【旅行記】初冬の山形乗り鉄旅~ANA伊丹-仙台線と仙台空港空港アクセス線で仙台へ~

雪舞う初冬の山形で鉄道路線を巡る
今年も12月に入った。あっという間に1年が終わろうとしている。昨年の12月は近場を走る福岡市地下鉄七隈線の延伸区間に乗りに行っただけで、旅という旅は企画しなかったが、今年はいろんなスケジュールとの兼ね合いで2ヵ所に旅に出た。
今回は山形県を旅する。これまで山形県には、東北地方全体を周遊する旅の中で2度訪れてきた。この県には庄内、最上、村山、置賜の4つの地域がある。過去の旅では、このうち庄内(酒田)、最上(新庄)、置賜(米沢・長井)の3地域に訪問した。一方、山形市を含む村山地域は、山形新幹線で通過したことはあるものの、一度も降り立ったことがなかった。今回は未踏の村山地域を初めて訪ねて、周辺エリアを走る未乗路線を巡っていく。
今回は大阪での前泊を除いて、1泊2日で旅した。1日目は伊丹空港から仙台空港へ飛び、ここから仙台空港アクセス線、仙山線経由で山形入りした。山形では最初に左沢線を巡り、山形駅前のホテルで1泊。2日目は山形から長井へ向かい、昨年の旅でわずかな区間で乗車していた山形鉄道フラワー長井線を再訪した。
前日のうちに大阪入り。伊丹空港最寄りの東横INN大阪伊丹空港に宿泊して、翌日、伊丹空港から今回の山形旅がスタートした。
前旅
ANA伊丹-仙台線に搭乗して仙台空港へ

6時30分にはホテルをチェックアウトして、徒歩で伊丹空港のターミナルへ。ホテルからは送迎バスも運行されているが、歩いても10分ほどで行ける。保安検査場が混んでたらと思って早くきたが、ほぼ待ち時間なしで制限エリア内に入ることができた。搭乗口はほぼ一番端っこの24番。ホテルからターミナルと同じくらい、保安検査場から搭乗口まで歩いたのではないかと思う。
今回はここから仙台空港へ飛ぶ。伊丹と東北を結ぶ路線は、これまで三沢、秋田、福島、青森線に搭乗したことがあるが、仙台便の利用は初めてだった。仙台空港自体にも行ったことがなく、こちらも初めての利用となった。
今回搭乗する伊丹-仙台線は、JAL、ANA、IBEXの3社が就航している。JALは1日7往復で、全便がJ-AIRによる運航になっている。一方、ANAは5往復、IBEXは2往復の運航である。IBEXはANAとのコードシェアを行っているため、JAL系、ANA系どちらも7往復ということになる。早朝はJALとANAが仙台便を飛ばしている。一番早く仙台空港に到着するのはJALの方だが、ちょうど予約したときANAがセールをやっていて安かったので、今回はANAを利用した。

伊丹空港から搭乗したのは、ANA731便仙台空港行き(写真は過去に福岡空港で撮影した搭乗機の同型機)。今年の冬ダイヤの当路線はBoeing 737-800(B738)とBoeing 767-300(B763)になっているが、搭乗便はB738での運航だった。ANAのB738はこれでおそらく4回目の搭乗だった。
ANAのB738はグループ会社であるANAウイングスが運航する機材となっている。ANAではこれまでこの機材を、ANAとANAウイングスの2社で運航してきたが、今年10月からANAウイングスに統一されている。ANAグループでは、Boeing 787-9に次ぐ多さの39機が活躍し、国内線機材としては最大勢力となっている。羽田-福岡線などの大路線から1日1便しか運航のない小路線まで、幅広い路線で活躍している。
乗車(搭乗)記録 No.1
ANA 731便
伊丹空港→仙台空港 Boeing 737-800 JA68AN

前日夜から停泊していた機材だったため、出発時刻の20分前には搭乗が開始された。今回も少し前の広島-新千歳線搭乗時と同じく、眩しいことを承知でK席側を指定した。冬の日本列島は日本海側には雲が広がる一方で、太平洋側は晴れていることが多く、伊丹→仙台なら、K席の方が景色を楽しめる可能性が高い。この日の搭乗率は7割ほど。座った後方はとても空いていた。
少し早めに出発し、プッシュバックを開始。24番ゲートというターミナルの端からの出発だったため、プッシュバックは5分以上も続き、400mほどプッシュバックされ、7番搭乗口の前でようやく停止した。ここまで長いプッシュバックは初めてだったように思う。その後は滑走路32Lへ移動し、待ち時間なくすぐに離陸した。

離陸した直後の機窓が見どころの一つの伊丹空港。毎年数回は眺める機窓で、今年も夏に青森へ飛んでいるので、今更珍しくはないがついつい眺めてしまう。宝塚や阪神競馬場を機窓に眺めて旋回すると、今度は六甲山地と阪神間の街並みが見えてきた。山陽新幹線や阪急電車が走っているが見えた。

来年開催予定の大阪万博の会場である夢洲が浮かぶ大阪湾を見ながら再度旋回すると、その後は淀川を眺めながら徐々に高度を上げていく。大阪市中心部から京阪線の沿線付近を眺めて上昇。京都府へ入るあたりからは雲が広がり始め、そこから滋賀、岐阜、長野としばらく雲の上の飛行となった。

巡行中も揺れの少ない安定した飛行が続いた。配られたコーラで一息をつく。長野県の上空に差し掛かったあたりから、機窓には富士山が見え始めた。写真は諏訪湖の真上あたりから富士山を眺めている。こうやって、空の上から日本列島を眺めると、とても狭いところだなと思う。一方で、鉄道やバスを使って陸路で旅すると、時々果てしなさを感じることがある。地球規模で考えれば狭いかもしれないが、その中にはいろんな街や自然が存在していて、これを一つ一つ見ていくと、景色や文化の多様さに気づく。それが国内旅行の面白さだと思う。

やがて軽井沢の上空に差し掛かると、関東平野が見えてきた。ここまでずっと雲が広がっていたのに、関東平野だけは晴れていた。関東の冬は晴れが続く。この日も快晴のようだった。搭乗機は軽井沢の上空を飛行し、長野県から群馬県へと入った。このあたりは直前の旅で訪れたエリア。信越本線の普通列車で訪れた横川や吾妻線の沿線を俯瞰的に眺めながら飛行していく。群馬県から福島県へ入ると、再び雲が広がり始め、機窓は雲に覆われた。

福島県内に入ると、搭乗機は徐々に高度を下げ始めた。巡行中にパイロットから挨拶があり、この際、降下中は多少揺れると案内があった。少し早めにシートベルトのサインが点灯し、搭乗機は雲の中へ。小刻みな揺れが続いたが、大きく揺れることはなく、しばらくすると、福島市の上空を通過。機窓には少しだけ福島の市街地が見ていた。窓の外は雪が降っていて、福島の山々も少し雪化粧していた。
その後は鉄道で言うところの阿武隈急行ルートを進み、宮城県へ。やがて機窓には海岸線が見えてきた。常磐線沿線の亘理町の上空を飛行すると、そのやや南にある山元町あたりの景色を眺めながら、最終の着陸態勢に入った。このあたりの常磐線は東日本大震災で甚大な被害が発生した。浜吉田駅以南は復旧時、高架橋を通る新ルートとなった。機窓からまっすぐ進む旧線と、内陸へ迂回する新線を確認できた。

一旦、太平洋に出ると、旋回して滑走路へ。機窓には遠く松島や牡鹿半島の山々が見えていた。再度、海岸線を通過し、内陸へ入る。奥にはこれから行く仙台市街が見えていた。搭乗機は滑走路27に着陸。大阪伊丹空港から55分。あっという間に仙台空港に到着した。

仙台空港の滑走路は2本あり、y字状に交わっている。短い1,200mの滑走路の方がA滑走路、着陸した3,000mの滑走路がB滑走路と呼ばれており、旅客機はB滑走路を使う。ほぼ定刻通りにターミナルに到着。隣には新千歳便のJ-AIR、関西便のピーチが駐機していた。先述の通り、伊丹からはJAL便が最も早い到着となるが、関西地方からだと関空からのピーチが一番に着く。搭乗便が関西からの3便目の到着便だった。
仙台空港は搭乗と到着の動線が完全に別。降機から2分もかからずにで外へ出ることができた。
東北最大の空港として全国10位の利用者数を誇る仙台空港

初めて利用した仙台空港。アーチ型の屋根が特徴的なターミナルで、とてもモダンで開放感のあるデザインになっている。この空港は東北地方で最大の利用者数、路線数を誇る。2023年度の空港利用者数は355万人で、全国の空港では鹿児島空港に次ぐ10番目の利用者数がいる。成田空港を除く利用者数の上位20位以内に入る空港で、唯一羽田便が飛んでいない空港である。
当空港は主に西日本と北海道からの東北地方・宮城県への玄関口となっている。国内線ではJALが札幌、伊丹、福岡線を、ANAが札幌、名古屋、伊丹、沖縄線(ただし、AIRDO、IBEX運航便とコードシェアを実施)を、AIRDOが新千歳線を、IBEXが伊丹、広島、福岡線を、スカイマークが神戸線を、ピーチが関空線を、トキエアが新潟線を就航させている。昨年の冬ダイヤまではFDAが出雲線を飛ばしており、山陰へも直接行くことができたが、こちらは廃止となり、FDAは定期便としては撤退している。一方、国際線はソウル(仁川)、大連経由北京、上海、香港、台湾便が発着している。このうち香港と台湾便は複数社の運航があり、アジアからの東北地方の玄関口にもなっている。

ターミナルは1階が到着、2階が出発ロビーとなっている。2階からは仙台空港駅への連絡通路が伸びていて、電車から搭乗口まで水平移動で行ける。今回は行かなかったが3階にはレストラン、屋上には展望デッキも設置されている。建設された時期が近いからか、雰囲気がどこか広島空港に似てる気がした。
この空港も東日本大震災の際、地震と津波で甚大な被害を受けた。ターミナルの1階は津波により浸水。滑走路は瓦礫や土砂で埋まり、駐機していた小型機や、車両が多数流されている。震災当日、ここでは約1,700人の人たちが身を寄せ合い一夜を明かした。空港はその後、米軍と自衛隊によりいち早い復旧が行われ、初めは救援物資の拠点として運用を再開。その後、被災から1ヵ月後には国内線の運航も再開され、被災地支援に当たる多くの人たちを運んだ。
今回初めて利用した仙台空港。仙台エリアの鉄道路線もまだいくつか乗ってない路線があるほか、東北地方には巡ってみたい場所がたくさんある。今後もいろんな航空会社・路線でこの空港を使ってみたいと思っている。
仙台空港アクセス線で仙台駅へ

さて、仙台空港からは、はじめて仙台空港アクセス線に乗車して仙台駅へ向かった。仙台空港アクセス線は仙台-仙台空港間を走る列車系統に付けられた愛称名。湘南新宿ラインのように正式な路線名ではなく、路線的にはJR東北本線仙台-名取間と、仙台空港鉄道仙台空港線の2つの路線から構成されている。このうち名取-仙台空港間の仙台空港鉄道仙台空港線は、2007年に開業した比較的新しい路線。仙台空港鉄道は宮城県や仙台市などが出資する第三セクター会社で、仙台空港線はわずか7.1kmの路線だが、開業により仙台空港へのアクセスが大幅に改善された。
仙台空港アクセス線の列車は、仙台-名取間で東北本線を走行するが、旅客案内上は東北本線の列車とは区別されている。仙台駅を跨いで小牛田方面に行ったり、名取で折り返して岩沼方面に行く列車はなく、全列車が仙台-仙台空港間での運転になっている。日中はほぼ完全な20分間隔となっており、朝夕より日中の方が本数が多いのもこの路線の特徴である。ほとんどが普通列車だが、仙台空港11時台、仙台14時台にはそれぞれ1本ずつ快速列車の運行がある。快速列車は途中名取のみに停車し、普通列車で25分かかる仙台空港-仙台間を17分で結んでいる。1時間に1本くらい走っていると便利なのだが、1日1往復ではそれ目当てに乗りに来ないと乗るのが難しい。

乗車したのは仙台空港を9時29分に発車する普通列車仙台空港行き。仙台空港鉄道のSAT721系とJRのE721系500番台の混結の4両編成だった。仙台空港鉄道ではE721系ベースの自前の車両を持ち、E721系500番台と共通で運用されている。今回は先頭側のSAT721系に乗車した。SAT721系はわずか3編成しかなく、希少な存在である。E721系の派生形式は他に青い森鉄道の703系、阿武隈急行のAB900系があるが、これらには過去の旅で乗車済み。SAT721系への乗車で派生形式のコンプリートとなった。後ほどE721系には仙山線で乗車するが、過去に仙台・福島エリアの東北本線に乗車した際はことごとく701系の運用に当たっていたため、E721系には乗車したことがなく、派生形式のコンプリートの方が先になってしまった。
乗車記録 No.2
仙台空港アクセス線 普通 仙台行
仙台空港→仙台 SAT721系

高架駅の仙台空港を発車した列車は、滑走路端の地下を走るため一旦トンネルへ。車窓には一瞬だけ仙台空港のエプロンと離陸しようとする飛行機が見えた。東日本大震災の際にはこのトンネルも津波被害により水没した。仙台空港線の全線復旧には半年の時間を擁した。

トンネルを潜ると、その先は再び高架橋となり、その後は名取駅の手前までずっと高架橋を進んでいく。高架橋の側壁は他の路線よりも高くなっていて、車窓は眺めにくかった。最初は田畑が広がる中を走行し、やがて美田園(みたぞの)地区に入ると、以後は住宅街が広がる中を走っていく。美田園駅では反対列車と交換。次の杜せきのした駅は1面2線にできる構造だが、1面しかホームがなく、途中駅で行き違いができるのは美田園駅だけになっている。
杜せきのしたは宮城県内で最大規模を誇るイオンモール名取に直結しており、当路線はこのショッピングモールへのアクセス路線としても使われている。杜せきのしたを出ると列車は右へカーブして高架橋を下り、東北本線と合流して、名取駅に到着した。

名取から先は東北本線を仙台へと進んでいく。ここからは東北本線それに岩沼で分かれる常磐線の列車も走っており、日中でも10分に1本以上の本数が運転されている区間になるが、仙台に10時前に着く列車ということもあって、名取からは多くの乗車があった。名取と次の南仙台の間にはちょっとだけ写真のような田畑が広がる区間があるが、わずかな区間だけですぐに列車は仙台市の市街地に入っていった。

南仙台あたりから仙台市の市街地が広がり始める。やがて左から東北新幹線の高架橋が近づいてきて、一緒に名取川を渡る。その後は東北本線も高架橋となり、太子堂、長町に停車した。その後、仙台の街の象徴である広瀬川を渡り、列車は終点の仙台に到着した。

終点の仙台に到着。今回は仙台空港をはじめて利用し、仙台空港鉄道仙台空港線にも初めて乗車することができた。仙台市街からやや離れた場所にある仙台空港だが、この路線のおかげで、スムーズに仙台の街までたどり着くことができた。
写真は乗車したSAT721系の後ろに連結されていたJR東日本のE721系。仙台空港アクセス線で使用されるE721系は500番台と呼ばれ、東北本線や仙山線などで活躍する車両とは異なり、青と緑の帯を纏っている。基本的に他の番台は仙台空港線へ入線しないが、この500番台も編成が少ないため、度々代走が発生。1000番台が代走するという光景も時々ネットで目にする。
仙台空港アクセス線は、今から15年くらい前にBVEというフリーの鉄道シミュレーターでよく遊んでおり、東北の鉄道路線の中でも昔から知っていた路線の一つだった。まだ反対列車が動かない初期の頃のBVEだったが、この路線のデータはとても完成度が高く、子どもの頃によくプレイしていたのを思い出す。仙台空港を使う機会がこれまでなく、実際に乗車するのはかなり遅くなってしまったが、初めての路線だったが、ちょっと懐かしい気持ちになった。

仙台駅では乗り換え時間があったので、昼ご飯の調達をしに一旦駅の外へ。大阪を出て2時間後には仙台にいるなんてほんとに飛行機は偉大だなと思う。この日の仙台駅舎では、掲げられた「仙台駅」の「仙台」の部分で工事が行われて、「駅」になっていた。日曜日の午前中ということもあって、駅前には多くの人が行き交っていた。
さて、ここからはいよいよ今回の旅の目的地である山形へ進んでいく。仙台からは仙山線の快速列車に乗車した。
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