【旅行記】北関東鉄道探訪録 前篇 ~吾妻線を走破して草津温泉へ~

前話
 
 最終日となる3日目は、新前橋駅からスタート。この駅始発の吾妻線の普通列車で大前駅まで行った後、羽根尾駅から路線バスで草津温泉へ向かった。

車両基地併設で早朝は回送列車が行き交う新前橋駅

 駅前のホテルに宿泊していた新前橋駅。この駅には上越線と両毛線2路線が乗り入れていて、両毛線の終点となっている。駅の隣には、高崎車両センターがあり、ここには群馬県内の各路線で活躍する211系が所属している。高崎線などの都心方面列車で活躍するE231系やE233系も、何編成かがこの車両センターで一夜を明かす。
 高崎線では高崎駅から上越・両毛線に直通する列車が、朝夕を中心に何本か運転されている。新前橋駅は両毛線側の隣が前橋駅であるため、この駅が始発・終点となる列車は少ないが、当駅が始発・終点となる都心方面への列車も何本か設定されている。ただ、両毛線側の隣が前橋駅のため、一旦前橋駅発着となる列車が多く、新前橋駅で寝泊まりした車両も、一旦前橋駅まで回送されて、折り返し都心方面への列車になることが多い。
 一方、これから乗車する吾妻線や上越線の普通列車は、時間帯によっては高崎へ行かず、この駅発着となる列車がある。新前橋発着の普通列車は、ここで両毛線系統の普通列車に接続する形になっている。これから乗車する普通列車もそのうちの一本だった。
 
 ホームへ行くと、3番線にはE231系、4番線には211系の回送列車が停車していた。高崎車両センターを出区した車両は一旦ホームへ入り、その後高崎、前橋両方向へ回送されていく。4番線の隣の線路にはもう1編成E231系が停車しており、入換作業を行っていた。車両基地が併設された駅ということもあって、早朝夜間は回送列車が多く発着している。ホームに停車していた211系とE231系の回送列車が発車していくと、その後にこれから乗車する普通列車が入線してきた。

新前橋始発の普通列車で吾妻線の終点大前へ

 3日目は吾妻線とその沿線を旅していく。新前橋から乗車したのは6時23分発の吾妻線の普通列車大前行。吾妻線は、上越線の渋川駅から、中之条、長野原草津口、万座・鹿沢口などを経由して大前駅へ至る路線である。この列車も渋川駅までは上越線を走り、渋川から大前まで吾妻線を走っていく。吾妻線の列車は全列車が上越線に直通しており、新前橋または高崎発着で運転されており、上越線内でも吾妻線の列車として案内される。
 
 吾妻線は、利根川の支流である吾妻川に沿って、山奥へ進んでいく路線である。終点まで接続する路線は他になく、奥へ進めば進むほど、列車の本数が少なくなっていく。途中の長野原草津口は草津温泉、中之条は四万温泉の玄関口となっていて、沿線には温泉地、行楽地が点在している。途中の長野原草津口までは、上野からの特急草津・四万の運転があり、草津温泉へ向かう観光客も多く利用する区間となっている。普通列車も長野原草津口までは1日14往復の運行があり、およそ1時間に1本が運転されている。その先、万座・鹿沢口まで11往復となり少し本数が減り、さらにその先の大前へ行く列車は、わずか一日4往復のみとなっている。この万座・鹿沢口〜大前の1区間はJR東日本の路線の中でも運行本数の少ない区間の一つ。関東のJRの区間としてはこの区間が最も列車本数が少ない区間である。午前中に2往復、午後に2往復しかなく、乗りつぶす難易度が少し高い区間となっている。
 
乗車記録 No.16
上越線・吾妻線 普通 大前行
新前橋→大前 211系3000番台
 
 先述の通り、新前橋発の吾妻線の普通列車は、両毛線の高崎始発の普通列車と接続を取る。この列車も、発車の数分前に到着する高崎からの普通列車と接続を取って、新前橋を発車した。日曜朝だったので、一夜を街で過ごした飲み帰りらしき若者の姿が多かった。列車は年始のニューイヤー駅伝でお馴染みの群馬県庁を車窓の右手にみながら、前橋の市街地を出て行った。
 やがて車窓の右側には赤城山が見え始めた。この山は群馬県のシンボルとなる山。ちょうど赤城山の隣から太陽が昇ってきて、幻想的な車窓を楽しむことができた。新前橋から乗車した乗客は、その多くが渋川までの間に下車していった。この列車は上越線の新前橋~渋川間の始発列車でもある。また、上越線区間で、吾妻線へ向かう乗客が少ないのには、この列車のちょっとしたカラクリが関係している。
 
 列車は渋川に到着。ここが吾妻線の起点駅。列車はここで上越線と別れて吾妻線へと入っていく。上越線は新前橋~越後湯沢間が未乗だったが、今回の吾妻線系統の普通列車への乗車で、少しだけ乗車区間が増え、渋川〜越後湯沢間が未乗となった。この区間にはまた来年乗車する予定にしている。
 乗車した列車は、渋川で12分も停車。新前橋で高崎からの普通列車と接続して発車したが、再びここ再度、高崎からの水上行き普通列車との接続を取る。乗車中の列車に新前橋から乗ろうとすると、6時10分に高崎を出ないといけないが、渋川で乗り換えれば、6時21分発で間に合う。10分ほど遅く高崎を出発できるちょっとしたカラクリがある。吾妻線と上越線の普通列車がこの駅で接続するのはこの1本だけでになっている。
 
 上越線の普通列車から乗り換えた乗客も数人いたものの、朝の下りの普通列車、しかもこの日は日曜日ということもあって、各車両2・3人のというガラガラ具合で渋川を発車した。渋川を出た列車は上越線と分かれ、その後は渋川の街を眺めながら単線の線路を進む。上越線はこの先も水上駅の先まで利根川に沿うように進んでいくが、吾妻線はこの利根川の支流である吾妻川に沿って、山の中へ分け入っていく。やがて車窓はのどかな風景となり、最初の停車駅、金島に停車した。
 
 金島を出ると、すぐに頭上を上越新幹線の高架橋が通過していき、次の祖母島(うばしま)へ。この駅の先で列車は吾妻第一橋梁を渡り吾妻川を渡る。この橋梁は歩道(渋川市の市道)との共用橋になっていて、歩いて渡ることも可能な珍しい橋である。
 吾妻線は、この先、吾妻川を4回渡るが、次の橋梁までは少し距離がある。ここからしばらくは進行方向左側に川を見ながら走っていくので。自分も左側の席に移動した。
 
 吾妻川の鉄橋を渡ると、その先はしばらく山間の景色の中を進んで、中之条へと進んでいく。途中、小野上、小野上温泉、市城と停車し、高校生数人を乗せた。この日は日曜だったので、通学する乗客の姿もまばらだったが、平日はこの列車が下り列車としては唯一、登校時間帯に入る列車になっているので、もう少し乗客は多いと思われる。吾妻線もこの先、中之条、長野原草津口、万座・鹿沢口駅付近に高校がある。この列車はこれら高校への通学列車となっている。
 
 やがて、景色が開けてくると、列車は中之条駅に到着。ここは渋川を除けば、吾妻線内の沿線で一番大きな街である。四万温泉はここから北へ少し離れた場所にあり、この駅からバスで行くことができる。特急草津・四万もこの駅に停車する。中之条で高校生が入れ替わり、今度は長野原草津口の近くの高校へ行く高校生たちが乗車してきた。
 中之条を出た後もしばらく街は続いている。次の群馬原町駅は東吾妻町の玄関口。駅周辺にもロードサイド店舗や病院が立地していた。かつては特急列車も停車する駅だったらしい。駅を出たところの車窓には、お城のような立派な建物が見えた。何だろうと調べてみたら、この町の町役場だった。
 
 群馬原町を出ると、車窓は再びのどかな景色に変わった。乗車している号車は相変わらず乗客は2人のままだった。岩島駅の辺りでは、高圧送電線が吾妻川の谷間を横切っていた。おそらく新潟の発電所と首都圏を繋ぐ送電線だろうと思う。一時期鉄塔が好きだったので、山を縦走する鉄塔はかっこよくてついつい眺めてしまった。
 岩島を出ると、吾妻線は八ッ場ダム建設に伴う新線区間へと入る。紆余曲折がありながら2021年に完成した八ッ場ダムは、この川の吾妻峡という峡谷に建設された。吾妻線の岩島駅と川原湯温泉の間に建設されており、ダムの水没地に含まれた岩島~長野原草津口間は新線が建設され、10年前の2014年10月に新線に移行された。吾妻川を渡る鉄橋の手前が新線の開始地点。ここからコンクリート製の立派な橋梁を渡り、列車は新線区間へ入っていった。
 
 吾妻川を渡ると、列車は八ッ場トンネルへ入る。このトンネルは長さが4,489mあり、トンネルを抜けるともう次の川原湯温泉となる。八ッ場ダムはこのトンネルの途中にあり、残念ながら車窓からダム本体を見ることはできない。かつての吾妻線は吾妻川に沿って線路が敷かれていて、車窓には吾妻峡の美しい景色を楽しむことができた。この区間の旧線は、樽沢トンネルという日本一短い鉄道トンネルがあることでも有名だった。
 
 列車は長いトンネルを抜けて、川原湯温泉駅に到着した。ここでは反対列車と行き違うため、3分ほど停車した。川原湯温泉駅は八ッ場ダムの建設で、駅ごと高台に移転してきた。旧駅があった場所は、現在ダム湖に沈んでいる。駅周辺にあった街も駅から少し離れた場所に移転した。旧駅は昔ながらの駅舎を持つ駅だったが、新しい駅はとても現代的な駅になっていて、ここだけ私鉄のニュータウンの最寄り駅みたいな雰囲気が漂っている。もちろん駅の周りは山に囲まれていて、とてものどかである。駅周辺に人家はなく、人家や旅館がある場所とは少しだけ距離がある。ホームからはあまり見えないが、駅の目の前には八ッ場ダムのダム湖が広がっている。
 
 川原湯温泉駅を出ると、列車は一瞬だけ八ッ場ダムのダム湖を眺めて、再びトンネルへ入る。駅に隣接する形でキャンプ場が設置されていて、ここでキャンプを楽しめるようだった。次の長野原草津口駅との間もほとんどがトンネルで、列車は2本のトンネルを進んでいく。トンネルを抜けると、再び吾妻川を立派なコンクリート橋で渡り、長野原草津口駅に到着した。
 
 長野原草津口では、乗車していた高校生たちを含め、乗客の大半が下車。各車両から人が消えて、乗客は4両でたった2人となった。草津温泉の玄関口となるこの駅にはまた後ほどやって来る。さすがにこの時間は朝早すぎて観光客の姿はない。
 長野原草津口付近が八ッ場ダムのダム湖の終端部となり、ここから先は再び川の流れが復活する。長野原草津口~羽根尾間は沿線は住宅が多く立ち並んでいた。後ほど下車する羽根尾駅を出ると、人家も少なくなり、列車はさらに山奥へ入っていった。
 
 列車は万座・鹿沢口駅に到着。ここは嬬恋村の玄関口で、駅周辺は吾妻川の両岸に小さな街が広がっている。かつて吾妻線で運行されていた特急草津は、この駅発着として運行されていた列車が何本かあった。しかし利用者が少なく、現在この駅まで来る特急列車の運行はなくなっている。駅は1面1線。特急列車が来ていた駅だったので、もう少し大きな駅だと思っていたが、そうではなかった。かつては羽根尾駅に留置線があり、そこへ回送することで対応できていたらしい。
 この駅は現在も、軽井沢駅から西武観光バスの路線バスが少数ながら運行されている。嬬恋村へアクセスするには、吾妻線の他に軽井沢経由というのも十分選択肢として考られるそうで、観光客はバスを使って軽井沢経由で来る人が多いらしい。軽井沢からは1時間ほどでアクセスすることが可能になっている。
 
 長野原草津口以降残っていた自分以外の1人の乗客は、万座・鹿沢口駅で下車していき、ついにこの列車の乗客は自分一人となった。大前に行っても何もないので、この時間にここから先へ行くのは鉄道ファン以外いない。日曜日だったので、同業者が他にもいるだろうと予想していたが、この日は信越本線で、EL、DL牽引の臨時列車のラストランが予定されていて、ファンもこれを見に行く人が多かったのだと思う。万座・鹿沢口駅を出ると、列車は吾妻川を2度渡り、始発駅の新前橋から1時間47分で終点の大前に到着した。

吾妻線の終点大前駅にて

 終点の大前駅に一人降り立つ。駅の目の前には吾妻川が流れていて、川のせせらぎだけが響いていた。折り返しの時間は約20分。短すぎず、長すぎず、ちょうどいい折り返し時間である。その間、少しだけ駅とその周辺を見ていくことにする。
 渋川から55kmほど吾妻川に沿って進んできた。ここからあと10kmほど進めば長野県の県境となる。ここまで来ると、直線距離では高崎駅よりも長野駅の方が近くなる。このあたりで吾妻線と並走している国道406号は、この先長野県の県境を跨ぎ、菅平高原を経由して、昨日長野電鉄で通った須坂市へ出る。長野電鉄が千曲川を渡る村山橋を一緒に渡っている国道こそ、国道406号線である。
 
 吾妻線は唐突な形でここで終点を迎えるが、計画上は国道406号線と似たルートで長野県へ至り、現在のしなの鉄道北しなの線豊野駅まで繋がる予定だった。しかし、この先の山は険しく、浅間山と草津白根山に囲まれた火山地帯のため、トンネルを掘ることが難しいと判断され、結局実現には至らなかった。もし開通していたとしたも、おそらく現在までの間に廃線になっていただろう。
 
 大前駅は駅名の通り、嬬恋村の大前という地区に駅がある。大前の集落は駅から吾妻川を渡った対岸にあり、歩くと少しだけ距離がある。嬬恋村の町役場はこの大前地区にあり、駅から歩いて行ける。川の対岸は一段高いところに住宅が立ち並ぶ。駅の周辺は村営の住宅と、村の施設がポツンポツンと建っているが、それ以外何もなく、唐突な形で終点となっている。
 
 吾妻線は盲腸線であるため、奥へ進むほど利用者が少なくなる。JR東日本が発表している路線区間別の乗車人員では。渋川~長野原草津口間が2468人/日なのに対して、長野原草津口~大前間が260人/日となっており、末端部では輸送密度が非常に低い状況となっている。これを受けてJR東日本は今年春に沿線自治体との沿線地域交通検討会議を設けて、この区間の利用状況や今後の在り方の検討に入っている。旅行日の数日後には、同じ形で今後の在り方が検討されてきた久留里線の久留里~上総亀山間が廃止されることが決定したが、こちらも今後どのような結論が出されるのか、動向が注目される。
 先述の通り、万座・鹿沢口駅近くには高校があり、ここへは一定の通学者がいると思われるが、万座・鹿沢口~大前間の利用者はごくわずか。廃止されても不思議ではない。
 

折り返しの普通列車新前橋行で羽根尾へ

 さて、20分ほどの停車時間もあっという間に過ぎて、折り返しの列車の発車時刻が近づいてきた。当駅始発の新前橋行に乗車。今度は数駅だけ乗車し、羽根尾という駅で列車を下車する。駅前を散策している間に、地元の住民の車がやってきて、乗客が一人乗り込んでいた。4両編成の列車は大前から2人の乗客を乗せて、静かに駅を発車した。
 
乗車記録 No.17
吾妻線 普通 新前橋行
大前→羽根尾 211系3000番台
 
 大前から3駅戻って、羽根尾という駅で列車を下車した。大前~万座・鹿沢口駅間は2人だけだったが、万座・鹿沢口で10人程度の乗車があった。羽根尾でも何人かが乗車していたが、さすがに降りたのは自分一人だった。この駅は吾妻線最後の列車交換可能駅。ここの駅以降は大前駅まで、交換できる駅はない。新前橋から乗車してきた列車を見送った。
 
 羽根尾駅のホームの横には広い空間がある。かつてこの駅は貨物の取り扱いがあり、その貨物列車用の線路が敷かれていたらしい。また先述の通り、吾妻線はこの駅を最後に行き違いができないため、この駅には留置線が設置されていて、万座・鹿沢口や長野原草津口発着の列車がこの駅へ回送されてきて、留置線で折り返したりもしていたようだ。数年前に万座・鹿沢口へ行く特急列車がなくなり、列車本数も減っていることから、これら設備は不要と判断され、今はもうレールが剥がされてしまっている。
 
 駅前には小さな集落が広がっている。駅も人の家の庭先みたいな場所に入口があった。駅前を走る国道に出て、右へ曲がると、羽根尾交差点という小さな交差点がある。この交差点、何の変哲もない交差点だが、3つの国道の起点となっている交差点らしい。交差点の脇には、国道三起点の碑という記念碑が建てられていた。

応桑道バス停から草軽交通のバスで草津温泉へ

 羽根尾駅で下車したのは、ここでバスに乗り換えるため。駅前の国道上には、草軽交通の応桑道バス停があり、ここには同社の草津温泉、軽井沢両方面への路線バスが発着している。草軽交通はかつて草津温泉と軽井沢の間で軽便鉄道を運行していた。現在は軽井沢~北軽井沢~草津温泉間で路線バスを運行している。個人的にあまり軽井沢から草津温泉に行くというルートは頭になかったのだが、浅間山の山麓を進む路線でその景色もいいらしく、観光客はこのルートで草津温泉へアクセスする人も多いらしい。そのため時間帯によっては1時間に3本走っていたりする。長野原草津口まで行ってから草津温泉へ行くと、1時間ほどの待ち時間が発生するが、これから乗車するバスのおかげで、乗り換え時間を削減することができ、列車からバスへ15分ほどで乗り継ぐことができた。
 
 定刻通りバスは姿を現した。乗車したのは中軽井沢~草津温泉の区間便で、到着時、誰も乗客は乗っていなかった。おそらく応桑道あたりからだと、軽井沢へ抜ける人が多いのだろう。乗車時に運転士から草津温泉行だけど大丈夫?と声をかけられた。応桑道から軽井沢へはちょうど1時間で行ける。そこから新幹線にスムーズに乗り継ぐことができれば、吾妻線経由より早く高崎に出ることも可能である。吾妻線と軽井沢経由の2経路選択肢があるというのはとてもいいことだと思う。今回は草津温泉行に乗車したが、このバス停からは長野原草津口行もわずかながら走っている。バスは自分一人を乗せて応桑道を発車。国道406号から国道292号へ入り、草津温泉へ向けて坂道を登って行った。
 
乗車記録 No.18
草軽交通 草北線03系統 草津温泉行
応桑道→草津温泉
 
 草津温泉へ向けて走っていくバス。国道292号に入ると、すぐに山の上にある西吾妻病院に立ち寄るため、国道から一旦逸れた。バスは地域住民の大切な足でもある。この病院には草軽交通のバスの他、長野原草津口駅と草津温泉を結ぶJRバス関東の普通便の一部も乗り入れている。この日は日曜で診療時間外だったので、病院は閉まっていた。再び国道へ戻ると、その後は険しい峠道を登って行った。森の中を走っていくが、とてもこの先に温泉街があるというのが信じられない雰囲気だった。
 
 やがて山の上へ出て、峠を越える。その先にある道の駅が草津温泉街の入口。すぐに景色が開けて、バスは草津温泉に到着した。旅館が立ち並ぶ景色を見ると、温泉街に来たんだなという実感が湧く。その後、バスは国道から狭い路地へ入り、終点の草津温泉バスターミナルに到着した。草軽交通はクレジットカードのタッチ決済に対応しているのでとても便利だった。このバスは折り返し軽井沢駅行となるが、既にバス停には多くの乗客が行列を作っていた。やはり外国人観光客の姿が多かった。

草津温泉バスターミナルから湯畑と温泉街を見に行く

 草軽交通の路線バスで初めての草津温泉にやってきた。草津温泉は有馬温泉、下呂温泉と並ぶ日本三大名泉に数えられる温泉街。国内屈指の温泉地として、国内からだけでなく、海外の観光客からも絶大な人気を誇っている。今回はバスターミナルから草津温泉のシンボルである湯畑とその周辺の温泉街を観光しに行った。
 
 草津温泉バスターミナルは、草津温泉と各地を結ぶ路線バスが乗り入れる大きなターミナルである。1935年に省営自動車(のちの国鉄バス)の上州草津駅として開業したのが始まり。後に草津温泉駅に改称され、国鉄バスの草津志賀高原線の自動車駅として、多くの観光客が降り立つ草津温泉の玄関口となった。1960年にはすでに国鉄バス以外の各社も草津へ路線バスを運行していたが、バス停の位置がバラバラだったため、バスターミナルを設置することになり、1966年以降は草津志賀高原線以外の各社バス路線も乗り入れるようになった。国鉄バスの自動車駅だった名残で、鉄道は乗り入れていないが、現在も草津温泉駅と呼ばれている。
 国鉄バスの路線は鉄道の支線や延長線的な立ち位置で営業されている路線が多く、自動車駅と呼ばれていた停留所の中には、バスの乗車券の他に鉄道の乗車券や特急券を購入できる窓口が設置されている駅があった。そうした駅の多くは民営化前後に窓口が廃止されたが、この草津温泉バスターミナルは、観光客が多く訪れる駅であるため、現在もみどりの窓口が現役である。窓口には鉄道駅同様にマルス端末が設置されており、全国のJRの乗車券・特急券等が購入できる。もちろんこのバスターミナルを発着する各方面へのバス乗車券や高速バスの乗車券も取り扱っている。今回は週末パスを利用しているが、草津温泉駅できっぷを買ってみたかったので、長野原草津口から東京山手線内までの乗車券を購入し、帰りは週末パスではなく、このきっぷを利用した。バス券は現金のみの取り扱い。JR券に関してはクレジット決済ができた。なお、えきねっとの受け取りはできない。長野原草津口駅のみどりの窓口は廃止されているので、ここは草津温泉近辺唯一のみどりの窓口となっている。
 
 バスターミナルの前には足湯が設置されていた。この日の草津温泉の気温は2℃で、晴れていたが雪が舞っていた。全く温泉街を歩く格好ではなく、足を湯に入れるわけにはいかないので、手を入れて温めてみた。温かさにほっとするとともに、ちょっと手を入れただけなのに肌がすべすべになった。草津温泉は強い酸性の泉質になっている。
 
 バスターミナルからは歩いて湯畑へ。歩いて5分ほどの場所にあり、細い路地を進んでいくと、湯気が上がる湯畑が姿を現した。この日は日曜日の朝ということもあって、湯畑周辺は多くの観光客で賑わっていた。特に草津温泉の名物であり湯もみの観覧券販売所の前には長蛇の列だった。
 草津温泉のシンボルである湯畑は、江戸時代中期に造られたとされ、ここでは毎分4000リットルという大量の温泉が湧きだしている。湧きだした温泉は湯樋を通る間に温度が下げられ、その後周辺の旅館や温泉施設に配分される仕組みになっている。湯樋には時間が経つと、温泉に含まれている成分が沈殿する。これが湯の花と呼ばれるもので、採取されたものは入浴剤として販売されている。湯の花を採取できることから湯畑という名前がついたらしい。
 
 とても冷え込んだ朝だったが、湯畑の近くに立つと温泉の熱気が伝わってきて、寒さを忘れる。夜は紫色にライトアップされるようで、これも湯畑の見どころの一つになっているらしい。今回は立ち寄っただけだが、一度は温泉旅行として訪れて見たい。朝から何も食べておらず小腹が空いたので、あげまんじゅうを2つ買って食べた。とても美味しかった。
 
 湯畑から一歩中へ入ると温泉街らしい街並みが広がり、旅館や飲食店、土産物屋が軒を連ねていた。こういう路地を見つけると、ついつい歩いてみたくなる。別にお店にはいるわけではないのだが、こういう景色を眺めてこその温泉街だと思う。ぐるっと一周歩いて周り、湯畑に戻ったのちは、お土産屋さんを少しだけ除き、バスターミナルへ戻った。
 
 さて、草津温泉からはJRバス関東の路線バスで長野原草津口駅へ。その後は草津温泉へのアクセス特急である特急草津・四万で2日前に旅だった上野駅へ戻った。
 
次話