【旅行記】北関東鉄道探訪録 後篇 ~のんびり上毛電気鉄道をゆく~

両毛線の普通列車ではじめての前橋駅へ

 上信電鉄上信線を往復したあとは、上毛電気鉄道に乗車するため、中央前橋駅へ移動した。中央前橋駅はJR前橋駅から北へ少し歩いたところにある。まずは両毛線の普通列車で前橋駅へ向かった。高崎から乗車したのは、11時10分発の両毛線普通列車の伊勢崎行き。両毛線の日中時間帯は、小山行と伊勢崎行が交互に発着している。伊勢崎までは1時間あたり2本、その先は1時間に1本の運転である。高崎~前橋間の所要時間は13分。両毛線の列車といはいえ、高崎~前橋間の利用では、両毛線を走るのは新前橋~前橋間の一区間だけ。高崎~新前橋は上越線を走っていく。
 
乗車記録 No.19
両毛線 普通 伊勢崎行
高崎→前橋 211系
 
 前橋周辺の両毛線に乗車したのはこれで4回目だった。その4回目の乗車でやっと前橋駅に降り立った。前篇の旅で新前橋駅前のホテルに宿泊したので、前橋市内の駅で降りるのは初めてではない。しかし、県庁所在地の代表駅である前橋駅で降りるのは、これが初めてとなった。これで46都道府県の県庁所在地のJRの代表駅のうち、44個には訪問済みとなった。残す2つは山口駅と大津駅。県庁所在地の代表駅の多くはターミナルとなっていて、いろんな路線の列車が乗り入れて来ることが多いが、前橋も山口も大津も1路線しか乗り入れておらず、降りることを目的にしないと下車する用事がない。
 2面4線が可能な駅だが、南側の1面は線路が敷かれておらず、2面3線の駅となっている前橋駅。2021年までは上野・新宿発着の特急あかぎ(スワローあかぎ)がこの駅まで運転されていたが、現在は高崎発着に変更され、この駅まで来る特急列車の運行は終了している。一方で、現在も朝夕を中心に上野東京ライン、湘南新宿ライン両経由の都心方面行の列車が発着し、一部には静岡県の沼津駅まで行くロングラン列車もある。日中は両毛線系統の列車のみが発着し、当駅が始発・終点の列車もない。基本的に折り返し列車が使う2番線では、この日テロ対策と思われる訓練が行われていて、JRや警察・消防の関係者が大勢集まっていた。

前橋駅から歩いて中央前橋駅へ

 前橋駅はどことなく造りが同じ群馬県の桐生駅に似ている。再び有人改札でデジタルパスの画面を提示して、駅の外へ出てきた。ここは県庁所在地の代表駅だが、県の代表駅というわけではない。先ほどまでいた高崎駅の方が、新幹線を含め多くの路線が乗り入れるターミナル駅となっている。そのため、駅の規模は小さめで、高崎駅との規模の違いは歴然としている。駅横にタワーマンションが建っているが、周辺の建物の背は低く、駅ロータリーから市街地側を見ると、とても開けた印象である。JR前橋駅とこの街の繁華街は少しだけ離れている。どちらかと言えば、これから向かう中央前橋駅の方が繁華街には近い。
 
 前橋駅と中央前橋駅は南北に1kmほど離れている。この間には日本中央バスのシャトルバスが運行されていており、これに乗車すれば数分で移動することもできる。また、このシャトルバスでなくても前橋駅から富士見温泉へ行くバスなどいくつかの系統も利用可能である。一方で両駅間は歩けば15分ほどの道のり。前橋の街を歩くのもこれが初めて。時間もあるので歩いて行ってみることにした。
 前橋駅から北へ県道17号線を進んでいく。駅前の道路はケヤキの街路樹が続く。冬のこの時期は、全て葉が落ちてしまっているが、夏は青々とした葉が生い茂り、秋は紅葉が美しい。ケヤキの街路樹は前橋駅前を起点に、本町2丁目交差点で折れ曲がり、群馬県庁へと続いている。本町2丁目交差点から群馬県庁までの区間は、年始のニューイヤー駅伝の中継でもおなじみの区間。スタート直後、ゴール直前のランナーたちは、このケヤキの街路樹の中を走り抜けていく。
 
 前橋駅前から北へ走る道路は、本町二丁目でやや屈折して、北東へと続いている。この交差点から西側のエリアが前橋の中心市街地となっていて、もう少し西へ歩けばアーケード街などもある。このあたりはビルが立ち並んでいて、前橋駅前と比べれば、都会的な雰囲気だった。交差点に設置された歩道橋を渡り、引き続き北東方向へ続く道を少し歩くと、中央前橋駅前に到着した。
 中央前橋駅前には広瀬川という小さな川が流れていて、この駅のロータリーや駐車場は、この川の暗渠の上に設置されている。川沿いには遊歩道が設置されていた。この広瀬川は、この地域の灌漑用水として利根川から引かれている川。前橋市街地や伊勢崎市などを流れて、再び利根川へ注いでいる。
 
 前橋駅から20分ほどかけ、かなりのんびり歩いて中央前橋駅に到着した。中小私鉄の駅でありながら、ガラス張りのモダンな雰囲気の中央前橋駅。屋根には中央前橋駅と大きく看板が掲出されていた。かつてここには上電プラザビルというかなり立派な駅ビルが建っていて、駅直結の商業施設となっていた。ネットで過去の写真を調べてみると、今とは全く違っていて、本当にこれが中央前橋駅の写真かと疑いたくなってしまうほどである。ブラザビルは1999年に解体され、2000年に現在の駅舎が建設されている。

上毛電気鉄道上毛線に乗車し西桐生へ

 常時改札が行われているようだったので、早速改札内に入ってみた。ガラス張りの駅舎とは対照的に、ホームは昭和の雰囲気が漂っている。ホームは以前駅ビルがあった頃と変わっていないらしい。駅は2面3線と大きく、頭端式のホームはかつてターミナル駅として賑わっていた頃の面影を残している。
 さて、これから乗車するのは、中央前橋駅と西桐生を結ぶ上毛電気鉄道上毛線である。上毛電気鉄道は先ほど乗車した上信電鉄と並ぶ群馬県の中小私鉄の一つ。名前が似ているので、筆者も以前はどっちがどっちかよくこんがらがっていた。上信電鉄は「電鉄」が正式名称だが、上毛電気鉄道は「電気鉄道」と略さないのが正式名称である。また、上信電鉄は上信と略される一方、上毛電気鉄道の方は上電と略される。途中の赤城で東武桐生線と接続。会社としても東武鉄道との関係が深く、東武鉄道の連結子会社となっている。一方で、株主には上信電鉄も名を連ねており、上信も上電の株主という関係がある。
 上毛線が走る前橋~桐生間には両毛線も走っている。しかし、両毛線は途中で伊勢崎を経由するため、一旦南下し、両区間を少し遠回りで走る。一方、上毛線は直線的(実際にはやや北側に膨らんでいる)に両都市を結んでいる。伊勢崎の北側に位置する前橋市の大胡や桐生市の新里にとっては、貴重な鉄道路線であり、地域の足として日々多く人が利用している。また、先述の通り途中の赤城では東武桐生線と接続している。この路線には都心からの特急りょうもうが運転されており、上毛線と特急りょうもうを乗り継ぐことで、スムーズに沿線から都心へ移動することができる。
 上毛線では8時台から21時台にかけて、パターンダイヤが設定されており、中央前橋駅では毎時15分、45分発の30分間隔となっている。ただし、9時台には00分発の大胡行の区間列車が走っている。一方、朝ラッシュのピークとなる7時台は3本が発車、早朝・深夜は1本となっている。
 
 中央前橋からは12時15分に発車する普通列西桐生行きに乗車。もともと京王井の頭線で3000系として活躍していた700形電車での運転だった。現在、上毛電気鉄道では、この700形と東京メトロ03形を改造した800形の2形式が活躍している。京王3000系は上毛電気鉄道の他に北陸鉄道、アルピコ交通、岳南電車、伊予鉄で活躍しているが、他社で活躍する車両にはいずれも乗車していたので、これで各社コンプリートとなった。旅行日の時点で800形の方は1編成だけしか活躍していなかったが、その直後に2編成目が搬入され、運用を開始している。
 
 この車両はアニマル電車と呼ばれていて、車内には至るところに動物のぬいぐるみが吊るされていた。上毛電気鉄道では「デコトレイン」と呼ばれるラッピング列車が運行されている。この車両は上毛電気鉄道独自の企画ようだったが、地元企業とコラボした列車も走っている。デコトレインの運行予定は上毛電気鉄道のホームページで日中時間帯の便のみ公開されている。
 
乗車記録 No.20
上毛電気鉄道上毛線 普通 西桐生行
中央前橋→西桐生 700形
 
 中央前橋駅から乗車したのは10人ほど。無人駅では一番前のドアから降りるワンマン方式のため、最初から1両目に乗車する人が多く、2両目には3人しか乗っていなかった。中央前橋を出た列車は城東、三俣と前橋市街地の駅に停車。三俣駅までの区間は住宅街が広がる中を走っていく。平日の昼下がりの列車ということもあり、車内もとてものんびりとした雰囲気が漂っていた。
 
 三俣の一つ隣の片貝付近が前橋市街地の端にあたる。住宅街の中を走ってきたが、やがて田畑が広がり始める。それと同時に奥の方には赤城山が見え始めた。列車はここからしばらくの間この赤城山を車窓に、街と田園の景色を繰り返しながら走っていく。
 上泉、赤坂と停車した列車は、その先で心臓血管センターセンターというもの凄い名前の駅に停車する。駅名はすぐ近くにある群馬県立心臓血管センターに由来する。○○病院心臓血管センターではなく、心臓血管センターという病院名なので、この駅もこんな物々しい名前の駅名になっている。三俣と上泉も列車交換が可能だが、この駅も列車が可能。ここでは中央前橋駅の普通列車と行き違った。この駅はもともと信号所として開業したそうで、病院の開業に合わせて駅が設置されたらしい。上毛線は概ね2~3駅に1駅の間隔で交換可能駅がある。
 
 心臓血管センターを出ると、江木に停車。その次の大胡駅は上毛線の車両基地が設置されており、上毛線の運行の拠点となっている。朝夕には車両の回送を兼ねる形で、ここと中央前橋間の区間列車も数往復設定されている。車窓は相変わらず小さな街と田園風景の繰り返し。写真のような開けた場所を走る区間がある一方で、住宅も比較的多く立ち並んでいる。
 
 大胡から数駅を経て、膳を出た列車は、ここで前橋市を出て桐生市へと入る。このまま終点まで桐生市を走っていくのかと思いきやそうではなく、その先赤城駅周辺では一旦桐生市を出て、みどり市内を走っていく。桐生市には飛び地があり、市域はみどり市を挟んで東西に分かれている。まずは西側の市域へ入り、新里地区を横断していく。中央前橋駅からの乗客たちは、その多くが途中で下車していったが、入れ替わる形で途中駅から乗客が現れ、相変わらず2両に10人ほどを乗せて列車は進んでいった。
 
 新里地区を横断し、東新川駅を出た列車は、ここで一旦桐生市を出て、みどり市の中心駅である赤城に到着した。赤城は東武桐生線との乗り換え駅で、上毛電気鉄道の駅の中で唯一他路線との乗り換え可能な駅となっている。車内の乗客はここでほぼ入れ替わり、乗っていた大半の乗客が下車していった。奥のホームには東武の特急りょうもうが停車中。ここでりょうもうに乗り換えることで都心へそのまま出ることができる。自分も後ほどここへ戻ってきて、特急りょうもうに乗車し都心へ帰る。
 赤城駅を出た上毛線は次の桐生球場前駅まで東武桐生線と並んで走る。この並走区間の間にみどり市から再び桐生市へと戻る。桐生球場前を出ると両線は別れ、その先でわたらせ渓谷鐡道の線路の上を通過した。
 
 桐生球場前を出て、天王宿に停車した列車は、次に富士山下に停車。この駅はその駅名ゆえにとても有名な駅である。こう書いて「ふじやました」と読むのだが、漢字だけ見るとあたかも富士山の最寄り駅のように見えるので、以前は外国人観光客が富士山に来るつもりが間違えてきてしまったことが何度もあるらしい。国内では駅名がランドマークの最寄り駅と似ていて紛らわしい駅がいくつかある。りんかい線の青海駅と青梅線の青梅駅、阪神なんば線のドーム前駅と近江鉄道本線の京セラ前駅はもはや鉄板ネタだが、ここもそれに並ぶ間違いの鉄板駅として知られる。
 以前は富士山最寄りの富士山麓電気鉄道(富士急行)の富士山駅が富士吉田駅という名前だったので、漢字で「富士山」が入る駅がこの駅だけだった。現在は富士吉田駅が富士山駅に改称し、外国人向けの案内も充実したので、話題になることも少ない。2014年にはGoogleがこの駅を富士山の最寄りと思って訪れた外国人を描いたCMを制作している。この駅の横には本当に富士山という小さな山がある。駅名はこの山に由来している。
 
 富士山下駅を出ると、列車はまもなく渡良瀬川を渡る。2日目に足尾地区で別れた渡良瀬川と約1日ぶりに再会した。今回の旅はこの川を数えられないくらい渡った旅だった。渡良瀬川の鉄橋を渡ると、列車は桐生市の市街地へと入っていく。川を渡った先にある丸山下駅が最後の途中駅。そこからしばらく住宅が広がる景色の中を走る景色の中を走り、列車は終点の西桐生に到着した。
 
 列車は終点の西桐生に到着。西桐生で下車したのは数人だったが、折り返しの列車は高校生を中心に比較的多くの乗客が列車を待っていた。全員が改札を通りすぎると、まもなく折り返し列車の改札が開始され、乗客たちが列車へと吸い込まれていく。列車は10分ほど停車した後、再び中央前橋へと帰っていった。
 
 上毛線の終点西桐生駅。駅舎は上毛線が開業した1928年当時から使われているもので、国の登録有形文化財に指定されている。あともう少しで御年100歳。長い間この上毛線を支えつつ、行き交う列車や人々を見守ってきた。この駅は西桐生といいながら、桐生駅の北側にあって、実質的には北桐生である。おそらく市街地の西に位置しているから西桐生と呼ばれているのだろう。駅前にはコンビニがあり、道向かいには弁当屋があった。地元では有名な弁当屋さんのようで、午後2時近くにも関わらず、学生たちが行列を作っていた。
 次の列車は30分後。JRの桐生駅は歩いて数分の場所にある。1日目・2日目の桐生駅は真っ暗な時間の訪問だったので、明るい時間の桐生駅に歩いて行ってみることにした。
 
 西桐生駅前の通りを南に数分歩くと、あっという間に桐生駅に到着する。1日目に宿泊し、2日目にわたらせ渓谷鐡道の普通列車で後にした桐生駅に1日半ぶりに帰ってきた。別の路線の駅から数日前に訪ねた駅へ歩いて行くというのはなんだか不思議な気分。前橋駅に行ってからここへ来て見ると、前橋駅によく似ているなと思う。前橋駅は2面3線だが、ここは2面4線なので、ホームの数で比較すればここの方が大きい。

西桐生から数駅戻って赤城へ

 西桐生からは30分後の列車に乗車し、少し来た道を戻って赤城駅へ向かった。まだ14時台だったが、周辺の高校が早く終わったからか高校生が続々と集まってきて、列車に乗車。ガラガラだった往路とは対照的に、復路は赤城まで比較的混雑していた。中には自転車を押して乗車する人の姿もあった。上毛線では平日は朝ラッシュ以外の列車、土休日は全列車で自転車の持ち込みができる。追加料金は不要。そのため、自転車をもって乗車する人の姿も多い。
 
乗車記録 No.21
上毛電気鉄道上毛線 普通 中央前橋行
西桐生→赤城 700形
 
 西桐生から15分ほどで赤城駅に到着した。上毛電気鉄道の旅はここで終了。それと同時にこの旅も次に乗車する列車が最後の列車となった。赤城駅は上毛電気鉄道と東武桐生線り接続駅。ここでは東武桐生線に乗り換える。東武桐生線の終点であるこの駅は、浅草発着の特急りょうもうのが発着する駅でもある。ここからはその特急りょうもうを乗り通して、旅のゴールである浅草へ向かう。群馬県の未乗路線も残すところ東武桐生線の1路線のみ。いよいよ群馬県の完乗が近づいてきた。
 
 群馬県みどり市の玄関口である赤城駅。駅名の上に書かれている通り、ここはみどり市の中でも大間々という地区に駅がある。大間々といえばわたらせ渓谷鐡道の大間々駅がある。赤城駅と大間々駅は南北に1.5km離れている。徒歩だと15分~20分ほど。歩けない距離ではない。東武桐生線、上毛電気鉄道ともに同じ改札内にホームがある。駅舎側の1面2線が上毛電気鉄道、反対側の1面2線が東武桐生線のホームである。窓口は上毛電気鉄道と東武で分かれている。りょうもう号の特急券は券売機では発売されておらず、窓口で購入する形となっていた。特急りょうもうの発車までは1時間ほど時間があったので、少し歩いたところにあるスーパーに行き、ちょっとしたパンやお菓子を購入。その後駅へ戻って特急りょうもうの発車を待った。
 
 さて、いよいよ北関東鉄道探訪録後篇も次に乗車する列車が最後の列車となった。赤城からは東武鉄道の特急リバティりょうもうに乗車。浅草までこの列車を乗り通して、この旅を終えた。
 
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