【旅行記】北関東鉄道探訪録 前篇 ~碓氷峠を越えて軽井沢・長野へ~
前話
横川駅に到着し、碓氷峠鉄道文化むらを観光したあとは、路線バスとしなの鉄道で長野へ。長野では久しぶりに長野電鉄に乗車にしいった。
JRバス関東の碓氷線で峠を越え軽井沢へ
横川駅からは、路線バスに乗車して県境を跨ぎ、長野県の軽井沢駅へ向かった。横川~軽井沢間の信越本線は、1997年の長野新幹線の開業とともに廃止されたが、それ以降は路線バスが両区間を結んでいる。バスはJRバス関東が碓氷線として運行しており、長野県小諸市にある同社の小諸営業所が運行を担当している。所要時間は約35分だが、峠を越える路線のため、ハイデッカー車両で運行となっている。同社の路線バスは、ICカードが利用できる場合が多いが、碓氷線は現金のみの前払い制なので注意が必要である。

事前に調べていた時刻表では、バスの発車まではまだ1時間くらい時間があった。しかし、バス停には軽井沢駅行のバスの姿が。予定より1時間ほど早いが、特にやることもないので、このバスで軽井沢へ行くことにした。
乗換案内アプリでは表示されていなかったこの時間のバス。信越本線の臨時列車に接続する臨時便かなと思ったが、調べると本来春から秋にかけて運行される旧道経由のバスだったらしい。通常、碓氷線は碓氷バイパス経由で運行されるが、GWと夏~秋にかけての土休日(一部運転しない日あり)限定で、旧道経由のバスも運行されている。しかし、この日は旧道の道路工事の影響で、バイパス経由での運行となっており、旧道の途中にあるバス停には、別の熊ノ平駐車場行のバスが別に用意されていた。
旧道経由のバスは信越本線の廃線跡に近いルートを走行し、途中にはかつて信越本線が使っていたアーチ橋(めがね橋)を見ることができる。この日は紅葉の見ごろということもあって、乗車したバイパス経由の軽井沢行より、旧道経由の熊ノ平駐車場行の方が利用者が多かった。
碓氷線のバスは、基本的に信越線の普通列車が遅れたら、待ってくれるようで、この日は接続する普通列車が、先行する臨時列車の遅延の影響で、8分遅れで横川駅に到着したため、それを受けてバスも8分遅れで横川駅前を発車した。臨時列車「ELぐんま2fin」が到着した横川駅は、ものすごい人出で大混雑。バスの車内からも到着した車両を見ることができた。
乗車記録 No.9
JRバス関東 碓氷線 直行 軽井沢駅北口行
横川駅→軽井沢駅北口

大賑わいの横川駅を出たバスは、国道18号に入り、鉄道文化むらの横を通って、旧道と碓氷バイパスの分岐をバイパスの方へ進んだ。信越本線の廃線跡に近い場所を走る旧道は、九十九折の道となっている一方で、碓氷バイパスはカーブが続くものの、かなり道が改善されている。この交差点から県道へ一歩入った場所には、かつて中山道の碓氷関所が設けられていた。ここ横川は東海道の箱根関所と並ぶ主要な関所が置かれていた場所だった。
トンネルを抜け、しばらく進むと、頭上を上信越道の立派なアーチ橋が通過していった。藤岡JCTで関越道から分岐する上信越道も、この碓氷峠を通って、長野県へ入っていく。

その後バスは何度もカーブを曲がりながら、上り坂で山を登って行く。かつての中山道は、旧道の方に進み、坂本宿を経由して、旧道や旧信越本線よりもさらに北側から軽井沢に入っていた。現在の軽井沢の市街地の北側に位置する旧軽井沢と呼ばれる場所が、かつて軽井沢宿があった場所である。中山道の峠は旧碓氷峠と呼ばれている。一方、この碓氷バイパスは、旧道や信越本線の碓氷峠からさらに南を走り、バイパスが通過する峠は厳密には入山峠という。入山峠の最高点は1038m。バスは横川駅から660mも山を登って行く。

やがて視界が開けてきて、車窓からは一瞬だけ関東平野を眺めることができた。ここまで割と緩やかなカーブだったバイパスの道も、峠の手前では何度もカーブして、さらに標高を上げていく。入山峠の頂点が群馬県と長野県の県境。長野県へ入ると、今度は一転下り坂となり、山を下りて行った。
入山峠から軽井沢の街への下り坂の途中、横川方面の上り車線の脇には、慰霊碑が見える。ここでは2015年1月15日に軽井沢スキーツアーバス転落事故が発生した。東京から長野県のスキー場へ向かっていたツアーバスが、制限速度を超過した状態で走行し、カーブを曲がり切れず崖下に転落。乗客と運転士合わせて15名が亡くなった。貸切バスの管理体制の甘さや、劣悪な労働環境が露呈した事故で、少し前に発生した関越道藤岡JCTでの高速ツアーバス事故と並び、2010年代の大きなバス事故の一つだった。この事故をきっかけに、国は貸切バスに関する法改正を実施し、事業許可の更新制導入や、巡回指導の開始、ドライブレコーダーの保存の義務化を行っている。自分もちょうどこの時期に路線バスや高速バスを使った旅を始めており、貸切バスの事故ではあったものの、同年代の人たちが多数犠牲になった事故だったため、とても衝撃的だったのも思い出す。

坂を下りるとやがて、車窓の奥の方に浅間山が見えてきた。関東平野を抜けて、長野県に入った何よりの証拠である。横川は紅葉を楽しめたが、軽井沢はもう紅葉は終わっていて、山の木々は冬の準備が整っていた。やがて、車窓には軽井沢の街が広がった。バスは峠を越えた先にある南軽井沢交差点で左折。その後は県道43号に入って、軽井沢駅へ向かって行った。

別荘地、行楽地として知られる軽井沢。県道沿いにもホテルや商業施設が並んでいる。軽井沢らしい落ち着いた雰囲気が漂っていた。駅の南側にあるプリンスショッピングプラザの横を通ると、しなの鉄道とのアンダーパスを通過。旧道側の国道18号に出て、バスはまもなく終点の軽井沢駅北口に到着した。

横川駅からバスで軽井沢駅に到着。運転士にお礼を告げて、バスを下車した。
軽井沢駅の北口には各方面へ向かう路線バスのりばが設置されている。JRバス関東の碓氷線は5番のりばの発着となっていた。土曜のお昼ということもあり、別ののりばには長蛇の列ができていた。これから宿泊先へ移動する人たちだろう。ここは長野県だが、発着するバスはJRバス関東だったり、西武観光バスだったりする。かつて中山道の宿場町だった軽井沢は、戦後西武グループが開発してきた歴史がある。そのため、信州のようで信州でなく、関東のようで関東でないそんな場所になっている。ここからは西武観光バスや草軽交通の草津温泉行も発着している。群馬県方面は横川駅だけでなく、吾妻線沿線方面にも抜けることができる。
久しぶりに訪れた軽井沢駅で小休憩

計画より45分ほど早く軽井沢駅に到着した。北陸新幹線としなの鉄道が乗り入れる軽井沢駅。ちょうど東京からの新幹線が到着したところだったようで、スーツケースを持つ観光客が改札から吐き出されていた。横川駅とは空気が異なり、冷たい風が吹いている。横川駅は10℃くらいはあったのではないかと思うが、軽井沢駅の気温は2℃。この駅は標高940mの場所にあり、新幹線の駅としては最も標高が高い。
この駅に来るのは2度目。しなの鉄道に乗車した7年前に来たことがある。その時は日没直前だったので、明るい時間の軽井沢駅は今回が初めてだった。

軽井沢駅は橋上駅舎となっていて、新幹線としなの鉄道の改札が並んでいる。駅の北側の方には小さいながら市街地が広がっている。南側には商業施設が広がり、隣接してゴルフ場や別荘地、スキー場が広がっている。駅前の不動産屋には別荘物件の広告が張り出されている。とても軽井沢駅らしい光景である。お昼を過ぎたので、この辺でお昼ごはんを食べることにした。

駅のベンチに座って、横川駅で買った峠の釜めしを食べる。峠の釜めしは、横川駅に本店を置く荻野屋が販売する駅弁当。北関東エリアの駅弁の中でも、とても有名で人気が高い。軽井沢駅にも店舗があり、わざわざ横川駅で買う必要はないのだが、横川駅の駅弁なので、横川で買って峠を越えて運んできた。釜めしという名前の通り、容器は陶器製。持ち歩くのは少し大変である。でもそれを含めて、この地の名物だと思う。
蓋を開けると鶏、椎茸、牛蒡、筍、ウズラなどの具が姿を現す。下の方がご飯になっていて、結構なボリュームがあった。弁当には別にプラスチックのケースが入っている。これには漬物が数種類入っていて、これも一つ一つとてもおいしかった。1つ1400円で結構値が張るが、やはり信越本線の旅には、この駅弁は欠かせない。また一つご当地名物の駅弁を楽しむことができた。
旧信越本線であるしなの鉄道で長野へ

さて、駅弁を食べて腹を満たした後、軽井沢駅からはしなの鉄道に乗車して、長野へ出る。しなの鉄道は、長野新幹線開業時に信越本線の軽井沢~篠ノ井間を引き継いだ鉄道会社。その後北陸新幹線の金沢延伸に際して、同じ信越本線の長野~妙高高原間も引き継いだ。軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道線、長野~妙高高原間は北しなの線となっていて、それぞれ一般にもしなの鉄道線、北しなの線と呼ばれている。一方で篠ノ井~長野間はJRの信越本線が残存している。篠ノ井では松本から来る篠ノ井線が合流するため、この区間だけはJRの路線として残された。その結果、この区間は両端をしなの鉄道の路線に挟まれる形となった。しなの鉄道の普通列車も、篠ノ井~長野間は、JRの信越本線に直通する形で運転されている。
列車は発車の15分ほど前には到着するようだったので、早めに改札内に入り、列車を待った。行き止まりとなっているこの線路は、かつては先ほど行った横川駅と繋がっていた。かつて、ここ軽井沢にも多数の機回し線や留置線があり、大きな駅だったが、今はもうその面影を残すものも少なくなっている。
軽井沢駅にも、軽井沢~横川間が現役だった頃に使われていた車両が何両か展示されている。旧駅舎は水戸岡鋭治氏監修の元でリニューアルされていて、橋上駅舎の改札と共に、こちら側にも改札口があり、駅前から平面移動でホームへ行くことができるようになっている。また、旧駅舎内にはカフェが設置されており、ホームまでの通路には子供向けの遊び場も用意されていた。

軽井沢から乗車したのは、普通列車の長野行き。新型車両のSR1系2両編成での運転だった。しなの鉄道もかつては全車両が115系で、国鉄型天国となっていたが、2020年から新型車両のSR1系が導入され、順次既存の115系を置き換えている。前回来た時はまだ115系ばかりだったので、この車両に乗車するのはこれが初めてだった。
SR1系はJR東日本の新潟地区で活躍するE129系をベースとした車両で、ロングシートとクロスシートの転換が可能なデュアルシートを装備する100番台と、セミクロスシートの200番台が活躍する。100番台は朝夕のライナー列車と、休日に妙高高原~軽井沢間で運行される「軽井沢リゾート」で使用され、一部普通列車の運用も持つ。200番台は普通列車のみで運用されており、既存の115系とともに長野県内沿線の移動需要を支えている。
乗車記録 No.10
しなの鉄道・信越本線 普通 長野行
軽井沢→長野 SR1系

乗車した先頭車両は、少し立客が出る程度で軽井沢駅を発車。一方、改札口に近い2両目は団体客が大勢乗っていたようだった。団体客は次の中軽井沢までの短区間利用だったようで、この駅で全員下車していった。軽井沢駅から浅間山は見えないが、中軽井沢あたりからは進行方向の右側に山を見ることができる。この日は雲に隠れていて、山頂付近を見ることはできなかった。
軽井沢からの乗客は、新幹線からの乗り換え客が多いようで、一駅ごとに乗客の数は減って行った。写真は信濃追分駅。江戸時代には、中山道の軽井沢の次の宿場町として賑わった街である。高崎から信越本線と中山道はほぼ並行しているが、ここから先中山道は諏訪を目指して、次第に南下していく。追分宿は、中山道から北国街道が分岐する場所。信越本線はこの先、この北国街道沿いを進んで直江津へ至る。

列車は御代田、平原と停車し、小諸を目指す。車窓にはしばらく浅間山が見えていた。小諸が近づくと、進行方向の左側から小海線が近づいてくる。小海線は山梨県の小淵沢から続くJRのローカル線。小諸駅の手前では小海線の観光列車「HIGH RAIL 1375」とすれ違った。この路線はJRの路線として最も標高の高い場所を走る区間がある。観光列車の名前はそれにちなんでいる。乗車していた車内からもこれから小海線に乗り換えるという声が聞こえてきた。小諸に到着すると、車内の7割くらいの乗客が下車し、同数程度の乗客が乗車してきて、乗客が入れ替わった。

7年前、しなの鉄道に乗車した旅では、ここ小諸に宿泊した。翌日、小海線に乗車するために小諸を選んだのだが、当時、まだ大きな都市のホテルにしか泊まったことがなく、小さな街への宿泊がとても新鮮だったのを思い出す。車窓にはJRバス関東の小諸支店が見えた。先ほど乗車した碓氷線はこの営業所が運行を担当している。小諸~軽井沢間は車両を回送させているらしい。小諸を出た列車は各駅に停車しながら、上田へ向けて走っていった。
順調に長野へ近づく列車だったが、上田に到着しようとしたところで、急ブレーキがかかった。駅近くの踏切で車が立ち往生していて、特殊信号発光器が作動していたための急停車だった。運転士が指令とやり取りして、数分間停車。しなの鉄道の本社前の踏切だったのも幸いしてか、10分かからずに運転再開。上田には8分遅れで到着となった。

上田からは多くの乗客が乗車してきて、満席となった。上田と長野の間は新幹線も使えるが、しなの鉄道を利用する人が多い。新幹線は料金が倍くらいする。列車は紅葉が見ごろの兎峰を横目に走っていく。北陸新幹線は急峻なこの山に突き刺さるようにしてトンネルに入り、ここから15km先の屋代までずっとトンネルになる。一方しなの鉄道は、新幹線がトンネルで貫く山々を車窓に坂城、戸倉、屋代など各駅に停車して行く。各駅からはハイキング帰りとみられる乗客の姿もあった。最後に千曲川を渡ると、列車は篠ノ井に到着した。

篠ノ井線が松本からやって来る篠ノ井駅から、列車はJR信越本線に直通する。横川駅で途切れていたJRの信越本線がここにきて再登場する形となる。長野県に残存する信越本線は9.3kmと短い。この日は長野駅近くでお祭が開催されていたようで、篠ノ井から先の車内は、満員電車状態になった。今井、川中島、安茂里と停車すると、列車は終点の長野駅に到着した。
軽井沢から1時間30分で長野へやってきた。これで長いことやってみたいと思っていた、旧信越本線ルートで行く高崎~長野間の旅をやり遂げることができた。奥のホームには名古屋行の特急しなのの姿があった。この旅は一応北関東の旅。そんな旅で名古屋の文字とJR東海の車両を見るのは、なんだか不思議な気分になる。

しばらくすると、乗車した列車の後続を走る松本からのE127系の普通列車も到着して、より長野らしい光景になった。長野色を纏うこの車両を見ると、長野へ来たという実感がさらに湧いた。今年は211系を含めて、長野色の車両をよく見た年だった。2月は岐阜の中津川で211系を見て、3月は甲府~塩尻間で211系に乗車、さらに4月にはここ長野でまたまた211系を見て、5月には信濃大町~松本でE127系に乗車した。そして、また長野へ来て、E127系を見ている。一体何回長野へ行くねんと自分でもツッコミを入れたくなるくらい、今年は何度も長野県を訪れた年だった。もうすっかり全国の中でもお気に入りの場所の一つになってしまっていて、この県を好きになりかけている。
長野電鉄を再訪して終点の湯田中へ

春に飯山線に乗りに来て以来約半年ぶりの長野駅。4月に来た際には初めて善光寺へ行った。時刻は15時。この日は新前橋に宿を取っていて、新幹線で群馬県内へ戻る予定だったが、まだ帰るには早すぎるので、ここからもう少し先へ進んでみようと思う。長野駅はJRとしなの鉄道の他に、長野電鉄も乗り入れている。長野電鉄は長野駅と湯田中駅を結ぶ地方私鉄。この路線にもしなの鉄道と同様に7年前の長野旅で乗車しているが、乗車からしばらく経過しているので、今回をいい機会に再訪することにした。
また、明日行く草津温泉と長野電鉄の終点の湯田中は、草津白根山を介した反対側に位置しており、明日の旅にリンクし、かつて長野電鉄は信越本線からの直通列車の運行があったという点でこの日これまで進んできた信越本線の旅ともリンクする。長野県の路線ながら、今回の旅で訪れる土地や路線とリンクする点が多いのも、長野電鉄を再訪しようと思ったら一つの理由だった。
長野駅に来た際には、在来線の改札前にある立ち食いそば屋でそばを食べるのが、もはや恒例になっている。今回も食べずに帰るとなんか後悔しそうだと思ったので、そばを食べていくことにした。軽井沢で峠の釜めしを食べて、長野でまた腹ごしらえ。食べてばかりだが、夕食を食べるのは21時過ぎの予定だったので、逆にちょうどよかった。そばを食べて再び満たされた後、善光寺口の地下にある長野電鉄の長野駅へ向かった。

善光寺口のモダンなエスカレータを下り、地下通路を少し歩くと長野電鉄の長野駅はある。地下通路を歩いている間にタイムトラベルしたかのように、駅は昭和の雰囲気が漂っている。
長野電鉄は現在、この駅と湯田中駅を結ぶ長野線を運行している。以前は善光寺平の北東側にX字上に路線を延ばし、須坂から屋代へ、信州中野から木島へもそれぞれ路線が延びていた。かつては屋代-木島間が河東線、長野-須坂間が長野線、信州中野-湯田中間を山ノ内線となっていたが、2002年の信州中野-木島間の廃止に伴い、長野-湯田中が長野線となり、須坂-屋代間が屋代線に代わった。その10年後の2012年には、屋代線が廃止され、最終的に長野線だけが残る形となった。
前回乗車したときは、長野からA特急ゆけむりで湯田中へ行って折り返し、普通列車で信州中野へ。その後信州中野からB特急スノーモンキーで長野へ戻った。今回も特急で往復するつもりだったが、長野電鉄では慢性的な運転士不足が続いているため、9月~12月にかけて、一部の特急列車を運休しており、往路に乗車しようと思っていた特急列車が運休となっていた。そこで、往路は普通列車で湯田中へ行き、帰りにB特急ゆけむりで長野へ戻ることになった。
長野電鉄でも週末パスを利用できるので、提示して改札を通過。ホームに停車していた8500系3両編成の普通列車信州中野行に乗車した。長野線の普通列車は、基本的に信州中野で系統が分離されていて、湯田中へ向かう場合、ほとんどの時間帯で信州中野で普通列車同士の乗り換えが必要となる。信州中野までの所要時間は約50分。この区間の普通列車への乗車はこれが初めてだった。
乗車記録 No.11
長野電鉄長野線 普通 信州中野行
長野→信州中野 8500系

長野駅では座席の8割くらいが埋まる程度で発車。善光寺下までは地下区間となり、その後住宅が立ち並ぶ市街地に顔を出す。その先、本郷、朝陽を経由して柳原までは長野市の市街地を走っていく。乗客はここまでで半数程度が下車していった。柳原を出ると国道406号線と合流して村山橋という橋で、千曲川を渡る。珍しい鉄道と道路の併用橋であるこの橋を渡ると、列車は須坂市に入った。並走して川を渡った国道406号線は、また明日群馬県内で見ることになる。この国道は吾妻線と並走して群馬県内を走り、その後菅平高原を経由して須坂へ出てくる。その後も大町市まで繋がっている国道である。
かつて屋代線が分岐していた須坂に到着し、その後は善光寺平の東側を北上して、信州中野へ。車窓の山々は紅葉が見ごろ。夕日に照らされてとても美しかった。りんご畑が広がる中を走行すると、列車は終点の信州中野に到着。乗車している間に日が沈み、ここには日没後の到着となった。

信州中野は前回訪問時に外に出ているので、今回はこのまま湯田中へ直行する。ここでは8分の乗り換え時間で対面に停車していた普通列車湯田中行に乗り換えた。長野からの普通列車を待ち構えていたのは、かつて営団、東京メトロの日比谷線で03系として活躍していた3000系だった。長野電鉄では、2020年に運行を開始し、旧型車両を置き換えている。03系は長野電鉄のほか、北陸鉄道と上毛電鉄、それに熊本電鉄にも移籍している。他社では2両で導入されているが、長野電鉄では、3両の導入となった。移籍した各社では、唯一中間車を見ることができる。前回この区間の普通列車に乗車したときは3500系だったが、この3000系の運用開始によって置き換えられ、3500系は運用を終了した。
乗車記録 No.12
長野電鉄長野線 普通 湯田中行
信州中野→湯田中 3000系
信州中野-湯田中間の所要時間はおよそ15分。この区間は湯田中へ向けて、上り坂となっていて、列車はどんどん標高を上げていく。車窓には時折、善光寺平の夜景を楽しむことができた。

信州中野からの普通列車で、終点の湯田中に到着。久しぶりに湯田中へ来ることができた。長野駅は晴れていたが、ここでは小雨が降っていた。湯田中駅は駅周辺やその奥に広がる湯田中温泉、渋温泉の玄関口であり、さらに草津白根山の北西側に位置する志賀高原の玄関口となっている。列車到着時には、岡本敦郎が歌う美わしの志賀高原が大音量で流れるが、窓口営業終了時間直前だったので、残念ながらこの列車の到着時には流れなかった。駅前には、旅館やホテルの送迎車両が多数停車しており、普通列車に同乗していた乗客が、旅館の人の出迎えを受けて乗り込んでいた。
駅はバスターミナルを併設しており、信州中野駅方面のほか、志賀高原方面のバス、さらには長野と京都・大阪・三宮を結ぶ夜行高速バスも発着している。かつては国鉄バスの草津志賀高原線もこの駅へ乗り入れていた。現在も白根火山でバスを乗り継げば草津温泉へ行くことが形式上は可能だが、白根火山と草津温泉を結ぶバスが、白根山の噴火活動と、国道292号線の道路状況により運休しているため、夏場であっても行くことはできない。なお、春から秋にかけては長電バスが長野-草津温泉間に特急バスを走らせており、湯田中駅から少し歩いた道の駅やまのうちからは草津温泉へ1本のバスで行ける。
列車の方も、この駅へはかつて信越本線を経由して上野から直通列車が運行されていた時代があった。長野電鉄と信越本線はかつて屋代駅で接続されていて、直通運転ができるようになっていた。

現在は一面一線の湯田中駅。反対側には不自然に駅舎とホームがある。この駅は終着駅だが、2006年までスイッチバック駅だった。駅の信州中野方は急勾配になっており、逆に終端部側は道路が通っている。このため、かつては列車を停車させる平地を十分に確保することができず、信州中野方面からやってきた列車は、ホームに入線して、一旦停止位置を通り過ぎ、少しバックして、信州中野側の先頭車がホームの途中に設置されたポイントを跨ぐことにより、全車両が平地に停車できるようになっていた。そのため、湯田中駅の終端部のすぐ横を走る道路には、踏切が設置されていて、列車はこの踏切上でスイッチバックしていた。全国的にも珍しい方式の駅だったが、2006年に改良工事が実施され、2面2線だった駅を1面1線にした上で新しいホームが整備された。以前は2面あるホームの両側に、旧駅舎と新駅舎が向かい合っており、改良工事で1面1線になった後も、旧駅舎とホームがそのまま残されている。

湯田中からはB特急ゆけむりで長野へ戻った。長野電鉄ではA特急とB特急という2つの特急種別が運転されている。A特急は主に日中に運転される速達型の特急列車で、長野と湯田中の間で、権堂、須坂、小布施、信州中野のみに停車し、最速で両区間を結ぶ。一方、B特急は主に朝夕時短帯に運転され、A特急に比べ停車駅が多く設定されている。主要駅だけでなく、朝陽、信濃吉田、本郷、市役所前などの中規模の駅にも停車していく列車となっている。
長野線では1000系と2100系の2つの特急型車両が活躍している。乗車したのは1000系。元小田急10000系「HiSE」として、新宿-箱根湯本間を中心に活躍していた車両で、長野電鉄では2006年から運行を開始し、湯田中・渋温泉郷に由来する「ゆけむり」の愛称がある。連接車のため、同社では唯一4両編成となっている。一方、2100系は成田エクスプレスとして活躍していた元JR東日本の253系。こちらは地獄谷野猿公苑に由来する「スノーモンキー」の愛称がある。
乗車記録 No.13
長野電鉄長野線 B特急ゆけむり 長野行
湯田中→長野 1000系

この時間の上り列車は乗客が少ないので、展望席に乗車することに。前回乗車したときは、普通の座席に座ったので、展望席に座るのはこれが初めてだった。小田急でもまだ展望席のあるロマンスカーには乗車していないので、これが初めてのロマンスカー車両の展望席乗車でもあった。夜間の乗車だったが、前面展望を楽しむことができた。この日長野駅近くでは花火大会が開催されており、車窓には時折、花火を楽しむこともできた。湯田中から長野までの特急列車での所要時間はおよそ50分。ゆったりとくつろぎながら、長野駅へ戻った。
北陸新幹線あさまと両毛線普通列車で宿泊先の新前橋へ

さて、長野電鉄を往復し、少し信州を感じたあとは、新幹線で北関東へ戻った。乗車したのは、あさま630号東京行。「あさま」には今年春の旅で東京-長野間の全区間で乗車している。今回は指定席か自由席かで迷ったが、長野から高崎間の所要時間は50分と短いので、自由席に乗車した。週末パスは新幹線の一部区間も利用可能。新幹線の特急券を購入することで乗車できる。
先ほど特急ゆけむりの車窓から見えていた花火大会は、ホームに到着した時にもまだ続いていて、新幹線ホームからもわずかな時間だったが花火を楽しめた。11月に花火を見るのは初めてな気がする。
「あさま」はJR東日本内完結の列車だが、JR西日本が保有するW7系でも運行される。北陸に行ってないのに北陸ロマンのチャイムを聴くことができた。北陸新幹線内では各駅に停車していく。先頭車に乗車したので、佐久平まではガラガラだったが、軽井沢で多くの乗車があり、車内は混雑した。キャリーケースより、駅近のアウトレット店舗の紙袋を持つ人が多く、日帰りの観光客が多いようだった。軽井沢から先の北陸新幹線は、碓氷峠を北へ大きく迂回する形で走っている。迂回することで勾配をより緩やかにしているが、それでも30‰という新幹線にしては急勾配が続く区間となっている。
乗車記録 No.14
北陸新幹線 あさま630号 東京行
長野→高崎 W7系

高崎では10分ほどの乗り換え時間で、両毛線の普通桐生行きに乗り換えて、宿泊先の新前橋へ。この旅3回目の211系だが、また明日もお世話になる。新前橋で列車を下車して、この日の旅は終了となった。
乗車記録 No.15
上越線 普通 桐生行
高崎→新前橋 211系3000番台
新前橋到着後は、駅前のホテルに一泊。昨日の栃木県に続き、群馬県への宿泊もこれが初めてだった。最終日となる3日目は、早朝から吾妻線に乗車しにいった。
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