【旅行記】三角線と熊本電鉄の小さな旅~熊本電鉄菊池線の移設区間に乗車する~
前話
三角線の列車で三角駅まで往復し、再び熊本駅へと帰ってきた。ここからは今回の旅を企画した最大の目的の熊本電鉄に乗車しに行くが、その前に熊本駅を発着する列車を観察した。
熊本駅にやってくる列車たちを眺めて上熊本駅へ

乗車した三角線の普通列車の後ろを走ってきたのは821系の普通列車銀水行。銀水は鹿児島本線の熊本側から福岡県に入って2駅目に位置する駅で、大牟田駅の隣にある駅である。熊本方面からの普通列車は、朝夕を中心に大牟田発着となる列車があるが、日中は基本的に大牟田の市街地の端にあたる銀水駅発着で運転されている。JR九州の普通列車は市街地の中心駅から少し進んだ場所が起終点になることが多い。821系は2018年に南福岡電車区に配置され、最初は福岡地区を中心に運用された。その後熊本エリアでは415系で運用されていた列車を入れ替える形で2021年3月改正でデビューしている。さらに昨年9月のダイヤ改正では、全編成が熊本車両センターへ転籍し、現在は熊本に拠点を置きながら、鹿児島本線門司港~八代間、豊肥本線熊本~肥後大津間、福北ゆたか線などの幅広い範囲で運用されている。熊本に転籍後、熊本エリアでは日中時間帯の運用も開始。運用自体は別だが815系や817系に混じって運用されている。

ホームが変わって2番のりばに停車していたのは、特急九州横断特急3号大分行。特急九州横断特急は、2004年3月の九州新幹線部分開業時に豊肥本線を走っていた特急あそと、鹿児島本線・肥薩線を走っていた急行くまがわの系統を一本化し、別府~熊本・人吉間で運行を開始した特急列車である。以前は別府~人吉間を走っており、所要時間は4時間30分ほどかかっていたので、長距離・長時間運行の特急列車として知られていた。また、肥薩線側の終点人吉駅では、吉松方面へ向かう観光列車いさぶろう・しんぺいと接続し、一時期の熊本~鹿児島中央の観光列車乗り継ぎルートの一翼を担った。その後、2016年3月改正で運行区間が再編され、別府~熊本間の運転となり、鹿児島本線・肥薩線の熊本~人吉間の特急列車の運行が一旦廃止された。しかし、その数週間後に熊本地震が発生。豊肥本線部分的に再開したものの肥後大津~阿蘇が4年以上に渡り運休となった。2020年の全線再開後は、熊本~別府間で2往復の九州横断特急が運転されているが、週末を中心に朝の熊本発と午後の別府発があそぼーい!での運転となっているため、定期列車としての九州横断特急は、わずか1往復のみの設定となっている。車内にはちらほら訪日外国人の姿があった。しかし、熊本地震とコロナ禍という2つの困難に見舞われた豊肥本線特急は過去ほどの乗客回復には至っていないようである。

熊本駅の夕方の鹿児島本線上りは以前からちょっと面白い列車が発着する時間帯になっている。というのも、以前は南福岡や大分などに所属していた415系が熊本へのラッシュ対応を終えて福岡方面に帰る時間帯となっていたため、過去には熊本発海老津行きと熊本発箱崎行の普通列車が運転されていた時代があった。近年は徐々に運転区間が短縮され、片方は鳥栖行に、もう片方は福間行きとなった後に博多行きとなったが、昨年9月のダイヤ改正で熊本での415系の運用がなくなってしまった。しかし、それと同時に昨年9月のダイヤ改正では、15時台に熊本発門司港行の区間快速が設定され、まさかの熊本から門司港へ行く列車の運行が始まった。そして、その一本前の熊本発鳥栖行普通列車は4両編成での運転。熊本での815系や817系を使用した4両編成は基本的に朝しか見られず、最近は下りの八代方面の夜間に4両編成の設定があったものの、夕方の運転はなかった。過去の記憶を思い返すと確か10年ほど前にやはり八代方面の列車に設定があったと思うので、夕方の815系・817系の設定はイベントの増結を除いておそらく10数年ぶりになると思う。日によって815系の4両か815系と817系の4両になるらしいが、この日は2形式混結の4両だった。この列車に一駅だけ乗車して次の上熊本で下車した。
乗車記録3
鹿児島本線 普通 鳥栖行
熊本→鳥栖 817系+815系

上熊本駅に到着。817系と815系の混結列車を見送る。以前はクロスシートとロングシートで設備に差があった両形式だが、817系がロングシート化されたため、どちらもロングシートとなった。熊本では815系とともに主力だった817系だが、821系の投入で突き出される形で鹿児島へ転籍した車両もあり、現在は4編成まで数を減らしている。転換クロスだった時代のように乗る列車が817系か815系かを調べて乗るほどではないものの、ロングシート化されても817系の方が座り心地はいいので、817系が来たらそちらに座ってしまう。

上熊本駅もまたここ数十年で大きく変わった駅の一つである。今はどうか知らないが、813系や815系の方向幕には上熊本が入っていた。今は普通の島式ホームで折り返すことは設備上できないが、以前は駅のホームとしては2面3線が用意され、さらに貨物の取り扱いもある広い駅だった。さすがに自分もそのころの上熊本駅のことは知らない。新幹線の工事が始まると、現在と同じような島式の仮設の駅へと変化。新幹線開業までは特急有明も停車していた。新幹線開業後は、在来線の高架化のため新幹線の高架下へホームがお引越し。その後高架化となり、現在の駅となっている。以前は市街地側にしか出入口がなかったが、現在は裏側に小さなロータリーができている。上熊本駅の西側も住宅街が広がっていて、大きく迂回する必要がなくなった。駅にはスーパーなどが入る商業施設が設けられているが、隣の熊本駅まで3分ということもあってか、以前あったドラッグストアがなくなっていて空き店舗が目立った。市街地中心部へもそう遠くなく、バスで10分~15分で行くことができる。
上熊本から北熊本へくまモン電車に揺られる

JRの駅の正面にある熊本電鉄菊池線の上熊本駅。路線上は菊池線の始発駅だが、系統は北熊本で別れていて、運行上は藤崎宮前~御代志間が本線、上熊本~北熊本が支線という方が正しいかもしれない。路線名が物語る通り、もともとは熊本県の県北に位置する菊池市まで路線が延びていた。現在も熊本電鉄バスが熊本市街と菊池市の間で路線バスを運行している。菊池市の路線バスのターミナルとなっている菊池プラザはかつての菊池線の終点菊池駅だった。熊本電鉄の駅自体は自分が初めてこの路線に乗車した20年前からほとんど変わっていないように思う。しかし、JRの駅舎が大きくなったのもあって、何気に通るとその存在を忘れそうである。以前は周りに大きな建物がなかったのでもう少し目立っていた。

遠くから電鐘式の踏切の音が聞こえるとまもなく列車が姿を現した。くまモンがいたるところに描かれた車両は、もともと東京メトロ銀座線で活躍していた01形電車。現在銀座線からは全車両が撤退済みだが、そのうちのわずかな車両が熊本の地で活躍を続ける。一時期、銀座線でもキャンペーンの一環としてほぼ同じデザインの車両が走っていた。01形はもともとは三線軌条方式で集電する車両であるが、熊本電鉄への移籍に際し、大規模な改造工事を実施。現在はパンタグラフが装備され、台車も履き替えとなっている。ちなみに銀座線は標準軌、熊本電鉄は狭軌を採用していて軌間も異なる。
乗車記録4
熊本電鉄菊池線 普通 北熊本行
上熊本→北熊本 01形

車内は銀座線時代の面影を残しているが、くまモンがいたるところにラッピングされている。コロナ禍以前は訪日外国人にも人気があり、観光客輸送とは縁遠い地方私鉄にも観光客が押し寄せていた。コロナ禍で一時期そのような光景も見られなかったが、また再び脚光を浴びる日は来るのだろうか。
発車直前にJRからの乗り換え客が何人か小走りで乗り換えてきたものの車内はまだ空いていた。しかし次の韓々坂と池田から割とまとまった乗車があって座席は一気に埋まった。池田を出るとトンネルを1つ通りすぎる。熊本電鉄唯一のトンネルで、北側から熊本市街地に迫り出している台地をトンネルで貫く。この台地の先端にあるのが熊本城。トンネルを抜けると車窓にも熊本城が見える。トンネルの上には国道3号線の旧道である県道303号線が通っていて、熊本市街から植木・山鹿方面へ向かうバスがここを頻繁に通っている。熊本城の堀の一部となる坪井川を渡り、S字を描くように走ると、まもなく藤崎線の線路が近づいてきて終点の北熊本へ到着となる。所要時間はわずか8分。菊池線のこの区間は終日ピストン輸送なので短い支線の雰囲気が漂っている。

北熊本駅では対面での接続で御代志行の列車に乗り換える。上熊本方面からの乗客の大半は自分と同じように御代志行へと乗り込んだ。北熊本駅は熊本電鉄の運行上の拠点となる駅で、車両基地が併設されている。熊本電鉄の本社はこの駅にはないが、駅から南にわずかに歩いた場所にある。北熊本といえば九州自動車道に北熊本というサービスエリアがある。確かに市内中心部から見た方角は北熊本駅も北熊本SAも同じだが、直線距離で7.5kmほど離れている。01形の隣に見えるシルバーの車両は静岡電鉄から移籍してきた1000形電車。夕方以降の運用に備えて入換の準備が進められていた。
北熊本で乗り換えて移設区間を乗りつぶす

北熊本から乗車したのは03形による御代志行。こちらの03形はもともと東京メトロ日比谷線で活躍していた車両である。この車両は日比谷線で活躍していた頃の外観、内装がほぼ保たれていて、車内にはいまだに日比谷線時代の広告が張り出されている。03形といえば今年春に行った北陸鉄道石川線でも乗車した。北陸鉄道、熊本電鉄のほか長野電鉄にも移籍車がいて、地方私鉄を支える存在になっている。
乗車記録5
熊本電鉄菊池線 普通 御代志行
北熊本→御代志 03形
夕ラッシュが始まりかけていて、車内は学生の姿が多く見られた。北熊本を出た列車は、堀川、須屋など郊外の住宅地の中を走っていく。並行する道路には同社の路線バスが走っている。ずっと鉄道と並行しながら熊本市中心部~御代志~菊池を走るバスがあるほか、熊本電鉄とJRの豊肥本線との間に広がる光の森や武蔵ヶ丘などの住宅街へと入っていくバスもあり、中心部に近づくにつれて鉄道と並走するバスの本数も多くなる。須屋を出るとまもなく九州自動車道とクロスする。ここまで来ると車窓も若干緑が増えて、車内の混雑もかなり落ち着いた。

列車は熊本高専前に到着。その名の通り駅にほぼ直結する形で国立熊本高専熊本キャンパスがある。もともとこの駅は電波高専前駅という名前だったが、当時の熊本電波高専が県南の八代市にある八代工業高専と合併し熊本高専となったため、この駅も熊本高専前駅へと改称された。全国には国立、公立、私立合わせて57校の高専があるらしいが、この駅は全国で唯一高専が駅名に入る駅である。
さて、この駅からがやっと今回の小さな旅の本題へと入る。以前は並走する国道とそのまま並走して御代志駅へと向かっていたが、移設後は写真のように国道から離れてやや右へとカーブする。熊本高専前までの区間は、地方私鉄らしい架線柱が並び、乗り心地もよいとは言えない線路だったが、突然真新しい軌道と架線柱が姿を現し、乗り心地も急によくなる。このカーブの起点から御代志駅までが移設区間。列車はまもなく中間にある再春医療センター前へと到着した。

再春医療センター前駅も国道沿いにあった駅が移設されている。名前の通り、再春医療センターという病院の最寄り駅だが、熊本高専前駅と同じくこちらも名前が変わった駅で、もともとは再春荘前という駅だった。隣接する国立療養所再春荘病院という病院が、組織の改編で国立病院機構再春医療センターという名前に変わっている。このあたりは戦後、国の機関や学校、病院が多く建設されている。言うなれば、"超ミニ版のつくば"的な場所である。
再春医療センター駅から御代志駅は目と鼻の先。再春医療センターからは踏切を一つ通って御代志駅へ到着した。これでわずか0.7kmの未乗区間の乗りつぶしを完了。熊本電鉄の全線および熊本県の全線完乗を再び達成した。移設され200mほど北熊本側に移設された御代志駅。移設前まで電車のホームとバス停が隣り合わせになっており、バスと電車を対面で乗り換えられる駅だった。移設後は島式のホームとなりバス停とは完全に分離された。将来に備えて1面2線の配線にできるように考慮されているが、現在はホームの片方のみにレールが敷かれている。
立派な駅に生まれ変わった御代志駅とその周辺

移設前の駅には駅舎などなかったが、移設後は立派な駅舎が用意され、定期券の発売窓口も営業を開始した。駅の変貌ぶりに驚きを隠せない。平成を通り越して昭和の鉄道感満載だった御代志駅も立派な令和の駅へと生まれ変わっている。駅前はバスロータリーとなっており、菊池方面、熊本市街方面それぞれのバスがロータリーへと入って来る。菊池方面からの路線バスでこの駅で下車し、電車に乗り換える通学者、反対に電車を降りてバスに乗り換える通学者がそれぞれいて、やはりこの駅で電車とバスを乗り換える人が多いようだった。なお、菊池方面、熊本市街方面以外にも合志市のコミュニティバスも発着しており、光の森駅へ向かうこともできる。また、朝夕のみ再春荘医療センター発着で七城という場所を経由して菊池に向かうバスがある。以前の熊本電鉄バスの路線はこのあたりで複数の系統が枝分かれして菊池市や山鹿市へ向かっていた。

駅のロータリーには立派なモニュメントまで設置されている。駅の裏手には国立療養所菊池恵楓園があり、駅の北側には農業公園カントリーパークと呼ばれる大きな公園がある。御代志駅があるのは合志市という市である。合志市は熊本市の北東方向に位置する市で熊本県の中でも近年人口増加が著しい街として知られる。毎年東洋経済新報社が発表する住みよさランキングの九州地区にも置いても毎度上位にランクインし、今年も同じ熊本県の人吉市に次ぐ第二位だった。子育て支援策が充実しており、新興住宅地が次々と開発されているため、熊本市近郊に戸建て住宅を建てるなら合志市を選ぶ人が多いらしい。熊本県内では新興住宅地として武蔵ヶ丘(豊肥本線における武蔵塚駅周辺)や光の森が有名だが、宅地が北へ北へと広がっており、合志市の南側のエリアもこうした新興住宅が立ち並ぶエリアとなっている。御代志駅周辺は住宅が多いものの、近年人気のエリアとは少し離れている。ただあと20年くらいすればこのあたりも新興住宅街に飲み込まれるかもしれない。
熊本市近郊は渋滞対策が喫緊の課題となっており、政令市最悪の渋滞とも言われる。豊肥本線も熊本電鉄も単線であり輸送力に限界があるため、公共交通も多くのエリアでバスに頼らざるを得ないのが実情である。中心部へ向かう道路も道幅が狭い場所が多く、路線バスが毛嫌いされている感が否めない。しかし、そもそも新興の住宅地が公共交通利用をあまり想定されておらず、交通インフラの整備が後回しにされてきた感がある。熊本電鉄も藤崎宮前がターミナルとなっており、中心部の一歩手前で路線が途切れているので正直使いにくい。LRT化して熊本市電に直通する案も浮上していたが、そもそも道路渋滞がワーストなのにその幹線道路に路面電車の線路を敷くのも難しいだろう。
御代志駅から藤崎宮前駅へ本線系統を乗り通す

御代志駅からは藤崎線の藤崎宮駅まで熊本電鉄の本線系統区間を乗り通す。乗車したのは、往路に乗車した列車の後続でこの駅にやってきた03形。この時間の藤崎宮前行の電車は空いていて、日比谷線時代の面影を残す03形の車内を堪能することができた。御代志駅の写真が真っ暗だったように、熊本市街から発達した雨雲が接近。乗車した列車も須屋や堀川あたりでゲリラ豪雨に遭遇し、土砂降りの中の乗車となった。北熊本~藤崎宮間は藤崎線を走るが、このうち黒髪町~藤崎宮前の一部区間は道路と隣り合わせとなりほぼ路面電車状態で走る区間がある。現在この路線は鉄道路線であるため、併用軌道というわけではないが、軌道法に基づいて建設されたため、実質的な併用軌道区間が残っている。
乗車記録6
熊本電鉄菊池線・藤崎線 普通 藤崎宮前行
御代志→御代志 03形

終点の藤崎宮前駅に到着。すでに多くの人が折り返しの列車を待っていて、降車客が降りると乗車側のドアが開き、すぐに座席の全てが埋まった。藤崎前駅はその名の通り、藤崎宮という神社にほど近い場所に駅がある。ビルの奥まった場所に駅があるので、初見では駅を見つけるのに苦労するかもしれない。乗車した列車でゲリラ豪雨をやり過ごしたので、藤崎宮前到着時点で雨は既に止んでいた。歩いて藤崎宮前駅をあとにして、最後に通町筋へと向かった。

藤崎宮前駅からは並木坂そして上通アーケードを歩いて熊本市の一番の繁華街である通町筋へと出て、今回の小さな旅もここで終了となった。通町筋は正面に熊本城が見える大きな通りで、熊本市電がこの大通りの真ん中を走っている。通町筋を挟んで北側にあるアーケードが上通り、南側にあるアーケードが下通りと呼ばれ、今も昔も繁華街として賑わっている。下通り側には熊本の地元百貨店である鶴屋百貨店がある。その一階部分の歩道上には通町筋バス停があり、各方面からやって来る路線バスや高速バスが乗客を降ろす。熊本のあらゆる方面からのバスがこの通りへやって来るので、バスの数も半端ではない。この後は少しだけ通町筋あたりの商業施設をのぞいて、熊本をあとにした。
終わりに
今回の旅は、今年初めて目的地を九州内とした。路線の移設により発生した未乗区間に乗りに行く小さな旅だったが、熊本電鉄のローカルな雰囲気を改めて楽しめた旅だったと思う。熊本電鉄に初めて乗車したのは、今から20年くらい前の話。当時から車両は置き換えが進んでおり、移設区間ができて駅が生まれ変わったりと、いくつかの変化はあるが、全体としての雰囲気は20年前から変わっていない。それが良いか悪いかはさておいて、熊本電鉄のような地方私鉄に存在するどこか懐かしい雰囲気はとても好きである。平成の頃は昭和を、令和には平成の鉄道を思い出させてくれる存在。自分は昭和を知らないので、令和になって平成の車両を見ると、平成の頃に昭和の電車を懐かしんでいた人の気持ちが少しわかる気がした。
一方、前半では三角線に乗車した。有明海を望む車窓は何度見ても美しく、気軽にローカル線気分を味わうこと路線だと思う。2021年~2022年にかけては、熊本の路線バスによく乗りに来ていたので、熊本エリアのJRを使うことも多かった。しかし、最近は九州外に旅行に行くことが多く、熊本エリアのJR路線ともしばらくご無沙汰となっていた。昨年9月のダイヤ改正で、JR九州の熊本エリアも821系の本格的な運用がスタートするなど変化があったので、そうした変化を楽しめた旅にもなった。
残す九州の未乗路線は福岡市地下鉄七隈線の天神南~博多間のみとなった。これまた乗るタイミングが逆に分からなくて困っているが、年内にはちゃんと七隈線に乗る小さな旅を企画しようと思っている。
・今回初めて乗車した路線
熊本電鉄 菊池線 熊本高専前~御代志(区画整理による移設部分)
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