【旅行記】札幌近郊乗り鉄旅~富良野線と根室本線で富良野を訪ねる~

 
 帰りの飛行機がまさかの欠航となり、旭川での延泊を決めた旅の最終日。突然できた旅のアディショナルタイムは、旭川から富良野線、根室本線、函館本線の3路線を乗り継ぎ、旭川へ戻る小さな周遊旅に出ることにした。旭川からは富良野線の普通列車に乗車。前回乗り換えるだけとなってしまった富良野を改めて訪ねる。

H100形に変わった富良野線を4年ぶりに走破する

 旅の延長戦の主役となった富良野線。この路線には2022年春に企画した「北海道の廃線予定路線を巡る旅」の2日目で乗車している。この時は帯広空港に降り立ち、1日目に根室本線の新得-富良野間、2日目に留萌本線という2つの廃線予定路線を巡った。その後、留萌から沿岸バスの快速留萌旭川線で旭川を訪ね、富良野線に乗車している。
 この時、富良野線に乗車後は、富良野で都市間バス「ふらの号」に乗り換えて札幌を目指す計画だった。所定ダイヤでも富良野駅での乗り換え時間は15分ほどとタイトで、列車もバスも本数が少なかったため、旅程上こうせざるを得なかった。しかし、富良野線の列車が遅延したため、富良野駅では駆け足で改札を抜け、わずかな乗り換え時間で都市間バスに飛び乗ることとなった。そのため、一度は降り立ったことのある富良野駅だが、駅舎の写真を撮ることも、街の様子を眺めることもできなかった。そんな経緯もあり、いつか再訪したいと思っていた富良野を、今回改めて訪ねてみる。
 
 富良野線周辺では、この数年でいくつかの変化があった。最大の変化は、富良野で接続していた根室本線の新得-富良野間が廃止されたことである。富良野駅は、滝川方面からの根室本線と旭川方面からの富良野線が乗り入れる終着駅のような形となり、南側へ向かう鉄路は2024年4月1日に姿を消した。また、富良野線自体にも変化があり、2023年3月のダイヤ改正で、使用車両がキハ150形からH100形へと置き換えられている。
 前回乗車した時は天候にも恵まれず、さらに乗り換え時間を気にしながらの移動だったこともあり、どこか不完全燃焼だった富良野線。今回は改めてこの路線に乗車し、もう一度車窓の景色を眺めるとともに、この数年で生じた富良野線や周辺の変化も見てみたいと思う。
 乗車する列車は、富良野から到着した普通列車の折り返し便である。発車時刻の30分以上前には入線しており、しばらくホームに停車していた。この時間帯の富良野線は1時間に1本程度の運転。日中は半数の列車が途中の美瑛で折り返すため、富良野まで直通する列車は2時間に1本程度となる。先発の美瑛行きは1両編成だったが、乗車する列車は2両編成だった。
 
 車内に入ると、いつものH100形とは少し違うことに気が付いた。H100形は車内中央部に1+2列のボックスシートを配置したセミクロスシート車だが、乗車した車両は2+2列のボックスシートとなっていた。旭川所属の一部車両はこのような座席配置に改造されているが、これは石北本線の特急「大雪」が特別快速化されるにあたり、車内の快適性向上を目的として昨年実施されたものである。2+2列化により着席定員が増えたほか、座席自体も改良され、座り心地が向上している。
 一人旅をする身からすれば、程よく相席が発生する程度の乗車率であれば、2+2列で対角に人が座る方が快適に感じる。一方で、ほぼ満席になるような混雑時であれば、1+2列で対面だけに人が座る方が快適だろう。しかし、そもそも対面で相席となる状況で数時間を過ごすのは、足元も窮屈で気を遣うため、できれば避けたいというのが正直なところである。
 富良野線は、北海道のローカル線の中でも函館本線の山線区間と並んで混雑する路線というイメージがある。北海道第二の都市である旭川へ乗り入れるため通勤・通学利用も多く、さらに近年は美瑛や富良野が訪日客に人気であることから、時期によっては非常に混雑するという話も聞いていた。しかし、この日はスキーシーズンがすでに終了しており、旭山動物園も休園中。旭川市内にも観光客の姿はあまり見られず、乗車した列車の利用者も大半が地元客だった。各ボックスシートには1人ずつ、ロングシート部分にも数人が座る程度で、冬場の混雑はすっかり影を潜めていた。
 
乗車記録 No.16 富良野線 普通 富良野行 旭川→富良野 H100形
 
 列車は札幌から来る特急「ライラック」17号から乗り換えることができ、20分の乗り換え時間で接続している。その間に隣のホームからは稚内行きの特急「サロベツ」が旅立っていった。あちらの稚内までの道のりに比べれば、こちらの富良野までの道のりは短い。サロベツは5両編成だが車内はかなり空いており、北の鉄路の厳しさを感じさせる。
 旭川を発車すると、列車はまもなく大きくカーブして忠別川を渡り、最初の停車駅である神楽岡へ向かう。神楽岡では早速数人が下車していった。富良野線はこの先、西御料まで住宅地を車窓に走る。隣を走る国道237号線は、先ほど旭川空港への直行バスで通った道。しばらくは同じ場所を行ったり来たりするような形となる。
 
 西御料を出ると、やがて住宅地も終わりとなり、列車は広がる大地の中を駆け抜けていく。西御料までの間に下車する乗客も多く、車内はすでに閑散とし始めていた。観光客の少ない時期の日中の富良野線はとても空いている。
 午前中は雨が降っていたが、この時間になると天気は回復し、青空が広がり始めていた。晴れ渡っていれば車窓の奥に大雪山を望むことができるが、この日は周辺の山々がうっすらと見える程度で、その全容を眺めることはできなかった。
 
 西御料、西瑞穂、西神楽、西聖和と4駅連続で「西」の付く駅に停車しながら列車は南下する。西聖和とその次の千代ヶ丘との間の高台には、先ほど訪れた旭川空港がある。空港周辺は丘陵地となっており、富良野線から直接空港施設が見えるわけではないものの、空港がありそうな雰囲気は感じられる。なだらかな丘に向かって広がる畑が北海道らしい。列車は次の千代ヶ丘で反対列車と交換した。
 
 千代ヶ丘を出ると、列車は旭川市から美瑛町へと入っていく。いかにもJR北海道らしさを感じる板張りの北美瑛駅に停車すると、列車は森の中を駆け抜け、美瑛の市街地へと入った。
 丘陵地帯の絶景で外国人観光客からも人気を集め、時期によってはとても混雑する美瑛。この美瑛駅も多くの乗降客で賑わうと聞いていたが、この日は地元客が数人入れ替わる程度で、観光客の姿はまったく見られなかった。
 富良野線も旭川からこの駅までは日中でも毎時1本程度の運転本数が確保されている。しかし、この駅で折り返す列車も多く、ここから富良野までの区間は2時間に1本へと本数が減る。車内はもはや閑散としており、1両あたり5人程度しか乗っていなかった。
 
 美瑛を出ると、列車はしばらく丘陵地帯のアップダウンを繰り返しながら駆け抜けていく。周辺にはインバウンド客にも人気のSNS映えスポットが点在しており、この列車の車窓にもこの地域らしい風景が広がる。奥には大雪山系の山々が時折その姿を見せていた。
 次の美馬牛を出ると、列車はいよいよ上富良野町へ入り、富良野エリアへと足を踏み入れる。ここから列車は上富良野町、中富良野町を経由し、富良野市へと向かっていく。
 
 上富良野で富良野盆地の北側へ到達すると、その後は盆地に広がる田園地帯を駆け抜けていく。周辺を流れる川の向きは、美瑛から上富良野までの区間とここから先で逆転する。富良野盆地を流れる河川は空知川へと流れ込むため、列車の進行方向と同じ向きに流れ始める。
 上富良野から学田にかけての富良野線は直線的に線路が敷かれている。遠くには富良野岳の姿。風光明媚な車窓の中を列車は軽快に走り抜ける。初夏の観光シーズンにのみ営業する臨時駅・ラベンダー畑駅を通過し、中富良野へ。さらに鹿討、学田と停車し、富良野川を渡ると、列車は富良野の市街地へと入った。
 
 旭川から1時間15分余りで列車は終点の富良野に到着した。前回はドアが開くと同時に駆け足で跨線橋を渡り、改札を抜けて駅前に停車していたバスへ飛び乗った。しかし今回は1時間半ほどの滞在時間を確保している。ゆっくりと写真を撮りながら改札へ向かった。
 2度目の乗車となった富良野線。青空が広がるとまではいかなかったものの、前回よりは天候にも恵まれ、富良野岳をはじめとする大雪山系の山々や、美瑛周辺の丘陵地帯の車窓を改めて楽しむことができた。

4年前の旅では慌ただしく乗り換えた富良野駅を再訪

 改札で下車印を押してもらい、改札を出る。前回は慌ただしく乗り換えただけだったが、それが逆に印象に残っていて、「確かにこんな駅だったな」と懐かしさを覚える。あの時はきっぷの持ち帰りをお願いする時間もなかったので、今使っているきっぷは終点の旭川で持ち帰りを申し出て、大切に保管するつもりでいる。
 観光的にはオフシーズンとなるこの季節の富良野。スキーシーズンは終わり、ラベンダーが咲く初夏まではまだ遠い。また翌週にはゴールデンウィークを控えていることもあり、外国人観光客だけでなく国内旅行者の姿もほとんど見当たらない。列車に同乗していたわずかな乗客もすでに街へ散っていき、駅前ロータリーにはタクシーが数台停車している以外、人影はなかった。
 昔ながらの駅舎が今も現役の富良野駅。リゾート地の玄関口として考えれば、もう少しモダンな駅舎でもよさそうだが、鉄道ファンとしてはこうした佇まいの方が味わい深く、「北海道の駅」という印象を強く感じる。出入口上部には「愛されるJRふらの駅」の文字。年季の入った駅舎は、長年にわたり多くの地元客を送り出し、観光客を迎え入れてきた。今では観光利用が中心となっているが、この街とともに愛され続けている。
 
 富良野線の列車に接続する形で、やがて根室本線の滝川行き普通列車が発車していった。それを駅舎の脇から見送る。乗ってきたH100形は旭川への折り返し列車として待機中。発車まではまだ時間があり、駅構内には静かな時間が流れていた。
 各ホームの駅名標はそれぞれホームから出発できる方向に対応している。手前のホームは根室本線の隣駅である野花南のみを表示している一方、奥のホームの駅名標は学田と野花南の両方を表示している。しかし反対側には矢印も隣駅表示もなく、ここが終点であることを示す。
 2024年4月1日付で、根室本線は中間区間にあたる富良野-新得間が廃止となった。それまで3方向へ鉄路が延びていたこの駅では、新得・帯広方面への線路が途切れ、現在は石北本線の遠軽駅と同じようなスイッチバック構造の駅となっている。4年前の旅で乗車した思い出の根室本線。今も線路は残されているとのことだったので、駅前から少し歩き、構内を横断する跨線橋へ向かった。
 
 駅舎から歩いて5分ほどの場所にある零号歩道橋。富良野駅構内の南側で線路を跨ぎ、市街地の東西を結んでいる。この歩道橋からは駅構内の様子や、根室本線帯広方面の廃線跡を眺めることができる。
 根室本線はかつて滝川を起点に、富良野、新得、帯広、釧路を経て根室まで続いていた北海道屈指の長大路線である。南千歳-新得間の石勝線が開業する以前は、道東方面への主要ルートとして機能しており、帯広や釧路へ向かう優等列車もこの路線経由で運転されていた。
 しかし、高速運転が可能な石勝線の開業によって、札幌-道東間の輸送はそちらへ移り、根室本線の滝川-新得間はローカル輸送を担う路線となった。富良野-新得間廃止の大きなきっかけの一つとなったのが、2016年の台風被害である。特に東鹿越-新得(上落合信号場)間では甚大な被害が発生し、長期運休となったため、バスによる代行輸送が行われた。その後、復旧ではなく廃止が選択され、この区間を含む富良野-新得間は営業を終えることとなった。
 先述の通り、筆者は2022年4月、2度目の北海道旅行でこの区間に乗車している。あの日の記憶は今も鮮明に残っている。天候も今日とよく似ていて、快晴とはいかなかったものの、車窓には金山湖や富良野岳の姿が広がっていた。
 車止めの先にもレールは今なお続いており、信号機もそのまま残されていることが確認できる。しかし、それらはすでに役目を終え、静かに眠りについている。もちろん踏切設備も廃止されており、車は一時停止することなく通り過ぎていく。自分が乗った路線の廃線跡を見るのは、一昨年の留萌本線以来2度目だが、やはり鉄道ファンとして寂しさを覚える。
 現在は地域ごとの町営バスや路線バスへと移行しており、富良野からは金山・幾寅方面への路線が運行されているほか、東鹿越へはトマム方面からの路線が新設されている。一方、新得・帯広方面への移動については、旭川-帯広間の都市間バス「ノースライナー」がその役割を担っている。
 
 一方で、こちらは現役の富良野駅構内。根室本線と富良野線が乗り入れる交通の要衝ということもあり、駅構内は非常に広々としている。2面4線のホームのほかに複数の側線が設けられており、ホーム数に対して構内が広いのは、かつて根室本線が北海道の大動脈として機能していた頃の名残である。旅客駅の北側には現在もJR貨物の富良野駅があり、貨物列車も季節運行という形でやってくる。この広い構内も、その際に活用されている。
 右側で電柱に隠れるように停車しているのが、先ほど乗車してきた富良野線の列車。左側の島式ホームを根室本線、右側の島式ホームを富良野線が使用している。その先では富良野線の線路がまっすぐ続いており、もともと旭川と釧路を結ぶ路線として開業し、後から滝川-富良野間が建設されたことがうかがえる。現在の旅客列車は1両または2両編成がほとんどだが、ラベンダーが咲き誇る季節には、札幌から特急「フラノラベンダーエクスプレス」が5両編成でやって来て、駅も賑わいを見せる。
 
 跨線橋から根室本線の廃線跡を眺めた後は、市街地の中を少し歩いてみた。特に目的があるわけではないが、街を歩くとその土地ならではの空気感を感じることができる。その時間は、列車の車窓を眺めるのと同じくらい好きで、一人旅ならではの時間だと思う。
 富良野市の人口はおよそ1万9千人。市街地は駅を中心に広がっているが、規模としてはそれほど大きくない印象を受ける。駅前にもホテルはあるものの、リゾートホテルの多くは市街地東側のスキー場周辺に集まっている。街中には「フラノマルシェ」があり、小規模な商業施設ながら、地域住民の憩いの場として親しまれているようだった。
 北海道屈指の観光地の一つである富良野も、冬や夏であれば観光客の姿がもっと多いのだろうが、この日は駅前にも市街地にも観光客らしき人影は見当たらなかった。もっとも、富良野の観光地は郊外に点在しているため、レンタカーや観光バスで巡る人が多く、そもそも駅前を訪れないという事情もあるのだろう。静かな街をしばらく歩き、のんびりと駅へ戻った。

キハ54形での運行となった根室本線に乗車し、滝川へ

 富良野には1時間半ほど滞在し、4年前に果たせなかった心残りをようやく解消することができた。やがて列車の発車時刻が近づいてきたので、待合室で列車を待つ。テレビでは今朝発生した管制システムトラブルのニュースが流れていた。今まさにその影響を受けた一人がここにいるのだと思いつつ、本来であれば今頃は羽田にいるはずだったのに、なぜ自分は富良野にいるのだろうかとそんなことを考えながら改札が始まるのを待った。発車10分前になり改札が始まる。今度は根室本線の普通列車滝川行きに乗車した。
 富良野-新得間が廃止されたことで他の区間と分断されたものの、根室本線の一部であり続けている滝川-富良野間。愛称だけでも別の路線名を付けてもよさそうな気もするが、今も変わらず「根室本線」と呼ばれ続けている。根室から直線距離でも250km以上離れた場所を走りながら根室本線を名乗っていることになぜかと疑問に思う人もこれから増えるだろう。しかも根室周辺の区間には「花咲線」という愛称が付けられており、むしろ根室本線という呼び方をあまり耳にしないのだから面白い。
 4年前に乗車した際は、キハ40形に揺られたこの区間。この時、初めて北海道仕様のキハ40形に乗車し、九州の車両とは全く異なる仕様に驚いたことを覚えている。その後、北海道のキハ40形は観光列車用を除いて営業運転を終了し、根室本線のこの区間でも昨年3月にキハ54形へと置き換えられた。札幌近郊を巡ることが主目的だった今回の旅で、まさかキハ54形に乗車することになるとは、この日の午前中までは想像もしていなかった。やはり北海道のローカル線を旅するなら、この車両は欠かせない存在である。
 
乗車記録 No.17 根室本線 普通 滝川行 富良野→滝川 キハ54形
 
 富良野からの乗客は8人ほど。夕方の列車ということで高校生の利用も多いかと思っていたが、通学者らしき姿は3〜4人程度しかなく、車内はガラガラだった。滝川までの所要時間は58分。1時間を切る乗車時間である。
 富良野を出ると、市街地北側で富良野線と分かれ、富良野川と合流する。その先で空知川を渡り、以後は滝川までこの川と並走するように進んでいく。根室本線は富良野から先も、狩勝峠の手前まで長く空知川に沿って走っていた。
 
 富良野盆地を抜けて空知川へ近づくと、列車は森の奥で川を見下ろしながら山間部へと入る。やがて2017年に駅としては廃止され、現在は信号場となっている島ノ下信号場を通過。そのまま島ノ下トンネル・滝里トンネルへと吸い込まれていった。
 ローカル線らしからぬ長大トンネルをしばらく走る根室本線。この区間は空知川に滝里ダムが建設されたことに伴う付け替え区間であり、1991年に8km余りの区間が新線へ切り替えられた。滝里ダムのダム湖は札幌へ向かう都市間バスの車窓から見ることができるが、列車からはほとんど見えない。ダムを過ぎてトンネルを抜けると景色はやや開け、列車は最初の停車駅である野花南へ到着した。ここからは上芦別、芦別とテンポよく停車していく。
 
 上芦別を経て列車は芦別に到着。ここでは滝川発の普通列車と交換した。富良野からの乗客が数人下車すると、代わりに20〜30人ほどが乗車し、車内は一気に賑やかになる。乗客の大半は外国人で、おそらく芦別市内の事業所などで働いている人たちなのだろう。住居は滝川周辺にあるのか、多くの乗客が終点まで乗車していた。
 
 芦別を出ると、列車は平岸、茂尻と停車しながら赤平を目指す。車窓には時折空知川の流れが見える。根室本線の滝川〜富良野間は、途中の全ての駅で列車交換が可能であり、さらに駅としての役目を終えた後も信号場として残る施設が2か所ある。そうした設備からは、かつて道東への主要ルートとして機能し、炭鉱で栄えた沿線の繁栄が感じられる。現在も季節運行の貨物列車や「フラノラベンダーエクスプレス」が走るものの、この充実した設備が活用される場面は少なくなった。
 
 列車は赤平に到着。ここでは行き違いはなく、駅舎側の1番線に入線した。ここでも芦別に続いて数人が下車していく。交流センターを併設した赤平駅。駅前は以前、高速バスの車窓から見たことがあるが、なかなか立派な建物だったことを覚えている。かつて炭鉱で栄えたこの地域。赤平駅の裏手には貨物ヤードが広がっていたが、現在は草が生い茂りながらも、その跡地や信号設備が今なお残されている。
 
 赤平を出ると、次はいよいよ終点の滝川となる。4年前にこの区間へ乗車した際には途中に東滝川駅があったが、昨年廃止され、現在は信号場となった。赤平の市街地を抜け、並走してきた空知川を渡ると景色も次第に開けてくる。やがて列車は東滝川信号場を通過。西日を浴びながら滝川市街地へ入り、函館本線と合流して終点の滝川へ到着した。
 
 夕方の滝川駅に降り立つ。午前中、特急「ライラック」で通過した時は雨が降り、どんよりとしていた滝川駅も、この時間は夕日が差し込み眩しかった。そういえば4年前、東鹿越から普通列車で滝川へ到着した時も同じような時間帯で、夕日が眩しかったことを思い出す。直後、隣のホームには特急「ライラック」32号札幌行きが入線した。同乗していた数人が、この列車へ乗り換えて言った。

普通列車でのんびりと旭川へ戻る

 一方、筆者は跨線橋を渡り、4番線に停車していた普通列車旭川行きに乗り込む。駅自体は4年前に一度訪ねているので、滝川では改札を出ず、そのまま乗り換えることにした。
 4年の間に函館本線の普通列車にも変化があった。岩見沢-旭川間の普通列車にはこれまで721系が使用されてきたが、新型車両の737系に置き換えられている。岩見沢始発で運転されているこの列車。滝川駅では特急カムイを待ち合わせつつ、筆者が乗車してきた根室本線の普通列車とも接続を取るため、24分もの停車時間が設けられている。特に滝川以北の函館本線は普通列車の本数も少ない。電車の普通列車で旭川へ向かうという経験も、少し貴重なものとなる。
 
 滝川では発車時刻までの間に大体の座席が埋まった。このあたりでは中核的な役割を担う滝川市には高校も多くあり、車内の乗客も多くは高校生だった。滝川を出た列車は江部乙、妹背牛と停車して深川へと向かう。途中駅では数人が下車していったが、車内にはまだ多くの乗客が残っていた。滝川からおよそ20分で列車は深川に到着。到着直前に多くの乗客が支度を始め、深川で乗車していた大半の乗客が下車した。ここで車内はわずか数人となり、乗車していた2両目に至っては筆者ともう1人のわずか2人となった。
 
乗車記録 No.18 函館本線 普通 旭川行 滝川→旭川 737系
 
 列車は滝川に続き、深川でも10分停車し、特急カムイを退避する。夕方以降は札幌-旭川間の特急も本数が増え、30分に1本の運転となる。せっかくなので、ホームへ降りてみた。
 4年前、当時はまだ留萌まで繋がっていた留萌本線に乗車するために宿泊した深川。今回はその時以来、久しぶりにホームへ降り立つこととなった。朝に特急ライラックで通った時には、またいつか降りてみたいなと思っていたが、まさかこんなに早くそれが実現するとは思いもしなかった。
 留萌本線は2024年4月1日に石狩沼田-留萌間が廃止され、深川-石狩沼田間が残ったが、旅行日の3週間ほど前にあたる今年4月1日付で同区間も廃止され、留萌本線自体が路線図から消滅した。
 今、乗車しているこのホームから留萌行きの普通列車に乗車したあの日は、そんな昔の話ではない。しかし鉄路は途切れ、深川駅も他の路線と接続しないふつうの駅となった。まだ隣にある留萌本線用のホームも線路もそのままだが、もうここに留萌や石狩沼田へ向かう列車がやってくることはない。
 4年前のとある朝、留萌へ向かう筆者と、沼田へ向かうもう1人の乗客のたった2人を乗せて走り出した列車は、薄曇りの空の下、軽快に深川を旅立った。沼田からは貸切。まだ雪の残る峠を越え、留萌を訪ねたあの朝は、今も記憶に鮮明に残っている。留萌本線は無くなっても、この路線で旅をした記憶は忘れない。時にして、路線との出会いは一期一会である。一つ一つの路線との出会いを大切に旅する。そんな旅の在り方を、この路線は改めて考えさせてくれたように思う。
 
 駅舎前の1番線には対向の旭川発岩見沢行きの普通列車が到着した。道央と道北で地域区分の異なる深川と旭川だが、列車では25分と近く、旭川方面へ通っている人も多いらしい。列車からは多くの乗客が吐き出されていた。
 やがて2番線には特急カムイ31号旭川行きが到着する。この先の納内や近文へ向かう乗客の乗り換えも想定しての待避だと思うが、この日カムイから普通列車へ乗り換える人の姿はなかった。旭川へはカムイが先に着くものの、所要時間差は大きくない。しかしながら、深川からカムイへ乗り込む人もそれなりにいたのが印象的だった。カムイの発車後、乗車している普通列車も深川を発車。そのカムイを追いかける形で旭川へと向かった。
 
 深川を出ると、次第にあたりは夕闇に包まれていった。たった2人となった最後尾の車内。運転席横の窓から果てしなく真っすぐに続く線路を見つめる。信号機も何閉塞も先まで見渡せる。ライトに照らされた踏切は、列車が通過すると遮断機を上げ、車が線路を渡っていく。そんな光景を見ているうちに、列車は神居トンネルへと吸い込まれた。高速でトンネルを駆け抜け、列車は旭川の市街地を目指す。やがて近文に到着し、数人が前の車両へと乗り込んできた。周囲の街の灯りにどこか温もりを感じる。半日くらいの滞在だからとかなり薄着をしてきたが、この時期の旭川の夜はまだまだ寒い。
 深川から24分で列車は終点の旭川に到着。薄暗くなった旭川駅に数時間ぶりに帰ってきた。旭川駅に普通“電車”がいる光景は初めて目にした。とりわけ珍しいわけではないものの、やはりH100形に比べれば、旭川で見られる機会は限られている。
 
 改札を出る前に、深川で追い抜いていった特急カムイを撮影した。朝に乗車した特急ライラックに比べ1両短い5両編成の特急「カムイ」。この車両は19時ちょうど発の特急カムイ40号として札幌へと帰っていく。旭川駅からの上りの「カムイ」「ライラック」は、16時台だけ1時間あたり2本の運転となっているが、それ以外の時間帯は最終列車まで毎時0分発のパターンダイヤが組まれている。一方で18時台には特急「オホーツク」、21時台には特急「宗谷」がその間を走り、カムイ・ライラックを補完している。車両が違うだけだが、カムイの方にもいずれ乗車してみたい。
 改札へ向かおうとすると、通過列車の放送が流れ、貨物列車が姿を現した。旭川には北旭川駅という貨物駅があり、ここへは札幌方面から日常的に貨物列車が運行されている。しかし本数自体は少なく、その通過シーンを見ることができたのはラッキーだった。
 
 さて、飛行機の欠航というアクシデントに見舞われながらも、久しぶりの富良野線の乗車と富良野の再訪を果たすことができた旅の3日目。突如生じた旅のアディショナルタイムも、とても有意義な時間を過ごすことができた。この日は旭川駅前のホテルに一泊。この地に宿泊するのはこれが初めてだった。
 駅横のイオンで総菜などを買い込みホテルへ。しばらく休んだ後、せっかくこの街に泊まる機会を得たので、夜も少し街を歩いてみた。学習塾の前には車が並び、塾帰りの子どもたちを待っている。さすがに火曜日なので駅前の人の姿はまばらだったが、札幌行き最終の特急列車へ駆け足で乗り込む人の姿があった。明日は無事に帰れますようにと願いながらホテルへ戻り、波乱だった3日目の旅を終えた。
 
続く