【旅行記】仙台近郊路線と陸羽西線を巡る旅~復活した陸羽西線に乗車する~

 
 仙台近郊路線と陸羽西線に乗車する今回の旅。3日目は東北地方最後の未乗路線となった陸羽西線に乗車し、新庄から余目へ。東北地方の鉄道路線の完乗を目指す。その後は鶴岡を訪ねて、庄内空港からのフライトで旅を終えた。

霧に包まれた新庄から最終日の旅を始める

 6時過ぎに目を覚まし、窓の外を見渡すと、あたりは深い霧に包まれていた。最上川から立ち上る川霧だろうか。時間帯によっては、奥の市街地が見えなくなるほど濃い霧が広がっている。川霧が出るのは、晴天になる前触れとも言われる。数時間もすれば、この霧も晴れ、青空が広がり始めるだろう。
 そんな幻想的な景色の中でも、新庄駅は朝から忙しなく動いていた。身支度を整えながら、時折窓越しに駅構内を眺める。陸羽西線の酒田行き始発列車が発車していくと、しばらくして今度は酒田発の始発列車が到着した。新庄へ通学する学生にとって唯一利用できる列車だが、客室から見る限りでは、それほど混雑している様子はない。
 酒田から到着したキハ110系は、このあと筆者が乗車する8時台の余目行きとなる。しかし、その前に奥羽本線の新庄~真室川間を1往復する運用に入るため、しばらくすると真室川行きの普通列車として駅を発車していった。その列車を見送ると、筆者もホテルをチェックアウトし、いよいよ最終日の旅へと出発した。

沿線の道路トンネル工事による計画運休から復旧した陸羽西線

 さて、この日最初に乗車する陸羽西線は、新庄と余目を結ぶ路線である。山形県北部で奥羽本線と羽越本線を結び、新庄を中心とする最上地域と、鶴岡・酒田を擁する庄内地域を結ぶ重要な鉄道路線となっている。
 この路線は、並行する国道47号線のトンネル工事の影響により、2022年5月から列車の運行を休止していた。国道で建設される高屋トンネルが陸羽西線のトンネルに近接しており、鉄道トンネルの補強工事が必要となったため、鉄道の運行を一時休止し、代わりに代行バスを運行するという、全国的にも珍しい計画運休という形が採られた。当初は2024年度中の運転再開を予定していたが、追加の補強工事が必要となったことから延期され、2026年1月、約3年8か月ぶりに列車の運行が再開された。
 筆者は運休期間中だった2023年秋に、この沿線を訪れ、代行バスにも乗車している(「東北鉄道大周遊2023」参照)。東北のローカル線を巡ったこの旅では、1日目に米坂線の代行バスで坂町へ向かい、その後は羽越本線を北上して酒田へ。2日目は陸羽西線の代行バスに乗車した後、陸羽東線、東北本線、大船渡線、BRT、三陸鉄道と乗り継ぎ、岩手県の釜石まで移動した。
 このとき、米坂線については復旧の見通しが立っていなかったことから、自身の乗りつぶしのルールに従い、代行バスへの乗車を暫定的に乗車記録として採用した。一方、陸羽西線は長期運休ではあったものの、計画的な運休であり、運転再開の見込みも示されていたため、代行バスは乗車記録には含めなかった。
 そして今回、ようやくその陸羽西線に乗車する。沿線の景色自体は一度見ているが、列車の車窓から改めて最上川を眺められる日を楽しみにしていた。
 日本三大急流の一つに数えられる最上川。その流れに沿って走る陸羽西線は、山形県を代表する車窓を持つ路線として知られる。線路は基本的に川より一段高い場所を走るが、最上川に寄り添う区間も少なくない。実際、運休期間中だった2024年夏には戸沢村付近で最上川が氾濫し、線路が浸水する被害も発生した。大河川に沿って走る鉄道路線は豪雨の影響を受けやすい。そんなこともあり、梅雨入り前の安定した時期に乗車したいと考え、今回5月の旅程に組み込んだ。

各方面への列車・代行バスが発着する朝の新庄駅

 少し早めに改札内へ入り、列車の到着を待つ。駅前では、陸羽東線の代行バスと思われるJRバス東北の車両が乗客を降ろしていた。この駅に乗り入れる路線の一つである陸羽東線は、一昨年の豪雨災害からいまだ復旧しておらず、現在も最上・赤倉温泉・鳴子温泉方面との間で代行バスの運行が続いている。
 改札を抜けると、ホームには奥羽本線横堀行きの普通列車が停車していた。奥羽本線も一昨年の豪雨で被災し、その復旧にあたっては架線を撤去して非電化化が行われたうえで、約1年前に運転を再開した。これに伴い、701系に代わってGV-E400系による運行が始まっている。
 以前は日中も秋田~新庄間を直通する普通列車が運転されていたが、現在は朝夕の1往復を除き、秋田方面へは途中駅で乗り換えが必要となった。この列車の終点である横堀駅は、その乗り換え拠点となっている。秋田方面からの普通列車は院内まで運転されるものの、駅の配線の都合で対面乗り換えができないため、一駅先の横堀駅での乗り換えが推奨されている。
 
 やがて改札前の1番線に、静かにE8系が入線してきた。山形始発の「つばさ171号」である。「つばさ」の多くは東京発着だが、朝に1本だけ、山形発新庄行きというミニ新幹線(在来線区間)完結の列車が設定されている。到着すると、多くの通勤・通学客が列車を降り、改札口へと向かっていった。
 以前、山形新幹線に乗車した際にはまだE3系が活躍していたが、現在は定期運用を終え、すべての定期列車がE8系で運転されている。そのE8系とは過去の旅でも何度か顔を合わせているが、停車中にじっくり観察するのは今回が初めてだった。普通車には近年増えているグラデーション柄のモケットが採用されている。新庄から東京までは約3時間半。一度乗り通したことはあるものの、盆地から山岳地帯、そして東北平野、関東平野へと景色や速度が次々と変わっていく山形新幹線は何度乗っても飽きない。また時間を見つけて、ゆっくり乗り通してみたいと思う。
 到着したつばさ171号に接続して横堀行きの普通列車が発車すると、乗客の波も去り、駅は再び静けさを取り戻した。早朝には盆地一帯を覆っていた霧も次第に晴れ、ホームには柔らかな朝日が差し込み始める。鳥のさえずりだけが響く駅構内で、しばし陸羽西線の列車の到着を待った。

特殊な座席を持つ陸羽西線用キハ110系に乗り込む

 真室川からの普通列車が到着すると、新庄への通学客と入れ替わるように車内へ乗り込む。朝の奥羽本線での運用を終えたキハ110系は、ここから再び陸羽西線へ戻る。乗車した新庄8時12分発の余目行きは、この日の陸羽西線で余目方面へ向かう2本目の列車だった。
 陸羽西線の列車はこれから乗車する新庄-余目間を走る線内完結の列車と、余目から羽越本線へ直通して酒田まで運転される列車の2種類がある。酒田発着は主に朝夕で、新庄と酒田を乗り換えなしで結ぶ。一本前の列車が酒田への直通列車だったため、どちらに乗ろうか迷ったが、今回は乗車後、酒田ではなく鶴岡へ行くことにしたので、余目が終点となるこの列車を選んだ。なお、陸羽西線は、ローカル線らしく普通列車が主体だが、1往復だけ快速「最上川」も運行されている
 
 陸羽西線では宮城県の小牛田駅に併設された仙台車両センター小牛田派出所(旅行時点での名称)に所属するキハ110系が使用されている。通常であれば陸羽東線を介して車両のやり繰りが行われるが、陸羽東線が不通となっている現在は、新庄に数両が常駐し、北上線経由で車両の回送が行われている。
 そんな陸羽西線用のキハ110系には、一部に少し変わった座席を備えた車両がある。今回は幸運にも、その車両に乗車することができた。注目すべきは、一人がけのボックスシート。他のキハ110系に装備された座席とは一風変わった構造を持つ。
 陸羽西線には「奥の細道最上川ライン」という愛称があり、列車は最上川に沿って走る。その景色をより楽しめるよう、1人掛けのボックスシートは向きを変えられる構造となっている。回転クロスシートに似た仕組みだが、特徴は窓に対して45度の角度で固定できること。これにより、座ったままでも車窓の最上川を眺めやすくなっている。
 実際に座ってみると、この構造がなかなか興味深い。川は確かによく見える一方で、座席を45度に向けると足元は少し窮屈になる。どれほど利用されているのかは分からないが、川や海など、一方向に景色が開ける路線では面白い工夫だと感じた。
 
乗車記録 No.17 陸羽西線 普通 余目行 新庄→余目 キハ110系

新庄盆地を抜け、最上川を眺めて庄内平野を目指す

 8時台ともなると朝の通学時間は終わっており、車内はかなり空いていた。新庄から乗車したのは、観光客と地元客がそれぞれ数人。地元客には、これから酒田や鶴岡へ向かう高齢者が多く、停車中に運転士へ余目から先の乗り換えや帰りの接続を尋ねる姿が印象的だった。
 列車は7、8人ほどの乗客を乗せて新庄を発車する。ホテルの客室からも見えていた石造りの研修庫を眺めると、列車は加速。単線の陸羽西線と並走した後、カーブしながら車庫を離れていった。
 
 住宅街を抜けると、やがて田園地帯が広がり始める。空にはまだ霧が残っていたが、その隙間からは青空が広がり始めていた。水田もその青空を反射して輝いている。東北中央道と交差し、列車は軽快なジョイント音を響かせながら進んでいった。
 以前乗車した代行バスは、陸羽西線と並走する県道34号線を経由して運行されていた。升形駅の手前では、県道がこの路線の踏切を渡る。代行バスの車窓から、草の生い茂った線路を眺めたことを思い出す。今、その線路の上を列車で走ることができている。鉄道ファンにとっては、嬉しい瞬間だった。
 
 列車は最初の停車駅、升形に到着した。しかし、車内に動きはなく、そのまま発車する。駅名標では次の駅が羽前前波となっているが、列車は次に津谷へ停車する。陸羽西線の運転再開にあたっては、利用者の少ない羽前前波と高屋の2駅が休止となり、全列車が通過することになった。
 升形を出ると一旦山が近づき、列車はトンネルを抜ける。その先で枡形川を渡ると、颯爽と羽前前波を通過した。周辺には集落もあり、乗り降りする人がまったくいないようには見えないが、利用者はほとんどいないらしい。駅を通過した後、再びトンネルを抜けると、列車はやがて奥羽本線の真室川方面から流れてくる鮭川を渡り、津谷へ到着。ホームでは一人が列車を待っていたが、新庄方面の列車を待っているようで、ここでも乗り込む乗客の姿はなかった。
 
 列車は津谷の手前にあるトンネルの中で、新庄市から戸沢村へと入った。津谷は戸沢村東部に位置し、駅前には集落が広がっている。代行バスに乗車した際にも、ここでは複数の乗客が乗り込んできたことを思い出した。
 津谷を発車すると、頭上を国道47号線の自動車専用道路である新庄酒田道路が越えていく。現在は新庄から古口までが開通しており、代行バスも津谷~古口間の短い区間でこの道路を利用していた。この道路の開通によって戸沢村と新庄市の間の利便性は向上し、ますます陸羽西線の出番が失われているのが実情だろう。陸羽西線の長期運休の要因となった高屋トンネルも、この新庄酒田道路の一部に組み込まれる予定で、現在も沿線各地で工事が進められている。
 
 列車は次の古口との間で、県道34号線と並走しながら最上川を渡る。このあたりで最上川は、大石田方面から流れてきた川と合流し、その後は庄内平野を目指して西へと流れていく。雪解け水を運んでいるうえ、前々日に山形県内でまとまった雨が降ったこともあり、川の水量は多く、濁っていた。
 松尾芭蕉の有名な句、「五月雨を集めて早し最上川」。ここでいう「五月雨」とは、旧暦5月、すなわち梅雨の雨を指す。その時期にはまだ少し早いが、今は5月。文字通りに受け取れば、まさにこの句を思わせるような光景が、車窓いっぱいに広がっていた。
 
 列車はまもなく戸沢村の中心地、古口に到着した。この路線の途中駅で唯一、列車の交換が可能な駅であり、ここで酒田発新庄行き普通列車と交換する。乗車している列車には1人が乗り込んできた。
 対向する列車の乗客を数えてみたが、2両編成で数人。8時台の列車は、そもそも通勤・通学や通院には使いにくい時間帯ではあるものの、上下列車ともにこの人数というのが、厳しいローカル線の現実を突きつける。陸羽西線は、もともと升形、津谷、清川、狩川でも列車の行き違いができたそうだが、現在はこの駅でしか行き違うことができない。余目~古口間、古口~余目間はいずれも25分ほどかかるため、折り返し時間を考慮しても、1時間に1本程度が運行本数の限度ということになる。
 
 古口から次の清川までが、最上川と並走する区間となる。この間にも高屋という駅があるが、羽前前波駅と同様、運転再開後は全列車が通過している。富士川と並走する身延線や、球磨川と並走する肥薩線は1時間近くにわたって川と並走するが、こちらは15分程度と短いので、景色に集中する必要がある。
 列車は古口を出ると、しばらく国道47号線と絡み合うように走行する。川に対して、道路と線路の位置関係を何度か入れ替えながら進んでいく。古口周辺は一昨年の大雨で被災し、駅周辺一帯が浸水する被害が発生した。陸羽西線も例外ではなく、古口を発車後しばらく進んだ川との並走区間の一部で、線路が水没する被害を受けている。
 日本三大急流と並走する区間の被災といえば、2020年の肥薩線川線の被害が思い浮かぶ。鉄橋2本が流出し、多くの場所で道床が流出するなど甚大な被害を受けたこの路線の被災状況を見ていただけに、陸羽西線の被害もかなり心配していた。肥薩線川線は2033年の再開が決まったが、日田彦山線や美祢線、米坂線など、こうした被災をきっかけにそのまま廃止となる例も最近は少なくない。
 
 何度か国道と立体交差すると、陸羽西線の線路は国道より一段高い山の斜面へと落ち着く。ここからはいくつかのトンネルを抜け、その合間に最上川の雄大な流れを眺めながら進んでいく。先に述べた肥薩線川線の車窓にもよく似た陸羽西線の車窓。肥薩線の車窓も好きだっただけに、どこか懐かしさを感じる景色だった。
 前回、代行バスで目前の国道を通った時は生憎の雨で、車窓の景色もどんよりとしていた。しかしこの日は、青空と新緑が車窓いっぱいに広がる。肥薩線が並走する球磨川と同様、ここ最上川でも川下りを楽しむことができる。時間帯が合えば、車窓からその遊覧船の姿を見ることもできるのだが、この時間はまだ運航前だったようだ。いつか川下りもしてみたいなと思いつつ、その発船場の前を通り過ぎる。短い陸羽西線の最上川との並走区間を、しっかりと目に焼き付けながら車窓の景色を眺めていた。
 
 月山の方から流れてくる立谷沢川の鉄橋を渡ると、最上川沿いを走る区間は終わりとなる。列車は直後に清川に到着。ここでは1人が下車し、1人が乗車した。清川は、最上川が庄内平野に到達する地点にある。日本海側から吹き込む風が集まってくるため、この辺りは年間を通して風が強い場所として知られている。全体的には穏やかな天気だったが、この日も駅周辺は風が吹き荒れており、木々が風に押されていた。
 
 清川を出ると、車窓の景色も一気に開ける。列車は庄内平野へと到達し、まもなく最上川から離れていく。国道47号線の土手下を走るように進み、次の狩川へ。狩川でも2人を乗せ、車内の乗客は徐々に増えていった。
 狩川から先は、庄内平野の美しい田園風景を眺めながら進む。ちょうど田植えが終わった直後の水田は青空を映し、輝いている。遠くには水力発電用の風車が回っている。徐々に山が遠ざかっていく景色の中を、列車は軽快に走っていく。
5月の旅は、個人的にとても好きである。山には新緑が茂り、特に水田には水が注がれ、植えられた稲苗が風に揺られている。場所によっては、田植えの真っ最中というところもある。その地域の季節の一つのシーンに出会える。それが、この時期の旅の楽しみである。
 
 やがて、手前の山の向こうから鳥海山が顔を出す。庄内平野のシンボルとも言えるこの山を眺めながら、列車は走る。まさに日本有数の米どころ、庄内平野を象徴する光景だった。
 列車は最後の停車駅、南野を出る。鳥海山と田園の風景を車窓に進むと、やがて車窓は街並みへと変わり、列車は余目駅の場内信号に従って速度を落とす。羽越本線と合流すると、ゆっくりと駅のホームへ。列車は終点の余目に到着した。

余目駅で東北地方の鉄道巡りを終える

 新庄から45分余りの陸羽西線の旅。比較的運行時間が短い路線だが、新庄盆地・庄内平野の田園風景、鳥海山、そしてなんと言っても日本三大急流の一つ最上川と、山形を象徴する車窓が凝縮された路線だった。代行バスの乗車から2年半あまり。再び動き出した路線に揺られる時間はやはり鉄道ファンには幸せな時間で、バスで通った時を思い返しながら、進むのもまた楽しい時間だった。
 この路線の運休要因となった国道47号線のバイパスは現在も建設中である。以前はここに高規格道路がなかったため、鉄道が優位だったが、完成すれば新庄〜庄内間の移動は車が圧倒的に便利になる。乗ってみてきたように、現時点においても陸羽西線の乗客は少ない。長期不通からの再開は朗報だが、今後はまたふつうのローカル線として、その厳しい状況を背負い運行されることを余儀なくされるだろう。
 
 列車を降り立った余目駅。2面4線のホームと駅舎を結ぶ跨線橋からは、先ほど列車の車窓からも見えていた鳥海山が、悠然とした姿で聳えているのが見える。晴れてはいるが暑くはなく、心地よい風が跨線橋の通路を抜けていく。
 陸羽西線の乗車をもって、現在営業中の東北地方の鉄道路線を完乗することができた。初めて東北地方を旅した2019年6月、東北本線の黒磯~新白河間の普通列車から始まった東北地方の鉄道路線巡り。2021年以降は毎年訪ねては、様々な路線に乗車してきた。鉄道巡りを通じて、大小さまざまな街を訪ねた。それもまたよい思い出である。余目駅は、そんなこの地方の鉄道巡りの一旦の終着駅として、今後も思い出の中に刻まれていくことになるだろう。
 少し、この地方での旅を思い返してみる。個人的に特に思い出深い路線は、五能線と青函トンネル記念館の青函トンネル竜飛斜坑線だろうか。東北屈指のローカル線として知られる五能線。筆者が乗車した日は天気に恵まれ、数時間にわたって広がる日本海の絶景はとても素晴らしかった。国内のローカル線は一部を除いてすべて乗車しているが、「国内のローカル線で一番好きな路線は何か」と聞かれれば、筆者は五能線と答える。
 そして青函トンネル記念館のケーブルカーは、運休のために2度訪ねた思い出の路線である。秋と夏、2度訪れた竜飛岬もとても印象に残っている。津軽線やその代行バス、また外ヶ浜町の町営バスなどを使って旅したのもまたいい思い出となった。
 なお、東北地方には長期不通となっている区間が2つある。津軽線の蟹田~三厩間は、すでに復旧されないまま廃止されることが決定しているが、米坂線の今泉~坂町間は、現在も今後の在り方について検討が続いている。どのような結論になるのかはわからないが、もし復旧されるのであれば、未乗路線として計上し直し、改めて乗りに行くつもりでいる。

酒田と鶴岡の真ん中にある交通の要衝・余目駅

 羽越本線と陸羽西線が交わる余目駅。昔ながらの駅舎だが、北日本に多い真四角な駅ではなく、屋根のあたりが三角形になっており、何となくデザイン性を感じる。一方で、駅舎入口の造りには雪国らしさが醸し出されている。陸羽西線の代行バスは駅前のバス停を発着していたため、駅舎を目の当たりにするのはこれが2度目だった。
 ここ余目は、新潟~酒田・秋田間で運転されている特急「いなほ」も全列車が停車する。この駅を最初に通ったのは、その特急に乗車した時だったが、この地域には余目、象潟、遊佐など、珍しい読みの駅が多いなと思ったのを覚えている。
 駅は庄内町という町に位置している。庄内町の町域は鶴岡市と酒田市に挟まれる形で、庄内平野から月山にかけて細長く広がっている。ここ余目駅周辺がその中心地であり、駅前には小さいながらも市街地が広がっている。人口は約1万9千人。先ほど乗車した陸羽西線では、清川から先がこの町の中を走っている。
 
 陸羽西線にも無事乗車することができ、あとは庄内空港からのフライトで帰路につくばかりとなった。庄内空港への空港バスは、酒田・鶴岡のどちらからも運行されている。酒田は以前訪ねたことがあるので、今回は鶴岡へ行き、鶴岡からバスで庄内空港へ向かうことにした。
 この時間、陸羽西線の列車は、20分ほどの待ち合わせで羽越本線の両方向の列車と接続している。酒田方面は普通列車なのに対し、鶴岡方面は特急と接続する。鶴岡へ行くには特急券の購入を余儀なくされるが、これは甘んじて受け入れることにする。乗車券と特急券の改札を受け、再びホームへと戻った。
 鶴岡と酒田のちょうど中間付近に位置している余目駅。鶴岡は城下町、そして酒田は北前船の寄港地であり、商業の街として栄えてきた歴史がある。陸羽西線は線路が酒田方面を向いており、もともとここから酒田への羽越本線は、現在の陸羽西線の一部として建設され、後に羽越本線へと組み込まれた歴史を持っている。果たして、地域の乗客は酒田と鶴岡、どちらへ向かう人が多いのだろうかという疑問が湧く。
 やがて、下りの酒田行き普通列車が到着した。ホームの端の方でその発着の様子を見ていたが、案外多くの乗客が乗り降りする姿が印象的だった。このあたりの羽越本線の普通列車は、GV-E400系で運転されている。山形でありながら庄内は、鉄道的には新潟の風が吹いている。

特急いなほで平野の景色を眺め鶴岡へ

 余目からは、特急「いなほ6号」新潟行きに乗車。一駅間だけこの列車に揺られ、鶴岡を目指した。新潟~酒田・秋田間で運転されている「いなほ」は、通常、新潟~秋田間を走る列車は2往復のみで、その他は新潟~酒田間で運行されている。この列車も酒田始発の列車だった。
 これからは庄内空港へ向かい、そこから飛行機で羽田を目指すが、庄内平野から東京へは、この「いなほ」と上越新幹線を乗り継ぐというのも主要な移動ルートの一つとなっている。今回も旅の計画を立てる中で、この乗り継ぎルートの利用を考えたが、やはり初めて利用する庄内空港を優先することにした。
 
乗車記録 No.18 特急いなほ6号 新潟行 余目→鶴岡 E653系
 
 先頭車両の自由席に座る。鶴岡までの所要時間は10分強で、もはや座るまでもない距離だが、せっかくなのでE653系の乗車を楽しむことにした。
 車窓には青空と庄内平野が広がる。列車は田園風景の中を快調に走り、鶴岡へ向かっていく。田植えの時期を迎えた沿線の水田には水が張られ、田植えを終えたばかりの田んぼも多い。日本有数の米どころとして知られる庄内平野。青空の下を快調に走る特急列車に、気分も爽快だった。
 もう少しこのまま揺られ、日本海を眺めながら新潟まで行きたい気分にもなる。しかし、列車は鶴岡に到着。ここで下車し、新潟へ向けて走り去っていく列車を見送った。
 
 さて、鶴岡到着後は、少しこの街の様子を眺めた後、空港バスに乗車して庄内空港へ向かう。その後はANAの羽田~庄内線に搭乗し、羽田空港へ。こうして今回の旅を終えた。
 
続く