【旅行記】北関東鉄道探訪録 前篇 ~信越本線高崎口と碓氷鉄道文化むら観光~

前話
 
 栃木県は小山駅前のホテルに宿泊して迎えた2日目は、両毛線の始発列車で高崎へ出た後、信越本線ルートで長野を目指した。高崎からはまず信越本線の群馬県区間に乗車。その後、横川で碓氷峠鉄道文化むらを観光した。
 

両毛線の始発普通列車で高崎へ

 まだ夜が明けぬ中、ホテルをチェックアウトして、歩いて小山駅へ。2日目は最初に小山駅から両毛線に乗車して、高崎駅へ向かった。この日は高崎から長野へ信越本線ルートで旅していく。
 今回の旅の初案では、小山に宿泊する予定はなく、宇都宮に宿泊して、宇都宮ライトレールとわたらせ渓谷鉄道に乗車するつもりだった。しかし、秋の日光は紅葉を目当てに訪れる観光客が多く、日光駅と間藤駅をつなぐバスも、渋滞に巻き込まれて遅延しやすいということが分かった。例年であれば、旅行日頃にはすでに紅葉のピークを過ぎているはずだが、今年は紅葉ピークが遅れたこともあり、ちょうど紅葉シーズンと重なった。紅葉の日光も気になるが、その先の予定もあるので、今回はわたらせ渓谷鉄道への乗車を延期。来年予定している後篇と旅程を入れ替えて、信越本線ルートで長野を目指す旅を先に実施することにした。
 
 小山から乗車したのは、両毛線の普通列車高崎行き。乗車した列車は211系3両編成を2本繋いだ6両編成だった。高崎車両センターに所属する211系には3両編成と4両編成の車両がある。このうち3両編成は、常に2編成繋げた6両編成で運転されている。(写真は栃木駅停車中に撮影したもの)
 両毛線には、都内に住んでいた頃、前日に乗車した水戸線と同じタイミングで乗車した。その時は、高崎から小山へ向けて乗車したので、今回は逆方向(上り)での乗車ということになる。両毛線は小山駅が起点で、新前橋駅が終点だが、直通する上越線と合わせて、新前橋・高崎方面が上り、小山方面が下りになっている。
 
乗車記録 No.7
両毛線・上越線 普通 高崎行
小山→高崎 211系3000番台
 
 小山~高崎間の両毛線・上越線経由での所要時間はおよそ2時間である。所要時間の短い列車は、この区間を1時間50分ほどで走る。しかし、乗車した小山発の始発列車は、途中の駅での反対列車待ちが多いので、他の列車よりも所要時間は長めにになっており、高崎までの所要時間は2時間13分だった。
 211系は基本的にロングシート。ロングシートに2時間というのはなかなか堪えるが、この車両はにはトイレ横に進行方向を向いた座席がある。前回乗車したときは、あまり景色を眺めることができなかったので、今回はここに座って、景色を眺めながら高崎まで行くことにした。
 
 ホテルを出たときにはまだ真っ暗だったが、発車を待っている間にだいぶ明るくなり、発車した時点で車窓が見えるくらいの明るさになった。列車は小山駅を出て東北本線と別れ、栃木駅へ向けて走っていく。東武日光線との乗り換え駅である栃木駅には3年前に来たことがある。この駅はJRの駅と東武の駅の両方にJRの車両がやって来るちょっと面白い駅である。新宿と東武日光・鬼怒川温泉を結ぶ特急日光、きぬがわは、栗橋駅で東北本線から東武日光線に直通するので、東武日光線のホームにやってくる。
 栃木を出ると、列車は広い田園地帯の中を走り、佐野へ向かっていく。やがて日の出となり、朝日が顔を出した。佐野もまた東武佐野線との乗り換え駅である。佐野線は伊勢崎線から分かれ、館林駅と葛生駅を結んでいる。
 
 佐野を出ると、再び田園地帯を走り、足利を目指す。足利の一つ手前のあしかがフラワーパーク駅は、週末になると都心方面からの臨時列車がやって来る。この時期はイルミネーションを楽しむことができ、この日も午後から新宿からの臨時列車の運転があった。足利が両毛線の栃木県内における最後の街。足利駅から2駅目の小俣駅を出ると、列車は群馬県へと入り、桐生に到着した。
 
 桐生を出ると両毛線は南西に進んで伊勢崎を目指す。桐生はわたらせ渓谷鉄道との接続駅だが、設備上は前橋方面へ少し進んだ下新田信号場で分岐しており、桐生から下新田間はわたらせ渓谷鉄道の列車も両毛線の線路を走っていく。下新田信号場には両毛線の留置線もある。桐生と高崎の間には区間列車が多数設定されており、ここからは利用客も増える。
 このあたりは、JR両毛線、わたらせ渓谷鉄道、東武桐生線、上毛電鉄と鉄道路線が入り乱れていて、乗りつぶすのが少し大変。まだ両毛線しか乗車できていない。桐生を出ると、再び田畑が広がる中を走行。岩宿、国定と停車すると列車は伊勢崎駅に到着した。
 
 伊勢崎を出ると両毛線は再び北西に向きを変え、前橋へ。前橋は群馬県の県庁所在地だが、両毛線では他路線と接続がない途中駅。群馬県下最大の駅は、いろんな路線の列車が乗り入れる高崎駅の方である。日中は両毛線の列車しか来ないが、朝夕には高崎線や上野東京ラインに直通する列車の発着がある。中には静岡県の沼津駅まで約4時間20分かけて走る列車も存在する。
 
 前橋を出ると、利根川を渡って、新前橋へ。昨日鹿島線で渡った利根川は大河だったが、前橋を流れる時点ではまだ普通の川だった。両毛線の終点は新前橋駅。ここからは上越線に入って、高崎駅へ。列車は井野、高崎問屋町と停車して、終点の高崎に到着した。

初めて改札外へ出た高崎駅

 小山駅同様、高崎駅も前回来た時は、八高線から両毛線の列車へ乗り継いだだけだったので、駅の外へ出たことがなかった。今回は乗り換え時間があったので、一旦改札外へ出てみた。
 高崎駅は上越新幹線、北陸新幹線、高崎線、上越線、信越線、それに私鉄の上毛電鉄の計6路線が乗り入れるターミナル駅。さらに上越線を経由して、両毛線、吾妻線の列車が、高崎線を経由して八高線の列車がやって来るため、計9路線の列車が発着している駅となっている。高崎市は人口37万人を有する群馬県内最大の都市。前橋市より5万人ほど人口が多い。前橋市は利根川の両岸に市街地が広がる一方、高崎市は烏川の周辺に市街地が広がっている。高崎といえば、全国に家電量販店を展開するヤマダ電機の本社所在地。高崎駅も東口の方に「ヤマダデンキ LABI1 LIFE SELECT 高崎」という大型の店舗があり。本社はここに併設されている。
 
 ところで、この日は土曜日だった。関東やその近傍を週末に旅する場合は、週末パスというお得なきっぷが発売されている。関東地方のほか、甲信越エリア、さらには東北エリアでは主に福島、宮城、山形の3県で利用できるきっぷで、前売りの8800円で発売されている。このエリアのJR路線バスのほか、一部私鉄も利用可能。この後は、しなの鉄道や長野電鉄に乗車する予定だが、この2つの路線も利用可能だった。基本的には土日の2日間有効のきっぷで、新幹線も特急券を購入すれば利用することができる。個人的には各社でいちいちきっぷを買う手間がかからないのも大きなメリットだと思う。自分は仕事柄土曜日が仕事なので、日曜が1日目になることが多く、あまり使う機会はないのだが、今回は土曜が祝日で休みだったので、このきっぷを初めて利用した。
 

高崎から長野へ、信越本線ルートで旅する

 さて、高崎駅からはこの日の本題に入る。現在もここ高崎駅は、信越本線の起点となっている。信越本線は、高崎駅を起点に、軽井沢、長野、直江津、長岡などを経由して、新潟へ至る幹線路線で、かつては「あさま」や「白山」などに代表される、長野や金沢方面へ向かう列車が多く運行されていた。しかし、1997年に北陸新幹線の高崎~長野間(長野新幹線)が開業すると、急勾配が続き、鉄道の難所として知られていた碓氷峠区間の横川~軽井沢間が廃止され、長野県内の軽井沢~篠ノ井間は、第三セクターであるしなの鉄道に移管された。さらに、2015年には北陸新幹線が金沢へ延伸。これに合わせて、長野~直江津間も、並行在来線としてしなの鉄道とえちごトキめき鉄道へ移管。長野~妙高高原間は北しなの線に、妙高高原~直江津間は、妙高はねうまラインになった。結果として、現在の信越本線は、群馬県内の高崎~横川間、長野県内の篠ノ井~長野間、新潟県内の直江津~新潟間が点在する形となり、途切れ途切れの路線となっている。
 現在、高崎からの信越本線は、横川で途切れていて、列車で群馬県を出ることはできないが、廃止された横川~軽井沢間には、JRバス関東が碓氷線として路線バスを走らせており、このバスを使うことでしなの鉄道に乗り換え、信越本線ルートで長野へ出ることが可能になっている。高崎~横川間の信越本線に乗車した際には、路線バスで碓氷峠を通って軽井沢へ出て、さらに長野まで行ってみたいという夢があった。今回は実際にそれにチャレンジしてみる。高崎駅から信越本線ルートで行く、長野への旅がスタートした。
 

横川行きの普通列車で、信越本線を完乗する

 高崎から長野への第一走者は、信越本線の普通横川行き。先ほど両毛線で乗車した列車は3+3両の6両編成だったが、今度は4両編成だった。長野県、新潟県内の信越本線には、既に乗車しているので、この列車で横川へ行けば、ついに信越本線の完乗ということになる。
 この日は高崎~横川間で運行されてきた電気機関車とディーゼル機関車牽引の臨時列車「ELぐんま」、「DLぐんま」のラストラン前日だった。高崎駅や信越本線の沿線には、それを目当てに高崎を訪れている鉄道ファンの姿が多かった。乗車した列車も、カメラや三脚を持っている鉄道ファンで賑わっていた。
 高崎駅の南側にある「ぐんま車両センター」には、蒸気機関車、電気機関車、ディーゼル機関車の各種機関車と、旧型客車を含む客車車両が多数配置されている。JR東日本高崎支社では、以前からこれらを活用した臨時列車を信越本線や上越線で運行していた。SL列車の運転は今後も続けられるものの、電気機関車とディーゼル機関車で運転される列車は、今年の秋をもって運行を終了することになり、この日はラストランを翌日に控え、沿線ではイベントなども実施されていた。
 これまで電気機関車やディーゼル機関車は、検査などで車両を回送する配給列車や、レールなどを運ぶ工事列車に使用されてきた。しかし、老朽化と効率化のため、電気式の気動車のGV-E197系に置き換えが進められている。貴重になったEL・DLの牽引列車は、鉄道ファンに高い人気があり、高崎地区の鉄道の名物の一つだった。来年以降は、SL列車の補機もGV-E197系が務めることになっている。
 
乗車記録 No.8
信越本線 普通 横川行
高崎→横川 211系3000番台
 
 高崎を出た列車は、発車後まもなく左へカーブして、上越線と新幹線の線路と離れ、西へ進んだ。信越本線の上り線は、上越線の線路をオーバーパスして合流する形になっている。かつてこの駅を特急列車がバンバン発着していた時代の名残だろう。
 北高崎駅を出ると、烏川を渡り、その後はこの烏川に合流する碓氷川に沿って、横川へと進んでいく。群馬八幡を出ると、信越本線は碓氷川の安中鉄橋を渡る。この鉄橋は、信越本線の撮影地として有名で、この日は臨時列車を撮影しようと、数百人レベルの人が待ち構えていた。乗車した列車に乗り合わせていた鉄道ファンも、このあたりで撮影しようと考えている人が多いらしく、群馬八幡や安中で多くの人が下車していった。安中駅と磯部駅との間には田園風景が広がるが、ここにも多くの撮影者の姿があった。
 
 列車は横川までずっと坂を登って行く。安中を過ぎたあたりから独特な形をした山が見えてきた。妙義山と呼ばれる山で、日本三大奇景の一つなんだとか。山は紅葉していてとても美しかった。松井田駅を出ると、住宅も減り、景色も山間ののどかな風景に変わる。列車は国道18号線と並走しながら、何度もカーブを曲がり、終点の横川に到着した。
 
 高崎から30分で横川駅に到着。信越本線とは名ばかりで、群馬県を出てすらいないが、高崎から続く信越本線はここが終点となり、レールはここで一旦途切れる。この先には碓氷峠という険しい峠がある。山を登ると長野県に入り、避暑地・別荘地として有名な軽井沢に至る。先述の通り、ここから先、軽井沢までの鉄路は廃止されてしまったが、路線バスに乗車することで、軽井沢へ行くことが可能となっている。ここから先はそのバスに乗車していくが、その前にここ横川には鉄道ファンなら訪れておきたい観光スポットがあるので、そこに立ち寄った。

碓氷峠鉄道文化むらを観光

 
 横川駅では、駅前にある「碓氷峠鉄道文化むら」を観光した。横川~軽井沢間にある碓氷峠は、国内の鉄道路における難所の中でも、特に険しい難所として知られていた。横川駅の標高は386mなのに対して、軽井沢駅は940m。両駅は直線距離で9kmしか離れていないが、550m以上の高低差がある。この峠の急坂は、普通の鉄道では対応しきれず、開業から廃止まで、特殊な運行方式を使って運行が行われていた。碓氷峠区間の最大勾配は、66.7パーミル。これは1km進むと66.7m登っているという意味である。ビルだと20階建てくらいに相当する。1kmで20階建てビルの屋上に登るようなものと考えると、いかにこの区間が急勾配だったかが分かる。
 ここ横川駅は、そんな碓氷峠の列車運行を支えるため、機関区が設けられていて、かつては信越本線の運行上の重要拠点の一つとなっていた。機関区(廃止時は運転区)は碓氷峠区間の廃止と共に閉所となったが、その後跡地が「碓氷峠鉄道文化むら」として整備され、鉄道ミュージアムとなった。園内には、国鉄時代に活躍した車両を中心に多数の車両が展示保存されている。横川機関区時代に実際に使われていた検修庫が残されており、旧詰所の展示と共に、廃止された碓氷峠の信越本線の歴史を今に伝えている。さらに、園の外周には実際の列車さながらのミニSLが走り、かつて碓氷峠で活躍していたEF63形の運転体験もできるなど、動く鉄道を体験できるのも、この施設の大きな特徴である。鉄道会社が運営するもの以外ではおそらくここが最大規模のミュージアムである。入館料は大人700円。なお、園内を走る乗り物に乗車する際には別途料金が必要になる。
 

かつて碓氷峠を走っていた189系と電気機関車たち

 券売機で入場券を買って入場すると、その先には小さな広場があり、ここには子ども向けの遊具や軽食が食べられる場店があった。その後ろには189系の先頭車両が展示されていた。189系はかつて上野~長野間を結んでいた特急「あさま」に使用されていた車両で、このクハ189-506も碓氷峠区間が廃止されるまで、あさまとして活躍していた車両だった。やはり国鉄型の特急列車はかっこいい。園内にはこのほか、あさま色と呼ばれる濃緑を纏った189系も展示されている。
 
 次に鉄道展示館へ。ここはかつて横川機関区で使用されていた検修庫がそのまま残されていて、この地で活躍した電気機関車が展示されているほか、運転シミュレーターも設置されている。展示されている機関車はEF62形とEF63形の2両。このうちEF62形は碓氷峠区間を走る列車の牽引機として、EF63形は碓氷峠区間専用の補機として活躍した車両である。これらの機関車は運転席を見学できるようになっていた。蒸気機関車の運転席はよく公開されていたりするが、電気機関車の運転席に入るのは初めてだと思う。機関車はまさに機械の塊だった。

明治から昭和にかけての碓氷峠を支えたアプト式鉄道

 信越本線の碓氷峠区間は開業当初、アプト式という珍しい方式が採用されていた。これは急勾配に対応するため、2本のレールの間にラックと呼ばれる直線的な歯車を設置し、専用の機関車の床下に取り付けられたピニオンを噛み合わせながら走る方式で、国内では碓氷峠区間に初めて導入された。
 碓氷峠区間の鉄路は、はじめに東京と大阪を結ぶ鉄道路線の一区間として計画された。しかし、急勾配が壁として立ちはだかり、結局東海道ルートの方が先に建設された。その後、日本海側の直江津を結ぶ鉄道の建設が計画されると、再び碓氷峠区間の鉄道路線の計画が模索される。その結果、ドイツからアプト式という方式を輸入し、これを採用することで、なんとかこの区間の開業にこぎつけた経緯がある。
 
 開業当初はアプト式の蒸気機関車が活躍していたが、急勾配が続く区間のため、排出される煙が問題となった。この当時、各トンネルの入口には、隧道番という係員が配置され、列車が通過するとすぐにトンネルの入口の幕を閉じて、煙が進行方向に流れないように工夫された。その後、煤煙問題と輸送力の増強のため、この区間が直流電化されることになり、発電所を建設の上で、1912年に第三軌条方式で電化開業した。これに伴い、蒸気機関車から電気機関車へと置き換えが行われた。写真は、ここで展示されているED42形電気機関車。スイスから輸入したED41形を参考に、戦前から戦後にかけて製造され、碓氷峠区間で活躍した車両である。
 
 機関車は台車付近を覗けるようになっていた。床下を見ると、ラックに噛み合わせるピニオンが取り付けられているのが見えた。碓氷峠のアプト式は、3組のラックピニオンをずらした形のラックレールが使用された。自分はあまり鉄道のメカ的な部分はに興味がないのだが、一応機械工学系の高専の出身。学生時代、機械力学なんかの講義でラックとピニオンが出てくると、いつも頭には碓氷峠が浮かんでいたのを思い出す。
 碓氷峠区間は、戦後新線を建設の上で、1963年にアプト式から粘着式鉄道(普通の鉄道)に切り替えられた。このED42形も、アプト式鉄道の廃止とともに引退。その後、この区間は先に紹介したEF62形・EF63形が活躍した。
 なお、現役のアプト式鉄道は大井川鐡道井川線のアプトいちしろ~長島ダム間で見ることができる。ここが現在国内の鉄道路線でアプト式を採用する唯一の区間となっている。この区間はもともとアプト式ではなかったが、ダム建設に伴い新線が建設され、1990年から一部区間がアプト式として運行を開始した。国内のアプト式鉄道は、1963年に碓氷峠区間が廃止されて以降、採用例がなかったが、この井川線の採用で約30年ぶりに復活することになった。こちらもこの区間だけ専用の電気機関車が連結され、碓氷峠以上の90‰というとてつもなくきつい勾配を登っている。
 
 現在は売店や鉄道ジオラマが展示され、施設の管理棟にもなっている旧詰所の2階には、碓氷峠区間の鉄道の歴史などが展示されている資料室があり、ここで碓氷峠区間の鉄道に関する歴史や運行の推移を学ぶことができた。中には鉄道が運行されていた頃の貴重な資料も展示されていた。おそらく碓氷峠が鉄道の難所であることを知らないと、何のことだかよく分からないと思うが、個人的にはとても興味深い内容だった。

屋外展示の様々な車両たちをみる

 さて、鉄道展示館を出て、次は屋外の鉄道展示ゾーンへ進んだ。ここには国鉄時代を中心に各地で活躍した車両たちが多数展示保存されている。ここには碓氷峠以外で活躍した車両も多く展示されていて、機関車、客車、気動車、また事業用の車両など様々な車両を楽しめる。
 前回の旅では旧室蘭駅前でD51の展示車両を見たが、ここにもD51が展示されていた。デゴイチと呼ばれるこの機関車は、蒸気機関車の花形車両。何度見ても迫力がすごい。ここでは一等寝台車マイネ40と、荷物車のス二30と連結する形で展示されていた。なお、横川駅には今も臨時列車として、動くD51がやってくる。
 
 SLの隣には電気機関車がずらりと並んでいた。先頭はEF80形。常磐線で活躍した交直流電気機関車だった。その後ろはEF59形。こちらは広島県の山陽本線の難所セノハチで、補機として活躍していた機関車。碓氷峠が東の難所なら、セノハチは西の難所で、この区間は現在も貨物列車に補機が連結され運行されている。その後ろにはEF60形とEF65形が2両繋げて保存されていた。
 
 展示車両の一部は車内も見学できるようになっていた。こちらはかつて高崎を拠点に活躍していた12系客車「くつろぎ」の車内。「くつろぎ」は1983年にデビューしたジョイフルトレインで、関東一円で臨時列車や団体列車などで活躍し、1999年に引退した。現在は6両編成のうち1・2号車がここで保存されている。
 
 一般気動車は、キハ20形とキハ35形の2両が展示されていた。キハ20形はかつて日本国中のローカル線を支えた車両で、昭和の地方路線の写真を見ると、必ずといっていいほど登場するといっても過言ではない車両である。キハ40系の投入とともに、各地から引退したが、今はもうキハ40形が数十年前のキハ20形と同じ境遇になっている。
 
 展示車両を一通り見てまわり、帰ろうとすると、ちょうど運転体験のEF63形が動いていた。この運転体験は碓氷峠鉄道文化むらの魅力の一つ。碓氷峠で活躍していた電気機関車を実際に自分で運転することができる。運転体験を行うにあたっては、まず講習を受ける必要があり、その後試験に合格することで、車両の運転体験が可能になる。最初は単機しか運転できないが、回数を重ねると、重連での運転や救援車を連結しての運転が可能になる。この時は救援車+EF63形+EF63形という重連推進連結運転の運転体験が行われていた。この重連推進連結運転ができるようになるには、運転体験を最低でも68回は行う必要があるらしく、おそらく運転体験していた人は常連さんなのではないかと思う。運転体験の線路は、かつての信越本線廃線跡を利用している。
 
 こんな感じで碓氷峠鉄道文化むらを1時間半かけてゆっくりと観光し、その後は再び横川駅へ戻った。かつての信越本線碓氷峠区間で活躍していた車両や、国鉄時代のたくさんの車両を見てまわることができ、充実した時間を過ごすことができた。
 
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