【旅行記】秋田・岩手鉄道ぶらり旅~東北本線の普通列車と路線バスを乗り継ぎ平泉・中尊寺へ~
前話

3日目は5時半にホテルをチェックアウト。この日はまず東北本線の普通列車を一ノ関まで乗り通して、岩手県の鉄道路線の乗りつぶしを完了させた後、世界遺産である中尊寺を観光しに行った。
まだ人気のない盛岡駅の連絡通路を歩き、ふと横の方を見ると岩手のシンボル岩手山が朝日に照らされ輝いていた。これまで盛岡に来た際にはことごとく雲に隠れて、なかなかその姿を見ることができなかったのだが、やっと盛岡の街から岩手山を見ることができた。
早朝の東北本線普通列車を一ノ関まで乗り通す

盛岡からは5時51分発の東北本線普通一ノ関行きに乗車した。前日は北上から盛岡へ普通列車で来たので、この間は往復する形になる。この日時点での岩手県の未乗は、東北本線の北上-一ノ関間のみ。この列車で一ノ関に到着すれば、岩手県内の鉄道路線も全て乗り終えることになる。
前日に乗車したのは2両編成のワンマン列車だったが、この列車は朝ラッシュ時間帯を走る列車なので、車掌乗務の4両編成だった。701系も2両だとかわいく見えるが、4両になると迫力がある。列車は駅の北側にある車両基地から回送されてきた。暇だったので、向かい側のホームから列車を撮影した。
前日の記事で先述しているとおり、盛岡地区の東北本線は盛岡へ近づくほど列車の運転本数が多くなる。盛岡-一ノ関間を通しで走る列車を基本として、前日に乗車した盛岡-北上間の列車がこれに加わる。東北本線系統の列車は基本この2区間の列車が走っている。なお、盛岡-花巻間では釜石線から快速、普通列車が直通してさらに本数が多くなる。また、朝ラッシュ時間帯は日詰発着の列車も運転されている。
乗車記録 No.11
東北本線 普通 一ノ関行
盛岡→一ノ関 701系

盛岡から一ノ関までの普通列車での所要時間はおよそ1時間半。ロングシートなのでちょっと疲れるが、一ノ関まで乗車する場合、それ以外の選択肢はない。早朝の列車だったため、盛岡で乗車する人は少なかったが、郊外の仙北町、岩手飯岡とそこから先は通学する学生を中心に比較的多くの乗客を乗せた。沿線は街が点在しているが、その間ではのどかな車窓が楽しめる。盛岡から一ノ関まで一貫して北上川に沿って走る東北本線。盛岡-一ノ関というのは北上盆地の北から南へ縦断する形になる。

矢幅や柴波中央でも通勤通学客を乗せた列車は、やがて花巻に到着した。ここで乗客の一部が入れ替わった。ホームでは大勢の乗客が盛岡行きの列車を待っていたが、こちらはまだ全員が余裕で座れる程度だった。列車は花巻市内を流れる豊沢川を渡り、次の北上の街を目指して行く。平坦なように見えて実際には意外とアップダウンがある。花巻と北上の間には村崎野駅の一駅しかなく、ほぼ直線である。北上に到着すると、またここでも乗客が入れ替わった。街が点在する岩手県内の東北本線。乗客も割と短区間で入れ替わっていく。

前日は北上で一ノ関行きの列車が発着するのを目撃しており、4両編成は最後尾が階段裏になるというのを知っていた。そこで盛岡では最後尾の車両を選んで乗ったが、やはり階段裏の車両に乗り込む人は多くはなく、他の車両よりも空いていた。混雑する列車に乗車するときはこういう戦略も大事になってくる。
北上の発車は6時39分と、これでもまだ朝早いが、一ノ関まで通学するならこの列車が最適な列車になる。途中の水沢までなら一本後が最適。通学客の多さを見ると、30分に1本あってもよさそうな気がするが、北上以南はラッシュ時も1時間に1本である。
北上を発車すると列車は和賀川を渡った。前日に乗車した北上線は、この川に沿って走っていた。北上線が東北本線と合流する北上駅の近くで、和賀川も北上川に注いでいる。

北上を出ると列車は再び田園地帯を駆け抜けて、六原、金ヶ崎と停車。金ヶ崎町を通り抜けて奥州市へと進んでいく。広い盆地の奥には雪を積もらせた焼石連峰の山々が見えていた。1日目は雨、2日目は曇りだったが、この日は快晴。清々しい青空と列車の軽快な走りがとても心地よかった。
列車はやがて水沢に到着した。現在奥州市となっているこの街は合併前の水沢市の中心地である。奥州市は水沢、江刺、前沢が合併してできた市。東北新幹線の水沢江刺駅は水沢駅から東へ数キロ進んだ北上川の対岸にある。この水沢は言わずと知れた大谷翔平の出身地である。

水沢でもまた高校生たちが乗車してきて、ここからは本格的な通学列車となった。もちろん通勤客もいるにはいるが、やはり通学客の利用が圧倒的に多い。水沢を出てしばらくすると、山が近づいてきて、北上盆地の終わりを予感させる。前沢を出ると、この後行く中尊寺付近が車窓から見える。結局後から戻ってくるのだが、この日の最大の目的は、あくまでこの列車を一ノ関まで乗り通し、岩手県内の東北本線を完乗すること。中尊寺最寄りの平泉では下車せずにそのまま一ノ関へ向かう。

最後の途中駅、山ノ目を出ると、車窓に東北新幹線の高架橋が現れ、列車は終点の一ノ関に到着した。余談だが、北上川を渡って一関市街地に入ってくる東北新幹線は、川と田園地帯を長い橋梁で跨ぐ。この北上川第一橋梁は、全長が3,872mあり、国内の鉄道橋としては日本一、道路などを含めた橋梁全般としても第3位の長さを誇っている。
列車は2番線に到着。一番後ろの車両も平泉からは立ち客が多数出る混雑ぶりで、ホームへ下りると4両にこんなに乗っていたのかというほど乗客で溢れ、跨線橋へ大行列が続いていた。一ノ関にも県立・私立高校が複数あり、通学客が非常に多い。おそらく乗車した列車が一ノ関あたりでは最も混雑する列車なのではないかと思う。

およそ1年半ぶりに一ノ関駅にやってきた。前回は東北周遊旅の途中で、小牛田からこの駅まで来て、その後大船渡線に乗車した。今回はその時以来2度目の訪問ということになる。この後は仙台空港アクセス線に乗車する予定だが、今回の鉄道旅はここで一区切り。一ノ関へ到着したことで、岩手県内で最後まで未乗だった東北本線の北上~一ノ関間を乗りつぶし、岩手の鉄道路線の完乗を達成した。東北地方では昨年の青森、昨日の秋田に続く3県目の完乗となり、これで北東北3県の乗りつぶしが完了することとなった。
一ノ関で中尊寺への路線バスに乗り換える
さて、一ノ関駅に到着し、北東北の乗りつぶしに一区切りをつけたところで、ここからは路線バスに乗車して、隣接する平泉町の世界遺産、中尊寺を観光しに行く。駅舎の上には、「「世界遺産」浄土の風薫る”平泉”」と大きく書かれているように、ここ一ノ関駅は平泉・中尊寺への玄関口の役割を果たしている。鉄道における中尊寺の最寄り駅は平泉駅だが、中尊寺へ行くバスは一ノ関駅前始発で運転されている。このあたりの東北本線は毎時1本程度しか走っておらず、平泉駅から中尊寺は歩いて20分ほどかかる。平泉からバスに乗車する場合も、結局このバスに乗車することになることが多いので、それならここから路線バスに乗車した方が手っ取り早い。

一ノ関駅前には岩手県交通のバスのりばが並んでいる。駅名は一ノ関と”ノ”が入るが、市名を含めて基本的に”ノ”は入らず、バス停の名前も一関駅前となっている。一ノ関近辺で路線バスを運行する岩手県交通は、岩手県内のうち、おもに盛岡市以南のエリアで路線バスを運行する会社である。社名に岩手県と入っているので、長崎県営バスのように県営の乗り物のように見えるが、自治体としての岩手県は関係なく、民間の会社である。岩手県内の路線バスはこの岩手県交通と岩手県北バスの2社の路線が大半を占めている。
中尊寺方面へ行くバスは概ね1時間に1本程度運転されているが、7時台だけ2本あり、その後は1時間40分間隔が空く。9時台のバスだとちょっと遅いので、7時台のバスに乗ることに。その結果、盛岡を5時台に出ることになった。
岩手県交通の一関平泉線を終点瀬原まで乗り通す

一関駅前からは7時50分発の一関平泉線瀬原行きに乗車した(写真は後ほど撮影した別の便)。路線名の通り、一関市街地と平泉町を結ぶバス路線で、平泉町と奥州市の境にある瀬原というバス停まで走るバスである。以前、この路線は一部のバスが一関前沢線として運行されており、瀬原から奥州市内に入り、イオン前沢店まで運行されていた。しかし、今年4月のダイヤ改正で、この区間の便が消滅。現在は全便が瀬原止まりとなっている。中尊寺までの所要時間は30分ほど。目的地は中尊寺だが、このバスを中尊寺で降りたとしても、まだ中尊寺は開場していない。終点の瀬原は中尊寺からそう遠くない場所にあるので、今回はこのバス路線の乗車を兼ねて、終点の瀬原まで乗車し、徒歩で中尊寺へ戻ることにした。
乗車記録 No.12
岩手県交通 一関平泉線 瀬原行
一関駅前→瀬原

のりばには長い行列ができていたが、ほとんどが先発の別のバスに乗車して行き、瀬原行へ乗車したのは10人ほどだった。観光客の姿もあったが、地元の乗客の方が多かった。席に座ると、隣に座っていた初老の男性に中尊寺までいくらかと聞かれた。筆者もこのバスに乗るのは初めてだが、乗り換え案内アプリで調べて教えて差し上げた。初めて乗車するバス路線でも、なぜだか運賃やのりばを聞かれることが割と頻繁にある。
一関駅前を発車すると、一関市内を走り、中心部を流れる磐井川という川を渡った。市街地のはずれで北上川に流れ込むこの川の両岸に一関の街は形成されている。その後は県道260号線へと進み、東北本線の西側を北へ進む。山ノ目あたりまでは途中のバス停での乗車・下車も多かった。

山ノ目駅付近までは住宅街が続くが、その先で少し景色ものどかになる。やがてバスは平泉町へ入った。このバスが走る県道260号線は国道4号線の旧道で、バスは一旦国道4号線のバイパスへ入る。一瞬だけ国道を走ったバスはすぐに平泉町の中心部へ向かう県道300号線へ進む。こちらもまた国道4号線の旧道で、この道をまっすぐ進むと沿道に中尊寺がある。現在の国道4号線は、山ノ目と平泉の街の裏側を避ける形で走っている。

県道300号線をまっすぐ行けば中尊寺だが、バスは一旦左折。東北道の中尊寺PAの背後をまわる形で毛越寺(もうつうじ)を経由。毛越寺では駐車場内に設置されたバス停に停車した。毛越寺も中尊寺と同じく、奥州藤原氏の時代に造られた寺院。ここも平泉の世界遺産の構成遺産の一つになっている。毛越寺を出ると、すぐに平泉町の中心部へ入り、そのまま平泉駅前に到着。ここでも乗客2人を乗せた。平泉駅のロータリーをまわると、バスは再び県道300号線へ戻った。

平泉駅前から中尊寺までの県道は桜並木が続いている。もう半分くらいは散っていたが、咲き乱れる桜がとても美しかった。やがてバスは中尊寺に到着。ここで自分以外の乗客全員が下車していった。筆者もこの後、ここへ戻って来るが、このバス路線の終点まで行くため一旦通過する。さっきは列車で通過して、今度はバスで通過。中尊寺になかなか辿り着かないが、あくまで優先は列車とバスへの乗車なのが自分の旅なのである。

中尊寺を出たバスはその後も県道300号線をまっすぐ進む。途中で中尊寺がある山の麓を流れる衣川という川を渡った。この川の対岸の地域がバスの終点である。このあたりは平泉町と奥州市の境となっていて、バスは一旦奥州市へ入った後、また市町境を跨いで平泉町へ戻る。ファミリーマートがある交差点で左折すると、バスは終点の瀬原に到着。ここでバスを下車した。

バスが転回するような場所はなく、また駐車場もない終点の瀬原バス停。バスは道路上に停車して、折り返しの一関駅前行に変わる。Uターンしなくても、この先の交差点で左折すれば、先ほど走ってきた県道に戻ることができる。前沢へ行くバスがあった頃から、おそらくこの方法で転回しているのだと思う。岩手県交通のバス停の横には衣川タクシーと書かれたバス停の標柱が建っていた。現在も奥州市のコミュニティバス星空号が、ここを経由していて、路線バスが走っていた前沢の市街地へもこのバスに乗れば行ける。コミュニティバスは1日3往復で、この道を山の方へ進んだ古都の遊食という名前のバス停発着で運転されているらしい。

バスは道路上にしばらく停車した後、一関駅前行となって一関市街地へ向けて発車していった。帰りの便にはここで1人が乗車していた。自分もまた、折り返しのバスの後を追う形で中尊寺へ向けて歩いて行く。中尊寺を含めてこの付近では4時間程度時間があった。寄り道しながら、のんびり中尊寺へ歩いた。
瀬原バス停から歩いて中尊寺へ戻る

一関駅前へ向け発車していったバスの後を追う形で、沿道に住宅が並ぶ通りをしばらく歩くと、バスに乗車して走ってきた県道に出る。後はこの県道を少し歩けば、中尊寺へ辿り着く。バス停から西の方を見ると、雪を積もらせた栗駒山が見えていた。のどかな景色の中をゆっくり歩いて行く。暑くも寒くもない行楽日和だったこの日、天気もよくて春の風を感じながらの散歩はとても心地よかった。

県道へ出て、しばらく進むと衣川に架かる橋を渡る。橋の上からは先ほどの栗駒山の北側に聳える焼石岳をはじめとした焼石連峰の山々が見えていた。こちらもまた残雪がとても美しかった。衣川と北上川の合流部であるこの付近は、台風や大雨で川が度々氾濫し、周辺が浸水する被害が発生している。衣川の堤防はとても高いが、この洪水対策として嵩上げされているらしい。背後にある東北本線の線路も割と最近付け替えられているようで、コンクリート製の橋梁になっている。
岩手が誇る世界遺産・中尊寺を観光する

瀬原バス停から歩いて中尊寺前に到着。ここからは、先ほど乗車した岩手県内の東北本線の乗車に合わせて行ってみたいと思っていた中尊寺を、2時間くらいかけてゆっくりと観光した。
今はのどかな雰囲気が漂う平泉町。しかし、平安時代は京の都に次ぐ栄華を誇った場所だった。この時代に東北地方を統治したのが、奥州藤原氏。初代藤原清衡は、東北地方の覇権争いの末にここ平泉に都を築き、以後4代100年に渡って、ここは東北の中心地となった。最盛期の人口は10万人を超えていたとされる。中尊寺は初代藤原清衡が建立した寺院。藤原清衡は東北地方の覇権争いの中で、自身の父も妻も子どもも殺害されたとされる。自身が東北地方を治めるにあたり、敵味方関係なく戦禍で亡くなった人を弔い、世の平和と安泰を願うために創建したのが中尊寺である。現在は周辺の関連遺産とともに世界文化遺産に登録されており、岩手県屈指の観光地となっている。

中尊寺は山の中腹にあり、そこまでは月見坂という坂を登って行く。結構急なので、バス停から40分歩いてきた身としては結構辛かった。両脇には杉の巨木が立ち並ぶ。これは江戸時代に伊達藩によって植えられたものらしい。坂の途中にはいくつかお堂があった。この時間、また観光客は少なく、とても静かで厳かな雰囲気だった。

坂を半分くらい登ったところには展望所があり、そこから今さっき歩いてきた瀬原周辺の景色を眺めることができた。展望所に近い山の斜面には桜が植えられていて、眺望に花を添える。遠くから貨物列車の音が聞こえてきた。そここかさらに少し坂道を登ると、中尊寺の本堂前に到着。おそらく正しいお参りの仕方は、まず本堂へ行ってから先へ進むのだろうが、こちらには帰りに立ち寄ることにして、とりあえずは中尊寺の一番の見どころである金色堂へ向かった。

本堂前からあともう少しだけ歩くと、金色堂の前に辿り着く。広場から金色堂を見るこの構図は社会の教科書でもお馴染み。金色堂と隣の宝物館は拝観料1,000円が必要。宝物館の入り口に窓口と券売機があり、ここで拝観券を購入した。各種キャッシュレスも利用できて便利だった。そこで購入した拝観券を係員にみせて、写真の階段を進んだ。
現在の金色堂は写真の覆堂の中に保存されている。覆堂の中は撮影禁止。しっかりこの目にその姿を焼き付けた。堂全体に金が使われている金色堂。その名の通り、まさに金色に輝いていて、まさに平泉、そして奥州藤原氏の繁栄を今に伝えている。初代藤原清衡は極楽浄土を具現化し、先の戦いで亡くなった人たちを供養するために金色堂を建立させた。きらびやかなお堂だが、内部には仏像が並び、荘厳で厳粛な雰囲気が漂う。この金色堂の内部には、今も藤原清衡、基衡、秀衡の遺体と、泰衡の首が安置されている。江戸時代にこの地を訪ねた松尾芭蕉は、ここで「五月雨の 降り残してや 光堂」と詠んだ。かつて栄華を誇った平泉も、時の流れとともにその姿・景色を変えてきた。しかし、この金色堂をはじめとする平泉の世界遺産は、奥州藤原氏が統治した時代の栄華を今に伝え続けている。

金色堂を見た後は隣にある宝物館を見学。こちらには中尊寺にゆかりの歴史的な所蔵物が多数展示されていた。時間があったので、出口付近にあったビデオを2回みた。いつも観光地を巡る時は、慌ただしくなってしまうが、この日は十分に時間があったので、いろんなものをゆっくり見ることができた。宝物館を見た後は、中尊寺の本堂へ。境内の桜も見ごろで、春の中尊寺を楽しむことができた。

さて、中尊寺を2時間くらいかけてゆっくり観光し、今回の旅の目的は全て果たすことができた。後は九州へと帰るだけ。今回、帰りは仙台空港から東北を発つ。中尊寺から仙台へは、往路で乗車したバスで一ノ関駅へ戻り、新幹線に乗り換えるのが一般的だが、直通の高速バスもある。ここからはその高速バスと仙台空港アクセス線を乗り継いで、仙台空港へ行き、福岡空港行のJAL便で東北をあとにした。
続く