【旅行記】釧網本線と根室本線で納沙布岬を目指す旅〜ANA羽田-紋別線と無料送迎バスで遠軽へ〜

北海道最後の未乗ローカル線に乗車して、最東端の地根室へ
2024年秋に出かけた「特急宗谷と日本海オロロンライン路線バスで行く道北・稚内旅」では、札幌と稚内を結ぶロングラン特急列車である「宗谷」と日本海オロロンラインを走る路線バスを使って、日本最北端の駅と街、稚内を訪ねた。この旅では、日高本線と宗谷本線に乗車したが、この2路線を乗り終えたことで、道内のローカル線で未乗なのは、根室本線の東釧路~根室間のみとなった。実はこの最北端へ旅と同時に、この根室本線の未乗区間に乗車して、最東端へ行く旅も計画も始めていた。最東端へも比較的早い時期に行きたいと計画を練ってきたが、勘案の結果、3月上旬に旅に出ることとなった。
道東エリアを旅するのは、初めて北海道を旅した2021年秋以来となる。このときは札幌から特急おおぞらと釧網本線の普通列車を乗り継いで網走へ行き、そこで一泊した後、特急オホーツクで札幌へ戻り、さらに特急北斗に乗車して函館まで行った。この旅は北海道全体を周遊する形の旅だったので、道東をメインに旅するのは今回が初めてとなる。今回は根室本線の未乗区間を乗りつぶすことを最大の目的としながら、根室や納沙布岬を観光していく。
今回の旅では2021年の秋に乗車した釧網本線にももう一度乗車してみる。釧網本線は根室本線の釧路~根室間(通称:花咲線)と並んで、北海道の中でも絶景路線として知られている。前回乗車したときは、日が沈むのが早い時期だったため、知床斜里手前~網走間は夜間の走行となり、景色が楽しめず、また生憎の雨だったため、湿原の景色もどんよりしていた。道東を再度訪ねた際には、もう一度リベンジしたいと考えていたので、釧網本線への乗車もプランに盛り込んだ。
さらに今回は、行き帰りの飛行機もマイナーな路線を使ってみる。行きは羽田空港からオホーツク紋別空港へ飛び、帰りは根室中標津空港から羽田へ戻る。オホーツク紋別空港は羽田便しか就航しておらず、1日1往復しか便がない。また根室中標津空港は丘珠・新千歳への便は複数ある一方で、羽田便は1日1往復のみ。どちらも道内の空港としてはマイナーな空港で、なかなか使う機会はないが、今回はこの空港を利用して、いい感じの旅程を作ることができた。
3月上旬に出かけた今回の旅だが、飛行機を予約しようとした段階では4月に実行する予定だった。しかし、予定した日の航空券が高く、3月に行こうと思っていた場所は、格安きっぷで混雑が予想されたため、入れ替えて道東旅を3月に企画した。北海道では、昨年夏の時点の報道で、特急大雪の特別快速化と東根室駅の廃止が公になっていたが、4月に旅に出る予定だったので、どちらもなくなっているはずだった。しかし、結果的にはダイヤ改正の1週間前の旅行となったため、運よくどちらにも乗車・訪問することができた。
今回もいつもと同じ形で前日のうちに羽田空港に到着。本来別の場所へ行くつもりだったので、蒲田駅前に宿を取っていたが、これをそのまま流用して蒲田駅前に一泊。翌朝、蒲田駅前から京急バスに乗車して、羽田空港へ戻り、北海道への旅の1日目がスタートした。
ANAでオホーツク紋別空港へ飛ぶ

出発時刻の2時間前には羽田空港に到着。まずはターミナルの展望デッキへ上がり、しばらく空港を行き交う飛行機を眺めたり、撮影したりしていた。その後、保安検査場を通過して、制限エリア内へ。今回は(個人的には)運よくサテライト発だったので、バスラウンジへ向かい、その端にあるサテライト行バスのりばから連絡バスに乗車して、サテライトへ向かった。
サテライトは第二ターミナルの北側にある。小さなターミナルに46番から48番の3つの搭乗口が設けられており、主に小路線や中小型機材運行の便を中心に使用されている。搭乗口が3つだけなので、これまでなかなかサテライト発着便に当たったことがなく、サテライト発の便に当たったのはこれが初めてだった。そんなわけで個人的には当たりだったが、バス移動が必要となり、館内の設備も最低限なので、一般の利用者にとってはハズレかもしれない。ただ、多くの人が行き交うターミナル本体と異なって、とても静かなためとても落ち着いたラウンジのような雰囲気の中で飛行機を待つことができるのは大きなメリットだと思う。
ちなみにこのサテライトは、2025年3月19日から第二ターミナルの本体と接続され、現在は第二ターミナルの北側の端に組み込まれている。第二ターミナルとサテライトの間には、かつて国賓や要人が使う貴賓室の建物があった。羽田空港ではこの貴賓室をサテライトの北側へ移設し、従来の貴賓室を取り壊した上で、第二ターミナルとサテライトを接続しつつ、搭乗口を増設する工事が行われていた。搭乗日から10日ほど経った3月19日にこの接続部分の供用が開始され、従来の46番~48番搭乗口が47番~49番になったほか、49番搭乗口から第二ターミナル本体との間に50番から52番の新しい搭乗口が新設された。バス搭乗なしで搭乗口へ行け、バスでの搭乗便も減少するため、利便性は向上する。しかし、保安検査場からは10分ほど歩く必要が生じるので、所要時間的には大きく変わらない。

今回の北海道旅は羽田から北海道へ飛び、帰りもまた北海道から羽田へ戻ってきて、九州への飛行機へと乗り継ぐ。北海道本土にある10空港のうち、羽田線が就航しているのは丘珠を除く9空港である。今回の旅ではその中でもマイナーな紋別と中標津の2空港を使ってみる。羽田空港からは10時35分発のANA375便、オホーツク紋別空港行きに搭乗した。
紋別空港はオホーツク海側に面する紋別市に所在する空港である。一般的にはかなりマイナーな空港だが、航空・交通ファンにはとても有名な空港となっている。というのもこの空港、就航している路線が羽田線のみで、空港自体の発着便が1日1往復しかない。これから搭乗する便が、この日唯一の到着便であり、その折り返しの便が唯一の出発便となっている。羽田空港との路線を持つ空港の中では一番便数が少ない空港である。
マイナーな路線でありながら、この路線は冬から春にかけては利用客が増える。オホーツク海側の各地は冬になると流氷が到来することで知られ、多くの観光客がこの流氷を目当てに訪れる。紋別もまた流氷の街として知られ、これから利用する便も冬季は流氷目当ての観光客が多く利用する。都内発のツアーもこの路線に搭乗して、紋別で流氷船に乗船するものが多い。
また、近年は修行僧と呼ばれるマイルを貯めて航空会社の会員サービスの上級会員を目指すことを目的に飛行機に搭乗する人たちの間で「紋別タッチ」が流行り、これを目当てに搭乗する人も増えていた。紋別タッチとは、羽田-紋別間を往復してマイルを貯める方法のこと。紋別空港は搭乗便が折り返し羽田行となり、空港内もとてもコンパクトなので乗り遅れる心配もない。また、流氷の時期以外は比較的空いていて、東京とは対照的な景色・雰囲気を楽しめるとあって、特にコロナ禍を中心に流行った。中には50回以上タッチした人もいるらしい。ただ、最近はタッチ客は減少しているらしく、紋別空港で行われていたタッチ客向けの利用促進策が年度末をもって終了することが発表されている。タッチ客は往復で利用することもあって、この路線の維持に一役買っていた。そのため、以前の紋別空港ではタッチ客の出迎えも行われていた。

自分も以前からこの路線はとても気になっていて、いつか搭乗してみたいと思っていた。マイル修行僧ではなく、また紋別が最寄りの駅から少し離れていることもあって、なかなか使う機会がなかったが、今回は紋別空港スタートでいい感じの旅程を作れることができたので、このタイミングで使ってみることにした。
使用機材はBoeing 737-800。現在の羽田-紋別線は1年を通じてこの機材で運航されている。以前はもう少し小さなBoeing 737-700やBoeing 737-500も使用されていたが、どちらもANAから退役している。この日の搭乗便は、旅行会社のツアー客の利用が多く、予約した時点でほぼ満席となっていた。最初は翼上席しか指定できなかったが、翼のかからない位置の窓側が空いたので、こちらに座席変更した。普段は基本的に後方座席にしか搭乗しないが、今回は久しぶりに前方の席を利用してみることにした。いつもANAのB738に搭乗するときは、新仕様機に当たらないかなと思っているが、なかなか当たらない。今回も一般的な仕様の機材だった。(写真は福岡空港で撮影した搭乗機の同型機)
乗車(搭乗)記録 No.1
ANA375便
羽田空港→オホーツク紋別空港
Boeing 737-800

10時15分には搭乗開始となり、改札を通過して機内へ進んだ。搭乗は比較的スムーズに進み、10時30分には搭乗が終了してドアが閉まった。隣の2席もツアー客で埋まったが、通路側に座った女性が、見知らぬ中央席の男性にずっと話しかけていて、煙たがられていたが、最終的には上昇後に座席移動していき、その後は通路側が空いた状態となった。サテライトからほぼ同じ時間に出発する庄内空港行のプッシュバックと、到着便の通過を待ったため、ドアが閉まった後は出発まで少し時間がかかり、10時45分ごろにプッシュバック。その後は滑走路へ移動し、11時5分ごろに滑走路34Rから離陸した。

北日本方面路線に搭乗したときのお楽しみと言えば、東京の街を見下ろす機窓。江戸川上空を飛行して高度を上げる飛行機は江戸川区や葛飾区、さらには千葉県の市川市や松戸市などを眺めて飛行していく。この日は雲も少なく、広い関東平野を一望することができた。写真右側は高砂や金町周辺で、京成高砂駅に併設された車両基地や北総線の線路も車窓から楽しむことができた。

都内から埼玉県の上空へ進み、その後は鉄道でいうところの関東鉄道常総線の周辺の景色を見ながら引き続き上昇。その後栃木県内へと入り、宇都宮の上空へと差し掛かると、前回の旅で乗車した宇都宮ライトレールの終点、芳賀・高根沢工業団地駅隣の本田技研工業の工場・研究所にあるテストコースが機窓からはっきりと見えた。地上にいると、周辺がどんな場所なのかあまりよく分からないが、上空からだとよく分かる。一か月前に旅した場所を上空から見るというのはなんだか不思議な気分になるが、最近は結構割と頻繁にこういうことが起こる。

那須塩原市の上空を飛行するあたりから、機窓の景色も雪化粧し始めた。福島県へと入ると、巡行高度へ到達。機内では飲み物の提供が開始され、いつものりんごジュースで一息つきながら、機窓の景色を楽しむことができた。その先、福島市から仙台市にかけてはやや雲が出ていたが、大崎平野あたりへ差し掛かると、再び雲が晴れて雪景色の機窓が見えた。写真の山は栗駒山。その後は北上川流域の各地を見ながら、奥羽山脈の上を飛行した。

奥羽山脈の上空を順調に飛行していた飛行機だが、先行機から揺れる箇所があるとの情報があったようで、念のために一時サービスが中断され、シートベルトサインが点灯した。どうやら岩手県から青森県に県境付近に揺れる箇所があったらしい。機窓には盛岡や岩手の名峰、岩手山が見えた。今だ地上からはきれいに見れていない岩手山。春の旅で盛岡へも行く予定なので、その時は見れるだろうか。結果的にはほとんど揺れることはなく、サイン点灯から10分ほどで消灯した。

岩手県上空から青森県上空へと進んだ搭乗機。八戸市を眺め、小川原湖や米軍三沢基地・三沢空港を眼下に見ながら飛行し、その後は下北半島の上空を飛行した。新千歳へ向かう便は、このあたりから徐々に高度を下げ始めて、新千歳空港への着陸列へ並んで行く。一方で、紋別空港はまだまだ先なので、この先もしばらく巡行が続く。この日は少し前を稚内行の便が飛行していて、フライトレーダーを見ると、2機が仲良く北を目指していた。

下北半島の先端の一つ尻屋崎を眺めた後は、しばらく洋上飛行となり、搭乗機はいよいよ北海道の上空へと進んでいく。やがて機窓には北の大地が広がるが、この日の北海道は雲が出ていて、日高あたりの景色が見えた以降はしばらく雲の上を飛行した。札幌より北側の空港を使うのはこれが初めてだった。

北海道の陸地へ到達したあたりで、搭乗機は紋別空港へ向けて高度を下げ始めた。夕張市や富良野市の上空を飛行していくと、時々雲の間から雪を積もらせた大地が見えた。旭川市街地の南を飛行すると、紋別空港まではあと少し。雲の中をしばらく飛行し、紋別空港へ向けて高度を下げていった。

雲を抜けて最終の着陸態勢へと入った搭乗機。機窓には北海道らしい真っ白な大地が広がった。1時間前の東京都内の機窓とは、対照的な機窓である。この日は滑走路32からの着陸となった。ここ数日のフライト履歴を確認すると、反対側から着陸していることが多いようだったので、進行方向右側の座席でオホーツク海を見るのは難しいかなと思っていたのでこれはラッキー。やがて機窓の奥の方にはオホーツク海が見え始めた。

左へ旋回し、滑走路へ向かう搭乗機。右側の機窓にはオホーツク海が広がった。写真ではちょっとわかりにくいが、海の上には流氷が浮かんでいた。この時期に道東に来たのは初めてなので、もちろん流氷をこの目で見たのもこれが初めてだった。こちら側の席に座っていた乗客は皆カメラを向ける。3月も中旬へと突入しようとしていたので、流氷を見るのは難しいかなと思っていたが、今年は流氷の到来が遅かったこともあって、まだまだ道東は流氷の季節が続いていた。

搭乗機は紋別空港の滑走路32から着陸。この空港には誘導路はないので、端まで行ってUターンし、駐機場へと到着した。紋別空港は定期便が1日1往復しかないため、ボーディングブリッジも設置されていない。小型機は縦に3機並んで駐機できるようになっているが、定期便はターミナルの前に横付けする形で駐機する。羽田を離陸して1時間25分ほどで紋別空港に到着。羽田空港で離陸にやや時間がかかったので、定刻より20分ほど遅れての到着となった。

タラップの取り付けが行われた後、ドアが開き降機となった。暖かな陽気に包まれていた東京都内とは対照的に、北海道はとても寒く、吹き付ける風はとても冷たかった。降機後は歩いて出口へ進んでいく。歩いてターミナルまで降機というのは、珍しいことではないが、Boeing 737-800型機でこれをやってる空港はおそらく全国でもここと下地島くらいだと思う。横付けの飛行機からターミナルへ歩くのはなんだか海外へ来た気分になる。各地の空港で撮影していると小さく見えるこの機材も、間近で下から見るととても大きく感じた。

ターミナルには「OKHOTSK MONBETSU」の文字。オホーツクはロシア語だが、英語表記だとこうなるらしい。ターミナルもとてもコンパクトで、中へ入り、待合室で待つ乗客を見ながら出口へ進むと、手荷物受取所があってすぐに出口となる。今までの旅で大館能代や三沢など小さい空港もいくつか使ってきたが、ここはそれ以上に小さい。北海道の本土でありながら、離島の空港のような雰囲気が漂っていた。

オホーツク紋別空港は1999年に開港した空港である。建物はとてもコンパクトな2階建て。現在はANAのみの就航のため、搭乗カウンターもANAのみ設置されている。その前に土産物店と軽食コーナーがある。2階には展望デッキがあり、デッキから飛行機を眺めることも可能である。昼過ぎの1日1往復のみしかないため、開館時間も9時~17時までと短い。売店や軽食コーナーは14時頃には閉店してしまう。
この空港はこのエリアでは二代目の空港である。初代の紋別空港は1966年に開港。現在の場所から南東へ少し離れたコムケ湖とシブノツ゚ナイ湖の間にあった。その後、紋別を通る名寄本線が廃止されると、航空機が域外への貴重な交通機関となった。しかし、初代の空港は滑走路が短く、両側を湖に囲まれているため、滑走路の延長ができなかった。そこで、現在の場所に新しい空港が整備された。
新空港開港時はANK(エアーニッポン)が新千歳線を就航。その後札幌線はANKやHAC(北海道エアシステム)が新千歳・丘珠線を就航させてきたが、利用者の減少から2006年に運航を終了(後述のANAの乗り継ぎ便を除く)した。一方、羽田線は開港当初は就航しておらず、ANKが翌年2000年の7月から就航させた。その後、ANAへ移管させた後も運航が続けられ、今日に至っている。ただし、2011年~2013年の10月から翌年1月末にかけては、当路線を一旦休止し、新千歳-紋別間を運航。乗り継ぎ便として対応していた時期もある。札幌線がなくなり、札幌へは陸路でしか行けなくなったため、この周辺では、札幌よりも東京の方が圧倒的に所要時間が短い。
この時期は流氷目当ての観光客が多い繁忙期で、搭乗率もいいのだが、それ以外の時期は利用者の数も少なくなる。周辺自治体では、空港利用促進の取り組みとして、住民向けに航空便利用に対する助成を行っている。今回搭乗した便はツアー客と自分を含めた一般の観光客が大半だったが、中には某夢の国や羽田空港で買ったお土産をもつ東京への観光客の姿もちらほらあった。
湧別・遠軽行きの無料送迎バスで遠軽へ
オホーツク紋別空港からは最寄り駅である遠軽駅へ向かう。紋別から遠軽へは、一般の路線バスも運行されているが、航空便を利用すると、送迎バスを利用でき、無料で遠軽まで行くことができる。この無料送迎バスも紋別空港独自の利用促進策の一つ。紋別空港から遠軽までは40kmほど離れているが、ここを無料で移動できるので、とてもありがたい。
無料バスは湧別。遠軽方面のほかに紋別市内行きも運行されている。こちらは北紋バスが運行する路線バスの運賃を紋別市が負担する形で運航されている。紋別空港から紋別市街までの所要時間は15分ほどである。一方でこれから乗車する遠軽行のバスは、この地のANAの代理店となっている紋別観光振興公社が運行している。前者が路線バスとして運行され、誰でも利用できるのに対して、こちらは貸切バスとして運行され、航空便を利用する人のみが利用できる予約制での運行となっている。
予約は搭乗日の1ヵ月の月初から搭乗日の3日前までの受付で、紋別観光振興公社へ直接電話する。紋別空港に到着すると、出口にところに「湧別・遠軽行送迎バス」と書かれた案内を持った運転手が経っているので、声を掛け、予約した名前を伝えると乗車できた。名前を告げると、バスプールに停車しているミント色のバスに乗車して待つように伝えられた。

乗車したのはこちらのミント色のローザ。紋別観光振興公社が主体となっているが、運行自体は北海道北見バスに委託されているらしい。北海道北見バスは、北見や遠軽などの道東西部で路線バスを運行しているバス事業者。遠軽にも営業所を持ち、紋別と遠軽を結ぶ路線バスは北紋バスとの共同運行を行っている。
このバスは貸切バスのため、路線バスへの乗車とは意味合いが異なる。このブログは基本、公共交通を対象に扱っているが、紋別空港から遠軽まで40分ほどの景色もまた北海道らしい見ごたえがある景色なので、ここに書き留めておく。このあたりの路線バスはいずれ旧名寄本線ルートでのバス旅を企画した際に乗車したいと思っている。

紋別空港では8人ほどが乗車。自分と同じ観光客が3人、地元の乗客が5人といった感じで、乗車した便に関しては地元客の方が多かった。バスは空港を発車し、空港前を走る国道238号線へ右折し、湧別方面へ向かう。反対に行けば紋別市街となる。先に紋別市内行きも発車していったが、こちらは何人か立ち客が発生していた。
この国道238号線は稚内と網走の間をオホーツク海沿岸を経由して繋ぐ国道である。日本最北端の地である宗谷岬の前を通るあの国道も、国道238号線。ということで、この国道を走るのも数か月ぶりということになった。全長は319.6kmあり、3桁の国道の中では一番長い。
国道へと入ると、その後はひたすら牧場地帯を走っていく。3月上旬のオホーツク海沿岸は、まだまだ冬の景色が広がっている。また、羽田を離陸してから2時間ほどしか経っていない。数時間前と目の前に広がる風景が違い過ぎて、空港に着いたときはここはほんとに北海道かなんて思っていたが、この牧場地帯の車窓を見ると、北海道に来たんだなという実感が湧いた。時々遠くにオホーツク海が見え、流氷が浮かんでいるのが見えると共に、流氷船らしき船が航行しているのが見えた。

この無料送迎バスは遠軽だけでなく、湧別、中湧別、上湧別の3か所でも降車することができる。この日は途中で降りる乗客はおらず、全員が遠軽までの利用だった。路線バスではないので、下車しない箇所は通過するどころかそもそも経由しない。バスは湧別川の手前で右折し、その後道道712号線経由で中湧別の街中へと入った。
バスが途中で経由する湧別は、かつて名寄本線とその支線、さらに湧別と網走を結んでいた勇網線が走っていた場所だった。中湧別では遠軽から来た線路が紋別、湧別、網走の3路線へと分岐していた。現在はいずれも廃止されていて、町内に鉄道は走っていない。これからは網走へ行くので、できれば旧湧網線ルートで旅してみたかった。しかし、湧別と網走の間の廃止代替バスは既に廃止されており、この区間を交通機関て移動するのは非常に難しくなっている。一応、現在も佐呂間でバスを乗り継げば行けるらしいが曜日限定のため非常に難易度が高い。

中湧別からは国道242号線へと入り、後はこの道をひたすら進めば遠軽へ到着となる。国道242号線は湧別から遠軽、留辺蘂、陸別、足寄などを経由して、幕別で国道38号線にぶつかる国道である。湧別町の人口は8,000人ほど。この国道242号線沿いに街が点在している。雪はだいぶ解けているようだったが、まだ歩道と車道の間には除雪した雪が高く積もっていた。

中湧別を出ると、しばらくのどかな景色の中を走って、上湧別へ向かう。途中にはチューリップ公園がある。ここでは5月頃にチューリップが咲き誇り、周辺の観光名所の一つになっているらしい。チューリップ公園を通りすぎると、まもなく上湧別へ。再び住宅が立ち並ぶ中を走り小さな街を出ると、再び田園地帯を走っていった。

上湧別からしばらく走ると、バスはいよいよ遠軽の街中へと入っていく。遠軽はこの周辺の中核的な町。国道沿いにはチェーン店をはじめとしたロードサイド店が多数並んでいる。しばらくこの景色の中を進むと、やがて遠軽の中心部へ入ると、道沿いに遠軽ターミナルが現れる。バスはターミナルの前の交差点を左折し、ターミナル横に停車。ここでバスを下車した。

紋別空港からはおよそ40分、羽田空港を離陸してからは2時間45分ほどで遠軽に到着した。約3時間前まで羽田空港にというのがなんだか信じられないが、それもまた航空路線の偉大さだと思う。バスに乗車していた地元の乗客は、家族の出迎えを受けて自家用車に乗り換えていた。
北海道北見バスの遠軽ターミナルは、遠軽のターミナルであると共に、この周辺エリア一円の交通ターミナルの役割も果たしている。紋別行のバスもここが始発。紋別まで行くバスは少ないが、湧別までの区間便もあり割と本数は多い。ここからは札幌行の都市間バスえんがる号も出ている。以前は旭川行のバスも発着していたが、現在は運行されていない。ターミナルは遠軽駅から徒歩2・3分の場所にある。
遠軽に到着した後は、この日の宿泊地である網走へ向かう。遠軽駅からは数日後に特別快速に格下げされる予定の特急大雪に乗車し、網走へ向かった。
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