【旅行記】北関東鉄道探訪録 前篇 ~特急草津・四万に乗車し上野へ戻る~

前話
 
 3日目は朝から吾妻線に乗車し、その後路線バスで草津温泉を訪れている。草津温泉からは路線バスと特急列車を乗り継いで、旅の起点の上野駅へ戻った。
 

草津温泉と長野原草津口駅を結ぶ路線バスに乗車

 草津温泉バスターミナルからはJRバス関東が運行する長野原草津口行の路線バスに乗車した。草津温泉は吾妻線から少し離れた場所にあり、鉄道でここへアクセスする場合には、吾妻線の長野原草津口駅から路線バスに乗り換える形となっている。
 長野原草津口と草津温泉間の路線バスは、省営バスが1935年に上州大津~草津温泉間で運行を開始させた歴史の長いバス路線で、後に国鉄バスの草津志賀高原線の一部となり、鉄道で草津温泉を訪れる多くの人を運んできた。草津志賀高原線は、かつて白根火山を経由して、長野電鉄の湯田中駅まで続く路線だったが、1990年に白根火山~湯田中間が廃止となり、現在は長野原草津口~白根火山間が路線として残っている。ただし、草津温泉~白根火山間は、白根山の噴火活動と国道292号線の道路状況から長い間運休となっており、現時点で運行されているのは、長野原草津口~草津温泉間のみである。運休区間が運行されていた頃も、路線自体は草津温泉で分断されており、草津温泉での乗り換えが必要だった。また、草津温泉~白根火山間はJRバス関東、草軽交通、西武観光バスの共同運行となっていた。
 
 当路線は、JRバス関東の長野原営業所が運行している。この営業所は草津志賀高原線と、東京から草津温泉への高速バス「上州ゆめぐり号」を運行しており、草津温泉アクセスのために設けられた営業所となっている。長野原草津口~草津温泉を走るバスは、各バス停に停車する便の他に、途中停留所を通過する直行バスの2種類が運行されている。運行ルートは似ているが、上州大津~長野原草津口駅間で直行便はバイパスを経由するため、普通便に比べ、少しだけ所要時間が短い。
 時刻表上は基本的に1時間に1本だが、週末など乗客が多く見込まれる日には、臨時便が運行される場合が多々ある。今回は11時発の普通便に乗車するつもりだったが、長野原草津口へ行く乗客は、直行便ののりばへ並ぶよう案内があり、10時45分発の臨時の直行便に乗車することができた。
 2日目に乗車した同社の碓氷線と異なり、当路線はICカードも利用可能できる。今回自分は窓口で乗車券を購入して乗車した。窓口できっぷを買って路線バスに乗るという経験も、全国の限られた場所でしかできない。車内の座席が7割ほど埋まったところで、ドアが閉まり、バスはターミナルを出発した。
 
 さっきは草軽交通の路線バスで、応桑道バス停から草津温泉までやってきたが、この路線も大津交差点までは草軽交通の路線と同じ道を走っていく。ターミナルを出て、草津交差点を左折すると、その先で草津温泉門の上を通る。渋滞対策のために、小さな立体交差になっていて、温泉街へ入っていく車と温泉街から出る車が平面で交差しないようになっていた。草軽交通の路線バスに乗車した際には、この門をくぐりバスターミナルに到着したのだが、その時にはこの立体交差には全く気付いていなかった。その後は峠道を下って行った。
 
 やがて下り坂を進んでいくと、車窓の右手には浅間山を見ることができた。2日目に軽井沢から見た浅間山。今日は反対側の草津側からその山を眺めている。左側は小さな川が道路と並行して山を下っていた。車内では浅間山についての観光案内の放送があり、その後、草津温泉の民謡が2曲流れた。山を下りると、大津交差点へ。普通便はここを左折して、旧道を進み、群馬大津駅の近くを走っていくが、直行バスはそのまま直進して、バイパスへ進んだ。
 
 大津交差点を過ぎると、バスは吾妻川に架かる坪井橋という橋を渡る。車窓には吾妻線の線路と群馬大津駅付近の小さな街を眺めることができた。ここからバスはしばらく吾妻川の南側を走り、長野原草津口駅前で再度吾妻川を渡って、終点の長野原草津口駅に到着した。
 
 長野原草津口駅に到着。この駅は草津町に隣接する長野原町に所在し、吾妻線における草津温泉の玄関口となっている。吾妻線は渋川からこの駅までの運転本数が最も多い。夜間には車両の停泊も行われており、途中駅だが、吾妻線の拠点となるっている。駅は1面2線で、このうちの1線は行き止まりである。したがって、この駅で万座・鹿沢口方面へ向かう上下列車同士の行き違いはできない。この駅から川原湯温泉方面は八ッ場ダムの建設による新線区間となっている。
 長野原草津口駅では特急列車に乗り継ぐが、お昼休憩も兼ねて、こごては1時間30分ほどの時間を用意していた。駅は八ッ場のダム湖の終端部分にあり、駅から少し歩くと、ダム建設に際して建設された立派な橋が、道路、鉄道ともに架かっている。ここでは歩いて長野原草津口駅付近を一周し、それらの橋を見に行ってみることにした。

長野原めがね橋と吾妻川第三橋梁を見てまわる

 長野原草津口駅前の橋を渡ると、川の対岸にはレンタカー屋と長野原町の町役場があった。長野原町の町役場は2018年にこの場所に移転してきた。前代の町役場は築90年のとてもレトロな町役場だったらしい。国道を川原湯温泉駅方面に少し行くと、八ッ場湖の駅丸岩という観光施設がある。この施設の建物は旧役場をモチーフに造られている。
 久々戸交差点で左折し、国道406号線に出て少し歩く。国道はこの交差点の先でU字状に流れる吾妻川を2度渡る。立派な2つのアーチ橋は2つセットで「長野原めがね橋」と呼ばれている。2000年代に八ッ場ダム工事に先駆けて架けられた橋で、確かに手前から見るとメガネのように見える。
 
 橋の隣には吾妻線の吾妻川第三橋梁がある。こちらもアーチ橋でデザインに当たっては、この長野原めがね橋との調和が意識されたらしい。前話で先述の通り、吾妻線は岩島~長野原草津口間がダム建設により、新線となった。ここは新線区間の終端部に位置している。かつての吾妻線は写真の奥の山の斜面に沿って走り、その先で川と並走しながら走っていた。現在はこの立派なコンクリートの橋を渡ると、すぐにトンネルに入り、移設された川原湯温泉駅駅へ走っていく。
 撮影しているとちょうど上野からの特急草津・四万31号がやってきた。この列車は長野原草津口で折り返し12時5分発の特急草津・四万82号上野行として帰っていく。自分が乗車するのはこの列車の1時間後の列車。のんきな旅である。
 
 振り返ると、長野原草津口駅とその背後には雪を積もらせた草津白根山が見えていた。山々の紅葉も見ごろでとてもきれいだった。ダム湖に水が入る前の写真はネットで探せば見つかる。このあたりも川は峡谷となっていて、谷は結構深い。ダム湖があるので、高さを感じないが、実際元々の水面からは結構な高さがある。
 
 めがね橋の中間部分には交差点があり、ここから川の対岸を走る道とを短絡する道路が延びている。この道を歩けば、吾妻川第三橋梁を近くで見ることができる。この吾妻川第三橋梁は土木学会田中賞という、優れた業績を残した橋梁に対して贈られる賞を、2011年に広島空港大橋や東京ゲートブリッジなどとともに受賞している。橋梁工学のことは全く分からず、構造については詳しくは分からないが、すごく周辺の自然やダム湖に調和していると思うと同時に、自分みたいに近づいて見に行きたいと思わせるデザインだなと思った。
 その後は橋の近くにある小さな公園で、草津温泉で買っておいたお昼を食べて小休憩。歩いて駅へ戻り、次に乗車する特急列車の改札の開始を待った。

特急草津・四万2号で上野へ戻る

 さて、長野原草津口からは、この駅と上野駅を結ぶ特急草津・四万に乗車して、旅のスタート地点だった上野駅へ戻った。
 特急草津・四万は上野-長野草津口間で運行されている特急列車。現在定期列車として走っているのは1日2往復で、土休日にはこれに加えて臨時列車が2往復設定され、最大4往復の運転となっている。下りは上野午前中発、上りは長野原草津口午後発で設定されており、専ら温泉地へ行き来する観光客を意識したダイヤ設定になっている。
 この列車は2023年ダイヤ改正まで特急「草津」として運転されていた。以前は吾妻線沿線から都心への移動を意識した早朝・夜間の便も万座・鹿沢口始発で運転されていたが、利用客の減少に伴って廃止されてしまった。さらに185系電車で運転されていた時代には、上野〜新前橋間で、水上発着の特急「水上」や前橋発着の「あかぎ」と併結し、最大14両編成で運転されていた。現在は東京-高崎間の移動も朝夕の通勤特急を除けば、新幹線利用にシフトしていて、「水上」は廃止となり、「あかぎ」も高崎線の着席サービスのような立ち位置に変わっており、高崎線で運転される特急列車の本数も減少している。
 
 特急「草津」時代には、185系や651系が使用されていたが、特急草津・四万に列車名が変更されると同時に651系が引退し、E257系5500番台での運転に変わった。この5500番台は、房総方面で活躍していた500番台を改造した波動用編成。定期列車としては「草津・四万」、「あかぎ」の2列車の運用を持つほか、臨時列車、団体列車などの運用にも就いている。
 5両編成の車両は全車指定席。「あかぎ」には座席未指定券が導入されているが、この列車にはなく、指定席特急券がなければ乗車することができない。今回は最後尾の5両目に乗車した。
 
 長野原草津口発車前には、隣のホームに万座・鹿沢口始発の普通列車が到着。ここで普通列車は特急に接続し、特急の方が先発する。このように長野原草津口から万座・鹿沢口方面へ行く普通列車は、ここで特急列車と接続し、乗り継げるように配慮されている。普通列車の到着後、しばらくして、特急草津・四万2号は長野原草津口を発車した。
 長野原草津口を出ると、先ほど見に行った吾妻川第三橋梁を渡る。吾妻川を渡るとすぐにトンネルに入った。ここから新前橋までは朝来た道を戻る形となる。
 
 2つのトンネルを抜けると、川原湯温泉駅を通過。往路の普通列車では八ッ場ダムのダム湖を写真に写すことができなかったので、再チャレンジ。川原湯温泉駅を通過すると、列車は再び長い八ッ場トンネルに入り、第二吾妻川橋梁の先で旧線と合流。次の中之条へ向けて走っていった。
 
 岩島駅~祖母島駅間は車窓の右手に時折吾妻川を見ながら走っていく。ただ、午後に長野原草津口を発車する上り列車は、進行方向右側が終点上野までほぼずっと日が差し込んできて眩しい。吾妻線内では山側になるが、座席を指定するなら左側がいい。やがて群馬原町まで来ると、左側の車窓も開けてきて、列車は中之条に到着。ここでは3・4人が乗車してきた。
 
 中之条をの次は渋川。中之条を出ると、左側の車窓はまた山となる。しばらく山沿いを走り、第一吾妻川橋梁を渡ると、祖母島駅を通過。その先で上越新幹線の高架橋が頭上を通過していくと、やがて車窓の先に赤城山が見え初め、渋川の市街地が広がり始めた。列車は住宅が広がる景色の中を軽快に走り抜け、上越線と合流し、渋川駅に到着した。
 
 列車は渋川に到着。ここでは10人くらいの乗車があり、車内は混雑し始めた。渋川駅は現在、この特急草津・四万が唯一都心へ乗り換えなしで行ける列車になっている。日曜日の午後ということもあって、都内へ戻る人の利用が多かった。渋川からは上越線に入り、列車は次の新前橋へ向けて走っていく。青空の下に聳える赤城山がとても美しかった。
 
 上越線内を疾走し、やがて前橋の市街地に入ると、列車は新前橋に到着。この日のスタート地点に戻ってきた。かつて特急水上と草津が併結していた時代は、作業の関係上、この駅で連結・解結作業を行っており、渋川~新前橋間は2本の特急列車が立て続けに走行する区間となっていた。ここから先は2階建ての特急列車が14両編成で走っていた区間となる。今はもう特急列車は5両編成しか走っていない。上越新幹線に乗車すると高崎で多くの人が乗り降りする。東京都心と高崎間の移動はすっかり新幹線利用がメジャーとなった。
 
 新前橋の次は高崎に停車。高崎から先は新幹線も利用できるが、この列車に乗車する人の姿もあった。ここから先は朝夕時間帯に特急「あかぎ」が運転される区間となり、特急列車の運行本数もわずかに増える。新幹線は大宮まで23分なのに対して、特急列車は倍以上の53分かかる。料金面で見ると、新幹線自由席は1,870円なのに対して、特急列車の指定席は1,480円と400円ほど安い。普通列車グリーン車は1,000円だが、特急列車よりさらに30分ほど時間がかかる。特急草津・四万は新幹線と普通列車グリーン車のちょうど真ん中の立ち位置になっている。
 高崎からは高崎線を走っていく。高崎線は旅行日の時点で都心から最も近い未乗路線となっていた。この路線には八高線の列車に乗車した際、倉賀野~高崎間だけ乗車しているが、その他大部分が未乗だった。今回特急草津・四万に乗車したのは、この高崎線を走破するというのも目的の一つだった。
 
 高崎を出た列車は、駅の南側にあるぐんま車両センターの横を通り、倉賀野を通過。その先で烏川を渡ると、ここで八高線が分岐していく。さらに進んで新町駅を通過するとその先で神流川を渡った。この川が群馬県と埼玉県の境。ここから列車は埼玉県へと入る。列車は本庄市へと入り、本庄駅を通過。駅の周辺には市街地が形成されているが、駅間には写真のようなのどかな景色が広がった。
 
 深谷、そして高崎線の都心方面からの15両運転の端に当たる籠原を通過すると、列車は熊谷へ。熊谷はこの列車の高崎線内の途中駅での唯一の停車駅になっている。ここでは普通列車を待避させ、先に発車した。さすがにこの駅での乗り降り共になかった。熊谷を出てしばらくはまだ田畑が広がる区間があるが、鴻巣駅あたりからはずっと住宅が立ち並ぶ景色の中を走っていく。高崎からおよそ40分ほどで列車は大宮駅に到着した。
 
 大宮駅の到着をもって、高崎線を完乗し、これで都心から一番近い未乗路線を完乗することができた。埼玉県内の他の路線には既に乗車していたので、これで埼玉県の鉄道路線も乗り終えることができた。今回の旅は千葉県と埼玉県の鉄道路線の完乗を達成する旅にもなった。これで都心からもっとも近い未乗路線は、神奈川県の大山観光電鉄大山鋼索線(大山ケーブルカー)となった。
 
 大宮からは東北本線に入り、京浜東北線系統、湘南新宿ライン系統(東北貨物線)との3複線の真ん中を走っていく。京浜東北線の列車と並走しながら走ると、次の浦和へ到着。この先も何本かの京浜東北線の列車を追い越しながら走っていった。
 
 浦和を出ると、いよいよ終点の上野が近づいてくる。列車は荒川橋梁を渡って、赤羽に到着した。車内の乗客は赤羽で下車する人が多く、ここで車内の半数程度の乗客が下車していった。赤羽から湘南新宿ラインや埼京線で新宿・渋谷方面に向かう人が多いのだと思う。その点やはり上野が始発・終点というのは、一般の利用者からすると使いずらさを感じるところかもしれない。赤羽の次は終点の上野。列車は尾久を経由して、ゆっくりと上野駅の地平ホームへ到着した。
 
 長野原草津口から2時間30分ほどで終点の上野に到着。群馬県の山間の地域から大都会東京に帰ってきた。2時間半の道のりも、特急列車だとあっという間に感じた。1日目の朝に見に行った地平ホームに降り立つ。上野駅をスタートに、上野駅に戻るという今回の旅はこれにて終了となり、北関東の鉄道を巡る旅の前篇が幕を閉じた。

埼京線(大宮-池袋)を再履修して、九州へ帰る

 旅の本体部分は上野で終わり、あとは九州へ戻るのみとなった。しかし、帰りの飛行機まではまだかなりの時間があったので、もう少し関東で活動を続けた。上野からは一旦来た道を戻って京浜東北線で上野へ。その後、埼京線・りんかい線の各駅停車新木場行を乗り通した。埼京線の大宮~池袋間、厳密には東北本線支線の大宮~(武蔵浦和経由)~赤羽間と、赤羽線(赤羽~池袋間)は、直近の乗車から15年以上が経過しており、乗車記録に含めていたものの、乗りつぶしを行う上で再度乗車する再履修路線(独自ルール)に指定していた。今回は2008年以来実に16年ぶりにこの区間に乗車し、再履修を完了させた。これで残す再履修路線は、近鉄南大阪線のみとなった。この路線にも来年乗車したいと思っている。
 各駅停車を乗り通し、新木場に到着した後は、東京メトロ有楽町線で豊洲へ。豊洲駅前から東京空港交通のリムジンバスで羽田空港へ行き、スターフライヤーの北九州便で北九州空港へ飛んで、九州へ戻った。スターフライヤーはこれまで中部-福岡線で2度搭乗していたが、今回初めて羽田発着便を利用した。
 

おわりに

 多くの未乗路線を残している、北関東地方を巡る旅の前篇として企画した今回の旅。1日目は千葉県から茨城県へ進み、鹿島線と鹿島臨海鉄道に乗車、2日目は信越本線ルートで長野まで足を延ばし、3日目は吾妻線と草津温泉を旅した。新しく乗車する路線もあれば、数年前に乗車して、久しぶりに乗車する路線もあり、まだ見ぬ北関東を味わうと共に、どこか懐かしさを感じる旅でもあった。
 後篇は年が明けてすぐに旅に出る予定でいる。今回乗車しなかった路線たちを巡り、北関東の鉄道を完乗したいと考えている。今回のんびりとした旅をしてしまったので、次はちょっと慌ただしくなる。それでも鉄道ファンとして訪れておきたい駅や、観光スポットへの訪問も盛り込んだ旅にしたいと思っている。年明けの後篇の旅も楽しみである。
 

関東地方の他の旅行記


今回初めて乗車した路線

【鉄道路線】
JR東日本 鹿島線 香取-鹿島サッカースタジアム間
鹿島臨海鉄道 大洗鹿島線 鹿島サッカースタジアム-水戸間
JR東日本 信越本線 高崎-横川間
JR東日本 吾妻線 渋川-大前
 
【バス路線】
ジェイアールバス関東 碓氷線(直行) 横川駅-軽井沢駅北口
ジェイアールバス関東 草津志賀高原線(直行)草津温泉-長野原草津口