【旅行記】水戸・会津ぐるっと周遊旅~水郡線を乗り通して郡山へ〜

水戸駅スタートの2日目、朝の千波湖を散歩する

 茨城県に初めて宿泊して迎えた2日目。この日は最初に乗車する列車が9時23分発だったため、かなりゆったりとしたスタートとなった。前日の水戸市街は、夕方から夜にかけて雨が降り、水戸駅到着後に行くつもりだった偕楽園観光は諦めた。このまま水戸らしい景色を見ずに発つのも勿体無いので、朝は少し早めにチェックアウトして、千波湖まで散歩へ出かけた。  写真は宿泊したダイワロイネットホテル水戸の客室からの景色。水戸駅の南側を眺めている。駅の南側には桜川という川が流れている。この川を画面右の方に歩いて行けば、徒歩10分程で千波湖へ行ける。  7時45分頃にチェックアウトしてホテルを出発した。この日は月曜日で、この時間帯の駅前は通勤通学客でごった返していた。筆者も少しだけその波に飲まれて川沿いへ。その後は近隣の高校に自転車で通う高校生に何度も追い抜かれながら千波湖へ歩いた。
 
 水戸市街地の南西側にある千波湖は、水戸の偕楽園の借景となっている湖。外周はおよそ3kmあり、水戸市民の憩いの場として親しまれている。常磐線はこの湖のすぐ横を通っていて、この湖を見ると、水戸に着いたことを実感できる。千波湖の背後には水戸の市街地が広がっている。奥に見える白く大きな建物は京成百貨店の水戸店。あのあたりが水戸で一番の繁華街である。通勤通学で人や車、そして列車が行き交う周辺とは対照的に、湖の周辺はのんびりした雰囲気が漂っている。ランニングをする人、散歩を楽しむ人、もしくは井戸端会議を開く人など、それぞれが日常を過ごしていた。
 
 本当は一周してみたいところだが、一周すると1時間弱かかる。今回は市街地側を少しだけ歩いて折り返した。昨日はどんよりとしていたが、この日は薄日が差していて、天気は回復気味。しかし、青空が広がるまではいかなかった。青空ならもう少し湖の景色も映えるのではないかと思う。湖には噴水が設置されており、時間によりいろんな場所で噴水が上がる。ちょうど1年前に旅した富山でも、駅に近い環水公園へ行ったのを思い出す。暑くも寒くもないこの季節は、水辺でのんびりしたくなる。  Google Mapによると、近くにバス停があって、まもなく15分遅れのバスがやって来るらしい。散歩といいつつ帰りはバスに乗車することに。最近はリアルタイム運行情報のおかげで、市街地ならバスの遅れも考慮して行動できる。バス停まで歩いて行くと、すぐにバスがやってきた。

水郡線の普通列車を乗り通して郡山へ

 さて、今回の旅の2日目と3日目は、両日とも2本の列車にしか乗車しない。2日とも2本のうちの1本は乗車時間が3時間を越える。水戸からはそのうちの1本、水郡線の普通郡山行きに乗車した。
 その名の通り、水戸と郡山を結ぶ水郡線。厳密には水戸と安積永盛を結んでおり、列車は一駅間だけ東北本線を経由して郡山へ乗り入れている。路線の全長は137.5km。これはJR東日本の地方交通線としては最長で、全線乗り通すと最短でも3時間程度を要する。途中で常陸大宮、常陸大子、磐城棚倉、磐城石川などを経由しながら北へ進んで行く路線で、常陸大子周辺では久慈川と並走する区間もある。路線には奥久慈清流ラインの愛称があり、マイナーながら時折風光明媚な車窓を楽しむことができる路線となっている。
 長距離路線だが全線通しで走る列車も下りが1日4本、上りは1日5本運転と、少なからず運転されている。今回はそのうちの1本に乗車し、この路線を走破してみる。一方で水戸側・福島側のそれぞれでは区間便が多数運転されており、沿線の通勤通学を支えている。この路線の水戸側は比較的本数が多く、上菅谷では昨日乗車した常陸太田支線からの列車も直通してくる。本線側についても、常陸大子まではおよそ1時間に1本程度が運転されており、朝夕には常陸大宮発着の列車もこれに加わる。一方、福島側も全線通し運行の列車に常陸大子、磐城石川、磐城棚倉発着の列車が加わるが、水戸側に比べれば列車本数は少なめとなっている。
 
 水戸から乗車したのは、9時23分発の普通列車郡山行き。この列車で一路郡山へ向かった。郡山に到着するのは12時55分。所要時間はなんと3時間32分もかかる。全線通しで走る列車の多くは3時間程度で水戸-郡山間を走破するが、この列車は所要時間が長めになっており、郡山に着くころにはすっかりお昼も過ぎている。
 乗車した列車は、キハE130形+キハE130形+キハE131形+キハE132形という堂々の4両編成での運転だった。4両編成というのは水郡線では最長となっている。このまま4両編成で終点の郡山まで行ってくれれば空いていてありがたいが、そんなに都合よくはない。4両のうち3両は途中の常陸大子で切り離され、以後は1両で走って行く。したがって、茨城県内は4両編成、福島県内は1両で走る列車ということになる。1両・2両の切り離しは珍しくないが、3両も切り離して単行になる列車には、初めて遭遇した。所要時間が3時間30分もかかるのは、常陸大子で対向列車を待ちつつ、車両の切り離しを行うため。この駅では26分と比較的長い停車時間が設けられている。
 こうした理由から、4両もあるにも関わらず、郡山まで乗り通す乗客は、水戸の時点でも先頭車両へ乗るしか選択肢がない。特に青春18きっぷ通用期間中など、利用者が多いシーズンは、最初から先頭車両に乗っておかないと、常陸大子駅から先、立ち乗りになる可能性もある。この列車が途中まで4両で走るのは、車両運用の都合によるもの。水郡線の車両基地は常陸大子にあり、朝ラッシュの運用を終えた車両を車両基地へ戻すため、4両で運転されている。途中に満員になるような需要があるわけではない。
 
乗車記録 No.8
水郡線 普通 郡山行
水戸→郡山 キハE130系
 
 列車は定刻通りに水戸を発車。3時間30分に及ぶ水郡線の旅が始まった。とはいえ、ここから上菅谷までの区間は、前日に常陸太田支線からの普通列車で通った区間となる。しばらくは昨日見た車窓を眺め走っていく。
 水戸を出た列車は、まもなく那珂川を渡った。それと同時に車内では早速、車掌による検札が始まった。この列車には車掌が2人乗車していた。1人がドアの開け閉めや車内放送を担当し、もう一人は検札を担当しているようだった。
 水郡線は上菅谷、常陸太田、常陸大宮、常陸大子の4駅でのみsuica等のICカードが利用可能となっている。しかし、それを知らずに常磐線から乗り換えてくる乗客も多い。ICカード利用者には下車駅を尋ね、使えない駅の場合には車掌が持つ端末できっぷ(車内補充券)を発券していく。他地域だと現金での精算を求められる場合もあるが、JR東日本のこのエリアの場合、車掌が持っている端末はsuicaでの支払いに対応しているので、精算もsuicaで行われる。したがって、車掌が乗務する列車に関しては、非対応駅であっても、車内で車掌からきっぷを買うことで乗車できる。ただし、これができるのも、あくまで車掌が乗務する列車だけ。基本は利用不可であり、ワンマン列車では、現金で精算し、後で駅へ行って入場記録を取り消す処理が必要になるので、きっぷを買って乗った方がいい。なお、この列車の終点である郡山駅でもsuicaが利用可能だが、東京エリアと東北エリアでエリア跨ぎとなる。そのため、水戸、常陸大子などから郡山方面へのICカードの利用も不可となっている。こちらも合わせて注意したい。
 一方、筆者の斜め前の座席に座っていた乗客は、水郡線から磐越西線や只見線、さらには上越新幹線を経由して、東京経由で常磐線沿線へぐるっと一周するのにsuicaで入場してまったようだった。これには車掌も困惑気味。ちょっと調べて見ますねと、一旦運転席へ引き上げて行ったが、その後、無事に発券することができ、こちらもやはりsuicaの残高を使って精算されていたようだった。なお、車掌が持つ端末では一周する経路は発券不可らしく、一つ手前の駅までのきっぷを発券し、下車駅で一区間だけ精算する形で決着。横で話を聞いていたが、そんなルートのきっぷも発券できるのかと、車掌の持つ端末の万能さに驚いた。長距離の旅をするときはやはり乗車券を買って乗車するのが安心である。しかし、昨今小さな駅のみどりの窓口は閉鎖されており、きっぷを買うにも一苦労だったりする。
 
 話を列車の車窓に戻す。斜め前の乗客と車掌さんが乗車券のルートについて話し込んでいる間も、列車はのどかな景色の中を駆け抜け走っていった。昨日の常陸太田支線からの列車の乗車記でも述べたが、この先にある那珂市の市街地、菅谷は、山間部から太平洋沿岸部へ続く常陸台地という台地の上にある。常陸津田付近で列車は上り勾配を進み、この台地の上へ出た。下菅谷では、反対列車の常陸太田発水戸行と交換。水戸へ行くこの列車は2両編成で、多くの乗客を乗せていた。
 
 下菅谷、中菅谷と停車した列車は、上菅谷に到着。隣のホームには普通列車の常陸太田行きが停車していて、乗車列車はこの列車と接続を取り、何人かが乗り換えていった。昨日は水戸への直通列車に乗車した常陸太田支線だが、時間によっては上菅谷-常陸大子間の折り返し運転となり、常陸大子・郡山方面発着の列車と接続を取る。
 この時間に関しても、上菅谷で列車の接続が取られるのだが、実はこれ、ちょっと面白い接続になっている。というのも、接続を受ける常陸太田行の普通列車はなんと水戸始発。水戸から常陸太田へ行く普通列車が、後続の水戸始発の郡山行きと接続し、方面は違うが、郡山行きの方が先に発車していく。水戸では数分間、両列車が並んでいるというのも面白いポイント。誰かYouTubeでネタにしていてもよさそうだが、今のところ気づかれていないらしい。
 
 上菅谷を発車すると、直後に左へカーブし、真っ直ぐ走る常陸太田支線と別れる。その後はジョイント音を軽快に鳴らしながら、田畑が広がる景色の中を走っていく。ここから水郡線は、常陸台地の上を山へ向かって走る。
 前日の記事で先述したが、水郡線は私鉄の会社が常陸太田-水戸間の鉄道を建設したのがその始まり。現在の本線側は水戸鉄道によって上菅谷-常陸大子間が建設され、後に国有化。福島県内区間も順次建設が進められ、1934年の磐城棚倉-川東間の延伸により全区間が開業している。昨年は全線開業から90年を迎え、臨時列車も多数運行された。
 
 常陸鴻巣、瓜連、静と停車すると、次第に山が近づいてきて、平野もやがて終わりが近づく。このあたりで進行方向の右側には久慈川が近づいてくるが、まだ少し距離がありここからは見えない。川が見え始めるのは常陸大宮から2駅進んだ野上原駅を出てから。相変わらず水田が広がる中を列車は駆け抜けていった。
 
 水戸を発車して45分。列車は常陸大宮に到着。常陸大宮市の中心駅であるこの駅は、水郡線の中でも大きな駅の一つで、水戸とこことの間には、何往復か区間列車も設定されている。駅舎は最近新しくなったようで、まだ一部では工事が行われていた。常陸大宮市の人口は3万6千人。水郡線ではここから下小川駅までが常陸大宮市内にある。この駅で下車する乗客も多かった。乗車している1両目は郡山まで乗り通す乗客が一定数いたため、半分くらいの座席は埋まっていたが、後ろの車両は数人程度しか乗っていなかった。
 
 常陸大宮の市街地を出ると、列車は再びのどかな景色の中を走っていく。次の玉川村では反対列車の水戸行普通列車と行き違った。玉川村という駅名だが、ここは常陸大宮市内であり、玉川村ではない。駅名は合併して常陸大宮市になる前のこの地の村名に由来する。面白いことに、水郡線沿線には福島県内に入ってから玉川村という村が別にある。福島県の玉川村には、玉川村という駅も玉川という駅もない。間違える人はいないと思うが、なんだかややこしい。
 この駅を出ると、水郡線は久慈川に近づいて行き、野上原駅の先で川と合流する。山方宿あたりからは本格的に峡谷区間となり、その後は川と並走する形で山の奥へと進んで行った。最初は進行方向右側に見えるが、その後、下小川駅の先で鉄橋を渡り、その後はしばらく左側に川が見える。川はこの先も両方に見えるので、どちらに座っても、久慈川の車窓を楽しめる。
 
 この先、水郡線は久慈川を鉄橋で何度も渡りながら、常陸大子を目指していく。普段は穏やかな久慈川だが、2019年10月には関東地方を襲った台風19号の影響で流域に大雨が降り、川が氾濫するなど大きな被害が出た。久慈川を何度も渡る水郡線も、袋田-常陸大子間にある第六久慈川橋梁が落橋、流失し、その後2年に渡って、一部区間での運転見合わせが続いた。川と並走するローカル線は毎年どこかの路線が被災するといっても過言ではない。今年も梅雨や台風の季節が近づいてきたが、今年こそはどの路線も被災することなく平和であってほしいなと思う。
 常陸大子の一つ手前の袋田は、近くに日本三大名瀑の一つ、袋田の滝がある。滝へは駅前から路線バス出ていて、この列車からも何人かがこのバスへ乗り換えていた。新しくなった第六久慈川橋梁を渡り、少し川と並走すると、列車は大子町の中心地へ。ゆっくりとした速度で常陸大子の構内へ入った。

常陸大子で26分の長時間停車、後ろ3両を切り離し単行に

 水戸を出て1時間20分、列車は常陸大子に到着した。まだ郡山まで半分も来ていないが、ここで列車は26分の長時間停車を行う。この駅の一つ先にある下野宮の先で茨城県から福島県へと入る水郡線。県境を跨ぐ区間で利用客が少なくなるのは、県境が山間部にある場所の常。常陸大子でも何人かが下車していき、残りの乗客は10人ほどになった。長時間停車ということで、皆ホームに降り立ち、外の空気を吸う。自分もまた外の空気を吸いつつ、撮影タイムとした。
 
 ここまで豪華4両編成で進んできた列車は、ここ常陸大子で後ろ3両を切り離す。到着後はすぐに解結作業が開始され、やがて3両は水戸方へ入換後、駅ホーム横の留置線へと入った。入換が始まる前に最後尾へ行って写真を撮った。水戸駅はホームがカーブしていて、4両を写真に収めることができなかったので、ここで水郡線の4両編成の列車に乗車した証拠を撮った。迫力があってかっこいい。
 
 茨城県の北部の山間に位置する大子町の中心駅であるこの駅は、水郡線の運行にとっても大事な駅となっている。駅構内には水戸支社の水郡線統括センターと、勝田車両センター大子派出所があり、水郡線で活躍するキハE130系は全車がここに配置されている。駅の郡山方には検修庫があり、その先にも留置線が見えた。水郡線統括センターには、水郡線の乗務員や駅員が所属している。国鉄時代は各地のその路線の拠点となる車両基地や乗務員区が置かれていたが、合理化によりその多くが都市部に集約された。常陸大子のこの設備は、その生き残りといえる。背後には山が広がるのどかな街の駅でありながら、水戸近辺を含めた水郡線運行の要となっているのがこの駅。九州で例えるなら、肥薩線・吉都線の吉松駅なんかに雰囲気が似ている。吉松駅のホーム横にも昔は、検修庫や留置線があったと聞く、おそらくこの駅みたいな感じだったんじゃないかなと思う。
 
 3両を切り離し、身軽になった乗車中の郡山行き。ここまでは車掌が乗務していたが、この先はワンマン運転となる。それと同時に運転士もここで交代となった。ここから郡山へはまだ2時間弱かかる。東北本線で例えるなら、まだ矢板くらいまでしか来ていない。車両基地がある常陸大子は、水郡線の列車本数の区切りでもある場所。ここから先は列車本数も少なくなる。

奥久慈の峡谷を抜けて、茨城県から福島県へ

 発車直前に郡山からの水戸行きが到着し、共に水郡線を走破するロングラン列車同士が並んだ。常陸大子を出ると、駅の裏側を流れる押川に沿って進んだ後、トンネルを抜けて久慈川沿いへ戻る。次の下野宮は水郡線の茨城県最北の駅。この駅を出て、久慈川を渡ると、列車は茨城県と福島県の県境を跨いだ。福島県最初の駅である矢祭山は、久慈川の狭い渓谷に駅がある。この辺りは久慈川で獲れる鮎が有名で、駅前の観光施設では焼き鮎を味わうことができる。
 
 矢祭山の先まで深い渓谷を走る水郡線だが、その先で景色は一気に開けた。この先は磐城棚倉まで、久慈川沿いに広がる田園風景を眺めて北へ進んでいく。矢祭町の中心部の小さな街が駅前に広がっている東館では数人が下車。水郡線はこの辺りがちょうど中間点になっている。この列車は常陸大子で長時間停車があったため、水戸から2時間かかっているが、長時間停車がない場合は、水戸へも郡山へもおよそ1時間半ということになる。
 
 その後も田園風景を車窓に進み、南石井、磐城石井と停車。その後、列車は磐城塙に到着した。先ほどの東館を含めて、各駅からそれぞれ数人の乗車があった。福島県内の水郡線は、郡山の手前にある須賀川市に入るまで、小さな町や村を通っていく。東館は矢祭町の玄関口だったが、ここ磐城塙は塙町の玄関口。この先も数駅おきに町や村の中心地を経由する。車窓も田園風景と小さな市街地が繰り返される。ちょっとユニークな形をしている磐城塙駅、駅舎と町の図書館などが一体になっているようだった。
 
 塙町を出た列車は、次に棚倉町へと入り、磐城棚倉に到着した。前日に常陸太田へ行った際、バス停から駅まで歩いた道には棚倉街道という名前が付いていたが、その棚倉街道が目指す場所こそ、ここ棚倉である。この街は江戸時代、棚倉藩の中心地となっていた。小さな街ながら市街地の中には立派なお堀をもつ棚倉城跡がある。駅舎とホームの間には不自然な隙間があり、駅舎前に掲げられた看板には、「のりかえ ジェイアールバス 新白河方面」と書かれていた。かつてここ磐城棚倉へは、東北本線の白河駅から白棚線と呼ばれる鉄道路線が延びていた。路線は1944年に休止後、そのまま廃止となったが、その後も国鉄バス、JRバス関東により、代替の路線バスが運行されており、現在もここから白河駅、新白河駅へ抜けることが可能になっている。バスの運行経路上には、廃線跡を利用したバス専用道があることで有名。ある意味、現在のBRTの先がけになっているバス路線である。ただし、最近は一般道を経由する区間も多くなっているらしい。
 
 長らく並走してきた久慈川とは、棚倉でお別れ。棚倉の街の北側が久慈川水系と阿武隈川水系の境目になっている。列車は磐城棚倉を出た後、少し森の中を走り、再び広い田園地帯へ出た。列車は次に磐城浅川に停車。ここも浅川町の代表駅。途中駅で降りる乗客がいないわけではないが、乗車する人の方が多く、1両のこの列車の車内も徐々に混雑し始めた。
 磐城浅川を出て、次の里白石に停車すると、列車はしばらく山間の景色の中を進んで行く。やがて阿武隈川に流れ込む北須川という小川の鉄橋を渡ると、磐城石川に到着した。ここもまた石川町という街の玄関口。福島県内の水郡線沿線の町村の中では最も人口が多く、駅も安積永盛を除く福島県内の水郡線の駅としては最多の利用者数を誇っている。市街地は車窓の右側に広がっていて、こちら側には見えないが、この駅では比較的多くの乗客が乗り込んできた。石川町と言えば、高校野球の強豪校として知られる石川高校(通称学法石川)があるところ。甲子園に出場した際には、名前のせいで石川県代表とよく間違えられてしまうが、福島県では聖光学院、東北日大と並ぶ甲子園常連校の一つになっている。
 
 磐城石川を発車すると、またしばらく山間の景色を進む。その後、野木沢を出ると、また景色が開けてきた。このあたりから線路の西側には阿武隈川が並走し始める。福島県から宮城県南部へ流れる東北の大河川の一つ阿武隈川。その源流は那須連山の北側にあり、そこから白河市内を経由した後、水郡線沿線へと流れてくる。川が車窓に見える機会は少ないが、水郡線はここからしばらくこの川と共に進む。いよいよ郡山が近づいてきて、遠くには磐梯の山々が見え始めた。
 川辺沖の手前から列車は玉川村へと入った。実はこの玉川村には一度来たことがある。というのも、玉川村は福島空港があるところ。福島空港は玉川村と須賀川市の境目にあるが、ターミナルは玉川村側にある。この空港は一昨年の東北大周遊旅(【旅行記】東北鉄道大周遊2023)の最後に訪ね、ここから伊丹へと飛んだ。空港は丘の上にあるため、車窓には見えないが、泉郷を出た直後の進行方向右側に広がる山の上に空港はある。
 
 列車はやがて須賀川市に入った。ちょうど村と市の境を通過した直後の車窓には阿武隈川が見えた。いくつもの町と村を経由してきた水郡線。須賀川市は、この路線にとって、常陸大宮市を出て以来の久しぶりの市ということになる。中心部には東北本線が通っている須賀川市。水郡線は市街地の東側を迂回するように走っている。
 以前福島空港を利用した際には、郡山駅からバスを利用した。郡山から福島空港へ向かうバスは、水郡線に似たルートで走り、途中では水郡線と並走する区間もある。小塩江駅付近で並走する道路が、その空港バスが通る道。バスの車窓から水戸からここまで繋がっているなんて果てしないな、なんて思っていたが、今まさに水戸からの列車で、空港バスから見た線路を走っている。このあたりで水戸を出て3時間が経過。実際に乗車してみて、改めて果てしないなと思った。
 
 福島県内の水郡線で最初の開業区間の端だった谷田川では、水戸行きの普通列車と交換。午前中の遅い時間の水郡線は、列車本数が少ない。常陸大子で水戸行きとすれ違って以来、全く列車とすれ違っていなかったが、ここに来て久しぶりの列車交換となった。
 その谷田川の手前で列車はいよいよ郡山市内へ。次第に沿線の住宅も増え始めた。磐城守山を出ると、列車はやがて阿武隈川を渡る。川東駅付近までほぼ並走してきた阿武隈川と水郡線だが、その先は少し離れた場所を走り、その後水郡線は鉄橋でこの川を渡る。この阿武隈川の鉄橋を渡ると、列車はカーブして東北本線と合流。まもなく郡山の市街地へと入り、路線としての終点、安積永盛に到着した。
 
 水戸から続く137.5kmの水郡線は、ここ安積永盛が終点。これで水郡線もついに完乗となった。今回はここでは下車せず、列車の終点である郡山までそのまま行く。終点の郡山は、ここから東北本線を一駅進んだ場所にある。水郡線の福島県内側の列車は、全ての列車が郡山まで直通運転されている。安積永盛では高校生の大量乗車があり、一駅だけ車内も大混雑になった。安積永盛の近くには日大工学部のキャンパスがあり、ここに日大東北高校が併設されている。おそらくそこに通う高校生たちではないかと思う。東北日大もまた、先ほど紹介した学法石川と並ぶ福島県の高校野球強豪校として知られている。
 
 安積永盛を出て、東北本線へ入った列車は、ビッグパレットふくしまという催事場を横目に走っていった。反対側には貨物の郡山駅があるが、混雑していてほとんど見えなかった。この催事場があった場所も、もともとは国鉄の操車場があったところらしい。郡山は東北本線、磐越西線、磐越東線と、それに乗車している水郡線の列車が集う交通の要衝。郡山駅の南側にあるJR東日本の郡山総合車両センターは、東北・関東地方で活躍する車両の重要な検査が行われる場所で、ここには遠くは青森からも検査車両がやって来る。水戸周辺の常磐線で活躍する車両もまた、ここで検査が行われる。もちろん水郡線は電車が走れないので、検査の際には水戸線と東北本線を経由して回送されて来る。
 その後も郡山の市街地を走り抜け、奥に駅前に聳える高層ビルが見えると、列車はスピードを落として、郡山の駅構内へと入った。車窓にE721系が見えると、東北へ着いたのだなという実感が湧いた。ゆっくりとホームへ入線。列車は水戸から3時間32分、ついに終点の郡山に到着した。
 
 関東は半袖で快適に過ごせるくらいの気温だったが、郡山は風が強かったのもあって、半袖では少し肌寒かった。一応持ってきていた上着をリュックから取り出し羽織る。こうした気温の違いもまた関東から東北へ来たことを実感させてくれた。
 列車は郡山駅の5番線に到着した。この駅の5番線は切り欠きホームとなっていて、水郡線の列車が使っている。改札口や他のホームからは少し距離があるため、同じ列車に乗り合わせていた乗客たちは、速足で改札や乗り換え列車へ歩いていった。水戸を出たのは9時23分だったが、すっかり正午も過ぎて、時刻は13時になろうとしていた。長時間の乗車だったが、列車から眺めた久慈川とその流域の美しい田園風景に癒されたそんな旅路だった。
 筆者以外にも水戸から乗り通している人は5人ほどいた。茨城県内から観光などで郡山・会津若松へ向かう需要というのは一定数あるようで、沿線の地域の足とともに、関東と東北を結ぶ役割を果たす姿も垣間見ることができた。
 
 多くの路線の列車が乗り入れる郡山駅。今回の旅ルートと似て非なるコースで旅した初めての東北旅では、新白河駅から普通列車に乗車して、ここで磐越東線へ乗り換えた。先ほど述べた2023年の東北大周遊旅では、福島から普通列車に乗車して、ここで鉄道の旅を終えた。そして今回は水郡線の列車でここへ来た。これで郡山を発着する路線で、未乗なのは磐越西線のみとなった。郡山からはその磐越西線に乗り換えて、この日の宿泊先である会津若松へ進んで行く。
 乗車してきた水郡線の列車に接続する会津若松行の列車もあるが、これはあえて見送ることにした。郡山と会津若松を結ぶ区間だけあって、2両編成の列車は日中でも混雑するという情報を事前に得ていたからだ。磐越西線には指定席がついた快速列車が運行されている。せっかくの乗り鉄旅。車窓の景色を楽しまなければ意味がないので、今回はこの快速列車を利用することにした。とは言え、次の指定席付きの快速列車が発車するのは3時間以上先の話。郡山ではかなり長時間の待ち合わせとなった。周辺に観光地が少ない郡山駅。正直3時間の待ち合わせは長すぎて、何をしようか旅行前は相当悩んでいた。しかし、郡山も駅に来るのは3度目な一方で、まだ街の様子を見に行ったことはなかった。そこで今回は市内を循環する路線バスを利用し、市街地を一周しつつ、街の中央にある開成山公園へ行ってみることに。3時間の滞在時間で、郡山の街探検へ出かけた。
 
続く