【旅行記】初冬の山形乗り鉄旅~左沢線に乗りに行く~
JR屈指の難読路線、左沢(あてらざわ)線に乗車

1日目の午後は山形から左沢(あてらざわ)線に乗車した。山形駅は路線としては奥羽本線の単独駅となっているが、奥羽本線(山形新幹線・山形線)の他に、先ほど乗車した仙山線と左沢線の2つの路線が乗り入れている。これら2路線は山形駅の次の駅と2駅先の駅で、それぞれ枝分かれしている。左沢線は山形駅の一駅隣の北山形駅を起点に、左沢駅を結ぶローカル線である。全列車が山形駅へ乗り入れており、かつては山形駅が起点だった時期があった。左沢は「あてらざわ」と読む。JRの路線の中でも難読として知られている。
自分も最初はこの路線を「さざわ」と読むものと思っていた。ある時、暇だったので、部屋においているアレクサで、JR東日本列車運行情報案内(現在は配信終了)を立ち上げて、思いつく路線名を挙げるというしょうもない遊びをやっていた。この時アレクサに「さざわ線の運行状況を教えて」というと、「”あてらざわ線”は現在平常運転です」と返してきて、ここで初めて左沢を「あてらざわ」と読むことを知ったのだった。

全線非電化でローカル線の雰囲気が漂う路線だが、山形市と寒河江市を結び、沿線には多くの高校が立地することから、通勤通学や日常利用の乗客が多く、非電化路線の中でも混雑路線の一つとして知られている。その中でも特徴的なのが朝の6両編成運転。通学ラッシュに対応するため、所属する13両の車両のうち、12両を使って、朝時間帯には6両編成が2本組成され、上下2往復の列車が6両編成で運転されている。また、朝夕には4両編成の列車も当たり前のように走っていて、他のローカル線とはちょっと様相が異なる路線となっている。JR東日本の鉄道路線の中では、かなりマイナーな路線だが、それは目立たないということはそれだけ縁の下の力持ちになっているということ。今日も沿線の日常の移動を支えている。
左沢線は列車の多くが山形-左沢間を走る。しかし、日中は左沢まで行かない寒河江発着の列車が多く、寒河江-左沢間の列車は3時間30分ほど間隔が空く時間がある。今回はちょうどその時間帯の訪問となったので、まずは寒河江行きの普通列車で寒河江へ行き、駅周辺を散歩して、後続の左沢行きの列車を待つことにした。

左沢線ではキハ101形という車両が活躍している。キハ101形は、他のJR東日本のローカル線区で活躍しているキハ100形を、利用者の多い左沢線用にカスタマイズした車両。キハ100形はセミクロスシートだが、キハ101形はオールロングシートとなっており、山形-左沢間の所要時間は40分ほどなので車内のトイレも設置されていない。
この時間の列車は隣の北山形駅ですれ違うので、山形駅では45分ほど折り返しの待機時間がある。発車まではまだ30分ほど時間があったが、とにかく外が寒かったので、早めに車内に入り発車を待った。発車時間が近づくと、乗客も増えてきて、車内の7割程度の座席が埋まった状態で山形駅を発車した。
乗車記録 No.4
左沢線 普通 寒河江行
山形→寒河江 キハ101形

左沢線の列車は、次の北山形駅まで奥羽本線を走り、北山形駅のホーム手前で奥羽本線から分岐して、この駅の左沢線用のホームに到着する。ここまでは仙山線系統の列車と同じ線路を走っていく。北山形駅は開業当時は左沢線の駅として開業し、その後に奥羽本線も停車すようになった。左沢線はこの名残で、1998年まで山形駅が起点となっていて、かつては山形-北山形間は奥羽本線ととの重複区間となっていた。北山形駅は左沢線も1面2線。早速、反対列車と行き違った。

北山形駅を発車した列車は市街地を抜けて西へ進んでいく。車窓も住宅街から田園風景に変わった。最上川に流れ込む須川を渡ると、列車は羽前山辺に到着。ここも行き違いができ、朝には6両編成の普通列車同士がすれ違うという圧巻の光景を見ることができる。その名の通り山辺町に駅があり、ここも駅の南側に県立高校がある。

羽前山辺からは進路を北に変え、列車は寒河江へ向かっていく。田園地帯のど真ん中にある羽前金沢(かねざわ)、その次の羽前長崎と、他県を連想させるような駅名が続く。羽前長崎駅を出ると列車は最上川を渡る。左沢線はこのあたりから最上川に沿って進む。最上川は基本的に南から北へ流れる川だが、左沢線の沿線だけ北西から南東に流れているので、ちょっとだけ方向音痴になりそうになった。渡っている鉄橋は、明治自体に東海道本線の木曽川橋梁として造られた橋を移設したもの。翌日乗る予定の山形鉄道フラワー長井線でも同じく木曽川橋梁の鉄橋を転用した橋が最上川に架かっている。

最上川を渡って南寒河江に停車すると、列車は寒河江市の市街地に入り、終点の寒河江に到着。山形-寒河江間の所要時間は25分であっという間の乗車時間だった。左沢行の列車は1時間後にこの駅を発車する。ここ寒河江は左沢線の沿線では一番大きな街。せっかくなので、駅前に広がる市街地を散歩しに行ってみた。

寒河江駅は橋上駅舎になっていて、非電化路線にも関わらず、大手私鉄の郊外駅のような雰囲気である。以前は地上駅で、現在の場所からもう少し左沢側へ進んだ場所に駅があった。駅構内には手狭ながら留置線と検修庫がある。左沢線の車両は、山形新幹線車両センターに所属するが、車両センターは標準軌の線路しかないため、狭軌の左沢線の車両は入線できない。そのためここ寒河江駅に検修庫が設置されており、車両はここを拠点に運用されている。また、この駅は左沢線の運行拠点でもあり、列車の運行管理を行うCTCセンターや乗務員の詰所もここに併設されている。
駅前にはバスターミナルがあり、山交バスの路線バスでも山形市街地へ行ける。寒河江市の東側には天童市、北側には河北町という街があり、それぞれの自治体の市営バス、町営バスも駅に乗り入れている。

寒河江市も初訪問となった。寒河江(さがえ)もまた難読地名として知られるが、左沢が難しすぎて難読であることを忘れる。村山盆地の中央西部に位置し、人口は約4万人。周辺の市町村と並びさくらんぼの一大産地として知られる。最上川は寒河江市付近から村山盆地へ出るが、このあたりではやや蛇行して流れており、市街地は最上川と、最上川に流れ込む寒河江川の2つの河川に挟まれた場所に広がっている。

寒河江駅から駅周辺をぐるっと一周。市内の中心部の方へ行ってみたかったので、NTTのアンテナを頼りに歩いた。地方の中核都市あるあるなNTTの電話交換所のアンテナ。大体中心市街地に隣接した場所にあるので、地図がなくてもこれを目印に歩けばその街の中心部に辿り着く。小さな繁華街らしき通りを進むと少し大きな通りに出た。ここには商業施設らしき建物が。調べて見るとかつては十字屋寒河江店として営業していたそうで、後に寒河江市が建物を購入して、現在はフローラ・SAGAEとして営業しているらしい。

寒河江駅の方へ歩いて戻っていると、小さな広場があり、足湯が設置されていた。寒河江は温泉地でもあるらしい。足湯からは湯気が上がっていた。服装の関係で足は入れられないので、手を温めた。ちょうどいい湯加減でとても気持ちよかったのだが、その反動で冷たい風が手に当たると逆に寒かった。

市街地を歩いて駅へ戻ってきた。駅の左沢側には踏切が設置されていて、ここから左沢駅構内を眺めることができた。駅構内にはキハ101形の2両編成が留置されていた。先述の通り、左沢線の車両はここを拠点にしている。キハ101形は全部で13両。運用がない時は寒河江駅か山形駅の留置線で待機している。
4両編成の普通列車で終点の左沢へ

さて、寒河江からは再び左沢線の普通列車に乗車し、路線の終点である左沢へ。寒河江から先の区間は約3時間30分ぶりの普通列車だが、やってきたのは堂々の4両編成。先述の通り左沢線は朝に4・6両、夕方から夜間にかけても4両で運転される列車が多数運行されている。この日は日曜だったが、休日も例外ではなく、夕方の列車は4両で運転されている。キハ100・110系列での4両編成は一度石巻線で乗車したことがあるが、どの路線でも朝の数本に限られる場合が多い。この顔の4両というのも見慣れない。キハ101形は全車両運転台なので、4両だと8個、6両だと12個も運転台がある。
乗車記録 No.5
左沢線 普通 左沢行
寒河江→左沢 キハ101形

最後尾の4両目に乗車し、いざ左沢へ。寒河江を出た列車は、市街地の北西側にある工業団地を迂回するようにここからΩ字状に走っていく。次の西寒河江でも比較的多くの下車があった。4両編成の列車はワンマン運転ではないため、車掌がホームで乗車券を回収する。この作業にやや時間がかかるので、列車は少々遅れ気味だった。各駅ごとに出入り口の場所が違うので、駅を発車すると、車掌は出口に近い運転台まで移動する。車掌さんもとても忙しそうにしていた。西寒河江の次は羽前高松。ここにきて再び他県の県庁所在地を連想させる駅名が現れた。寒河江の市街地に積雪はなかったが、このあたりから徐々に車窓の景色も真っ白になってきた。次の柴橋駅はホームが2両分しかなく、前の2両しかドアが開かない。この柴橋駅付近から車窓の左側には最上川が現れ、この川を眺めながら、列車は終点の左沢駅に到着した。
左沢線の終点、左沢駅で折り返し山形へ

ホームに降り立つと、しんしんと雪が降っていた。車内を歩けばいいのに、4両分ホームを歩いたので、自分に雪が積もった。左沢駅は1面1線の小さな駅。線路はここで途切れている。乗車した列車は数分遅れていたので、急いで折り返しの準備が整えられ、数分のうちに発車していった。この列車まで3時間30分ほど間隔が空いていたが、この時間から夜までは1時間毎に列車がある。1時間後の列車までのんびり列車を待つ。
駅は簡易委託となっていて、日中にはきっぷの販売もある。到着した時間がちょうど窓口が閉まる時間だったらしく、列車の発車とともに窓口も閉まった。駅の隣には交流施設があった。ここはあとから覗くことにして、とりあえず寒河江と同様に駅前を歩いてみることにした。

左沢駅は寒河江市の隣にある大江町に所在する。駅周辺が町の中心部で近くには町役場があった。大江町の人口は8000人。中心部の南側から東側へ最上川が流れており、江戸時代には最上川水運の中継地として栄えた。米沢盆地を後にした最上川は、山形鉄道フラワー長井線の終点荒砥からしばらく山間部を進み、左沢から寒河江方面に流れる。最上川における村山地域の最初の街がここ左沢である。

駅には交流施設があり、ここには左沢で秋に開催されているおおえ秋祭りの囃子屋台が展示されていた。展示室に入ると、自動でナレーションが流れる仕組みで、展示物にスポットライトが当たり、祭りや展示物についての紹介が流れた。展示を囲むようにスロープがあり、2階へ上がることができ、2階は勉強や読書ができるスペースがあった。おおえ秋祭りの開催日には、左沢線でも臨時列車が運行され、多くの観光客で賑わう。臨時列車にはキハ110系のレトロ調車両が使用される。その後は自販機でココアを買って温まりながら、待合室にあった街の情報誌やパンフレットを読み、帰りの列車の到着を待った。
乗車記録 No.6
左沢線 普通 山形行
寒河江→山形 キハ101形

左沢には1時間ほど滞在して、17時18分発の普通山形行きで山形へ帰った。帰りの列車も4両編成だった。列車を待っている間に日が暮れて、帰りは夜間走行となった。休日の上り列車と言うこともあり、さすがにこの列車は終始空いていた。軽快なジョイント音を響かせながら列車は進み、左沢から40分ほどで終点の山形に到着。1日目の旅程を山形駅で終えた。

この日は山形駅前のコンフォートホテルに宿泊した。山形県は以前酒田に宿泊したことがあったので、これが2度目の宿泊だった。2日目は山形鉄道フラワー長井線に乗車していく。巡る路線は1路線だけだが、その後九州まで帰るので、行動時間は長くなる。旅行は体力勝負なので、少し早めに就寝して、2日目に備えた。
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