【旅行記】北関東鉄道探訪録 後篇 ~日光市営バスと日光線で足尾から宇都宮へ~

前話
 
 2日目は朝からわたらせ渓谷鐡道に乗車し、栃木県日光市の足尾地区を訪ねている。このあとは日光駅へ向かうバスに乗車して日光駅へ出て、日光線の普通列車で宇都宮へ向かう。間藤から少し戻って下車した通洞では、約1時間30分の待ち合わせ。バスは街のはずれにある病院が始発となっている。特にやることもないので、歩いてそちらへ向かいながら、通洞の街を散策した。

日光市足尾地区の中心地”通洞”を歩く

 間藤駅から列車で2駅戻って下車した通洞駅。足尾地区にはいくつか駅があるが、この駅が街の中心部に最も近く、足尾地区の玄関口となっている。1面1線の棒線駅だが、足尾地区の玄関口に相応しい趣きのある木造駅舎が建つ。駅舎は1936年に建設され、現在は国の登録有形文化財に指定されている。趣ある駅舎から発車していく赤茶色の旧型気動車。その組み合わせが旅情を掻き立てる。昔、木造駅舎のミニジオラマが家にあったが、まさにそれを実写化したかのような光景だった。この駅は一応有人駅となっていて、春から秋にかけては毎日駅窓口が営業している。一方、観光客が少ない冬季は日曜・祝日のみの営業。この日は平日だったので、駅は終日無人となっていた。
 ホームには大きく「足尾銅山観光下車駅」の看板が設置されている。足尾銅山観光は日光市が管理する観光施設。トロッコ列車に乗車して、足尾銅山の坑内へ入ることができるほか、足尾銅山に関する展示がある。本当はここを観光したかったのだが、事前に調べたところ年始から2月初旬にかけては点検・工事のため休館になっていて、残念ながら観光することはできなかった。
 
 足尾銅山観光も休館中で特にやることもないので、これから乗車するバスの始発地へ向かいつつ、通洞の街をのんびり歩いて行くことに。まずは高いところから街全体を眺めてみた。渡良瀬川の川沿いの狭いエリアに家々が立ち並ぶ足尾地区。かつては日本一の鉱都と呼ばれ、4万人もの人口があり、栃木県内で第二位の人口を有していた時代もあったが、銅山が閉山後は人口が減少。現在は地区全体で1,800人ほどが暮らす。現在は合併して日光市になったこの地区は、2006年まで足尾町という単独の自治体だった。足尾銅山観光の施設の周辺に日光市の支所や消防署などの機能が集約されている。さらに西側へ行くと、足尾銅山の選鉱所跡がある。足尾銅山は現在の古河機械金属が開発した。そのため地区内には古河機械金属の関連施設が現在も多く残る。
 
 そのままバスの始発地へ行くと早すぎるので、とりあえず渡良瀬川の方へ歩いて行ってみることにした。街中は昔懐かしい風情ある街並みが続いている。人の姿はまばらだが、どこかしらからラジオかテレビの音が聞こてくる。とてものんびりした雰囲気が漂っていた。歩いていると民家の軒先には猿の姿が。もはや人が来ても驚きもせず、目線もよこさないところを見るに、いつもそこにいる感じなのかもしれない。
 
 住宅街の中を通り抜けて渡良瀬川に辿り着いた。川の対岸には国道のバイパスが通っていて、バイパスと街の間には通洞大橋という赤い橋が架かっている。これを見たから何というわけではないが、前篇の長野原草津口然り、橋があるとついつい見に行きたくなってしまう。堤防の階段にはイノシシ注意の看板があってちょっとビビったが、その姿はなく安心した。
 足尾銅山は国内最大の銅鉱山として、日本の近代化を支えた。しかし、その一方で足尾銅山鉱毒事件に代表される公害は、長い間渡良瀬川流域の住民たちを苦しめた。大正から昭和前期にかけて全盛期となった足尾銅山。当時は産業の近代化と生産力の向上が国内における命題となっていて、公害問題への対処は後回しにされた。住民は何度も公害問題を訴えるが、会社も国も自治体もそれに取り合わなかった。足尾銅山の公害問題は戦後にようやく古河鉱業の責任が認められることになった。問題の提起から調停までに100年近い時間がかかったため、足尾銅山鉱毒事件は100年公害とも呼ばれている。この川の水質も以前に比べれば改善しているものの、まだ改善の道半ばだという。
 
 足尾銅山観光の前を通って歩きバスの始発地の方へ向かっていくと、道の下には足尾銅山観光のトロッコ列車の線路が見えた。奥の方にはトロッコ車両も留置されていた。日光市のホームページによれば、トロッコは往路のみ坑内の150mの区間で乗車でき、そこから歩いて戻りながら、坑内や各種展示を見学できるようになっているらしい。鉄道事業法に基づく鉄道路線ではないので、乗りつぶしの対象には含まれないが、レールの上を走る乗り物なので、ちょっと興味があった。しかし、休館中ということで、残念ながら今回は乗車することはできなかった。今はちょうど坑内へ続くトンネルの真上に建っている。通洞抗と呼ばれる足尾銅山の代表的な坑道で、ここの地名の由来にもなっている。
 
 しばらく川沿いに進むと、わたらせ渓谷鐡道の線路と合流。線路の山側には足尾銅山の通洞選鉱所の跡地が広がっている。線路の向こう側にあるので、道路側からはよく見えないが、航空写真を見る限りは建物は残っているらしい。道と川の間にはこれまた年季の入った変電所があった。横を通ると、中からは機械の音が聞こえてくる。どうやら今も現役で使われている変電所らしい。調べてみると、建てられたのは1906年とのこと。120年前の建物が今も現役だった。
 
 変電所の先で渡良瀬川を渡る小さな橋を通って、川の対岸へと進む。写真には写っていないが、橋から山を見上げると、山の上の方にコンクリート製の塔のようなものが見えた。換気塔か何かかだろうかと思ったが、「有越鉄索塔」と呼ばれるかつて銅山に設置されていた索道用のコンクリート製の塔だった。選鉱所で出た汚泥を運搬するための設備らしい。
 川の対岸へと渡り、国道と合流すると、バスの始発地はすぐそこ。国道は日光市街地が近いからかやたら観光バスが頻繁に通過していく。ここを通って日光へ行くということは、草津温泉から日光へとかいうツアーがあったりするのだろうか。バスの始発地の病院の隣には、少し大きめの工場がある。わたらせ渓谷鐡道の車内に広告が出ていたが、古河機械金属グループの会社の工場で、トンネル建設などで使われる削岩機を作っている工場らしい。
 
 通洞駅からのんびり歩きながら、バスの始発地である足尾双愛病院に到着した。病院に用事はないがバスに乗車するため、少しだけ敷地内にお邪魔させてもらう。足尾と日光を結ぶバスは全便がここを始発・終点とする。詳しくは後述するが、バスは足尾地区内で完結する区間便もあり、それらの便もここが起終点である。足尾双愛病院は比較的大きな病院で、おそらくこの足尾地区では一番規模が大きいのではないかと思う。調べてみると、経営上の理由から数年後に閉院することが決まっているらしい。通院する住民用にここが始発・終点になっていると考えられるので、閉院後は始発地も変わるかもしれない。

日光市営バスに乗車して日光駅へ出る

 双愛病院からは日光市営バスのJR日光駅行きに乗車。足尾地区から日光市街地へ抜けた。日光市では今市・足尾など市内のいくつかの地域で市営バスを運行している。その中でも代表的な路線が、この日光と足尾を結ぶ路線である。わたらせ渓谷鐡道は間藤が終点の盲腸線であるため、列車だけで移動すると往復しなければならない。しかし、このバス路線を使って日光へと出ることで、東武・JR日光線との乗り継ぎが可能になる。今回は始発地から乗車するが、通洞・足尾・間藤の3駅の駅前のバス停からも乗車できる。
 運行主体は日光市だが、運行は東武グループの日光交通が担当している。双愛病院-JR日光駅間の運行本数は1日6往復。足尾地区内だけの系統もあり、双愛病院-赤倉・銅親水公園系統が合わせて3往復(赤倉発着の1往復は土休日運休、赤倉~銅親水公園間は冬季運休)、遠上回転所系統が2往復運行されている。日光市街へ出る便は、一旦間藤駅前を通って赤倉まで向かい、そこで折り返して日光市街へ向かう。東武バスの路線バスが走る清滝~日光市街地間は足尾方面行きは乗車専用、JR日光駅行きは降車専用となっていて、この区間のみの利用はできない。
 わたらせ渓谷鐡道に乗車する際には、このバス路線にも乗車してみたいと考えていたが、本数が少ないこともあって、この旅行で一番旅程を作るのが難しかった。
 
乗車記録 No.10
日光市営バス 足尾-JR日光駅線 JR日光駅行
双愛病院→JR日光駅
 
 双愛病院を出たバスは、一旦病院前の国道を日光市街地とは逆の方向へ進み、渡良瀬川に架かる橋を渡った後、遠下という交差点で左折。病院の川の対岸を上って通洞の街中へ向かった。先ほど徒歩で少し歩いた旧道には、銅街道という名前が付けられていて、この道路の左右には足尾銅山に関連する設備や遺構が多数残されている。自動的に通洞の街中に入り、休館中の足尾銅山観光の前を経由すると、その先足尾駅付近までの沿道のバス停から地元住民が3人乗り込んだ。足尾駅前を通りすぎると、車窓の右手には建設中のレトロ調の建物が。足尾銅山記念館という建物で、以前ここにあった鉱業所の建物を復元する形で建設されている。レトロな建物だが新築。古河機械金属の創業150年を記念して建てられているらしい。開館は2025年春が予定されており、足尾銅山に関する展示なども予定されている。今回はオフシーズンに訪問したので、次行くことがあれば、ここや足尾銅山観光をじっくり観光してみたい。
 
 建設中の足尾銅山記念館のあたりで足尾の街は終わりとなる。このあたりで渡良瀬川は松木川と神子内川という2つの河川に分かれる。バスはこの2つの川の間をしばらく走った後、国道との交差点を左折。直進すれば日光市街だが、間藤駅前や赤倉を経由するため一度日光市街方面とは別の方向へと向かう。左折するとすぐにわたらせ渓谷鐡道の線路の下をくぐり、間藤駅の横を通過する。先ほど1時間ほど滞在した間藤駅。あれから2時間ほどが過ぎ、ようやく駅にも日が差していた。バスはここから下間藤、上間藤の集落を経由して赤倉の集落に到着した。
 
 バスは赤倉地区の赤倉バス停付近でUターンし、ここから来た道を戻っていく。奥に見える建物が、かつての足尾本山駅だったところ。間藤駅から続く足尾線の貨物線はここが終点だった。日光市街へ行くバスはここで折り返すが、赤倉地区までの区間便のうち一部はここからもう少し先まで進んで銅親水公園という場所まで走っている。ただし、この先へバスが行くのは春~秋にかけてのみ。冬はここまでしかバスは来ない。
 
 赤倉で転回して、来た道を戻るバス。往路では貨物線の廃線跡の踏切跡を撮り逃してしまったので、復路で撮影した。列車が走らなくなってもう30年以上経つが、警報機はそのまま残されている。沿道には住民とみられる男性の姿。バスの運転士に手を上げて挨拶していた。バスの利用者だろうか。田舎へ行くと、運転士と乗客は顔なじみであることも多く、こうした光景もよく見かける。再び間藤駅前を通過したバスは、国道との交差点を左折。今度こそは日光市街へ向かっていった。
 
 国道122号線に入ったバスは神子内川に沿いながら、徐々に標高を上げていく。足尾と日光の間には細尾峠と呼ばれる峠がある。1978年に日足(にっそく)トンネルが開通し、日光市街と足尾の間の行き来もかなり改善された。旧道は今も通れるようだが、道幅が狭く九十九折の道が続いている。しばらく人家も少ない場所を走っていくが、途中には集落が点在している。バスは途中の集落で1人乗客を降ろした。足尾の街中にはコンビニがなかったが、日足トンネルまでの間に突如としてローソンが現れる。おそらく足尾地区で唯一のコンビニ。確かに日光市街と足尾地区の間にあった方が使う人も多そうである。
 
 入口の換気塔が特徴的な日足トンネルは、長さ約2,700mと比較的長い。トンネル周辺は標高が高いから少しだけ雪が積もっていた。日足トンネルを抜け、峠を越えたバスは、日光市街地へ向け、今度は坂道を下って行く。やがて景色が開けてくると、大谷川を渡り、中禅寺湖方面から来る国道120号線との交差点を通過した。ここを左折して、国道120号線の方へ進めば、紅葉の名所として知られるいろは坂があり、奥日光随一の観光地でもある華厳の滝方面へ行くことができる。ちょうど奥日光方面への路線バスとすれ違った。大谷川を渡る橋の上からは日光の象徴でもある男体山が見えていた。
 
 バスは清滝地区の街中を抜けてバイパスとして街の南側を迂回して通っている国道122号線と合流し、日光東照宮の近くを通って日光市街地へと入っていく。この日は平日だったので、日光東照宮近くの観光客の姿も多くはなく、もちろん道路の渋滞もなかった。清滝~日光市街間は、特に紅葉の時期は大規模な渋滞が発生。この路線のバスもしばしば渋滞に巻き込まれて、遅延が発生することがある。バス車内にも大きく遅延することがある旨の注意書きが張り出されていた。
 
 たくさんの観光客がカメラを向ける神橋の横を通過したバスは日光街道へと入り、日光市街地へと入った。神橋の手前で東武バスに追いつき、その後はこのバスの後ろをついていく形に。東照宮から東武日光駅までの道路の沿道には多くの観光客の姿があった。バスは東武日光駅を経由して、終点のJR日光駅へ到着。他の乗客は東武日光駅で下車していき、終点まで乗車したのは自分一人だった。
 日光市営バスはICカードの利用はできないが、日光市が各種料金の支払いにPayPayとd払いを導入しているため、この2つのQRコード決済を利用できる。車内に掲示されたQRコードを読み取って運賃を入力。支払い済みの画面を運転士に提示することで下車できた。わたらせ渓谷鐡道もGunMaaSのデジタル乗車券で乗車できたので、現金を一切使わずに桐生→間藤→通洞→日光と移動することができた。

2度目の日光も観光は宿題として残し先へ急ぐ

 足尾地区からバスに揺られて約1時間で、JR日光駅に到着した。足尾地区の訪問は今回が初めてだったが、日光へ来たのはこれが2度目だった。前回訪問したのは2021年11月。野球観戦(クライマックスシリーズ)のために東京へ来たが、最短で日本シリーズ進出球団が決まってしまい、前日試合がなくなって、東京で暇を持て余す羽目に。何もせずに帰るのはもったいないので、日光周辺の乗り鉄旅を急造し、新宿から特急日光で東武日光へ来て、その後JR日光線で宇都宮へと抜けた。今回もここからJR日光線に乗車して宇都宮へと抜ける。
 
 日光へ来たのは2度目だが、前回も日光東照宮へは行っておらず、今回も先を急がなければならないので、東照宮へは行かない。たくさん見どころがある日光には、また乗り鉄旅とは別の旅で観光したいと考えている。東武日光線では昨年、新型特急スペーシアXが運行を開始した。今はまだ人気が高いので、もう少し落ち着いてから、この列車で日光を訪れる旅を企画してみたい。
 今回の日光駅での滞在時間は20分ほど。駅舎を撮影し、駅前から見える日光連山の美しさに見とれていたら、宇都宮からの普通列車が到着。改札へと入り、列車の発車を待った。

205系からE131系に置き換わった日光線で宇都宮へ

 日光からは日光線で宇都宮へ向かった。先述の通り、日光線に乗車するのはこれが3年ぶり2度目。しかし、3年来ない間に宇都宮地区では車両の世代交代が行われ、前回来た時とはいろいろな変わった部分も多い。東北本線の宇都宮(一部小山)~黒磯間と日光線は、しばらく205系で運転されていたが、2022年3月のダイヤ改正で新型車両のE131系に置き換えられた。宇都宮地区で活躍するのは600番台で、205系からは1両減車となり、3両編成で運用されている。両数が減ったことで東北本線・日光線それぞれでラッシュ時間の混雑が激化したという話は、九州の鉄道ファンにも届いている。現在も日光線では朝の混雑が激しいようで、今年3月のダイヤ改正では、鹿沼-宇都宮間の区間列車が増発される予定である。E131系600番台はワンマン運転に対応。日光線と東北本線では同車両の投入に伴いワンマン運転も開始された。
 
乗車記録 No.11
日光線 普通 宇都宮行
日光→宇都宮 E131系600番台
 
 日中の列車で観光客の姿も少なく、また改札から離れた最後尾の車両ということあって、ガラガラで日光駅を発車。加速中に東武の特急リバティけごんが颯爽と追い抜いていった。国鉄と東武が日光戦争を繰り広げた時代は遠い過去の話。今やJRからの特急列車ですら東武の線路を走っている。JR日光線はもはや日光~鹿沼~宇都宮の各都市を結び沿線の移動を支える路線になっている。しかし、現在も都内などから集約臨と呼ばれる団体列車がやってきて、日光へ訪れる修学旅行生を運んでいる。
 JR日光線と東武日光線は、この先鹿沼までつかず離れずの場所を走っていく。日光駅を出た列車の車窓には、杉並木が見える。日光周辺の街道に植えられた杉並木は全長37kmにも及ぶ。羽田から東北や北海道へ向かう飛行機からも見える。
 
 日光線は全長が40.5kmでありながら、途中駅が5駅しかなく、駅間距離が比較的長い。今市で数人が乗車してきたが、そのほとんどが次の下野大野で下車していき、車内は再びガラガラ状態なった。しかし、鹿沼でまとまった乗車があり、そこから宇都宮までは乗客の姿も多かった。鶴田駅を出ると車窓の右手にはSUBARU(旧富士重工業)の宇都宮製作所が見える。以前は鉄道車両の製造も行っており、鶴田駅からは専用線が延びていた。先ほど乗車したわたらせ渓谷鉄道のわ89-310形気動車もここで製造された。宇都宮駅の手前で、東北本線・東北新幹線と合流すると、列車は終点の宇都宮に到着した。
 
 日光駅から40分で終点の宇都宮駅に到着。早朝に桐生を出発し、わたらせ渓谷鐡道、日光市営バス、日光線経由で宇都宮までたどり着くことができた。日光と同じく宇都宮へ来たのも3年ぶり。日光線も3年の間に新型車両が投入されて変化があったが、ここ宇都宮を走る鉄道も3年の間に新しい路線が加わった。今回宇都宮へ来たのは、その路線に乗車するため。宇都宮では2023年8月に開業した新路線、宇都宮ライトレールに乗車しにいった。
 
次話