【旅行記】特急宗谷と日本海オロロンライン路線バスで行く道北・稚内旅~沿岸バス特急ましけ号に乗車する~

前話
 
 今回の北海道旅もいよいよ最終日となった。この日は、昨日に引き続き、日本海オロロンラインを走るバスに乗車して札幌へ。札幌では札幌市営地下鉄南北線に乗車した後、丘珠空港からの飛行機で北海道を後にした。

留萌と札幌を日本海側経由で結ぶ特急ましけ号に乗車

 今回の旅行記で度々言及している2年半前の旅では、留萌本線の普通列車ではじめて留萌を訪れた後、路線バスで鉄道が既に廃止されていた増毛町まで行き、留萌側からのバスの終点である大別苅で折り返した。この時、特急ましけ号というバスの存在を知り、留萌から札幌へ日本海側を通っていけることを知った。大別苅から先の区間は、暑寒別岳の西側の山々が日本海沿岸まで続いていて、海岸線は断崖絶壁の険しい地形が連続している。ましけ号はこの険しい地形の中を走っていく。存在を知って以降、このバスにはいつか乗りたいと思っていたが、今回この稚内からの帰り道に乗車することにした。
 留萌と札幌間の移動は、鉄道が廃止される以前からバスを用いる方がメジャーになっていた。現在、両都市間の移動には、北海道中央バスの高速るもい号、沿岸バスのはぼろ号、これから乗車するましけ号の3路線を利用できる。そのうち最もマイナーで運行本数が少ないのが、これから乗車するましけ号である。 
 先に他の2路線について紹介する。北海道中央バスの高速るもい号は現在、1日5往復の運行である。沿岸バス留萌駅前バス停から少しだけ離れた中央バスの留萌ターミナル発着で、途中、深川を経由する便と、滝川を経由する便の2系統が運転されている。一方、沿岸バスのはぼろ号は豊富始発地とし、日本海沿岸各地と札幌を結ぶ都市間バスである。留萌市街のターミナルである留萌駅前や留萌十字街には停車しないが、春日1丁目、元川町、東橋、大和田の各バス停に停車し、このバスでも札幌へ行くことができる。はぼろ号は予約制で、1日4往復の運転である。これら2路線はいずれも留萌市内を出た後は東へ進み、道央道を経由して、札幌へ向かう。
 このように留萌と札幌の間を結ぶ他の都市間バスが、高速道路経由で走る一方、ましけ号は日本海側経由で留萌と札幌を結ぶ国道231号線を走る。増毛町や石狩市の浜益、厚田地区などを経由して、留萌と札幌を結んでいる。以前ははぼろ号の増毛経由便として運行されていたが、羽幌-留萌間が区間短縮され、ましけ号として独立している。この路線は他の路線と異なり、運行形態が少し特殊である。以前は毎日運行されていたが、現在はGW、お盆、年末年始を除き、日曜、月曜、水曜、金曜のみの運転となっていて、その他の曜日には運転されていない。運行本数は1日1往復で留萌朝発、札幌夕発が運転されている。
 全区間で車窓を楽しみたい場合、基本的には留萌発しか選べない。札幌夕発便は夏至に近い時期でない限り、途中で日が沈んでしまう。もちろん、この便は晴れていれば、日本海に沈む夕日を眺められる可能性はある。留萌発の便は現状、留萌に宿泊しないと乗車することができない。かつて列車が走っていた頃は、旭川から始発列車を乗り継ぐことで乗車可能だった。札幌発の便であれば、留萌で留萌市のデマンド乗合タクシーを利用することで当日中に札幌へ戻ったり、旭川へいくことができる。いずれにせよ曜日運行の1日1往復なので、乗車の難易度は少し高い。
 
 ホテルから留萌駅前バス停へ歩いていると、中央バスの留萌ターミナルから7時発の札幌駅前行のバスが発車して行った。このバスは札幌に9時38分に着く。これから乗るバスは7時15分発で札幌着は10時15分到着なので、高速道路経由も日本海側経由も所要時間の差は案外小さい。
 バス停に到着すると5人くらいの人がバスを待っていた。しかし、待っていた人は皆、ましけ号の5分前に発車する旭川行きのバスを待つ人たちだった。旭川行きのバスが発車していくと、バス停に1人取り残される形になった。留萌旭川線は沿岸バスと道北バスの共同運行となっている。以前は普通便と快速便が運行されていたが、留萌本線の廃止に合わせて運行形態が見直され、羽幌発着の特急あさひかわ号の運行が開始される代わりに、快速便の運行がなくなった。
 旭川行きのバスが発車すると、まもなくましけ号がバス停に到着。札幌への3時間の旅が始まった。2日目には特急宗谷で乗車時間約5時間、3日目には豊富からの路線バスで乗車時間約4時間を経験しているので、3時間というのがすごく短く感じてしまった。
 
乗車記録 No.19
沿岸バス 特急ましけ号 札幌駅前行
留萌駅前→札幌駅前
 

留萌の街を出て、増毛町を目指す

 留萌駅前には道路を挟んで2カ所ののりばがある。増毛方面への路線バスは、待合所から道路を挟んで反対側ののりばから発車するが、ましけ号は待合所側の乗り場から発車し、路線バスと逆向きに発車する。旭川方面へのバスがこちらを使っており、都市間バスは1番のりば発着に統一されている。留萌駅前を発車したバスは駅前の交差点から数度曲がり、通常のバスルートへ戻った。
 
 留萌市街地では、留萌駅前のほか、開運町2丁目、錦町、留萌十字街、寿町1丁目に停車する。このうち錦町と留萌十字街(中央バスでは本町十字街という)は北海道中央バスの高速るもい号も停車するバス停となっている。ただし、ましけ号とは向かう方向が違うので、のりばは互いに反対車線側になっている。この日は留萌市街での乗車はなく、バスは留萌市街を出た。
 
 留萌市街を出ると、早速日本海が見え始めた。昨日はひたすら国道232号線を進んできたが、留萌からは国道231号線を進んでいく。国道232号線は留萌と稚内を結び、国道231号線は札幌と留萌を結んでいる。留萌駅前から増毛町の中心部の先にある大別苅までは、過去に路線バスで乗車している。したがって、ここから先はしばらく一度通ったことのある道を走っていく。ほぼ同じルートだが、路線バスが舎熊地区で一旦国道から離れる一方、ましけ号は国道経由で走り、微妙にルートが異なっていた。留萌市街から増毛町の中心部までのバス停のうち、ましけ号は礼受、阿分、舎熊郵便局前にも停車するが、この日の乗車はなかった。一方、反対車線のバス停では、留萌市街への路線バスを待つ人の姿がちらほらあった。
 
 バスはしばらく日本海を眺めて進んだ後、増毛町の中心部に到達した。増毛町の中心部では、増毛南暑寒町5丁目、増毛畠中町1丁目、旧増毛駅、増毛暑寒町1丁目に停車する。南暑寒町5丁目で自分以外の初めての乗車があり、1人が乗車。続けて畠中町1丁目では3名の乗車があった。このバスは増毛と札幌を最短最速で結ぶ貴重な交通手段となっている。愛称のとおり、やはり増毛以降のバス停からの乗車が多いらしい。旧増毛駅では乗車はなく発車。2016年に廃駅となった増毛駅は、今も大切に保存されている。2年半前の旅で立ち寄った際には、ここでたこザンギを食べた。これがめちゃくちゃ美味しいかったのを思い出す。加えてお土産で買って帰った甘えびラーメンも美味しかった。

大別苅から景色が一変し、断崖絶壁の海岸線を走る

 増毛の中心部を出ると再び日本海が広がる。この先も大別苅までは住宅も比較的多く、留萌から増毛方面へ向かうバスも、全便が増毛の中心部を抜けた先にある大別苅を起終点としている。車窓にはいよいよ断崖絶壁の急峻な海岸線が見え始めた。
 
 バスは大別苅を通過した。2年半前の旅ではここまできて折り返したので、小さい集落ながら一度訪れたことがある。今回を含めて4回目の北海道、いろんなところに行っているが、その中で最もマイナーな場所がここだと思う。
 晴れた日に増毛町の中心部からこちらの方角を見ると、背後には暑寒別岳を見ることができる。ここから先は暑寒別岳の東側の山が広がるエリアへと入る。景色もこのあたりで一変。バス停の先で立ち並ぶ住宅は途切れ、バスはしばらく森の中を走っていく。 
 留萌からのバスの終点は大別苅で、現在そこから先へ行くバス路線は、ましけ号のみなのだが、つい最近まで大別苅から先も雄冬という地区まで路線バスが運行されていた。この路線は、沿岸バスの路線の中でも秘境路線として知られ、雄冬地区へ道路が通じて間もない1983年から運行が続けられていた路線だった。しかし、利用者の低迷などを理由に今年9月末を持って路線廃止となり、大別苅から先へ行く一般路線バスは旅の直前に姿を消してしまった。バスファンには有名な路線で、この路線に乗りにこの地を訪れるファンも多かった。
 
 しばらく森の中を走ると、大別苅トンネルを皮切りに大小3つのトンネル通過。この間に国道は標高を上げていて、トンネルを抜けると、高い位置から日本海を眺められるようになった。国道は断崖絶壁の崖の途中に建設されていて、下を見るとゾッとするほど高い。トンネルを抜けたあたりは、歩古丹と呼ばれる地区で、かつては海岸沿いに小さな集落があった。集落には小学校もあり、その建物は現在も風化しながら残っている。小学校は1971年に廃校になり、現在は集落も消滅してしまった。国道にはつい最近まで歩古丹バス停が設置されていて、路線バスでここを訪れることが可能だった。一般路線バスが廃止されたのに伴い、このバス停も廃止された。
 
 歩古丹を過ぎると、バスは日方泊トンネルに入る。トンネルに入る直前、海側の車窓にはもう一つのトンネル跡らしき遺構を見ることがてきる。航空写真を見ると一目瞭然だが、歩古丹から先はもともと海岸線に沿う形で道路が建設され、大半の区間が覆道になっていた。この日方泊トンネルは、歩古丹から新ルートでトンネルを建設し、かつてこの覆道からそのまま続いていたトンネルの一部に連結させた特殊な造りになっている。
 日方泊トンネルを出ると、写真のような覆道が続く。次の黒岩トンネルとの間は覆道になっていて、頭上の断崖絶壁の崖を見ることはできない。しかし、こうした構造になっているだけでも相当険しい場所に道路を通してあることがよく分かる。
 
 バスは日本海を車窓に海岸線に沿って何度もカーブを曲がりながら走っていく。それにしても、過去3日間で眺めたような、大地どこまでも続く北海道の景色とはとても対照的な光景である。広い大地が広がるのも北海道、堤防などなくどこまでも砂浜が続いているのも北海道、そして断崖絶壁の荒々しい地形が広がるのもまた、北海道である。場所によっていろんな景色が楽しめるのが北海道の面白さの一つ。これだから何度も通いたくなるし、いろんな景色を見てみたくなる。
 
 トンネルをいくつかと通りながら進むと、バスは岩老地区へ入った。ここには小さな集落と温泉施設がある。現在は大別苅を出て、最初にある集落である。以前のましけ号はこの集落を通過していたが、路線バスの廃止に伴い、10月からましけ号の停車地に加えられた。その後もしばらく、国道は断崖絶壁の山と海岸線の間を走っていった。

かつて陸の孤島だった雄冬、浜益を経由しながら国道をひた走る

 バスは雄冬地区へ到達した。ここ雄冬は暑寒別岳の東側にあるオロロンラインを象徴するような場所である。ここに道路が開通したのは今から45年ほど前の話。それまで雄冬は陸の孤島となっていて、ここへ行くには増毛から船で行くアクセスしなければならなかった。道路が未発達の時代は、北海道の本土であっても、ここ雄冬のように船でアクセスしないといけない集落というのがいくつかあったという。雄冬はそうした集落の中でも遅くまで船がアクセス手段として用いられていた場所で、周辺には手付かずの自然が広がることから西の知床とも呼ばれていた。
 
 雄冬地区の大部分は増毛町だが、南側の一部分は石狩市となっている。雄冬バス停は増毛町と石狩市の境の石狩市側に設置されていた。地区の途中に町と市の境があるのは、明治時代の漁業権を巡る闘争に起因するらしい。雄冬の集落を通過すると、雄冬岬の記念碑が建つ駐車場がある。記念碑の後ろには白銀の滝という滝があり、観光スポットの一つになっている。ここから先が暑寒別岳の西側に位置するエリアとなり、国道231号線が走る区間の中でも道路の開通が遅かった区間へと入っていく。
 
 ここから先、浜益地区までは再びトンネルが連続する区間となる。ここも先ほどの日方泊トンネルと同じく、以前は雄冬岬トンネルなどの3つのトンネルが連続する区間だったが、雄冬岬トンネルとガマタトンネルの間に新しく雄冬岬トンネルを建設して連結し、2016年に浜益トンネルとして開通した。現在、このトンネルが国道231号のトンネルの中で最長のトンネルとなっている。浜益トンネルの浜益側は覆道を経て、千代志トンネルと繋がっていて、トンネルに掲げられたトンネル名は千代志別トンネルの入口から浜益トンネルとなっている。
 これらトンネル群を抜けると、次の二ツ岩トンネルとの間に千代志別バス停がある。こんなところにバス停がとびっくりするが、ここにも小さな集落があり、現在も数軒の民家がある。バス停の先にある二ツ岩トンネルも、2000年代に入って開通したトンネルで、隣には旧道となるつばめ岩トンネルの跡が残っていた。二ツ岩トンネルも床丹覆道と連結されていて、トンネルを出るとしばらく覆道を走る。トンネルを抜けると、そこには床丹の集落があり、ここにもバス停が設けられている。千代志別や床丹という小さな集落も札幌駅と一本のバスで結ばれている。
 
 国道は床丹の先で、幌(”ぽろ”と読む)と群別という集落を通過する。ここはそれまでの集落に比べれば、やや人家が多い集落で、ここにもバス停が設けられている。群別を出ると、バスは浜益地区に入った。ここは石狩市の支所が設けられていて、少し大きめの郵便局やコミュニティセンターも設置されている。ここかに少し先へ進んだ柏木地区は大別苅を出て以降、久しぶりに平地が広がる場所で、滝川へ暑寒別岳の南側を経由して走る国道451号線が分岐している。思えば、増毛町の中心部を出てからここまで、国道や道道が分岐する地点は一か所もなかった。急峻な断崖絶壁の海岸線はこの先もしばらく続くが、既に暑寒別岳の真横は通り過ぎている。浜益地区も道路開通までは陸の孤島だった場所。こちらは小樽から船でアクセスしていた。
 浜益では乗車がなかったが、川下、柏木では合わせて5名ほどの乗車があり、車内の乗客は10人ほどなった。水曜日だったので、利用客はどれくらいいるのだろうかと思ってきたが、曜日運行の分、それに合わせて札幌に出る人が多く、意外と利用者は多いらしい。柏木にはセイコーマートがある。増毛町のセブンイレブン増毛町店以来、41kmぶりのコンビニである。
 
 柏木で乗客を拾ったバスは、ここから濃昼(”ごきびる”)峠へ進んでいく。暑寒別岳の西側の断崖絶壁区間は終わったが、ここから先も厚田までは険しい地形が続く。毘砂別地区を通りすぎると、国道はU字にカーブし、坂道を登る。ここまで海岸近くを走ってきたが、車窓には森が広がった。その先、新送毛トンネルを抜けると、再び海岸が近づく。バス停はないが、トンネルを抜けた先の海岸沿には送毛の集落がある。さらに進むと、濃昼地区へ。ここにはバス停があり、国道は集落を避けるように再度U字のカーブを曲がった。その先は再び海岸線を進む区間となり、バスはしばらく日本海を見ながら進む。先ほどまで、奥には切り立った崖が見えていたが、このあたりから稜線がなだらかになってきた。荒々しい地形が続く区間も終わりがみえてくる。
 
 バスは厚田地区に入った。厚田支所がこのバスの最後の乗車停留所となっていて、ここから先は札幌駅に程近い北大病院前までノンストップとなる。厚田支所からも2人の乗車があった。大別苅からここまでは、現在他のバスの運行がなく、ましけ号単独区間(デマンドバスを除く)となっているが、厚田から先は北海道中央バスの札幌行の路線バスも走っている。この路線バスは毎日運行で、平日は1日5往復、土休日は1日4往復の運行である。一般路線バスである分、所要時間はましけ号よりやや長めとなっていて、札幌駅までは1時間35分かかる。
 実はこの時間、ましけ号の発車直後には、すぐに中央バスの札幌行きもやってくる。ましけ号は雄冬までは乗車のみだが、千代志別から厚田支所間は乗り降りのどちらも可能である。したがって、留萌からましけ号に乗って、ここで中央バスの路線バスへ乗り換える行程も可能になっている。

日本海を離れて石狩川を渡り、札幌の市街地へ

 厚田を出た後もしばらくは海に近い場所を走るが、やがて国道は海から離れていき、反対側に広がっていた高い山もなくなる。車窓も牧草地や畑が広がりはじめ、石狩平野が近づいていることを予感させる。バスは、暑寒別岳の西側を通って、石狩平野の端に到達し、北海道の大河、石狩川を渡る。今渡っている橋が、この川の河口側に架かる最後の橋である。この日は南風が強く、平野へ到達すると、沿道の木々は風に押されていた。
 
 石狩川を渡ったバスは倉庫街が広がる中を進み、一瞬道央圏連絡道路を走った後、札幌市の大動脈である創成川通へ入った。創成川通りは札幌市街地を南北に貫く大きな通りで、通りの名前は、ほぼ全区間で上下線の間を流れている人口河川の創成川に由来する。札幌市街地は北何条西何丁目のように方角と条丁目で住所が区分けされているが、このうち西と東を分けるのがこの創成川通りである。創成川通より西、東にいくほど、丁目の数字が大きくなる。一方、南北を分けるのは大通となっている。
 この地名のルールを知っていれば、北何条西何丁目と言われた時、それが大体どの辺で中心部からどれくらい離れているかもすぐにわかる。理屈が分かれば確かにこっちの方がわかりやすい。
 ただし、札幌市街地も全域がこの地名の付け方になっているわけではない。札幌市の北側は創成川通の西側が屯田や新琴似など、東側が篠路、太平何条何丁目になっている。東西南北で表されるのは、札沼線を跨いだところ付近から。ここからは条数が札幌駅方面に進むにつれてどんどん小さくなっていく。
 
 バスはずっと創成川通を進んでいくが、環状通との交差点で右折し、さらに北大病院前で左折。樽川通へ入り、北海道大学病院前バス停に停車した。ここでは車内の半分くらいの乗客が下車していった。樽川通りは北海道大学の東側を走る通りで、学生が行き交う賑やかな通りになっている。この通りをしばらく進むと、JRの高架下を通って札幌駅へ。留萌から3時間、バスは終点の札幌駅前に到着した。
 ましけ号では現金の他、キャッシュレス決済も利用できる。キャッシュレス決済で支払うと運賃が少しだけ割引になった。運転士にお礼を告げてバスを下車した。
 
 乗車していたバスは、札幌駅前の32番のりばに到着した。少し前まで札幌駅には大きなバスターミナルがあった。しかし、駅の再開発に伴って昨年営業を終了し、現在バスターミナルへ乗り入れていた路線ののりばは、札幌駅周辺の道路上に散らばっている。沿岸バスの留萌・羽幌・豊富方面のバスは、手稲通上のホクレンビルの道向かいにある32番のりば発となっており、到着するバスも基本的にここを使う。バスターミナルなら雨に濡れずに済むが、路上のバス停だと傘を差さないといけないので、やはり少し不便である。新しいバスターミナルの完成は2028年度の予定で、九州で言うところの熊本桜町バスターミナルのような雰囲気のターミナルになるらしい。
 
 2日前、特急宗谷で稚内へと旅立った札幌駅へ戻ってきた。ましけ号の車窓は、前日の豊富-留萌間のオロロンラインとは異なり、断崖絶壁の地形が続き、荒々しい車窓の連続だった。ずっと気になっていたこの区間の景色を実際にこの目で見ることができ、雨の中でも車窓を楽しむことができた。また一つ、北海道の新しい顔を見れた気がする。
 さて、いよいよ今回の旅も終わりが近づいてきた。天気が良ければ、このまま直接丘珠空港へ移動して、飛行機を撮影しようと思っていた。しかし、生憎の雨なので、撮影はあきらめて、乗り鉄をして帰ることに。札幌駅からは未乗路線の中で1番丘珠空港との相性がいい札幌市営地下鉄南北線に乗車しに行った。
 
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