【旅行記】新潟・北陸乗り鉄ぶらり旅〜北陸新幹線「かがやき」を乗り通し東京へ〜
敦賀で迎えた旅の最終日・4日目は、少し早めにホテルを出発し、新幹線の延伸開業によって乗り換え拠点となった敦賀駅を探索した。敦賀からは、2024年春に延伸開業した北陸新幹線の敦賀―金沢間を経由し、「かがやき」でこの旅の本題部分としてのゴールである東京駅を目指した。
北陸新幹線「かがやき」を全区間乗り通し東京へ戻る

敦賀駅をひととおり見て回った後、乗り換え改札を通過して新幹線ホームへ向かった。敦賀からは9時21分発の「かがやき508号」東京行きに乗車する。ホームに着いた時点では、まだ列車は入線しておらず、しばらくホームで到着を待つことになった。向かい側の11・12番線には富山行きの「つるぎ」が停車中で、まもなく到着する大阪からの特急「サンダーバード」からの乗り換え客を待っていた。
これから乗車する「かがやき」は、北陸新幹線において東京-金沢・敦賀間の速達輸送を担う列車である。敦賀-東京間を約3時間15分、金沢-東京間を約2時間30分で結ぶ。この列車の定期列車は、東京発・敦賀発ともに日中時間帯には設定されておらず、朝と夕夜間に限られている。敦賀駅発では6時台から9時台まで1時間に1本の運転があるが、その後は15時台まで運転がない。
もう少し敦賀に滞在し、15時台の列車で東京へ向かう案も考えたが、その場合、東京到着は18時30分頃となる。途中で日没を迎えることに加え、その後の九州行きの飛行機への乗り継ぎもタイトになるため、今回は少し早いが9時台の列車で北陸を後にすることにした。

今回乗車するかがやき508号は、「かがやき」の中でも速達タイプに位置づけられる列車で、途中の停車駅は福井、金沢、富山、長野、上野のみと、限られた主要駅にしか停車しない列車だった。東京までの所要時間は3時間15分。東海道・山陽新幹線で言えば、東京-岡山間や博多-名古屋間の所要時間に相当する。
敦賀から東京への新幹線は、朝夕が「かがやき」、日中が「はくたか」という運転体系になっている。長野まで各駅に停車する「はくたか」は、朝夕は金沢発着となっており、敦賀までは乗り入れていない。敦賀や福井では、両者を合わせて1時間に1本程度の東京発着列車が運転されている形となる。
一方で、その他の中間駅では、特に朝夕の時間帯に「はくたか」の運転がなく、「つるぎ」ばかりとなる時間帯が存在する。その場合は「つるぎ」に乗車し、金沢での乗り換えが必要となるが、朝夕に設定されている「かがやき」は、こうした中間駅にも停車する列車があり、その時間帯の貴重な東京直通列車となっている。このように「かがやき」でも敦賀寄りでは主要駅以外に停車する列車も存在する。
ホームでしばらく待っていると、やがて車両基地から回送列車が入線してきた。これが乗車する「かがやき508号」である。「北陸ロマン」の車内メロディーが流れるW7系だと嬉しかったが、この列車はJR東日本のE7系による運転だった。

ここで、筆者自身の北陸新幹線への乗車歴を少し振り返ってみる。初めて北陸新幹線に乗車したのは2018年夏のことで、その際は東京から金沢まで「かがやき」を乗り通し、石川県、そして金沢を初めて訪れた。
その後も長野までの区間は何度か利用してきたが、長野から金沢方面については、2018年の旅で金沢-富山間を「つるぎ」で乗車して以降、一度も乗っておらず、今回が約7年ぶりの乗車となる。今回の旅では、2度目の「かがやき」にするか、まだ乗車経験のない「はくたか」にするかで少し迷ったものの、敦賀―東京間における北陸新幹線としての最速移動を体験してみたいと考え、再び「かがやき」を選択した。
筆者は2023年夏、和歌山線の高田駅でJR西日本の全路線完乗を一度達成している。しかし、2024年3月に北陸新幹線の金沢-敦賀間が延伸開業したことで、再び未乗区間が生じていた。今回、この「かがやき508号」でこの区間に乗車することで、JR西日本の全路線完乗を改めて達成することになる。
今回は、e5489で発売されている普通車指定席用の「eチケット早特14(敦賀-東京間・11,310円)」を利用し、上り列車で普通車の最後尾となる10号車のA席側(3列シートの窓側)を指定した。なお、速達列車である「かがやき」は全席指定席となっており、自由席の設定はない。
北陸新幹線は区間により走行する方角が変わるため、どちらからも日差しを受けやすい。しかし、午前中の上りであれば、A席側の方が日が差し込みにくい。こちらからは日本海や浅間山、赤城山などを望める一方、反対側は立山連峰や富士山を望むことができ、どちらに座っても車窓は楽しむことができる。
乗車記録 No.24
北陸新幹線 かがやき508号 東京行
敦賀→東京 E7系
2024年3月に開業した延伸区間を駆け抜け金沢を目指す

敦賀を発車した列車は、わずかに敦賀の市街地を眺めた後、短いトンネルを経て、全長19.8kmの新北陸トンネルへと入った。在来線の北陸トンネルも約13.9kmと非常に長いが、新幹線のトンネルはそれ以上の長さを誇り、南条駅の近くで福井平野の南端へ顔を出す。
敦賀発車時点で同じ号車に乗車していたのは、筆者を含めてわずか3人ほどだった。新北陸トンネル内に入ったタイミングでごみを捨てに行くついでに他の号車も歩いてみたが、やはり数人しか乗車しておらず、非常に空いた状態での発車となった。
前話で先述した通り、北陸新幹線の延伸区間は「北陸-東京間」と「関西-北陸間」という2つの輸送を担っているが、これらは列車体系上分離されている。そのため、東京行の列車に関西方面からの乗り換え客が流入することは基本的にない。対東京方面輸送において敦賀は末端に位置しており、東京へは米原経由の方が速いことから、東京行きの列車の敦賀発車直後はとても空いている。

数分間トンネル内を走行し、外へ顔を出すと、敦賀とは天気が一変し、車窓には青空が広がっていた。どうやら強い雨が降っていたのは、敦賀だけだったらしい。木々が色づく山々を車窓に走行すると、列車はまもなく最初の中間駅、越前たけふを通過した。
延伸開業区間で唯一、新幹線単独駅として建設された越前たけふ駅は、武生市街地から東へ約2kmの場所にある。駅の隣に企業のオフィスビルが建っている以外、周囲にはまだ目立った施設はなく、のどかな風景が広がっている。
この先には福井、芦原温泉と追い抜き設備を持たない駅が続くため、越前たけふ駅は通過線を備えた相対式ホームの大規模な駅として整備された。「かがやき」は主要駅のみに停車する最速達型の列車だが、先述の通り一部列車はこの駅にも停車する。

直後に北陸自動車道と交差すると、列車は武生・鯖江の市街地東側を北上。再びいくつかのトンネルを抜け、再度北陸道と交差して福井市街地へと入っていく。昨日乗車した快速列車では約40分を要した敦賀-福井間も、新幹線ではわずか17分。あっという間に福井へ到着する。敦賀も福井県だが、やはり福井の街並みを新幹線の車窓から眺めると、ついに福井にも新幹線が来る時代になったのだということを実感する。
前々話でも触れたが、福井駅の新幹線ホームは全国で唯一、上下線が同一島式ホームを使用する構造となっている。在来線とえちぜん鉄道に挟まれる形で建設された新幹線。手狭な土地に新幹線の駅を設けたため、珍しい造りの駅となった。なお、新幹線の福井から金沢方面への高架橋は、建設直後から2018年までは、えちぜん鉄道高架化の暫定措置として、同社の路線が間借りする形で使用していた。

福井では比較的多くの乗客が乗り込み、車内はやや賑やかになった。それでも混雑は窓側の半分程度が埋まるくらいで、余裕は十分にある。
福井を発車した列車は、はぴラインふくい線、えちぜん鉄道線と並走しながら市街地を進み、福井口駅付近でそれぞれ別の方向へ分かれていく。車窓には三国方面へ向かう、えちぜん鉄道三国芦原線の線路が見えていた。やがて九頭竜川を渡り、広大な福井平野を一気に駆け抜ける。つい先ほどまでの敦賀の豪雨が嘘のような、清々しい青空が広がっていた。
北陸新幹線には、この先金沢までの間に芦原温泉、加賀温泉、小松の3駅が設けられている。ここから先はすべて在来線駅に併設される形で新幹線駅が建設され、特急「サンダーバード」の停車体系がそのまま新幹線に置き換わったような構成となっている。
今回乗車している列車は福井を出ると、金沢まで停車しないが、越前たけふ同様、これら3駅にも一部の「かがやき」が停車する。ただし、1本の列車が敦賀-金沢間ですべての途中駅に停車するわけではなく、2本の列車が敦賀-越前たけふ-福井-小松-金沢、敦賀-福井-芦原温泉-加賀温泉-金沢といった形で、速達性を確保しつつ千鳥停車する形を取っている。

やがて山が近づき、列車は芦原温泉を通過。その後は再びトンネルが連続し、その中で福井県から石川県へと入る。やがて車窓には、はぴラインふくいとIRいしかわ鉄道の運行上の境界駅である大聖寺駅が見え、まもなく列車は加賀温泉を通過する。
この付近では国鉄時代、特急停車駅を動橋と大聖寺のどちらにするかで議論が起き、最終的に両駅の中間にあった小駅を加賀温泉駅に改称して停車駅とした経緯がある。新幹線駅の設置も、その流れを汲んでいる。経緯は異なるが、間を取った新幹線駅という点では、九州新幹線の筑後船小屋駅を思い起こさせる。

加賀温泉を過ぎると列車は金沢平野へと入り、再び広々とした平野の中を快走する。やがて小松の市街地に差し掛かり、列車は小松を颯爽と通過。その後はしばらくIRいしかわ鉄道線と離れて走るが、加賀笠間駅付近で再び合流し、金沢まで並走が続く。この辺りではまた雲が広がった。
途中、白山総合車両所からの回送線が合流する地点がIRいしかわ鉄道線の松任駅付近である。かつて一部特急が停車していた松任だが、新幹線はここを素通りする。野々市を経て、列車は金沢市街地へと入っていった。

敦賀を出てわずか42分で、列車は金沢に到着した。特急「サンダーバード」が同区間を1時間20分ほど要していたことを考えると、所要時間はほぼ半分に短縮されたことになる。新幹線の圧倒的な速さに、改めて驚かされた。前日はこの区間を普通・快速列車で移動してきただけに、その「あっという間」という感覚はなおさら強い。
金沢到着をもって、敦賀-金沢間の北陸新幹線延伸区間を乗りつぶし、これにより北陸新幹線の完乗、そしてJR西日本の再完乗を達成することができた。これでJR九州、四国、西日本、東海の4社が完乗済みとなった。実は、2024年3月にも一瞬だけ4社完乗の状態になったのだが、筆者が静岡で身延線に乗車しJR東海の全路線を完乗したその数日後に、北陸新幹線の延伸開業を迎えたため、そこからまたJR西日本に未乗区間が発生していた。すぐに乗りに行って4社完乗の状態にしてもよかったが、新幹線開業直後は混雑が激しく、災害で長期的に不通になるリスクはほとんどない。変な話、いつでも乗れるので、もう少し新幹線が地域に馴染んでから乗車しようと思っていた。
今回は金沢で下車することなく、このまま列車を乗り通す。先述の通り、この先の区間に乗車するのは2018年夏以来となる。当時は日没後に通過した区間も多く、改めて明るい時間帯に車窓を眺めたいという思いも、今回敦賀-東京間を通しで乗車した理由の一つだった。
金沢では多くの乗客が乗り込み、車内の座席は6~7割ほどが埋まった。前日に在来線で途中下車した際と同様、訪日客の姿が目立ち、金沢が海外からも高い人気を集める観光地であることを改めて実感した。
7年ぶりの乗車区間を東へ、広がる平野を車窓に富山を目指す

金沢を出ると、あいの風とやま鉄道の521系を追い抜きながら列車は加速し、金沢の市街地を後にする。次の停車駅は富山。市街地を抜けると、先ほどまでの晴れ間は次第に雲に覆われ始めた。この日は区間によって晴れたり曇ったりを繰り返す、いかにも北陸らしい空模様だった。
この旅では2日ほどかけて新潟から敦賀へ移動してきたが、この新幹線はその行程の4分の3ほどを、わずか1時間30分程度で駆け抜けてしまう。前日に在来線で辿ってきた場所を、今度は新幹線の車窓から眺めるというのも、また違った楽しさがある。

在来線よりやや北側に膨らみながら、いくつかのトンネルを抜け、俱利伽羅峠を越えると、石動駅付近で再び在来線と並走し、砺波平野へと出る。その後は平野に広がる田園地帯の真ん中を一直線に走り、高岡の市街地へと近づいていく。やがて列車は市街地南側に位置する新高岡を、速度を落とすことなく通過した。
新幹線の金沢-富山間には、2018年夏の旅で「つるぎ」にも乗車している。もともと予定していなかった乗車だったが、その日は台風が北陸へ接近しており、急遽予定を変更して、宿泊地の金沢から富山へ急ぐことになったのだった。現在、「つるぎ」は敦賀-金沢・富山間の運行が主体となっているが、今も早朝と深夜に1往復のみ、金沢-富山間で完結する列車が残されている。

新高岡を過ぎると、列車は砺波平野の中央を流れる庄川を渡り、あいの風とやま鉄道線と交差して、その北側を走っていく。遠くには万葉線の終点・越ノ潟駅近くに架かる新湊大橋の姿も見えた。やがて富山市街地が近づくと、車窓の奥には立山連峰の稜線がかすかに姿を現す。この日は雲が多く、雪をまとった堂々たる姿をはっきりと望むことはできなかった。
前日に乗車した地鉄本線沿線と富山湾を車窓に北陸を後にする

列車は神通川を渡り、富山に到着。敦賀を出発してから、ここまででおよそ1時間。昨日は3本の普通列車で、途中での乗り換え挟みながら、6時間近くかけて移動した区間を列車は一瞬で駆け抜けてきた。
新幹線が金沢までしか開業していなかった時代には、敦賀-富山間は必ず乗り換えが必要だったが、延伸開業によって再び一本の列車で結ばれるようになった。所要時間1時間という速さは、在来線特急時代と比べても、もはや革命的と言っていいだろう。
金沢に続いて富山でも多くの乗客が乗り込み、車内の座席は7~8割ほどが埋まった。筆者が座っていた3列シートの通路側にも、ここでようやく乗客が現れた。富山を出ると、次の停車駅は長野、そしてその次はもう大宮。この停車駅の少なさこそが、「かがやき」という列車の最大の魅力である。

富山市街地を出ると、列車は車窓に富山湾を望みながら、日本海側を北東へと進んでいく。終点の東京には確かに経度的には近づいているが、緯度的にはむしろ遠ざかっているという、不思議な状態が続く。
常願寺川を渡り、昨日乗車した富山地方鉄道本線と直角に交差すると、その後は滑川や魚津の市街地を遠目に眺めつつ、扇状地の高台を進んでいく。昨日通過した場所を、今度は別の角度から俯瞰的に眺める格好である。あいの風とやま鉄道や地鉄本線と同様、北陸新幹線もまた、常願寺川、早月川、片貝川と、北アルプスに源を発する大きな川を次々と跨いでいく。やがて再び地鉄本線と交差する黒部宇奈月温泉を通過。直後に黒部川を渡った。この先で北陸新幹線は富山と新潟の県境区間へと入っていく。
親不知のトンネル地帯を抜け、会社境の上越妙高を通過

次第に山が近づき、列車は富山平野を離れる。ここから上越妙高までは、しばらくトンネルが連続する区間となる。険しい地形が続く親不知の海岸線。在来線、国道8号線、北陸自動車道が海岸沿いを並行して走っているが、新幹線も例外ではなく、日本海に近い位置をトンネルで直線的に貫いていく。トンネルとトンネルの合間から、ちらりと日本海や港町の姿が見える。かつて交通の難所とされたこの地は、今や富山と新潟を結ぶ重要な交通の要衝となっている。
数本の長いトンネルを抜けると、急に視界が開け、列車は糸魚川を通過した。ここ糸魚川も敦賀と同様に駅舎が大きく、新幹線が高い位置を走るため、車窓の眺めも良い。ただ、このとき糸魚川は激しい雨に見舞われており、日本海も遠くに霞んで見えていた。

糸魚川を通過すると、列車は再びトンネルへ入り、今度は妙高山の北側を回り込むようにして上越妙高を目指す。富山平野の東端に位置する泊から直江津まで、在来線では1時間15分ほどかかるが、新幹線はこれをわずか15分程度で駆け抜けてしまう。再びいくつかのトンネルを抜けると高田平野に出て、まもなく列車は上越妙高を通過した。
上越妙高は、北陸新幹線におけるJR西日本とJR東日本の境界駅である。新幹線で路線途中に会社境が存在するのは、この北陸新幹線だけ。通常、会社境の駅では乗務員交代が行われるが、上越妙高は主要駅ではなく、「かがやき」は通過するため、JR西日本からJR東日本への乗務員交代は長野駅で行われている。なお、ここまで日本海沿いを北東へ進んできた列車は、このあたりで進路を南へと転じる。上越妙高駅は北陸と新潟方面を結ぶ乗り換え拠点であり、「はくたか」と特急「しらゆき」の接続駅として機能している。以前、新潟から新井行きの特急「しらゆき」に乗車した際、この駅で新潟・長岡方面からの乗客の大半が下車していった光景が印象に残っている。かつて特急「上越」が担っていた新潟-北陸間の移動も、今ではこの北陸新幹線の重要な役割のひとつとなっている。
上越妙高を通過すると、再び山が迫り、列車はトンネルへと入る。飯山トンネルと名付けられたこのトンネルは、新潟県と長野県の県境にまたがる全長22kmの長大トンネルで、敦賀発車後に通過した新北陸トンネルよりも長い。トンネルを抜けると、すぐに飯山駅となる。通過列車では所要時間わずか8分ほどだろうか。在来線経由ではかなり時間を要する区間なだけに、その近さに改めて驚かされる。トンネルを出た先の飯山は、ちょうど霧が晴れかけたところで、少し幻想的な風景が広がっていた。
車両基地を眺めて長野へ到着、「信濃の国」が旅情を誘う

飯山から先の北陸新幹線は、飯山線やしなの鉄道北しなの線にほど近い場所を走っていく。しばらくのどかな景色の中を進み、やがて長野市街地が近づくと、車窓にはJR東日本の長野総合車両センターが見えてきた。首都圏の車両も篠ノ井線経由で回送され、検査などを受けるJR東日本の一大拠点である。車窓には中央線のE233系や、廃車を待つDD51・EF64、さらには保存されている「あさま色」の189系などの姿も確認できた。車両基地の横を通ると、つい目を奪われてしまうのは、鉄道ファンならではだろう。

列車は富山を出てからおよそ45分で長野に到着した。先述の通り、北陸新幹線ではここ長野駅でJR西日本からJR東日本へと乗務員が交代する。降車・乗車ともに多く、隣のホームには東京行きの「あさま」が停車しており、乗り継ぐ人々の姿も見られた。長野から東京への最速達列車でもある「かがやき」。この先は列車の本数も増えるが、最速の「かがやき」を選ぶ乗客が多い。
長野駅新幹線ホームの発車メロディーは、県歌「信濃の国」をアレンジしたもの。長野県民はみんな歌える歌だという。かすかに流れるその旋律に合わせて、筆者も思わず「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳える山はいや高く 流るる川はいや遠し」と口ずさんでみる。長野県民ではないが、何度も訪れているうちに、いつの間にか覚えてしまった。長野はこの「信濃の国」と湯田中駅でおなじみ「美わしの志賀高原」の2曲が鉄道旅には欠かせない。ご当地ソングもまた旅に彩りを与える。
長野を出ると次は大宮、雲に隠れた浅間山眺めて関東へ

長野から先の区間は、昨年(2024年)の春と秋に乗車した区間であり、約1年ぶりの乗車となった。その点では、もう景色も見慣れているが、やはりこの「かがやき」の面白いところはこの先にある。長野を出た列車は大宮までノンストップで走る。途中、高崎も通過するのが、この列車の一つの特徴である。
列車は長野市街地を出た後、千曲川を渡って、長いトンネルへと入る。そういえば、昨年秋、長野から高崎間に乗車したときは、長野で花火大会があっていたななんてことを思い出した。その時、しなの鉄道でこのあたりを通った際には山の紅葉がとても美しかったが、今年はもう見頃は終わっているようだった。列車はまもなく上田を通過する。2017年に一度訪ねたことがある上田だが、その時も台風の影響で上田城の観光を諦めた。あれから8年、この駅も何度か通過しているが、なかなか訪ねる機会がない。

上田を出ると列車は再び千曲川を渡り、その後は再度トンネルが続く区間を走っていく。やがて、信濃の国でも四つの「平」の一つとして歌われている佐久平へと差し掛かると、車窓には浅間山が見えてくる。しかし今回は、山頂付近が雲に覆われており、山の姿を見ることはできなかった。佐久平駅を通過すると、浅間山を車窓に次の軽井沢へ進むが、軽井沢の手前で浅間山は手前の山に隠れる。

やがて車窓にリゾート地の雰囲気が漂い始めると、列車はスピードを落とし、静かに軽井沢を通過した。ここから北陸新幹線は碓氷峠へと進んでいく。軽井沢駅の直後には少し急なカーブがあるため、ここを通過する新幹線もスピードを緩めて走る。乗車していても急勾配を下っているのが分かる長野県と群馬県との県境区間。在来線にとっても鉄道の難所だったが、新幹線もまた、大きく弧を描いて迂回し距離を稼ぐことで、少しでも勾配を緩やかにしている。

安中榛名を通過後、さらに下り坂を進むと、やがて車窓には、1日目に新宿から新潟への高速バスの車窓からも眺めた赤城山が見え始める。北陸、信越を経て、ついに列車は関東平野へと到達した。さすが冬の関東平野。先ほどまでの不安定な日本海側とは違い、青空が広がっていた。敦賀から乗り込んだ新幹線の車窓に赤城山を眺めるというのは、未だに少し不思議に感じる。
高崎を通過して、青空広がる関東平野を駆け抜ける

やがて新潟から続く上越新幹線の高架橋と合流すると、北陸新幹線の上り線はその上を跨ぐ。列車はスピードを落とし、高崎駅のホーム手前で上越新幹線の上り線へと入り、高崎駅の通過線を颯爽と通過した。高崎を通過する列車は、北陸新幹線では「かがやき」のみ。上越新幹線では「とき」の速達列車と、「たにがわ」の臨時列車の一部が通過する運用となっている。
最近では高崎から東京間も新幹線利用者が多いが、この列車の最大の目的は、東京と北陸を最速で結ぶことにある。北陸・長野から高崎、そして高崎から東京間の移動需要は他の列車に任せ、その役割に徹している。

高崎で、敦賀から続いてきた北陸新幹線は終わり、列車は上越新幹線へと入った。この先は、ただひたすらに関東平野を走り抜けていく。高崎まで来ると、もう東京は目前なような気がするが、実際地図を見てみると、思った以上に内陸にあり、実際太平洋も日本海も同じくらい遠い。神流川を渡り、群馬県から埼玉県へと入ると、車窓には関越道の上里SAが見える。1日目の高速バスの休憩地だ。こんなにも新幹線の近くにあったとは、反対側の車窓ばかりを見ていただけに、少し驚いた。
本庄早稲田、熊谷と通過して、列車は大宮へと近づいていく。遠くには、前回の旅で訪ねた筑波山が、関東平野を見守るように聳えていた。遠く埼玉からもその姿を見ることができる筑波山。こうした理由から、古くからこの山が信仰の地とされてきたことがよくわかる。
思い返せば、今年の旅は、東京駅からガーラ湯沢行の新幹線に乗車し、高崎方面へ旅立ったところから始まった。それが何の因果か、今度は高崎方面から東京へ戻り、今年の旅を締めくくることとなった。

列車はやがて東北新幹線と合流し、大宮に到着。長野からの所要時間は59分と、1時間を切る。「あさま」に比べれば20分近く短く、まさに各地を駆け抜けた1時間だった。ここで車内の混雑も少し緩和される。もちろん在来線や私鉄に乗り換える人もいれば、ここから東北新幹線に乗り換えて、仙台などへ向かう人もいるのだろう。
近づく都心、景色の移り変わりを楽しみながら終点・東京へ

大宮を出ると、列車は上野、そして終点・東京に停車する。もうこの区間は今年だけでも3度目、ここ数年でも10回近く通過しているため、景色も見慣れ、次に何が見えるのかもかなり分かるようになってきた。反対側にはおそらく富士山が見えているはずだが、こちら側の車窓では埼京線との並走が続く。新幹線は何本かの埼京線の列車を追い抜き、一足先に都心へと近づいていく。
追い越す列車の中には、最近デビューしたりんかい線の71-000系の姿があった。個人的にこの車両のデザインはとても気に入っており、近いうちに時間を見つけて乗車しに行きたいと思っている。この車両の導入によって引退した70-000系は、一部が筆者の地元・九州へとやってきた。これもまた楽しみな存在である。

赤羽で埼京線が車窓から消えると、目の前には東京の街並みが広がる。比較的ゆっくりとした速度で、じわじわと都心へ近づいていく新幹線。このあたりの区間は、約3時間にわたる新幹線の車窓を振り返り、今見えている東京の街との対比を楽しむ、そんな時間にもなり得る。広い平野、トンネルが続く険しい地形、そして大小さまざまな街の景色。すべてが、この窓の外を流れる映像のように過ぎていった。移動してきた距離は、たかが数百キロに過ぎないが、そこには多様な街と自然の姿があることを、改めて実感する。
そんなことを考えているうちに、列車は駒込付近へと差し掛かり、車窓には尾久の車両基地や常磐線の貨物線が見え始める。JR東日本の首都圏本部ビルの真横を通過し、新幹線の車両基地からの回送線と合流すると、列車は日暮里付近で地下へと潜る。まもなく列車は上野に到着し、ここで車内の半数ほどの乗客が下車していった。

上野を出ると、次はいよいよ終点の東京となる。敦賀から始まった3時間15分のこの列車の旅も、まもなく終わりを迎える。秋葉原で地上へと顔を出すと、都心のビル群に取り囲まれるようにして、列車は終点・東京へと滑り込んだ。
敦賀から北陸、信越をぐるりと回り込むように走る北陸新幹線。最後にちらりと見える東海道新幹線の車両、その車両が走ってきたであろう米原と敦賀は、直線距離でわずか40kmほどしか離れていない。そんな場所がスタート地点だったにもかかわらず、列車は大きく遠回りをし、富山や新潟を経由して、ここでようやく東海道新幹線と対面する。その光景がとても新鮮に映った。朝、敦賀駅で大阪行の「サンダーバード」や名古屋行の「しらさぎ」を見送っていただけに、なおさら不思議な感覚があった。

3時間15分の旅を終え、終点・東京に降り立つ。日本海沿岸各地や長野を駆け抜けた「かがやき」の旅。今回の行程には、道中を逆行する区間も多く含まれており、過去3日間の旅を振り返りながら、各地を一気に駆け抜けるような行程となった。前半では、2024年3月に新たに開業した敦賀-金沢間を走行し、乗りつぶしとして改めてJR西日本の完乗を達成。その後は、約7年ぶりとなる北陸新幹線の旅を楽しむことができた。
東海道新幹線と比べると、北陸新幹線は車窓の変化に富んでいる。広い平野を走る区間もあれば、日本海に近い海岸線をかすめるような場所もあり、長野付近では周囲の山々を眺めながら盆地を進んでいく。そうした景色の移ろいが、実に印象的な路線だと改めて感じた。
北陸新幹線の敦賀延伸は、福井と東京を1本の列車で結んだ。過去にも両都市を直通で結ぶ列車は存在したものの、その本数はごく限られており、1時間ごとに東京と福井を結ぶ列車が走るという日常は、これまでになかった全く新しいものである。今回乗車した列車も、敦賀からの乗車は少なかった一方で、福井からは比較的多くの乗客が見られ、すでにこの新幹線が福井-東京間の移動を担う存在として定着しつつあることが感じられた。
同時に、この区間を乗り通したことで、東京と福井の距離が一段と近くなったことを実感する機会ともなった。関西-北陸間の移動が、当面は乗り換えを伴う形となるなかで、北陸と東京、そして関西との関係が今後どのように変化していくのかは気になるところである。少なくとも、東京と北陸の結びつきは、今後さらに強まっていくのだろう。
今回は、東京-北陸間と、関西-北陸間の移動手段という北陸新幹線が担う二つの大きな役割のうち、前者を敦賀延伸後として初めて体験した。一方で、後者である関西―北陸間の移動については、次回以降に北陸を訪ねる際、大阪-敦賀-金沢・富山と乗り継ぎ、その人の流れや利便性を改めて確かめてみたいと考えている。
東京到着をもって、新潟と北陸の未乗路線、そして並行在来線を巡るという今回の旅の本題は、ここで一区切りとなった。しかし、時刻はまだ12時半。帰りの飛行機までは、まだ6時間以上の余裕があった。そこでこの後は、旅の冒頭に続いて東京近郊の鉄道路線を再訪することにした。それもまた、今回の旅の一部として組み込み、この旅、そして今年の旅の締め括った。