【旅行記】北関東鉄道探訪録 後篇 ~わたらせ渓谷鐡道に乗車する~
桐生と間藤を結ぶわたらせ渓谷鐡道に乗車

桐生駅前のホテルを6時過ぎにチェックアウトして桐生駅へ。2日目の最初は、桐生駅からわたらせ渓谷鐡道わたらせ渓谷線に乗車した。
わたらせ渓谷鐡道わたらせ渓谷線はここ桐生駅から栃木県日光市の間藤駅を結んでいる。沿線にはかつて銅の採掘で栄えた足尾地区がある。この路線はもともとこの足尾銅山から採掘された鉱石を輸送するために建設された。後に国有化され、長らく国鉄足尾線として運行されていたが、特定地域交通線に選定された後、国鉄民営化直後の1989年に第三セクターのわたらせ渓谷鐡道へと運行が引き継がれ、今日まで運行されている。
わたらせ渓谷線は山間部へ向かう盲腸路線で、途中で県境を跨ぐこともあり、利用者自体はそう多くはない。しかし、秋には渓谷沿いの紅葉が楽しめる路線として、行楽客にも人気の路線となっている。足尾地区からはJR日光線や東武日光線が発着する日光駅・東武日光駅へもバスでアクセス可能。今回はこの後宇都宮へ出るので、この乗り継ぎルートで旅してみることにした。

桐生駅から間藤駅までの全長は44.1km。ここを列車はおよそ1時間30分ほどかけてのんびりと走っていく。路線名の通り、線路は渡良瀬川にずっと寄り添うように敷かれていて、途中の大間々駅以降の車窓にはほぼずっと渡良瀬川を楽しめる。間藤行の場合、基本的には川は進行方向右手を流れるが、一番深い渓谷区間では右側を流れる。人が多くなければ、基本は右側に座り、途中だけ左に移動するのがいい。
営業上のわたらせ渓谷鐡道は、桐生駅が起点だが、設備上は桐生駅から両毛線を前橋方面へ少し進んだ場所にある下新田信号場が起点となっている。わたらせ渓谷鐡道は桐生駅からこの信号場までのわずかな区間だけ両毛線の線路を走る。桐生駅のわたらせ渓谷鐡道のりばは、JRの改札内にあり、2面4線のホームのうち、北側の1番線を使う。このホームはほぼわたらせ渓谷鐡道の専用ののりばとなっているが、両毛線の列車もわずかにこのホームを使う列車が存在しており、専用というわけではない。
今回は紙のきっぷではなく「GunMaaS」で発売されているデジタル乗車券を使って乗車した。GunMaaSは群馬県を中心に鉄道やバス、タクシーなどの乗車券、定期券、フリーバスなどを購入できるMaaSアプリ。わたらせ渓谷鉄道は栃木県に跨るが、全区間のデジタル乗車券と一日乗車券が購入できる。なるべく現金決済を減らしたいのでとても助かった。なお、わたらせ渓谷鐡道ではICカードは利用できない。ホーム上にはJRとの乗り継ぎ用の簡易改札機が設置されているので、JRからの乗り換えの場合はここにタッチし、わたらせ渓谷鉄道では現金かデジタル乗車券を利用することになる。

余談だが、北関東探訪録の旅の初案を組み立てた際には、この路線には前篇の2日目に乗車するつもりだった。しかし、昨年秋はこの周辺の紅葉の見ごろが遅れ、ちょうど旅行日と紅葉のピークが一致する形となった。わたらせ渓谷鐡道自体は紅葉が一番の魅力なので、この路線を往復するだけなら願ったり叶ったりだった。
一方で、紅葉シーズンの日光は、一年の中でも特に観光客が多い季節である。日光市街地から中禅寺湖へむかういろは坂は、関東屈指の紅葉の名所。そのため、紅葉シーズンは多くの車が押し寄せて、渋滞が発生する。足尾と日光を結ぶ日光市営バスは、途中まで中禅寺湖方面へ向かう車と同じ方面へと進む。そのため、渋滞で大きく遅延することもあるという情報を事前に得ていた。この日光市営バスの存在も以前からとても気になっていて、わたらせ渓谷鐡道に乗車する際には2つの乗り継ぎルートで旅をしてみたいと思っていた。紅葉シーズンのわたらせ渓谷鐡道の景色も見てみたかったが、まずは自分のやりたいことを優先する。渋滞に巻き込まれるのを避けるため、前篇での訪問は諦めて、碓氷峠を経由する信越本線・しなの鉄道の旅と旅程を入れ替え、後篇に組み入れることになった。
前篇では1日目に勝田から水戸線で小山へ行き、そこで1泊。次の日に両毛線で高崎へ抜け、そこから長野へ旅しているが、当初の計画では小山から東北本線で宇都宮へ行って宿泊した後、宇都宮ライトレールに乗車して、日光から足尾へ抜け、桐生へ出てくるつもりだった。また、後篇も1日目は水上から高崎へ来て、高崎で一泊、翌日は高崎スタートで信越本線、路線バス、しなの鉄道を経由して長野へ向かう予定だった。前篇と後篇でなんだか非効率に見える旅程になっているのは、このだめである。
乗車記録 No.8
わたらせ渓谷鐡道 普通 間藤行
桐生→間藤 WKT-510形

この日の始発便ということもあり、桐生駅発車時点で乗車していたのは4人ほど。今回は駅前に宿泊したが、この列車には高崎を5時25分に出る普通列車に乗車すれば、高崎や前橋からも乗車できる。
列車は桐生駅を出て、しばらく両毛線の線路を進む。桐生駅~下新田信号場間は、車両基地への回送線もあり、単線並列で2本の線路が並んでいる。渡良瀬川の鉄橋を渡った先に信号場があり、ここで両毛線からわたらせ渓谷線へと進んだ。下新田信号場は両毛線にも行き違い設備があり、横には回送線から続く留置線も設置されている。留置線では211系が発車の準備を整えていた。
最初の停車駅、下新田駅を発車した列車は、両毛線と分かれた後、すぐに両毛線と直角に交わる東武桐生線と合流する。次の相老駅は、東武桐生線との接続駅。ここから何人かの乗車があった。

このあたりはいろんな路線が走っている。相老駅で反対列車と行き違った後に発車すると、東武桐生線が左へカーブしていき、まもなく上毛電気鉄道の線路が頭上を通過する。ちょうど上毛線の列車がわたらせ渓谷線の上を通過していった。両毛線・東武桐生線とは接続駅があるわたらせ渓谷鉄道だが、上信電気鉄道とは直接乗り換えられる駅がない。ただし、相老駅の次の運動公園駅は、上毛電気鉄道の桐生球場前駅から徒歩数分のところにあり、少しの徒歩連絡で乗り換えることができる。桐生駅と上毛電気鉄道の西桐生駅も少し離れているので、両者の乗り換えにはいずれも少しの徒歩連絡が必要である。
列車は大間々駅に到着した。ここ大間々駅はわたらせ渓谷鉄道の本社所在地で、わたらせ渓谷鉄道の駅としては一番大きな駅である。構内には車両基地も併設されていて、多くの車両が留置されていた。駅にはイルミネーションが設置されていて、この時間も点灯していた。わたらせ渓谷鉄道は紅葉と同時にイルミネーションが楽しめる路線としても知られる。
桐生~大間々間には何往復か区間列車が設定されている。桐生からここまでは市街地を走るということもあって本数はやや多い。一方、ここからはいよいよ渡良瀬川の渓谷へと分け入っていく。この先、高校もなければ大きな街もないのに、車内の乗客はここでさらに増えた。

大間々を発車すると、まもなく渡良瀬川が近づいてきて、その後はしばらくこの川に沿って走っていく。渡良瀬川は群馬県と栃木県の県境に位置する皇海山を源流に、利根川へ流れ込む川。上流部は松木川と呼ばれており、渡良瀬川という名前は、この松木川と神子内川の合流地点から下流側で使われている。川の合流地点は足尾駅〜間藤駅間にある。列車は上神梅、本宿、水沼と停車。水沼では数分停車して、反対列車とすれ違った。反対列車は2両編成で、通学客の姿がちらほら見えたが、1両に数人程度しか乗っておらず、乗車している列車の方が混んでいた。

列車はその後も小さな駅に停車しながら進み、神戸駅に到着した。ここはホームの後ろに、かつて東武鉄道で特急として活躍していた1720系の廃車体を利用したレストランがある。1720系はデラックスロマンスカーと呼ばれ東武特急の礎を築いた車両。スペーシアやスペーシアXはこの車両の流れを汲んでいる。大間々までの間に乗車した自分以外の乗客はこの駅で全員下車していき、乗客は自分一人になった。周囲は山に囲まれているが、山の上に少し大きめの工場があり、この列車はここへ勤務する人たちの通勤列車になっているらしい。正直、下り列車に通勤需要があるとは予想外だった。

神戸駅を出た列車は、まもなく草木トンネルという長いトンネルへ入る。沿線には渡良瀬川本体では唯一の草木ダムが設置されている。このダムは1972年に完成したが、同時に線路も移設され、次の沢入駅までの大部分がトンネルとなった。途中には草木駅が設置されていたが、移設に伴い廃止となり、旧線の一部はダム湖に沈んでいる。長いトンネルを出ると、列車はダム湖の上流の鉄橋を渡る。ダム湖は奥に見える橋の先でさらに広がっているが、吾妻線における八ッ場ダムと同様にダム本体などは見えない。

沢入駅がわたらせ渓谷鐵道最後の群馬県内の駅。列車はここからしばらく、川に寄り添いながら進み、その途中で群馬県と栃木県との県境を跨ぐ。沢入~原向間は、わたらせ渓谷鐡道の中でも特に山深いエリア。川もゴツゴツとした岩で埋め尽くされている。おそらくここが紅葉が一番美しい場所ではないかと思うが、この季節はもう葉が完全に落ちてしまっていて、残念なが美しさはない。今回は旅程の都合上やむを得えず冬の乗車となったが、いずれ紅葉の時期のトロッコ列車への乗車はリベンジしてみたい。

原向駅の手前で栃木県へと入った列車は、ここから日光市の足尾地区(旧足尾町)へ入っていく。先述のとおり、足尾地区にはかつて足尾銅山があり、江戸時代から昭和にかけて、銅の採掘で栄えたところだった。銅山自体はすでに閉山となっているが、いまもその遺構が数多く残されている。通洞駅が近づくと、車窓には久しぶりに街が広がった。通洞駅の近くには足尾銅山観光があり、駅のホームには「足尾銅山観光下車駅」と書かれた大きな看板が設置されていた。

通洞駅は間藤まで行った後に折り返して降りるが、とりあえずは終点の間藤まで行く。次の足尾駅はこの路線最後の交換可能駅になっている。この駅は夜間停泊が設定されていて、翌朝の間藤始発の列車に使われる車両が何両かここで寝泊まりする。そのため足尾と間藤の間には何本か区間列車がある。かつての足尾駅構内は広く、貨物列車が使う留置線などが設置されていた。まさに足尾線の拠点となる駅だった。駅構内には、キハ30形やキハ35形が保存されており、車窓からも見ることができた。
足尾の次はいよいよ終点の間藤となる。足尾の街も足尾駅の先で途切れていて、渡良瀬川に松木川と神子内川の2河川が流れ込むY字の山の谷間を松木川沿いへ進む。松木川の鉄橋を跨ぐと、列車はまもなく終点の間藤に到着した。
かつては貨物線が続いていた終点の間藤駅

結局、神戸駅から先は乗ってくる乗客の姿はなくずっと貸切だった。列車は数分停車した後、桐生行きとして帰っていく。折り返しの列車には、自分と同じ旅行者風の乗客が乗り込んでいた。駅前には日光駅へ向かう路線バスのバス停がある。おそらく日光駅を7時20分に出るバスでここへ来たのだろう。この時間の日光→間藤→桐生は、かなりスムーズにバスと列車を乗り継げる。
自分もここからは日光駅へと移動していく。ここから直接日光行のバスに乗れるが、この時間はバスがなく、次のバスまではしばらく時間があった。そこで、日光駅へ出る前に、一度通洞へ戻って、始発地からバスに乗車することにした。

数分で折り返す列車を見送り、意図的に取り残された。始発列車で到着した朝8時過ぎの間藤駅は、まだ太陽が山に隠れていて、山の谷間を吹き抜ける風がとても冷たかった。この駅は松木川と神子内川が合流して渡良瀬川になる地点から、松木川を上流に少し遡った場所にある。神子内川を遡れば細尾峠があり、それを越えると日光市街に出る。現在のわたらせ渓谷鐡道は、足尾銅山からの鉱石輸送を目的に建設された路線であるため、日光市街を目指していたわけではない。日光市街まではあともう少しだが、日光市街方面とは別方面の山の谷で終点となっている。
駅周辺は山の谷間に沿って集落が点在している。駅の裏に下間藤の集落があり、数軒の民家が道路沿いに軒を連ねていた。駅の隣には足尾銅山を開発した古河機械金属のグループ会社の工場があり、工場の稼働音が山に響いている。足尾銅山が現役だった頃は、銅山で使う工具などを作っていた工場で、現在は鋳物製品の製造を行っている。

かつての足尾線は、この先もあともう少しだけ続きがあった。旅客営業が行われているのは、今も昔も間藤までだが、間藤からは貨物線が延びていて、赤倉地区にある足尾本山まで続いていた。間藤駅の車止めの先にはその廃線跡が続いている。貨物線は1987年に貨物列車の運行が終了。その後、1989年にわたらせ渓谷鉄道に免許のみが引き継がれたが、1998年の免許失効と同時に正式に廃止された。今も廃線跡には踏切や鉄橋、信号機などが残されており、後ほど乗車する日光市営バスの車窓からもそれらを見ることができた。

駅構内は公園のような形になっている。公衆トイレとともに展望台のようなものが設置されていて、望遠鏡も取り付けられていた。駅名標にも書かれているが、ここ間藤はカモシカが見れる駅として以前話題になったことがある。おそらくは川の対岸の山の斜面に生息していて、望遠鏡はそれを観察するためのもの。今も生息しているのかどうかはよくわからない。
構内に植えられた木や植え込みにはイルミネーションライトが設置されていた。夜になると幻想的なイルミネーションを楽しむことができるが、夜にわたらせ渓谷鉄道へ来るのは結構難易度が高い。

駅前の道路を少し歩いてみた。この先行き止まりの道路ということもあって、交通量もあまりない。時々、駅前の工場へ用事があるトラックがやって来るだけで、その先へ進んでいく車はほとんどいないかった。奥には雪を積もらせた山々が見えていた。地図で見る限り、あの山の向こうには中禅寺湖があるらしい。
外は手が悴む寒さだったので、その後は待合室で列車の到着を待った。待合室も暖房が効いているわけではないので、寒いことに変わりはないが、風が避けられるだけマシだった。ここ間藤駅は紀行作家の宮脇俊三氏が国鉄路線の全線完乗を達成した場所である。駅の待合室には「時刻表2万キロ」の足尾線のページが張り出されていた。
希少な旧型気動車に乗車して通洞へ

間藤駅には1時間ほど滞在。列車の到着時刻が近づいてきたので、待合室から出ると、遠くから列車の警笛と鉄橋を渡る音が聞こえてきて、やがて列車が姿を現した。桐生から乗車したのはWKT-510形というNDCシリーズの気動車だったが、今度は以前から活躍しているわ89-310形気動車がやってきた。三セク化と同時にデビューしたわ89-300形とともに長年わたらせ渓谷鉄道を支えてきたこの形式。わ89-300形は既に全廃され、わ89-310形も新型気動車の導入によって数を減らしている。旅行日時点では313号車と314号車の2両が現役だったが、この数日後に313号車ラストランを迎え、投稿日時点では写真の314号車が最後の1両となった。やはり、わたらせ渓谷鐡道といえばこの赤茶色の車両である。間藤から2駅だけの乗車だが、旧型の車両にも乗車することができた。

車内はワインレッドのボックスシートが並んでいる。デビューしてまもなく35年が経過しようとしているので、車内はかなり年季が入っていた。間藤からは自分のほかに地元の住民1人の乗車があった。この列車も間藤駅では5分ほどですぐに折り返す。乗客2人を乗せた列車はゆっくりと間藤駅を後にした。
乗車記録 No.9
わたらせ渓谷鐡道 普通 桐生行
桐生→間藤 わ89-310形

間藤駅から旧型車両の走りを堪能して、2駅戻り通洞駅で下車。ここでわたらせ渓谷鐡道とはお別れ。この後は、路線バスに乗車して日光駅へと向かっていく。間藤駅前も経由する日光駅行のバスはここ通洞地区のはずれにある病院が始発になっている。通洞に到着してもなお、バスの発車までは1時間ほど時間があった。ここからは始発のバス停へ向かいながら、通洞の街を歩いてみることにした。
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