当長距離の部類に入るが、これから乗車するバスはそれより約50kmも長い距離を走っていく。
 
 発車時刻が近づくと、駅の横の方の道からバスが現れた。このバスに留萌まで約4時間お世話になる。終点は留萌市立病院だが、今回は留萌駅前まで乗車していく。路線バス車両に4時間も乗り続けるなんて、苦行のように感じるかもしれないが、バス好きからすると、これは贅沢である。
 今回は沿岸バスが発売する萌えっ子フリーきっぷ1日券を利用した。この乗車券は沿岸バスが運行するバスのうち、豊富-留萌間、留萌-増毛(大別苅)間などのオロロンライン路線とその他一部路線が乗り放題となる乗車券である。発売額は2,700円。豊富-留萌間を乗り通した場合の運賃は合計で3,120円なので、片道1回の利用でもこの乗車券を利用した方がお得になる。豊富では駅に隣接した豊富町観光情報センターや、駅から少し離れた沿岸バス豊富出張所で購入することができるが、稚内からアクセスするのであれば、稚内駅にある宗谷バスの窓口でも購入できる。今回は前日に宗谷バスの稚内市内1日乗車券を購入した際に一緒に購入しておいた。特急バスや都市間バス、旭川方面へ行くバスでは利用できないので注意が必要。また、宗谷バスの窓口で購入する場合は、現金のみの取り扱いとなる。
 
乗車記録 No.17 No.18
沿岸バス 豊富幌延線・幌延留萌線 留萌市立病院行
豊富駅→幌延深地層研究センター→留萌駅前
 
 豊富駅からは自分を含めて4人の乗車があった。うち3人は自分と同じく宗谷本線からの乗り継ぎだった。本数が少ないとは言え、日常利用で列車とバスを乗り継ぐ人もいるようだ。11時50分、バスは豊富駅を発車。長い長い路線バスの旅が始まった。
 先述のとおり、バス路線は豊富幌延線と幌延留萌線という2つの路線に分かれている。豊富駅発車時のバスの行先表示は(写真では読み取れないが)、「豊富幌延線(留萌方面連絡)幌延深地層研究センター前」となっていて、まだ真の終点である留萌市立病院の文字はない。路線が区切られているのは、国や自治体から路線に対して出される補助金が関係しているらしい。まずは幌延深地層研究センター前行として、バスは豊富町の街中を走っていった。
 このバスは区間のほとんどを日本海に沿って進むが、豊富から天塩までの区間は内陸を走っていく。特に豊富-幌延間では山の中を走り、峠を越える。途中には豊富温泉があり、この温泉街のバス停で乗客が1人下車していった。

幌延深地層研究センターで留萌市立病院行に変身

 バスは豊富温泉発車後もしばらく山の中を走っていく。右折して道道121号線に入り、草原地帯の中を走ると、右手に深地層研究センターの建物が見えてきて、バスは道路上に設置された幌延深地層研究センター前に停車した。ここが豊富駅からのバス路線の終点となり、運賃は一旦精算となる。今回はフリー乗車券を利用しているので、これを運転手に提示し席に戻った。
 幌延深地層研究センターは国立原子力研究開発機構の研究所で、原子力発電所で生じた放射性廃棄物の処分に関する地質的な研究を行っている。周囲には研究所の建物以外に何もない。バス路線は補助金の関係でここが区切りとなっていて、朝夕にはここが始発・終点となるバスも何本か存在する。少し前まではここを起点に留萌まで幌延留萌線として運行し、留萌から快速留萌旭川線に変身して、幌延から旭川まで直通する超ロングランバスの運行もあった。言い忘れていたが、豊富は羽幌・留萌を経由して札幌へ向かう都市間バス「はぼろ号」の始発地になっている。このバス停にはこのはぽろ号も停車する。こんな何もない場所からも札幌へ1本のバスで行けてしまうのである。
 車内からは確認できないが、停車中にバスの行先は留萌市立病院へと変わっている。豊富幌延線はあっという間に終わり、ここからは幌延留萌線留萌市立病院行きとなる。乗客の精算が済むと、バスはすぐに発車し、やがて幌延の街へ出た。
 
 幌延の街へ入るとバスは幌延駅へ。街中のバス停と駅で乗り降りがあった。幌延町は人口2,200人ほどの街。かつては幌延駅から羽幌線が分岐していた。駅を発車してしばらく行くと、バスは宗谷本線との踏切を渡る。宗谷本線は幌延駅を出ると、天塩川に沿って内陸へ進むが、バスはここから日本海を目指す。幌延の街を出たところでバスは北緯45度線とクロスする。道路脇には北緯45度との交差部を示す看板が設置されていた。
 
 幌延の街を出たバスは国道40号線へ入り、天塩川を渡る。川を渡ると、バスは右折してすぐに国道40号線と分かれ、国道232号線の単独区間へ進んだ。バスが右折した交差点が稚内駅前から続く国道40号線と国道232号線の重複区間の終点である。ここから南側は単独区間として、国道40号線は天塩川・宗谷本線沿いを進んで旭川へ、国道232号線は日本海側を進んで留萌へ続く。バスはここから先はほぼひたすら国道232号線を走っていく。
 このあたりは酪農がさかんな場所で、沿線には牧場や牧草地が広がる。幌延~天塩間の国道232号線にもバイパスがある。しかしもバスはバイパスへは入らず、旧道の方へ進んだ。旧道からバイパスの方を見ていると、稚内を11時35分に発車した北都交通のわっかない号が颯爽と走り去っていった。稚内から札幌というと、ついつい旭川経由を考えてしまうのだが、実際には国道232号線、深川留萌道を経由した方が早いらしく、わっかない号もこちらを経由して走っている。

天塩、遠別、初山別の街を経由して羽幌へ

 バスは天塩町の街中へ入った。天塩町は天塩川の河口部に位置する街で人口は約2,600人である。天塩高校バス停は待合所があり、ここで1人が乗車した。その後は役場前を経由しながら街中を縦断。市街地の南側にあるてしお温泉夕映と呼ばれる温泉施設を経由して国道232号へ復帰した。車内放送によると、この温泉施設のバス停を利用する際にはかつては事前の予約が必要だったらしい。名前から察するに、晴れた日は夕日がきれいに見えるのだろう。 
 
 天塩の街を出ると、バスの車窓にはいよいよ日本海が見え始めた。しかし、まだ写真に撮るには少し遠い。海と国道の間には何機もの風力発電の風車が並んでいた。ここからは明日札幌市街に入る直前まで、ずっとこの日本海を見ながら進んでいく。次の街である遠別までは約20km。途中に信号機もなく、バスは果てしなく続く道路を快調に進んでいく。日本海の車窓を振り返ると、利尻島が見えていた。
 
 バスは遠別町に入った。遠別町は人口2,300人の街。市街地に入るとバスは一旦国道から逸れて遠別バス停に停車し、ここで一人が下車していった。どうやらこの遠別バス停は、旧羽幌線の遠別駅の跡地らしい。バスは遠別のほか初山別や羽幌でも一旦国道から離れてターミナルへ立ち寄る。いずれももともと駅だった場所に設置されたバス停である。
 遠別バス停を出て、再び国道へ戻ると、まもなくバスは遠別出張所に到着した。車内放送でも案内されるが、トイレなし車両で長時間運行となるため、遠別出張所では運転士に申し出ればお手洗いに行くことができる。運転士に声をかけてお手洗いを利用させてもらった。この先、羽幌ターミナルでも停車時間にお手洗いの利用が可能である。
 
 遠別町の次は初山別村へ進んでいく。この間も25kmほどの距離がある。遠別を出ると日本海もかなり近づいてくる。水平線の先から雲が湧き出ているのがとても幻想的だった。ずっと水平線を眺めていると、地球の丸さを感じる。反対側には牧草地が広がるが、それ以外に何もなく、ただまっすぐに道が続いていた。
 
 遠別-初山別の中間部で、バスは一旦国道を離れて、歌越という地区へ立ち寄る。沿道には牧草地が広がり、その中にポツンポツンと民家が数軒建っていた。途中でオタコシべツ川の小さな橋を渡ると、バスは初山別村へ入る。橋を渡った先は住所上は共成という地名だが、歌越神社と呼ばれる神社は初山別村側にあった。バスはこの神社の前を経由して、再び国道へ戻った。
 
 国道をしばらく進むと、人家が増えてくる。その先坂道を登ったところで、バスは再び国道を離れた。曲がった先には道の駅☆ロマン街道しょさんべつとしょさんべつ温泉岬の湯があり、周辺には公園や天文台が設置されている。初山別村はこの旅を計画して初めて知った。人口は1,000人ほどの小さな村で、周辺に大きな街がないため、その分夜は星がきれいに見えるらしい。公園にはキャンプ場もあるので、晴れた日にここで星を眺めながらキャンプして、温泉で癒されるのも楽しいだろうなと思う。
 
 道の駅があるエリアと初山別村の中心部は少しだけ離れている。国道へ戻ると少しだけ海を見ながら走り、バスはまもなく初山別村の中心部に到着した。遠別で乗客が下車して以降、乗り降りはなかったか、中心部の手前のバス停で1人が乗車。中心部のバス停で下車していくと、入れ替わって1人の乗車があった。このあたりから、国道232号は日本海の海岸線を進む場面が多くなる。このあたりまで来ると、水平線の先に、羽幌の沖合に浮かぶ、焼尻島と天売島が見えるようになった。
 
 初山別村の中心部でもバスは国道から離れて初山別バスターミナルという小さなターミナルに立ち寄った。ここも遠別同様、もともと羽幌線の駅だった場所にバスターミナルが設置されてる。
 国道232号線は途中に信号機も少なく、街と街の間はほぼノンストップで走ることができる。そして道路も直線で、線形がいい。この路線バスは専用道はもちろんないし、高速道路も経由しないのに、BRTのような高速性を実現してしまっている。確かにこれだとわざわざ鉄道である必要がない。バスで十分早いのである。
 
 初山別の次はいよいよ羽幌となる。ここまでずっと曇り空だったが、進行方向には青空が広がり始めた。初山別と羽幌の間も20kmくらい離れている。バスはまた海岸線に沿った道路を進んでいく。初山別を出たあたりで豊富を出て2時間が経過した。ここでやっと半分。留萌はまだ遠い。
 
 豊富を出たときは雨が降っていて、晴れた日本海は見れないかなと落胆していたが、どういうわけか初山別を過ぎたあたりで急に雲が無くなって、羽幌に着くことには快晴になっていた。この路線の最大の絶景区間は、羽幌の先にある。どうやら絶景区間は晴れた景色を見れそうである。写真の羽幌川を渡ると、バスは羽幌の市街地へ突入した。

羽幌、苫前を経由後、しばらく日本海を眺めて留萌へ

 羽幌町は人口約6,000人の街。乗車しているバス路線の沿線では留萌に次ぐ大きな街となっている。稚内からいくつもの街を経由してきたが、久しぶりに5千人以上の人口を有する街へやってきた。日本海に浮かぶ天売島、焼尻島へはこの羽幌からフェリーや高速船で行ける。両島とも現在は羽幌町に含まれている。利用している萌えっ子フリーきっぷは、羽幌と天売島を結ぶ航路で運賃が1割引になる特典がある。今回は乗り通しが目的なので、途中下車はしないが、一つ一つの街や離島に立ち寄りながら、駒を進めていく旅というのも面白いだろう。
 
 羽幌では、本社ターミナルと羽幌ターミナルという2つのターミナルを経由していく。本社ターミナルは文字通り、沿岸バスの本社に設置されたターミナル。一方の羽幌ターミナルは、旧国鉄羽幌線の羽幌駅跡にあるバスターミナルである。本社ターミナルの方が街中に位置していており、利用者も多い。羽幌ターミナルは、頭から突っ込むタイプのターミナルで、方面別ののりばが用意されている。こちらは運行の拠点で、乗車中のバスもここで乗務員の交代が行われた。お手洗いは羽幌ターミナルの方で利用できる。
 本社ターミナルで10人くらいの乗車があり、その後羽幌ターミナルを経由したバスは、一旦国道へと戻った後、再び国道を離れて羽幌町立病院へ立ち寄った。バスが少し混雑したのも病院までで、ここで半数近くの乗客が下車していき、車内は再びガランとした。病院に立ち寄った後、バスは国道へ戻り、次の苫前町を目指した。
 
 羽幌を出たバスは苫前町に入った。ここまで町や村同士が20km近く離れている場所が多かったが、羽幌と苫前は比較的近接していて、7kmくらいしか離れていない。羽幌から乗車した乗客で、病院以降に残った乗客も、苫前でほとんどが下車していった。苫前町は人口約2,700人。このあたりは丘陵になっていて、風力発電の風車が林立している。街も海から一段上がった丘の上にある。苫前といえば、苫前メロンは以前から聞いたことがあった。北海道グルメのチラシなどでよく見かける。
 苫前を出たバスはその先で上平というバス停に停車する。ここからは古丹別という地区への路線バスが延びている。このあたりでは、かつての羽幌線と乗車している路線バスが少し離れた場所を走る。羽幌線は内陸の古丹別を経由しており、ここには上平から別の路線が用意された。羽幌-留萌間を走る路線バスや都市間バスはぼろ号に接続する形で運行されており、朝夕には準急バスの運行もある。上平を出ると、いよいよこの路線バスの最大の絶景区間となる。再び日本海が近づき、バスはその海岸線をひたすら南へ走っていった。
 
 苫前町の次は留萌市の北に位置する小平町へ進んでいく。羽幌と苫前は近かったが、苫前と小平町の中心部は、35km近く離れている。途中に鬼鹿という地区があり、このあたりも小さな街になっているが、上平の先から小平町の中心部の手前まで、バスは30分以上に渡って、写真のような絶景を見ながら走っていく。運よく、羽幌から小平までは晴れていて、西日に照らされて輝く日本海の景色を楽しむことができた。これぞ日本海オロロンラインの車窓。晴れた日本海を見れて本当運が良かった。
 
 バスは少し長いトンネルを通って小平町の中心部へ入った。ここまでトンネルはなく、ここから留萌までの間にもトンネルはなかったので、このトンネルが路線唯一のトンネルということになる。小平町は留萌市の北側に位置する街で、小平と書いておびらと読む。人口は約2,700人である。小平中央バス停では、5人以上の乗車があった。留萌まではあと少し。ここから留萌方面へは利用者も多い。さっきまであんなに晴れていたのに、留萌が近づくと再び雲が広がり始めた。
 
 小平町を出ると、次はいよいよ留萌市となる。約4時間のバス旅もついて残り30分で終わりを迎えようとしていた。小平~留萌間でもバスは海岸線を走っていく。ここまで来ると奥には山の稜線が見えるようになる。暑寒別岳の西側の山々は海岸線まで続いていて、増毛町の南側から石狩市にかけては、ずっと断崖絶壁の海岸線が広がっている。ここから見てもその険しさが分かる。明日はあの断崖絶壁の地帯を通って札幌へ抜ける。
 
 やがて防波堤が見えてきて、石油会社のタンクの横を通りすぎると、留萌の街へ。留萌港の横を通って、市街地の中へ入っていった。2年半ぶりに留萌の街へやってきた。車窓には久しぶりに見る景色が広がっていた。バスは船場公園前から直接留萌駅前へ行くのではなく、一旦留萌十字街を経由して留萌駅前へ向かう。市街地へ入ると、各バス停で乗客が降りて行った。
 
 このバスに乗車したのは11時50分とギリギリ午前中だったが、もう薄暗くなってきて、沿道のお店の照明が目立ち始めていた。豊富駅を出て、ちょうど4時間。バスは少し遅れて留萌駅前に到着。多少の疲労感は否めないが、それ以上に満足感を感じながら、終点へ向かうバスを見送った。
 バスの終点は留萌市立病院である。本当は終点まで行きたかったが、折り返しのバスが1時間近くなく、夕暮れ前に留萌駅を見ておきたかったので、今回は留萌駅前で下車することにした。留萌市街地の端の方にあり、留萌駅からは約15分ほどで到着後する。 
 
 久しぶりに留萌へやってきた。前回は深川から留萌本線の普通列車で留萌へやってきて、増毛町へ行った後、このバス停から快速留萌旭川線で旭川へ抜けた。このとき乗車した思い出の留萌本線は、石狩沼田~留萌間が2023年春に廃止され、留萌には列車が来なくなった。鉄道でこの街へ来ることはもう叶わなくなったが、こうしてまた、バス旅で訪れることができた。今回はここに宿泊し、明日も引き続き日本海側を経由して札幌へ向かう。
 

廃駅となった旧留萌駅に再訪

 2年半ぶりに留萌駅駅舎と対面。駅の壁に掲げられたJR留萌駅の文字は廃止後まもなくして取り外されており、立ち入ることも当然できない。現在は駅舎の入口にJR留萌駅と書かれているが、これは営業していた頃にはなく、最近書かれたものである。建物には駅そば屋とラジオ局が入居していたが、いずれも近くの道の駅へ移転した。今回もかつてこの駅で食べた思い出の味をもう一度と思ったが、残念ながらこの日は営業時間が終わっていて、これは叶わなかった。
 
 現在は旧留萌駅舎の脇から背後の船場公園へ、線路跡を横断して通行できる通路が設置されている。この通路から廃駅となった留萌駅のホームを見ることが可能である。
 2年半前、早朝の列車で辿り着いた留萌駅。キハ150形が停車していたあの朝は、そんなに昔ではない。しかし、看板類が全て外され、信号機も消えて、雑草が生い茂る駅構内を見ると、それがとても大昔の話のような気がしてしまう。留萌本線自体は現在も深川~石狩沼田間での運転が続けられている。路線名として留萌の文字は路線図から消えてはいない。しかし、かつては留萌本線のほか羽幌線や貨物線もあった留萌の街から列車の姿は完全になくなってしまった。夕暮れの駅に吹く、少し冷たい風が、哀愁を漂わせる。2回目の北海道旅としてはかなりマイナーな地を巡った2年半前の旅だったが、本当に旅しておいてよかったなと思う。
 
 旧留萌駅の裏手にある船場公園。夕暮れのこの時間は、子どもたちの遊ぶ声が響き、犬の散歩をする人の姿があった。今では憩いの場となっているこの場所も、かつては鉄道関連の施設が広がる場所だった。かつての留萌駅はY字型をしていて、留萌本線のホームと、羽幌線のホームは少し離れた場所にあったらしい。その間には車両基地や貨物列車用の線路が広がっていた。今はもうかつてもこの地の鉄道の繁栄を直接表すものはないが、この広い公園がその何よりの証である。
 駅を見てると寂しさを感じてしまうが、留萌の街は相変わらず活気がある。前回の旅では留萌の中心部を歩くことはなかったが、今回は中心部の通りを歩きながらホテルへ向かった。日暮れとともにホテルに到着し、3日目も終了となった。翌日はいよいよ最終日となる。最終日は留萌から札幌へ出て、飛行機で北海道を後にした。
 
次話