【旅行記】北関東鉄道探訪録 前篇 ~鹿島臨海鉄道大洗鹿島線で水戸へ~
上野駅を起点に常磐線、成田線経由で佐原に到着し、その後佐原から鹿島線の普通列車で鹿島神宮へやってきた。1日目の後半は、鹿島神宮から鹿島臨海鉄道の普通列車に乗車して水戸へ。その後、水戸線の普通列車で宿泊先の小山を目指した。
鹿島臨海鉄道大洗鹿島線に乗車する

鹿島神宮からは鹿島臨海鉄道の普通列車で水戸へ向かった。鹿島臨海鉄道は水戸から鹿島サッカースタジアム間の大洗鹿島線と鹿島サッカースタジアムから奥野谷浜間の鹿島臨港線の2つの路線を運行している。このうち、鹿島臨港線は鹿島臨海工業地帯へ向かう貨物線で、貨物列車しか走行しておらず、旅客列車が走るのは大洗鹿島線だけになっている。
前話で書いた通り、鹿島線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の接続駅は、鹿島神宮駅の隣にある鹿島サッカースタジアム駅である。鹿島臨海鉄道からの鹿島神宮発着の普通列車は、鹿島サッカースタジアム~鹿島神宮間でJR鹿島線に片乗り入れする形になっている。鹿島サッカースタジアム駅はスタジアムでの試合開催日にしか営業が行われておらず、この駅を経由する鹿島臨海鉄道の普通列車も、普段はこの駅を通過していく。鹿島神宮から水戸行の普通列車に乗車し、鹿島サッカースタジアムを通過することで、ようやくJR鹿島線を完乗できるのである。これから乗車する列車でJR鹿島線と鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の両方を乗りつぶしていく。

一本前の列車は1両だったが、乗車した列車は2両編成だった。現在、鹿島臨海鉄道では、開業当時から活躍する6000形と、2016年から活躍する8000形の2形式が旅客車両として活躍している。今回は8000形の方に当たった。8000形は新潟トランシスのNDCシリーズ顔の車両になっているが、通勤通学で多くの人が利用する路線であることから、関東鉄道で活躍している車両と同じく3ドアになっている。車内も6000形が転換クロスシートだった一方で、8000形はロングシートとなり、通勤電車のような雰囲気になった。
鹿島臨海鉄道の列車は、佐原からの鹿島線の普通列車と接続して発車することが多い。しかし、この時間は鹿島線が2時間に1本となっているので、接続がなかった。乗り換え客がいないこともあって、鹿島神宮から乗車した人は少なかった。
乗車記録 No.4
鹿島線・鹿島臨海鉄道大洗鹿島線 普通 水戸行
鹿島神宮→水戸 8000形

鹿島神宮を出た列車は次の荒野台までの間に鹿島サッカースタジアム駅を通過する。駅に入る直前に左側から鹿島臨港線の線路と合流した。この駅は普段から貨物列車が発着するため、構内はとても広い。もともとここは北鹿島駅という貨物駅として開業した。鹿島臨海鉄道鹿島臨海線の神栖駅を出た貨物列車は、この駅で鹿島臨海鉄道からJR貨物に運行が引き継がれ、機関車を付け替えてJR鹿島線へと入っていく。
試合開催日にしか降りれない駅のホームを通過すると、その先でEF210形の機関車とすれ違った。先ほど鹿島神宮で列車を待っているとき、貨物列車が通過して行ったのを目撃していたのだが、この機関車はその貨物列車を牽引していた機関車だった。貨車は鹿島臨海鉄道の機関車に牽引されて、鹿島臨海線へ入って行ったので、ここで神栖発の貨車を待っている。ここが鹿島線の終点。この駅を通過したことで、ようやくJR鹿島線の完乗となった。

荒野台駅の次は長い駅名として有名な「長者ヶ浜潮騒はまなす公園前」駅に停車する。日本有数の長い駅名の駅として知られ、一時期日本一長い駅名だった時期があった。もうだいぶ前だが、GoogleアプリのCMにも使われた。長者ヶ浜潮騒はまなす公園前から○○までと言わなくても、ここから○○までと言って検索できるということをアピールするCMだった。駅名の潮騒はまなす公園は駅から徒歩10分ほどの場所に存在するが、公園の正式な名前は大野潮騒はまなす公園である。

列車はしばらく住宅と畑が広がる景色の中を走っていく。のどかではあるものの、住宅も結構多くある。太平洋から1キロほど内陸へ進んだ場所を走っていくので、臨海鉄道という名前だが、海が臨める場所はない。このあたりは丘陵地になっているようで、海から一段高い場所を走っていく。海が見えそうで見えないこの感じ、八戸線の階上付近を思い出した。

大洋駅を出ると、列車はしばらく森の中を進み、北浦湖畔駅へ。その名の通り車窓の左側には北浦が広がった。鹿島臨海鉄道は、もともと国鉄が運行する予定で、日本鉄道建設公団が建設を進めた。しかし、国鉄の経営難により、国鉄での運行が難しいと判断され、先に鹿島臨港線を運行していた鹿島臨海鉄道が大洗鹿島線として、この区間の運行を行うことになった。鉄道公団が建設した路線は比較的新しい路線のため、高架橋やトンネルが多様される特徴がある。そのため、大洗鹿島線は、踏切がとても少なく、水戸駅付近でJR常磐線と並走する区間にある踏切以外に踏切が存在しない。高架橋や盛土区間が多いため、眺めがよく、さらに線形がいいので列車は軽快に走り抜けていく。
列車はしばらく北浦を眺めて走ると、新鉾田駅に到着した。この駅が新鉾田を名乗るのは、以前この街に鉾田駅が存在していたから。鉾田駅はかつて石岡駅とこの街を結んでいた鹿島鉄道(その前は関東鉄道鉾田線)の駅だった。今もバス停として鉾田駅の名前は残っており、駅の跡地は関鉄バスの車庫になっている。

新鉾田駅を出ると鹿島旭、涸沼と停車し、大洗へ出た。大洗の到着前のほんのわずかなタイミングで、遠くに太平洋を見ることができる。おそらく大洗鹿島線から太平洋が見える唯一のタイミングではないかと思う。大洗には北海道の苫小牧港を結ぶ商船三井のさんふらわあが発着する大洗港がある。車窓からもその大きなフェリーの姿を見ることができた。ここから苫小牧までは18時間かかるが、一度乗ってみたい船である。フェリーの手前に建っているのは大洗マリンタワーという展望台。大洗の街並みや太平洋が一望できるらしい。
大洗駅では乗客が一気に増えた。ここから水戸までの区間は大洗鹿島線で最も混雑する区間になる。大洗-水戸間には区間列車も多数設定されていて、列車の運転本数も増える。大洗駅は鹿島臨海鉄道の本社と車両基地があり、運行の拠点になっている。

大洗を出ると、涸沼川を渡り、その先でカーブして進路を北西に変え、水戸を目指していく。ここから水戸の手前まではずっと高架橋かつ直線で、列車は田園風景の中を颯爽と走っていく。常澄、東水戸と停車すると、カーブしながら桜川という小さな川を渡り、常磐線と合流して、地上へ下りる。列車はゆっくりと水戸駅構内へ入り、終点の水戸に到着した。
はじめて水戸駅に降り立つ

鹿島臨海鉄道の水戸駅は、JRと同じ改札内の1番線を使う。これももともと国鉄が運行予定だったことの名残。この駅で乗車する際にはどのドアからも乗車できるが、降りる際には、一番前のドアを使い、きっぷを持っている場合は運転士に提示し、精算が必要な場合は運賃箱で精算後、精算済証を発行機から取る。2両目に乗車していて、結構混雑していたので、降りるのには数分かかった。ちなみに、鹿島神宮駅でも下車の方式は同じになる。面白いのは鹿島神宮駅で車内精算した場合で、鹿島線区間の運賃も精算しているので、精算済証は、鹿島サッカースタジアム駅から190円区間の乗車券と同じような券面になっている。
水戸駅へ降り立つのはこれが初めてだった。これまで特急「ひたち」で2度通ったことのある水戸駅だったが、降り立ったことはなく、茨城県は、県庁所在地の代表駅で降りたことのない県の一つになっていた。これで残すは前橋駅と山形駅だけになった。いずれも通過しているが降り立ってはいない。
この駅は常磐線と水郡線、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の3路線が乗り入れている。また、友部から常磐線を分かれる水戸線からの直通列車も乗り入れており、茨城県下一のターミナルとなっている。茨城県もまた西側は東京に近く、北側は東北に近いので、いろんな街があって面白いところだと思う。
水戸では常磐線の普通列車に乗り換えて一旦勝田へ向かう。時間があるので、一度駅の外へ出た。

水戸駅には駅ビル「excel」があり、この駅ビルの外観は「X」字となっていてとてもかっこいい。駅前には市街地が広がっており、北東の方には水戸城址が、西の方には偕楽園がある。偕楽園の方は駅から2km離れているが、常磐線には臨時駅が設けられていて、2月〜3月にかけて営業している。ホームは水戸方面の下り線にだけ設置されている。今回は乗り換えのついでに改札外へ出ただけだったが、来年には水郡線に乗車しに再びここへきて、水戸へ泊まろうと思っている。時間があれば偕楽園も巡ってみたい。
今回は鹿島神宮駅から勝田駅までの乗車券を使用して鹿島臨海鉄道に乗車した。両端がJRに接続する鹿島臨海鉄道では、付近のJRの間との通過連絡運輸の設定があり、鹿島神宮から勝田間も一枚のきっぷで購入することができる。鹿島臨海鉄道経由の鹿島神宮~勝田間の距離は62.0kmであり基本的に途中下車はできない。しかし、JRと他社との連絡乗車券は、改札を出ないと乗り換えられない駅が存在するため、接続駅でのみ途中下車が認められている(JRの旅客連絡運輸規則76条で規定)。今回はこのルールを利用して、水戸駅で途中下車した。ちなみに例えばJR線経由で鹿島神宮から成田線、常磐線経由で勝田までの乗車券を買った場合、営業キロは100キロを超えるが、大都市近郊区間内に含まれるため、この場合も途中下車はできない。また、成田から勝田までの乗車券を鹿島臨海鉄道経由で購入した場合、鹿島線と鹿島臨海鉄道との接続駅は鹿島神宮ではなく、鹿島サッカースタジアム駅なので、乗り換え駅である鹿島神宮駅での途中下車も不可となる。
駅の改札口で駅員に途中下車を申し出ると、券面を確認後に下車印を押してもらうことができた。ネット上でもこの駅でこのルールを使って途中下車している人は比較的多いようで、駅員も慣れていた。
一駅だけ常磐線を下り勝田駅へ

さて、水戸からは土浦始発の普通勝田行に一駅間だけ乗車し、隣の勝田駅へ向かった。小山が宿泊地なのに、逆に一駅進んで、この駅までやってきたのは、鹿島神宮からここまでの乗車券を買っていたからというのもあるが、次に乗る水戸線直通の普通列車がこの駅が始発駅だったからである。勝田も水戸駅同様、2度通ったことがあるが、今回が初訪問だった。この駅はひたちなか市の代表駅。常磐線の他に当駅と阿字ヶ浦駅を結ぶひたちなか海浜鉄道も発着している。この路線も未乗だが、今回はもう日没が迫っているので乗車しない。この路線には水郡線に乗りにきた時に合わせて乗車するつもりでいる。
乗車記録 No.5
常磐線 普通 勝田行
水戸→勝田 E531系

ここで折り返すので、一旦駅の外へ。夕方ということで、学生の姿が多かった。勝田駅は常磐線の運行拠点の一つである。駅の北側には勝田車両センターがある関係上、この駅を起終点となる列車が多く設定されている。常磐線の特急ときわは一部に高萩発着となる列車があるが、基本的に品川・上野とこの駅を結んでいる。また常磐線の中距離電車のうち、土浦から水戸方面へ直通する普通列車も高萩発着の列車が何本か存在するが、多くがここ勝田を始終点としている。この駅は常磐線の都心方面への輸送の一端となっている。
水戸線直通の普通列車を乗り通し小山へ

勝田からは普通列車小山行を乗り通して小山へ向かった。友部と小山を結ぶ水戸線は横浜線や奈良線と同じく、水戸駅を通らない路線である。水戸線は水戸鉄道という会社が明治時代に開業させた。現在の常磐線よりも早く建設されたため、友部~水戸間も水戸線の一部として開業している。後に現在の常磐線が建設されると、友部~水戸間はこちらに吸収され、水戸線は水戸へ行かない路線となった。
路線自体は水戸へ行かないが列車は一部が常磐線へと直通し、水戸・勝田・高萩発着で運転されている。勝田は先述の通り車両基地があるため、水戸線沿線から水戸への移動を支えると同時に車両の入出庫を行う役割をもっている。
列車は発車の10分前くらいに入線。すぐに隣のホームには当駅始発の特急ときわ76号が入線してくるが、乗車した普通列車の方が先に勝田を発車する。特急列車に先行したのも束の間、水戸では13分停車し、勝田を後発したときわ76号に抜かれる。水戸では帰宅客が大勢乗り込んできた。始発の勝田から乗車して正解だった。
乗車記録 No.6
常磐線・水戸線 普通 小山行
勝田→小山 E531系3000番台

水戸で停車している間に、外は完全に暗くなり、そこから先は夜間走行となった。列車は友部から水戸線に入る。水戸線には東京に住んでいた頃、1度乗車したことがあり、前話の成田線我孫子支線と同じく2度目の乗車だった。明るい時間帯なら、車窓には筑波山を楽しむことができる。下館までは乗客が減っていくが、下館からはまとまった乗車があり、その後は小山へ向けて乗客の数も増えていった。小田林を出ると、茨城県から栃木県に入り、交流から直流へ切り替わるデッドセクションを通過する。その後、東北本線と合流して、終点の小山に到着した。
小山がこの日の宿泊地となった。明日は両毛線で高崎へ行く。この日中に高崎まで行くこともできるが、夜間走行ばかりだ面白くないので中継点に宿泊してみた。よくよく考えると、栃木県に宿泊するのはこれが初めてだった。
水戸線に乗車したことがあるので、もちらん小山駅にも一度来たことがあるが、前回乗車時はいわゆる大回りでの乗車だったので、改札外へ出たのはこれが初めてだった。小山駅は東北新幹線、東北本線、両毛線、水戸線の4路線が乗り入れる栃木県南部のターミナル駅。小山はあまり西日本では有名な場所ではないが、栃木県内では宇都宮市に次ぐ大きな街となっている。駅舎は現在改装中だった。
この日は小山の東横インに一泊。翌日は両毛線でさらに西へ向かい、次なる未乗路線、信越本線の起点である高崎駅を目指した。
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