【旅行記】釧網本線と根室本線で納沙布岬を目指す旅〜根室交通中標津空港線とANA羽田-中標津線で帰路に就く〜
前話
最終日となる3日目は、根室駅前から路線バスに乗車して、国内旅行で行ける最東端の地である納沙布岬を訪ねた。その後、納沙布岬から九州への大移動を開始。路線バスで戻ってきた根室市街からは中標津空港行のバスに乗車し、中標津空港から飛行機を乗り継いで、九州へ戻った。
明治公園で小休憩の後、根室交通の有磯営業所へ

納沙布岬から乗車したバスを曙町というバス停で下車した後、近くのタイエー曙町店でやきとり弁当を購入し、歩いて数分のところにある明治公園という比較的大きな公園まで歩いてきた。次のバスの乗り継ぎまでは1時間ほど時間があったので、ここでお昼を食べつつ小休憩とした。
現在の明治公園がある場所は、明治時代には開拓使根室牧畜場という牧場があった。北海道では2番目に古い牧場で、北海道の牧畜業の発展に寄与した牧場として知られる。そんなこの公園の広場には、牧畜で飼料の保存などに用いられたレンガ造りのサイロ3棟が残されている。これらサイロは1930年代に建造されたもので、国指定有形文化財にも指定されている。このサイロが建てられた時、牧場は有終会という組織が経営しており、その当時会長を務めていたのは現在の1万円札の人物、渋沢栄一だった。ある意味、渋沢栄一ゆかりのサイロとも言える。一方、牧場は昭和に入ると、現在の株式会社明治の前身である北海道練乳という会社に経営が移った。公園の名前を明治公園というのは、社名の明治に由来するらしい。このように日本を近代化へ導いた渋沢栄一と、食品業界における大手企業明治のゆかりの地、それがここ明治公園なのである。前回の旅では富岡製糸場を見学したが、またここでも明治から昭和にかけての日本の近代化産業遺産を見ることができた。

明治公園でしばらく休憩した後は、歩いて根室交通の有磯営業所へやってきた。営業所の前には根室監獄署跡という標柱が建っていた。ここは明治12年~19年にかけて根室監獄署が置かれていた場所だったらしい。有磯営業所はこの跡地に建てられていて、構内にはたくさんのバスが並んでいた。営業所の建物は現在新築工事中。奥に見える青い建物がほぼ完成している新しい営業所の建物だが、旅行日時点ではまだプレハブの仮の営業所で営業していた。
根室中標津空港行きのバスはここが始発地である。プレハブの営業所の横にバス停の標柱があるので、しばらくそこでバスを待っていると、運転士に空港行くの?と声を掛けてもらった。空港バスは前払いなので、乗車券を提示してバスに乗車した。今回はデジタル乗車券を使用していたので、画面を提示するだけでスムーズに乗車できた。なお、この営業所のバス停は、一般の路線バスでは有磯営業所という名前だが、都心間バスと空港バスでは根室交通営業所前という名前になっている。どちらも同じ場所である。
根室交通中標津空港線に乗車し、80km先の空港を目指す

根室交通営業所前(有磯営業所)からは根室中標津空港行きのバスに乗車した。これから行く根室中標津空港は、根室を冠するものの根室市街地からは80km以上離れた場所にあり、空港まではこのバスでおよそ2時間30分かかる。この路線は空港バスとしてはかなり長時間運行の部類に入る。この後搭乗する中標津-羽田線のフライト時間の方が、バスの運行時間より30分以上短い。
1日の運行本数は4往復。うち1往復はANAの羽田便に、その他3往復は同じくANAの新千歳空港便に接続している。中標津空港にはANAの他、JAL系のHAC(北海道エアシステム)も就航しているが、HAC便に対して接続するバスの運行はない。
バスは根室市街地から厚床、別海、中標津を経由して走る。以前は全区間で並行する一般の路線バスも運転されていたが、このうち厚床-別海間の路線バスは2023年に廃止となった。そのため、現在はこの空港バスがその代替の役割を果たしている。空港バスではあるものの、空港以外の各停留所間でも乗り降り可能である。なお、根室市街地~厚床駅間は根室交通の一般路線バスが走るほか、別海~中標津間では厚床-中標津間のバスの廃止に伴って運行を開始した阿寒バスの路線バスが並行して走っている。
根室市街地発の便には関係ないが、空港発の便を利用する際は注意しなければならないことが一つある。それは飛行機に大幅な遅延が発生した場合は、接続を取らない場合があるということ。同路線は路線バスの代替の役割も兼ねているほか、乗務員の勤務等の関係上、大幅遅延の際の接続には対応していない。

この路線は高速バスタイプの車両で運行される。乗車したのは4列シートの車両だった。便によっては独立3列シートで運行されるバスもある。トイレは装備がないか、あっても使用できないので、途中の別海町のバス停で、トイレ休憩がある。
根室交通営業所前で乗車したのは自分一人だけだった。営業所をでたバスは、道道35号、国道44号線経由で駅前ターミナルへ向かった。駅前ターミナルでは3人が乗車。このうち2人は空港まで乗車し、残り1人は途中で下車していった。駅前ターミナルを発車すると、再び国道44号線へ戻り、バスは根室の市街地を抜けた。

国道44号線は、根室の市街地の西の端の方で、一部分だけ自動車専用道路が開通している。しかし、バスは途中の地区のバス停にも停車するため、自動車専用道の方へは行かず、旧道経由で走っていく。根室の市街地を抜けると車窓には時折根室湾が見えた。この日もうっすらだったが対岸の知床連山が見えていた。

温根沼ICで自動車専用道路と合流すると、その先でバスは温根沼大橋を渡った。温根沼は根室半島の入口にある沼。南北に細長い形をしていて、北側は根室湾と繋がっている。昨日乗車した根室本線は、この温根沼を迂回する形で半島の南側を経由する。そのため国道よりやや遠回りのルートで走っている。車窓の左手には、温根沼が見えていた。

温根沼大橋を渡り、東梅という小さな地区を通りすぎると、今度は風連湖が見え始めた。この風連湖は根室湾の沿岸部の根室市と別海町に跨る広い湖である。根室市側からは春国岱、別海町側からは走古丹と呼ばれる半島が延びていて、その半島の先端が、根室湾と湖の境目になっている。やがてバスはこの風連湖を眺められるという道の駅スワン44ねむろの前を通過した。

道の駅スワン44ねむろまでは、途中のバス停も多かったが、この次は厚床駅前まで止まらない。ここから先はしばらく牧場地帯が続く。バスはその牧場地帯の中を横断して走る国道44号を快調に走っていく。高速道路ではないが、とても線形がよく、中央分離帯もあったりして、もちろん最高速度は法定速度の60km/hだが、実質的には高速道路のようなものである。バスはいくつもの牧場を横目に走っていった。

やがて車窓には小中学校やコンビニが見え始め、バスは厚床の街に到着した。厚床では一旦厚床駅前を経由。この駅で根室本線の列車からも乗り継げるが、この日ここからの乗車はなかった。根室本線の記事でも書いたが、かつてここ厚床から中標津までの間には、標津線の支線が走っていた。以前は全線で一般の路線バスがその代替として走っていたが、現在は厚床~別海間のバスが廃止されている。このバスはその一般の路線バスの代替の役割も果たす。標津線支線の廃止代替バスの廃止代替バスになっているのである。根室駅前から乗車した乗客のうちの一人は、この厚床のバス停で下車していった。空港バスとは言え、沿線住民の大切な足になっている。

バスは厚床で国道44号線から国道243号線・244号線の重複区間へと入り、北へと進んでいく。国道243号線は網走を起点に美幌、屈斜路湖、摩周、別海などを経由して厚床へ続く国道。一方の国道244号線は斜里から知床半島の付け根、そして標津などを経由して厚床へ至る国道である。厚床の街を出ると、車窓には再び牧場が広がった。

バスはやがて風連川を渡った。この風連川は風連湖に注ぐ川。河口に近い場所は湿原となっていて、この国道もしばらく湿原の中を走っていく。この湿原周辺には建物がない。どこか外国の大草原を走っている道のような車窓が続く。このあたりでバスに乗車して1時間が経過した。しかし、空港はまだ果てしなく遠い。

やがてバスは国道243号線と244号線との交点となる交差点を左折。国道243号線を別海町方面へ向かった。国道244号線はここから根室湾の湾岸方面を目指す一方で、国道243号線は内陸へと入っていく。引き続きバスは真っ白な牧場の草原を車窓に見ながら走っていった。

厚床駅前を出て30分。ようやく次の大きな街である別海町の中心部に到着した。別海町は根釧台地の大部分の面積を占める町。また根室湾に突き出た半島である野付半島も先端部分は別海町に位置している。そんな面積の大きな街の中心部がここである。バスは市街地の中で各所を経由していく。まずは別海高校バス停に停車するため、国道243号線を離れた。バスは校舎の前のロータリを周り、高校の前に停車。ここでは1人の乗車があった。空港バスが高校のロータリーをまわるなんて、あまり見かけない光景だった。

別海町の市街地は、西別川という小さな川の両岸に形成されている。高校前を経由して、再び国道243号線に戻ると、この川を渡って、市街地の北側へ入った。どちらかと言えば市街地の北側の方が栄えているようで、こちらでは別海町交流館ぷらとと町立別海病院を経由するため、2度国道から離れた。別海町交流館ぷらとでは数分停車。運転士からトイレに行きたいことはいませんか?と放送があった。バスにはトイレがないので、中標津空港行に関してはここで申告すればお手洗いを利用できる。この交流館は標津線支線の別海駅の跡地に建てられている。今はこの周辺のバスやコミュニティバスが発着するバスターミナルになっている。

町立別海病院に立ち寄ったのち、再び国道へと戻り、引き続き北上。市街地の北側で国道は左折して西へ向かうが、バスはそのまま直進し、道道8号線へと入った。ここからまた30分ほどの間バスはアップダウンを繰り返しながら、牧場地帯の中を抜けていく。途中には上春別という小さな街があるが、それ以外は信号もなく、スイスイと進んでいった。

始発地である根室交通営業所前を出発し、やがて2時間が経過しようかというところで、バスはようやく空港が所在する中標津の街へと入った。中標津はこのあたりでは最大の規模を誇る街である。人口はおよそ2万2千人。実は根室市とほぼ変わらないか多いくらいの人口を有する街である。バスは直接市街地の中心部へは行かず、中標津高校前を経由するため、少し遠回りで中心部へ入っていく。途中にはロードサイド店舗が並ぶが、根室よりもバリエーションが多かった。

中標津の中心部へ入ったバスは、中標津ターミナルに到着した。中標津ターミナルはこの付近一円の交通ターミナルとなっている場所。釧路と羅臼を結ぶ国内第二位の運行時間を誇る阿寒バスの路線バスや標茶、標津など各方面へ向かうバスも発着している。バス停は簡易的だが、切り欠きが設けられていて、横に10台くらいが並んで停車できるようになっていた。ここでは、1人が乗車した。
中標津ターミナルも先ほどと別海町の交流館と同じくもともとは中標津駅があったところだった。中標津駅は標茶と根室標津を結ぶ標津線の本線にとっては途中駅だが、厚床までを結ぶ支線はここで本線から分岐する形になっていた。

中標津ターミナルを出ると、バスは中標津の市街地を抜け、町役場の横を通って空港へと走っていく。市街地と空港は10分かからない程度で近い。根室から約2時間30分、バスは終点の根室中標津空港に到着した。結局乗車したのは自分と、根室駅前からの2人、別海、中標津からのそれぞれ1人の計5人。座席数も多い羽田行に接続するバスだったので、もう少し利用者がいると予想していたが、想像以上に利用者は少なかった。
日本で最も東にある空港、根室中標津空港を初訪問

今回の旅は根室中標津空港から北海道を発つ。根室中標津空港は、根釧台地の真ん中、中標津町の市街地の北側に位置する空港で、北方領土を除く日本の旅客便発着の飛行場としては最も東に位置する空港である。北海道の空港の中でもマイナーな空港だが、中標津や根室の空の玄関口であると同時に知床の南側の玄関口としての役割を持つ。往路で使用したオホーツク紋別空港は、1日1往復だけという空港だったが、こちらは他の空港に比べれば便数はやや少ないものの、2社が3路線を就航させている。ANAは札幌(新千歳)便を1日3往復、東京(羽田)便を1日1往復、HACは札幌(丘珠)線を1日2往復運行している。東京への便はオホーツク紋別空港と変わらず1日1往復のみである。

発着便は多くないので、空港自体もこじんまりとしている。他の空港で例えるなら山形空港くらいの規模だろうか。1階にはANAとHACのカウンターがあり、2階には保安検査とレストラン、土産物店があった。保安検査を受ける前に土産物店に立ち寄って、何品かお土産を購入。大規模な土産物店ではないので、定番の北海道土産が多かったが、せっかくなので中標津のお土産を買って帰ることにした。

3階には小さいながら展望デッキがある。この空港はターミナルから駐機場を見たとき、知床の山々が目の前に見える。九州の鹿児島空港も目の前に霧島連山が見えていて美しいが、ここも空港の規模は違うがそれと似た雰囲気を感じる。この後、保安検査を受けて待合室へ進んだが、ここでもこの知床の山々を楽しむことができた。待合室で搭乗開始を待っていると、知床連山の景色をお楽しみくださいという旨の案内放送も流れていた。
この空港は、戦時中にこの地に海軍の飛行場が作られたのを起源とする。戦後一度は飛行場の役割を終えたが、1962年に再度飛行場となり、1965年には定期便が就航した。その後、滑走路長を延長するため、新しい滑走路が整備されて1989年に新滑走路が供用を開始、現在のターミナルは2008年にオープンした。航空写真を見れば一目瞭然だが、現在のターミナルビルと駐車場は、以前使われていた短い滑走路の途中にある。
中標津空港から1日1便だけの羽田便で北海道を発つ

さて、根室中標津空港からはANA378便羽田空港行きに搭乗し、この旅のスタート地点だった羽田へと戻った。この日の機材はAirbus A320neoだった。搭乗時のダイヤである2024年冬ダイヤでは、このAirbus A320neoかAirbus A321が充当されていた。現在(2025年夏ダイヤ)ではBoeing 737-800での運航となっている。場合によってはBoeing 767-300がやって来ることもあるらしい。Airbus A320neoは一昨年の秋の東北旅で羽田-大館能代線で搭乗して以来の搭乗となる。もともとは韓国や中国への短距離国際線用に投入された機材だが、コロナ禍に国内線でも運用を開始。現在は国内線の中小路線に就航する傍らで一部で国際線の運用をこなす形になっている。この日は前便もほぼ定刻通りの到着だったが、羽田空港周辺の混雑に伴う管制指示のため、出発は15分遅れの15時発となった。(写真は別の空港で撮影した搭乗機の同型機)

この日の搭乗率は7割程度。隣は直前まで空席だったが、外国人観光客の団体が指定したようで、通路側だけ埋まった。今回は26Aを指定。眺め的には右側の方が陸地がよく見えるはずだが、夕方の北海道・東北から羽田へ向かう便は西日が眩しいので、左側の方がいい。15時にはドアが閉まり出発。プッシュバックの後、地上走行を開始した。

中標津空港は誘導路がないため、滑走路の端まで行ってUターン。滑走路26から羽田空港へ向けて離陸した。離陸後は根釧台地を南東に向けて飛行する。次第に機窓には根釧台地の格子状防風林が広がり始める。この台地はほぼ全域でこの格子状防風林がつくられていて、航空写真でもそれを見ることができるが、機窓からだとそのスケールがよく分かる。

やがて機体を傾けて南に針路をとった搭乗機。釧網本線の上を飛行し、その後は同線の西側を飛行した。機窓には昨日通った標茶の街が見えていた。旅の中で通った場所をまた空の上から眺めるのは楽しい。地上ではよく分からない地形や周辺の景色もよく分かる。

標茶を眺めた後は、釧路湿原の上空を飛行して、釧路市街地方面へ飛んでいく。湿原は真下すぎて見えないが、機窓には塘路湖が見えていた。凍結した湖は氷の厚さによって模様ができていて、とても幻想的だった。奥の方が根室方面。写真ではわからないが、画面の右下から中央奥の方へ根室本線が走っている。

中標津や釧路を発着する飛行機は、釧路の市街地からしばらく洋上飛行となる。搭乗機は太平洋上でも高度を上げ、やがて巡行高度に到達した。まもなく操縦室からの放送が行われ、反対側には襟裳岬が見えるとの放送があった。ここから搭乗機は襟裳岬の沖を通過。太平洋を横断して、岩手県の上空へと進んだ。

飲み物が配られ、いつものアップルジュースで一息をつく。この日の北日本は雲が少なく。日が傾く時間だったため、機窓からの太平洋の景色も美しかった。やがて、搭乗機は三陸海岸の上空へと差し掛かり、普代村のあたりから東北地方の内陸へと入った。その後は三陸海岸、仙台市、そして福島県の浜通りの上空を飛行した。この日は東日本大震災の発生からちょうど14年が経った日だった。一方で、旅行日の数日前には大船渡で山火事が発生し、甚大な被害が発生した。大船渡は初めて三陸海岸を旅した際に宿泊した思い出の場所。とても被災地のことが心配である。機窓からもその大船渡や陸前高田、気仙沼など三陸海岸各地を眺めることができた。

その後仙台市の上空からは雲が広がり始め、機窓は雲に覆われた。この日はそれほど悪天候ではなかったのだが、関東周辺では小雨が降っていた。福島県の上空に差し掛かると、搭乗機は羽田空港へ向けて降下を開始。周辺を飛行していた新千歳や秋田などからの便とともに整列し、茨城県の上空で雲の中に突入した。

フライトレーダーで先行機の様子を見ていると、何機かが茨城県桜川市付近の上空でグルグルと旋回し始めた。この飛行機も中標津空港出発時点で管制から出発を遅らせるように指示されていたので、よほど羽田空港は混雑しているらしい。やがて操縦室からの放送が入り、羽田空港混雑のため、ここで15分ほど旋回するとのこと。一旦シートベルトサインが消灯となり、その後は同じ場所を5周ほど周回した。後ほど九州行の飛行機に搭乗した際の放送で明らかになるのだが、実はこのとき羽田空港の滑走路のうち1本が、落下物の確認のために閉鎖になっていた。そのため、この飛行機も待機の指示が出ていたらしい。同じ場所を高度を変えて何機かの飛行機が旋回。その後北米からの国際線が先に羽田空港へ向かい、その後に搭乗機も羽田空港へ向かった。

旋回を終え、羽田空港へ向けて飛行。この日はいわゆる都心ルートでの着陸だった。千葉県そして埼玉県の上空を飛行し、柏や松戸、越谷や川口などの都心北側の各地を眺めた。その後都心へと入り、池袋、新宿、六本木など都心各地を眺めて高度を下げ、羽田空港の滑走路16Lから着陸。羽田空港に到着した。

出発が15分遅れ、上空での待機もあったため、羽田空港には定刻から40分遅れの5時20分に到着。行きもサテライト発便だったが、帰りもサテライトに到着。そこからバスに乗車して、ターミナルには5時40分頃に到着した。このあとは九州便へと乗り継ぐ。定刻であれば、乗り継ぎ時間は2時間ほどあったので、定刻に着けば一度外へ出ようと思っていた。しかし、1時間ほど遅れたので、結局外には出ず、そのまま乗り継ぎルートへ進み、九州行きの飛行機に搭乗。この旅の全日程を終えた。
おわりに
今回の旅は初めての道東特化型の旅となったが、天気に恵まれて、3月の北海道の景色を存分に楽しむことができた。特に2日目に乗車した釧網本線と根室本線(花咲線)の車窓は、とても見ごたえがあり、北海道らしい景色の連続だった。初めて北海道を旅した際に乗車したものの、天気と日没の関係で景色をあまり楽しむことのできなかった釧網本線は、今回が2度目の乗り通しとなった。網走~知床斜里間ではこの時期ならではの流氷を車窓に楽しむことができ、真っ白な大地と湿原の車窓もまた幻想的だった。また、初めて乗車した根室本線(花咲線)では、湿原と厚岸湾、それに根室周辺の太平洋の車窓を楽しむことができた。中でも湿原の真ん中を走っていくその車窓は、まさに生きている地球と自然を実感できるものだった。同時に、石北本線では特急大雪、根室本線では東根室駅という数日後のダイヤ改正で廃止される列車・駅にも乗車・訪問することができた。特に東根室駅は日本最東端の駅として有名で、いつか行ってみたいと思っていただけに、最後の最後にはなってしまったが、実際に訪問することができてよかったと思う。
網走や釧路には過去の旅で訪ねたことがあったが、根室へ行くのは今回が初めてだった。根室の市街地から見た知床連山の美しさには圧倒された。ホテルの客室から眺めた夕日の美しさは、これからも忘れることはないと思う。納沙布岬では、目前に見える北方領土を眺め、北方領土の近さに驚かされた。それと同時にこれまであまり深くは知らなかった北方領土問題について、その経緯や現状について、学ぶきっかけにもなった。
北海道の鉄道路線の乗りつぶしは、残すところ札幌の近辺の路線のみとなった。地下鉄1路線、路面電車、そしてJR札沼線の3路線に乗車すれば、いよいよ全線完乗となる。今回は前回から半年経たないうちに北海道を旅したので、次回は来年になると思うが、その時には札幌近辺の鉄道路線を巡りながら、周辺の観光地にも足をのばしてみたい。
その他の北海道の旅行記
今回はじめて乗車した路線・区間
【鉄道路線】
根室本線 東釧路-根室間
【バス路線】
根室交通 納沙布線 駅前ターミナル-納沙布岬
根室交通 中標津空港線 根室交通営業所前-根室中標津空港
【航空路線】
ANA 羽田空港-オホーツク紋別空港
ANA 根室中標津空港-羽田空港